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「教養主義」批判 [青苧]

「神宮大麻と国民性」の画像検索結果亀さんが下記紹介しておられます。(http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16992476/12/)安西正鷹氏による「大麻」論です。(この記事、「青苧」カテゴリーに入れておきます。←「大麻以上!」と言われて、どうする!? 青苧

 みち342号(平成23年07月15日) 08 『神宮大麻と国民性』 2
 みち341号(平成23年07月01日) 07 『神宮大麻と国民性』 1
 みち340号(平成23年06月15日) 06 大麻の精神変容作用
 みち339号(平成23年06月01日) 05 大麻規制史 下
 みち338号(平成23年05月15日) 04 大麻規制史 中
 みち337号(平成23年05月01日) 03 大麻規制史 上
 みち336号(平成23年04月15日) 02 大至急、大麻を復活せよ!
 みち335号(平成23年04月01日) 01 「終わりの始まり」

実は、読み進めつつ立ち止まったのが、「教養主義」の定義。曰く万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度》その結果するところ、学歴主義、知識主義、量だけを問う読書主義を助長し、創造的な行為や思考からはますます乖離していく。/ 知識や学問という実体験や本質と遊離した記号だけを脳に蓄積するうちに、三次元世界の知覚、すなわち肉体的な感覚器官の五感を偏重するようになるのだ。/ その反面、三次元世界を取り巻いている、五感では捉えられない、広大な多次元世界を感知できなくなる。神々や高級霊との交流が疎遠になったその間隙を衝いて、悪神や邪霊などの魔が入り込んでくるのである。》07 『神宮大麻と国民性』 1その後には教養主義は戦後ますますその勢いを逞しくして、いまや朝野に猖獗を極めるまでに至った。》とある。たしかにわれわれは、異和感を覚えつつも、その空気の中で育ってきた。しかし、今や「教養主義」はもはやマイナー化の方向にどんどん進んでいるように私には思える。若い人に期待するゆえんでもある。宮内小学習発表会正しいより 楽しい/正しいより 面白い/やりたかったこと やってみよう・・・》「やってみよう」、この空気がずっと流れているのを感じてうれしかったのだ。

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『神宮大麻と国民性』が出版された大正五年は、新たな時代的潮流が形成される最中にあった。
 明治三八年(一九〇五)、日露戦争で日本が勝利すると、アジア諸国の間に緊張緩和状況が生じる。
 明治四四年(一九一一)、支那では辛亥革命が勃発し、翌大正元年(一九一二)には清朝が滅亡して中華民国が樹立された。
 この年は、国内では明治天皇の崩御と乃木大将の殉死があり、明治から大正へと時代の移相転換がなされた画期的な節目でもある。
 資本主義の急速な発展と成長によって、国民の間に政治的・市民的自由が生まれ、様々な課題を掲げた自主集団が設立された。自由と権利の獲得、抑圧からの解放に対して声高に叫ぶ風潮が色濃くなってきた。
 日露戦争後に徐々に芽生えていた、いわゆる大正デモクラシーへの本格的な突入である。
 大正五年までの間に朝鮮半島への二個師団増設問題、憲政護憲運動の高まり、民衆デモの頻発、立憲同志会の設立、シーメンス事件、第一次世界大戦勃発、対支二十一箇条の要求といった国内外を揺るがす事件が立て続けに起こった。
 これに伴って激震に見舞われた政局は混乱を極める。
 明治四四年から大正五年まで第二次桂内閣に始まって第二次西園寺内閣、第三次桂内閣、山本内閣、第一次大隈内閣へと目まぐるしく政権交代が行なわれた。
 毎年のように内閣が総辞職する国民不在の不安定な政局は、現在の状況と酷似している。
●こうした政局の混迷は人々の思想や精神の変化とも密接に結びついている。意思と思考が穢れて邪悪なものに変質すれば、その結晶である社会現象や日常生活の風景もまた当然、醜悪な姿を晒すことになる。
 明治時代以降、「教養主義」なるものが徐々に社会に浸透しつつあった。この「教養主義」とは何か?
 関西大学教授で社会学者の竹内洋氏は、教養主義を「万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度」と定義している。
 教養主義は大正以降はその勢いを増して社会全般に深く浸透していく。
 行動や自覚的な反省は蔑ろにされ、知識の詰め込みが称賛された。
 こうした外形的な教養は学歴主義、知識主義、量だけを問う読書主義を助長し、創造的な行為や思考からはますます乖離していく。
 知識や学問という実体験や本質と遊離した記号だけを脳に蓄積するうちに、三次元世界の知覚、すなわち肉体的な感覚器官の五感を偏重するようになるのだ。
 その反面、三次元世界を取り巻いている、五感では捉えられない、広大な多次元世界を感知できなくなる。神々や高級霊との交流が疎遠になったその間隙を衝いて、悪神や邪霊などの魔が入り込んでくるのである。
 教養主義は戦後ますますその勢いを逞しくして、いまや朝野に猖獗を極めるまでに至った。
 かつて当山氏が当時の世相に危機感を抱き、筆を執って警鐘を鳴らした状況と相似している。
 危機的状況という「変調を来せる根本」が「敬神崇祖の至誠の蔭翳」にあり、救済の道は「真摯なる敬神崇祖の風を鼓吹し、報本反始の至誠を喚起誘掖する」(神宮)大麻にある!
 当山氏のこの至言は百年近く経った現代でもまったく色褪せることはない。闇に閉ざされた現代の閉塞状況を打ち破る決定打となろう。

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