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飛騨行(3) 飛騨の精神文化 [飛騨]

飛騨の老翁の伝えに拠れば、イザナギの神は飛騨出身、イザナミの神は出雲出身です。飛騨の文化は日本古来の精神文化が基本です。「飛騨の匠」の作品には繊細な精神性が込められています。神は微細に宿ります。そして「われも神なり」です。それに対して出雲の文化は外来の物質文明の影響を大きく受けていました。最初に建てられた出雲大社の本殿はその大きさによって人々を圧倒しました。重厚長大志向の文化です。万物を創造する神の存在が前提されています。人は神にはなりえません。神はあくまで崇拝すべき存在です。


飛騨の血と出雲の血がまじりあって二人の間に生まれたのが天照大神であり、須佐之男命です。大国主命は須佐之男命が母イザナミのふるさと出雲に行ってつくった子供です。出雲文化の中で育った大国主命は、飛騨の精神性を理解することができずに飛騨の文化を軽く見ていたふしがあります。現代の物質文明は大国主的感覚の延長上です。

 

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なんとなく身近に思い過ぎていたようですが、このたび飛騨に行き、そしてあらためて著作が少しずつ理解できるようになって、山本健造という人はとんでもない人なのかもしれないと思うようになっています。山本が19歳の時に畑を耕しつつ思いついたという、空間(三次元)と時間(四次元)に志向とエネルギーを加えた六次元弁証法、ノーベル賞級を超える大発見なのかもしれません。たしかにココロとモノを同一地平において考えることができるようになります。


 


 

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飛騨行(2) 飛騨高天原説 [飛騨]

このたびの飛騨行、大きく二つの収穫がありました。ひとつは、「日本のルーツ飛騨」説について現地で確認できたこと。もうひとつは、生命エネルギー誘発セミナー参加によって、神道天行居の浄身鎮魂法との共通性を体験できたことです。


初日のセミナーが終わったのは夜8時ぐらいでした。布団に入るには早すぎます。われわれ3人寄ればお酒は切り離せません。町のコンビニまで行って地元の酒やつまみを仕入れてきました。われわれの他にも缶ビールを持ってこられた人がいます。これまで山形でお会いして気心のわかる方も居られるので、お互い気楽に談論風発、実に楽しく有意義な初日の晩をすごしたのでした。その中で出たいろんなお話の中でとりわけ心に残ったのが、「日本のルーツ飛騨」説確立の経緯でした。


「日本のルーツ飛騨」説は、すでに昭和のはじめ、酒井勝軍が主張しています。酒井は明治7年(1974)山形県上山市生れのクリスチャンです。30年前の本を見つけ出しました。飛騨に行く前に目を通そうと思いつつ探し出せなかった本です。こうありました。

《(酒井が創刊した)『神秘之日本』の第6号は「高山特輯号」である。/その中で、酒井は飛騨の語源は「日球(ひだま)」であり、ある時代に日本の中心的神域であったと述べ、つぎのように語っている。/「飛騨は日球なりとの神秘感がよみがえり、位山は国常立尊の神都にして、又天照大神の御降誕所であり、天岩戸隠れの古事は、天照大神が一時高天原から高山に隠居せられたのであるぐらいな神秘な自覚が高山人の頭脳に湧きいずれば、この高山盆地は遠からず世界の神域として天下万民の礼拝所たりうる公算があることを余は断言しうるのである」》(『日本のピラミッド超文明』学研 1986


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「飛騨は日球なり」、酒井の発想は「竹内文書」に拠ります。それに対して福来心理学研究所の「日本のルーツ飛騨」説の原点は、創設者山本健造(大正元(1912)年1112日–平成192007)年87日)が昭和10年、分教場教師として初めて赴任した乗鞍の麓の旗鉾の地で、語り部の老翁から聞いた「先祖伝来の重大なる物語」です。(その記録は『鞍ヶ根風土記』として残る)その後、このことについての山本先生の探求は何も成されないままだったのですが、「山本も70才を越え、ボンヤリしていたある日、まるで語部翁が語りかけてくるような霊感を覚え、若い頃翁から真剣に頼まれたことが鮮明に甦りました。翁との約束もさることながら、もしあの話が本当なら、日本民族にとって重大なことなので、山本も研究をまとめねばならぬ時間が迫っていたのですが、それを一時中止して、語部翁から聞いた記憶をたどりながら8年間実地調査をしました。」(『日本のルーツ飛騨』福来出版)


研究所での最初の晩親しく酒を酌み交わす中で、山本健造師の九州への現地調査に同行したOさんの話を聞くことができました。山本先生の調査方法の基にあるのは「精神統一」です。その日のセミナー体験から、それは「帰神法」に通ずることがわかりました。Oさんの話によると、九州での現地調査は常に「精神統一」を伴うものだったといいます。Oさんの話を聞くことで、私には「飛騨ルーツ説」が極めて信頼に足るように思えてきたのです。翌日このことをOさんに話すと、思いがけなく帰り際に、九州での調査後山本先生が書かれた研究所の機関紙『宇宙と人生』をいただくことができました。山本先生が記された「飛騨ルーツ説」についての貴重な最初の文章なのかもしれないと思い、OCRで読みとらせていただきました。


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飛騨行(1) [飛騨]

10月10日から13日三泊四日、竹さん、加藤社長と飛騨高山に行って福来心理研究所の方々に一方ならずお世話になってきました。書かねばならないことがたくさんありすぎて書けなくていましたが、とりあえず事実経過のみでもと書きはじめたところです。

福来心理学研究所との御縁は高橋宥明上人によって結ばれました。宥明上人関連事業が進行しつつあり、なんとか研究所を訪ねたいと思っていましたが、月に一度行われる「生命エネルギー誘発セミナー」に合わせて思い切って出かけてきました。

10日の朝ちょうど6時に出て、高速は富山インターで降り、飛騨市古川のそばやさんでゆっくり昼食をとって、高山市国府町の研究所到着が1時15分、430キロ、7時間15分の行程でした。

1時半、まずは「日本のルーツ飛騨」の神々が祀られた天孫宮、古代の御神体と考えられる石柱、日抱き神事を象徴する列石群を参拝してセミナーが始まります。石柱は古代遺跡から発掘されたものの人の手が加えられていないところから考古学的に価値なしとされ放置されていたものとのことです。拝礼は二礼四拍手一拝です。四拍手には「真善美勤(聖)」の意が込められています。「勤」は心の方向性とそのエネルギーを示す言葉です。六次元弁証法に由来します。漠然としていた六次元弁証法が次第に身体で納得させられるようになります。その手始めの体験です。
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会場です。福来友吉博士と山本健造先生の石膏像が中央に並んでいます。宥明上人の布製投筆軸も掛けてあります。当店製です。対面には「静動不離」、福来博士の書です。
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(つづく)

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