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mespesadoさんによる経済談義(154)「供給力」が第一義 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

わけのわからぬ「経済プロ」の世界から抜け出て、「あたりまえの感覚でだれでも納得の経済理解」へと回帰させる、mespesado理論のいちばんだいじなところです。
《たとえ貨幣が本位通貨性の時代であっても、貨幣の価値を決めていたのは国が持つ金の量などではなく、国家の供給能力だったはずで、松下さんも、「企業は儲けるべし。そして利益の大半を税金として納めるから国の財源ができるわけです」などと言わないで「企業は作るべし。そして作った製品を国民が消費できるから国民が豊かになるわけです」と言うべきだった。》
《グローバル企業の強欲さ》とは、《自らが供給したモノやサービスに見合う対価以上に貨幣を得ようとする強欲性》であり、その結果としての自分たちだけがカネの亡者になることに熱中する社会性のない企業》なのです。
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大嘗祭を前に [神道天行居]

今私が関わる認定こども園は創立68年目、私は創園してすぐ、叔母が保母さんになったのでそれまで通っていた保育園から無理やり転園させられました。人生で最大の転機だったように思えます。当時「キリスト幼稚園」と言われていました。祖父は神様仏様を大切にする人でしたが、キリスト教に対しても同じように考えていたのかもしれません。いたって寛容だったようです。卒園してからも中学生になるまで日曜学校に行って、クリスマスにはずっと精勤賞をもらっていました。そういう私だったのですが、いつの間にか「あなたの宗教は?」と聞かれると「神道です」と答えるようになっていました。十数年のブランクの後、「同窓会を作りたいので」という園長先生から言われて、それからまた園と関わるようになり、今は週明けの朝、園の朝礼に入れてもらって、讃美歌を歌い、聖書を読んで、主の祈りをしてきます。はじめは多少違和感もありましたが、今はキリスト教の神様も八百万の神様の中のおひとり、の感覚で溶け込んでいます。私にはだいじなひとときです。

今日なんでこんなことを書き出したかというと、「キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議」の記事を読んだからです。《一連の即位儀式について「憲法の国民主権原理や政教分離原則に違反し、戦前の天皇主権体制への回帰、天皇制美化などの問題点がある」と指摘した。9日に皇居前広場で開かれた「国民祭典」など各地の「奉祝行事」についても「国民を天皇賛美に動員し、憲法の規定による天皇の役割を超えた政治利用」と批判した。》

毎週日曜学校に通ったと言っても遊び半分で、どれだけキリスト教がわかっていたかわかりませんが、プロテスタントの教会で、「イエスの奇跡」については淡白だったように思います。個人原理の戦後民主主義にそのまますっぽり収まる考え方だったような気がします。そんなことも思いあわせつつ、キリスト教団体自体が「イエスの奇跡」についてどこまで本気に思っているのか、今回の記事で思ったのがそのことでした。毎月一日朝の熊野大社月例祭、明治天皇御製10首を5首ずつ詠みますがその中に、「わが國は神のすゑなり神まつるむかしの手振(てぶり)わするなよゆめ」があります。そうして今在る日本であり、われわれなのです。そのことに敬虔であるべきです。

一連の即位儀式について「憲法国民主権原理や政教分離原則に違反し、戦前の天皇主権体制への回帰、天皇制美化などの問題点がある」と指摘した。9日に皇居前広場で開かれた「国民祭典」など各地の「奉祝行事」についても「国民を天皇賛美に動員し、憲法の規定による天皇の役割を超えた政治利用」と批判した。
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
先師友清歓真先生が大嘗祭について書かれたところをあげておきます。

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川合ひさ子さん、河北工芸展でJAL賞! [青苧]

