吉本隆明さんの御霊前にお参りしてきました [吉本隆明]
20年振りに東京南陽会の「ふるさと南陽の集い」に参加してきました。初めての出会いもありがたかったし、20年振りの懐かしい出会いもありました。帰りのバスの中、東京を出た頃は尻がいたくなり出して、このまま4時間はきついなと思っていましたが、カラオケが始まるとつぎつぎいい歌声が聴けて、ガイドさんの仕切りも見事であっという間に南陽市役所に戻っていました。
今回は公費の旅ですが、実はもうひとつ私的な別の目的が育っていました。数日前たまたま「猫屋台」のサイトに行き当たりました。それを見て、どうしても吉本隆明さんにお参りしてこなければと思い出したのです。集いが3時に終了して上野のホテルに入ればその後はフリータイム、時間はたっぷりあります。誰にも言っていなかったのですが私の中では今回の東京行のいちばんの目的になっていました。うまく御霊前に額づくことができるかどうかは、冥界の吉本さんに思いが通ずるか否かにかかっています。それだけに誰にも言えませんでした。
あらかじめ地図で調べるとメトロ南北線本駒込駅からすぐです。チェックインした上野ターミナルホテルで地下鉄の乗り場を聞くと駒込ならタクシーの方がいいという。実際は1700円の距離でした。帰りは通りかかった交番で聞くと「上野なら山手線がいい」ということでJR駒込駅から乗ったら160円でした。そのかわりだいぶ歩いて、ケータイの昨日の歩数計データは12410歩8066mになっていました。
吉本宅の近く袋小路の手前でタクシーを降りお宅へ向います。4時50分でした。左に曲がると吉本宅です。どうだろうか、不安な思いもありましたが大丈夫、家の中の灯りはしっかり点いていました。玄関の扉も少し開いています。それは猫のための隙間であることにまもなく気づきます。濡れ縁にトラ猫がじっとこちらを見つめます。石塀の上には黒猫です。声をかけ呼び鈴を押すが応答はありません。この程度は想定内です。遠出の留守ではないことは明らかです。時間はたっぷりある。何度も来てみればいい。その辺写真を撮らせていただきました。
最も深い「吉本隆明論」(若松英輔さん) [吉本隆明]
若松英輔氏による「詩人はなぜ、思想家になったのか―吉本隆明の態度」。「文学界」8月号の特集「吉本隆明再読ー継続する思考」にある4ページの小論だが、私にはこれまで吉本について述べられた文章の中で、最も深いところから吉本を照射した見事な論考に思えた。
「悟り」「ほんとのこと」「こころおどり」という3つのキーワードによって論は展開する。
まず「悟り」。若松氏がはじめて吉本と会って話した時の体験だ。吉本氏が若松氏をその直感によって十分見極めた上での言葉に違いない。
《「あなたは、老いと悟りの問題をどう考えますか。悟りというものはあるのでしょうか。」こう述べた後、こちらがどんな人間か自己紹介をする間もなく、吉本さんは、十分間ほど自分の考えを述べ続けた。自分も知っている、ある高齢の、高僧と言われた人が自殺した。宗教的な悟りと言われているものは、じつは人間を根源から幸福にするものではないのではないか。それは、人生の秘密を告げ知らせるものではないのではないか、というのである。さらに彼は、悟りとよばれる現象はあるにしても、それは生きるということにおいてはほとんど意味を持たないのではないか、とも言った。その語り口は、何か身に迫るものを感じさせた。この問いを見極めることに人生の大事がある、という風にすら映った。
語られたことは、それを話す吉本さんの必死の姿ゆえに今も鮮明に記憶されている。その姿からは、悟りとは、山の頂上に登るような到達の経歴ではなく、どうにか生き抜こうとする持続ではないかと問う声が響いてくるようでもあった。概念として「悟り」が語られ、それを目指すという営みが起こるとき、人はかえって真に悟りと呼ぶべきものから遠ざかる、というのだろう。》
実は、この部分を読んだだけでこの小論を記録に留めておかねばならないと思ったのだった。吉本隆明と若松英輔という希有な出会いが、「悟り」というものをあっけなく相対化してしまうという歴史的文章に私には思えたのだ。もうこれだけで、吉本とタッグを組んだ若松氏の言葉は「世界を凍らせる」。(「凍らせる」という言葉が、必ずしも「冷たく震え上がらせる」ということだけではなく、詩語本来の意味としての「形をあたえる」という意味合いをも多く含む。若松氏はこのことをも気づかせてくれている。)
一応その後にくる文章をあげておく。
追悼・吉本隆明さん(5) 「ほんたうのほんたう」の到達点 [吉本隆明]
吉本隆明による「宮沢賢治論」 [吉本隆明]
毎年辞令交付式の後、1時間ぐらい時間を与えられて話すことになっています。先ごろ卒園文集に寄せた「モモ」について語ろうと思っていたのですが、このところ吉本にはまってしまっているので、この題になりました。そのレジュメです。今日の午前に語ってきたところです。
≪≫内は「賢治文学におけるユートピア」(『国文学』昭和53年2月号)と『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫)からの引用です。
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吉本隆明による「宮沢賢治論」
ほんとうの<善意>とは
(一たい僕ぼくは、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。)
<追悼・吉本隆明さん(4)> 「どうみても、20世紀、世界で最大、最高の思想家である」 [吉本隆明]
<追悼・吉本隆明さん(3)> 宮沢賢治と<大衆の原像> [吉本隆明]
<追悼・吉本隆明さん(2)> 「苦しいときに、吾妻連峰の山肌をおもいうかべた」 [吉本隆明]
<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になった [吉本隆明]
ネットで好悪入り乱れた吉本に対する評価を読んでいるうち、あらためて吉本への自分なりの思いを整理したい気持ちになって書いた。
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<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になった
訃報を知ったのは亡くなった3月16日午後9時のNHKニュースだった。翌日の山形新聞には1面と社会面とに大きく取り上げられた。訃報そのものには、そういうときが来たかということでさほどの驚きはなかったのだが、世の中の扱い方に驚いた。いつの間にか世の中にここまで認められる存在になっていたのか。関わった自分の昔を思い、いささか晴れがましい気持ちにもなった。