華北工芸展川合ひさ子DSC_1705.jpg川合ひさ子JAL賞DSC_1706#1.jpg

おめでとう!「河北抄」でも取り上げられています。↓

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 きょう開幕した河北工芸展の入賞者の中に、懐かしい人の名前があった。南陽市の染織家川合ひさ子さん(70)。山形県の月山を題材にした「手織り紬衣(つむぎころも) 月山の祈り」でJAL賞に輝いた。
 染織だけでなく、川合さんは「青苧織(あおそおり)」復活のキーパーソンとしての顔も持っている。青苧はイラクサ科の植物で江戸時代「越後縮(ちぢみ)」など高級衣料の原料として珍重され、米沢藩が栽培を奨励した。別名「からむし」とも言われる。
 戦後、栽培が途絶えていた青苧の存在を知り、地元の農家と一緒に再現に尽力したのが川合さんだ。青苧織を使った製品は、全国伝統工芸品推奨品に認定されるなど高い評価を得た。
 製品作りに取り組む川合さんの様子をかつて取材した。生木100キロから1キロも取れない貴重な繊維で織られる作品は、清涼感に富んで美しかった。
 自ら立ち上げた「青苧工房」は昨年30周年を迎えた。「最近は小学生の放課後学習で、青苧を使ったミサンガ作りを教えています」と川合さん。文化伝承へ傾ける情熱は、以前と少しも変わらない。(2019年11月06日水曜日)

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mespesadoさんによる経済談義(153)諸論①〜④ [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

《未来の日本を担う人材が、未来に希望を持ててない》政府に対して、お金を出せ、そして俺達の口座に振り込め!と圧力を掛けるだけで良い》反緊縮の問題は原理的には実際可能なのに、大多数の人が思い違い(錯覚)をしているからできないだけ》という議論の展開

《日本でMMTを広めようとしている人たちは、・・・説得したい対象の一般国民よりも、自分達の方がMMTの権威にそまってしまって、自分で考えることを放棄してしまっている・・・ここは、MMT到来以前の原点に戻るべきでしょう。》

《DSに表面的に隷属するかのような政策を強行採決はするが、中身で逆転させて国益を守る高度な戦略(TPPへのチーム甘利を使っての逆転劇が好例)が今の日本には必要です。こんな能力を持った政治家は今のところ安倍総理しかいない》

④サヨク感覚もウヨク感覚にしても、「自分を一段上に置いて他を見下ろす快感」が原点のような気がしました。だれにもある感覚なので、そこに自覚的かそうでないかが大切なのだと思います。無自覚なままだと、《反対者をシャットアウトする形でそれをアピール》という袋小路に入ってしまいます。自分の中にも審神者(サニワ)が必要のゆえんです。「霊性」「神性」への第一歩かと、ふと思いました。そういえば、私が神道天行居の先師友清歓真(ともきよよしさね)という人に惹かれたのがここでした。その霊統を引き継いでおられたのが、私にとっては熊野秀彦先生でした。

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山口富永著『昭和史の証言ー真崎甚三郎・人その思想ー』を読む(1)上海事変(1932) [政治]

真崎大将写真.jpg10月13日に「『近衛上奏文と皇道派ー告発 コミンテルンの戦争責任』(山口富永)」の記事を書いた。それから間もなく、ほんとうに偶然だったのだが、薄暗くて普段は見ることもない本棚の隅から、山口富永著『昭和史の証言ー真崎甚三郎・人その思想ー』が「読んでくれ」とばかりに現れた。日本義塾出版部発行平成20年1月28日付納品書が挟まっていた。その頃、太田龍さんの「週刊日本新聞」を欠かさず読んでいた。しかしこの本を買った記憶は全然ない。アマゾンでも日本の古本屋でももう手に入らない本だ。初版が昭和45年5月、昭和58年11月まで5版を重ねている。発行所が政界公論社。今はもうない。発行者が高橋是人、この本を発行するためだけの社名だったのかもしれない。なんとか復刊の途はないものかと、読み終えて切に思う。

序にあった清水謙一郎氏の言葉がずっーと響き続けた。天下は一人を以ておこり、一人を以て亡ぶ、という。この言葉は、真崎大将を偲ぶとき私の胸にぴたりと迫ってくる。》(32P)名宰相管仲について蘇洵が言った言葉として伝わる。清水氏は、昭和10年真崎教育総監更迭に際して差し上げた手紙以来、真崎大将とはその生涯にわたって親交があった。著者山口富永氏の恩師であり、大将と著者の縁は清水氏による。

唯物史観の対極と言っていいこの言葉、真崎大将の弟勝次からも発せられている。「歴史」としての解釈以前、というか、生の「歴史」そのもの、「歴史の当事者」が真崎甚三郎という人物だった。真崎甚三郎という人物を追うことで「歴史の実態」が見えてくる。なぜ「大東亜戦争」になったのか。その解明の鍵となるのが第一次上海事変。

まず弟勝次の述懐、

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mespesadoさんによる経済談義(153)「日本の危機」とは何か [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

野党議員の皆さん、↓に気づいてください!

《「韓国や中国が技術の腕を上げてきている」ことに危機感を覚え、真に国を憂えるなら、やることは中国や韓国への迎合ではなく、日本の技術力を上げて世界における日本の優位性を維持するように日本の産業を支援することではないのか?》

そのためにも「緊縮脳(節約脳)」から解放されてください!

やすえちゃん、大丈夫?

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「大嘗祭の本義」(折口信夫)(3)「神話世界」へのリンク [『古事記神話研究』]

折口の考え方に対して、京都 建勲神社宮司の講話のような批判がある(平成2年11月10日)。曰く、《大嘗祭の性質につきましては従来色々の説がありましたが、昭和3年に折口信夫博士が真床覆衾、天皇霊継承説を唱え、「大嘗祭の核心は天皇を天皇たらしめる根源的な威力である天皇霊を新しい天皇が大嘗祭でふとんにくるまって身につけられる秘密の儀式である」としました。・・・/ 私はかねてから、この学説に、一種の胡散臭さを感じておりましたが、先日、宮内庁の藤森長官が大嘗祭の内容を公表する考えはないが、誤った世評は正さねばならないと発表され、この折口信夫説はその根拠を完全に失った形となりました。》そして要するに、《国民がこぞって今度の天皇陛下の御代もいい御代でありますようにと色々なお供え物を持ち寄り、陛下がそれを神様にお供えし、後、お下がりを皆で直会でいただくというものであります。》と、一見わかりやすく着地する。しかし、折口の目が向かうのはそうではない。《大嘗祭は、平安朝に固定して、今日に及んだもの故、神代その儘、そつくりのものとは考へられない。吾々は、其変化のうちに、隠れて居る所を見たい》 昔のままのやり方そのまま今に伝わっているとは限らない。しかしそこからなんとか「本義」を読み取りたい。折口の文章から伝わるその思いに惹かれて最後まで読んだ。大嘗祭についての、理屈ではないイメージがたしかに自分の中に形づくられたのを感ずる。葦津珍彦が言っていた。古代人は、古代の論理で思考した。柳田国男の民俗学などでは、それをプレ·ロジックと云ふ。プレ·ロジックの思考法には、もちろん多くの欠陥もあり弱点がある。プレ·ロジックで思考したことには、 迷信や誤りも少なくない。しかし古代の神道や宗教を知るのには、プレ·ロジックを知る必要があるばかりでなく、そこには、往々にして現代ロジックよりも勝るものもあると私は思ふ。》(「皇祖天照大御神ー神道神話」)神代以来の最も重要な儀式を今に伝える大嘗祭は、「神話世界」にリンクする最高の手がかりなのだ。現在感覚で簡単にわかったつもりになってはなるまい。
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mespesadoさんによる経済談義(152)安藤裕議員の話 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

https://www.youtube.com/watch?v=n5PMaRndREY&feature=youtu.be
三橋TV第160回【安藤裕議員に特別会計、建設業、自民党内のMMT理解、政権交代について聞いてみた】、じっくり聞いてまとめてみました。

①「特別会計の闇」は都市伝説。《特別会計も一般会計と同様、予算の編成に当たっては、各省庁の概算要求を受けて財務省が査定を行うとともに、一般会計とあわせて国会に提出し、審議、議決を経て予算として成立することになります。》財務省HP「予算編成・国会審議等における扱いについて」

②「天下り」批判は変な刷り込み。ルサンチマン?《30年以上勤め上げた農林行政のプロが「食料安定供給」事業のための機関に再就職するのは、何の問題もない。》

③財務省は「特別会計」が大嫌い。《「道路特別会計」で国交省がガソリン税で勝手に道路を作れたのに、2009年に「特別会計」から外されて「一般会計」に組み入れられた。その結果、いちいち財務省にお伺いしなければ道路が作れない。》

④建設業を救え!《公共事業の削減によって建設業は絶滅危惧種。立ちはだかる「予算の壁」。》《建設業の10年先を見据えた長期計画に立った予算編成を。》

《災害予算はPBの外に置かねばならない。》(その議論→https://www.youtube.com/watch?v=tNvPesa0euY

⑥「PB黒字化」の閣議決定破棄を目指す。《あと一踏ん張り、国民世論の盛り上がりを。》

⑦自民党の大多数が「現代貨幣の仕組み」を理解する可能性は?それとも「政権交代」の方がはやい?《多分、自民党議員が理解する方がはやいと思う。自民党議員と野党議員、理解のスピードは同じ。政治家は世論に敏感。財政再建を言う政治家の中にも「本当は財政再建論者だけれども、今は財政出動が必要」と言う政治家が増えてくると思う。理解は確実に広がっている。希望をもって訴え続けましょう。

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「読解力」の前に「共感力」 [教育]

11月7日の山形新聞「気炎」欄、遠部梁村さんの「共感力と読解力」、ものすごく大事な文章に思えました。《読解力の前に必要なのは、多様な価値観を受け入れる共感力なのではないだろうか。》、その通りと思います。「共感力をどう育てるか」は「教育」というより、それ以前「子育て」のレベルから、それこそ「国を挙げて」本気で第一義的に取り組むべきテーマです。すべてはそこから始まります。

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「大嘗祭の本義」(折口信夫)(2)東国との関係 [『古事記神話研究』]

折口信夫「大嘗祭の本義」の全15章のうち8章から11章。10、11章からうかがえる東国との関係が興味深い。

万葉集の元明天皇御製健男マスラヲの鞆トモの音すなり。物部モノノフの大臣オホマヘツギミ楯立つらしも》。元明天皇は天智天皇の皇女で、即位前の名は阿閉皇女といい草壁皇子の正妃。草壁皇子が天皇になることなく世を去ってしまったのち、その子である幼い軽皇子が成長するまでの間、草壁皇子の母である沙羅羅皇女が中継ぎの天皇として即位し持統天皇となる。その後、無事成長した軽皇子が即位して文武天皇となるが、この文武天皇も即位後、十年ほどで亡くなってしまう。文武天皇には首皇子(後の聖武天皇)という皇子がいたが、この皇子もまだ幼かったため成長するまでの間の中継ぎの天皇として祖母である阿閉皇女が即位したのが元明天皇。)此御製は、大嘗祭の時に、物部の首長が、楯を立てる儀式をしてゐる様子を歌はれた、即興の歌である。・・・/ 大嘗祭などの重大な儀式に当つて、楯を立てるのは、悪い魂が邪魔をすると、それを物部が追ひ払ふ為である。口では、呪言を唱へて、追ひ払ふ事をするが、具体的には、此楯を立てる。又、矛をも振り、弓をも鳴らす。かうして、宮廷の御門を固めるのみではなくて、海道四方の関所を固めた。日本の三関といはれて居る所の逢坂・不破・鈴鹿などは、何れも固められた。全く宮殿の御門を固めるのと同一な考へからやるのである。》そして、つぎの11章で曰く、諸国の稲の魂を、天子様に附着せしめる時に、や歌をやる》その歌が「国風(くにふり)の歌」。《此国風の中で、一種特別なものが、東歌であつて、即すなはち東の風俗である。不思議な事に、此東の歌やは、大嘗祭には参加しない。此は、東の国は大嘗祭が固定して了うて後に、天子様の領分になつた国であるからである。東がまだ、日本の国と考へられないうちに、大嘗祭は、日本の生活古典として、固定して了うて居たのだ。吉野の国栖や、薩摩の隼人が歌を奏するのに、東だけがやらぬといふのは、東が新しく領土となつたといふ証拠である。平安朝になつてから、何かの機会にやつと、宮中に奉られたのである。》つまり元明天皇即位当時、東国は「日本の国」にはなっていない。「日高見国」だった。当時物部の楯は東国を向いていたということか? 次の記事に出会った。(chiyokokkkのブログ

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飛鳥時代ー元明天皇ー1、和銅https://ameblo.jp/chiyokokkk/entry-12525587381.html
2006-08-05 20:17:31

文武天皇死後の翌月、 707年 2月、阿閉皇女(あへ)即位。47才。8年間。元明天皇です。異母姉持統天皇の歩んだ道を、彼女もまた歩むことになる。宣命「現つ神と大八州しろしめす倭根子天皇が『不改の常典』を守って即位する」と発表。嫡子・首(おびと・聖武)は、まだ 8才なのでやむをえず中継として自分が即位するとした。つまり、首皇子の皇位継承権を、あらためて強調した。

即位にあたって、歌を詠った。♪ますらをの 鞆の音すなり もののふの 大臣(おおまえつきみ)楯立つらしも(元明・47才)楯は、敵の矢・刀・矛などを防ぐ武具。8年前の、持統天皇即位式の際、石上(物部)麻呂が大盾を立てた。元明天皇も、同じものものしい儀式で、即位式を行なった。元明天皇の思いに応じ、同母姉の御名部皇女(みなべ)は詠った。♪我が大君 物な思ほしそ 皇神(すめかみ)の 副へて賜へる 我がなけなくに(御名部・50才)(わが大君よ、決して御懸念には及びません。神さまの命をうけて、あなたのお後を継ぐ者として、ほら、ごらんの通り私がおります)当時、首皇子は8才、天武の皇子は穂積皇子・長皇子など4人もあり、元明天皇が即位することは、皇太妃という地位のもろさがあって、不安があった。

和銅元年(708)、元明女帝の治世は始まった。首脳は、右大臣、石上麻呂(物部)70才くらい。大納言、藤原不比等(首皇子の祖父)50才くらい。・大伴安麻呂(大宰府帥兼任)授刀舎人の制度を新設した。(元明天皇の親衛隊)

正月早々に、武蔵国から、朗報がもたらされた。秩父郡から自然銅が産出したという。早速、年号を「和銅」と改め、恩赦も行なった。武蔵国の庸と、秩父郡の調・庸を免じた。3月、石川麻呂を左大臣に。藤原不比等を右大臣に。大伴安麻呂を九州から呼び戻し、太宰帥は粟田真人に。

和銅 2年(709)春、左大弁巨勢麻呂を陸奥鎮東将軍に、民部大輔佐伯石湯(いわゆ)を征越後蝦夷(かい)将軍に任命し、東海・東山・北陸諸国の兵をさずけて、蝦夷征討に発遣した。前年の秋、越後の国司が蝦夷の住んでいた地に、出羽郡を新設し、統治しようとしたため、こぜり合いが起こったから。そして、3年後、出羽郡に陸奥国の最上・置賜(おいたみ・現在の山形県の大半)を加えて、出羽国を新設した

藤原京は、大宝律令がととのい、役所の数も役人の数も増え、手狭になってきた。

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この地置賜が「日本(やまと)の国」に組み込まれたのは、元明天皇の御代だった。

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