玉鷲関、優勝おめでとう! [染物]
好評!方言手拭「宮内ことば」 [染物]
韮崎行(2)のれんのあるまち [染物]
染物業を営む者として特筆しておかねばならないことがある。韮崎市が、「のれんのあるまちづくり推進事業」を行ってきていることだ。平成22年度総務省内閣府所管「地域活性化・きめ細かな臨時交付金」700万円の交付金に加え、3年間にわたって市の一般財源から308.7万円を拠出、総事業費は1,008.7万円。叔父から「『のれん』のまちなみ」のパンフレットを送ってもらってうれしい思いをした。そのパンフレット、大事に保存してあったのを帰って見つけた。ゆっくり街を散策しながら一枚一枚見て歩けばよかった。つい時間に追われて車中から眺めるだけになってしまう。いま悔やんでいる。
施策概要に《のれんを製作するにあたって最も重要視したことは、店主自らがデザインを行うという事だった。当初は統一したデザインののれんを軒先に掲出することでまちなかに一体感をだすことができるのではとの意見も多かった。/しかしながら、のれんは店の顔であり、店主や家族の想いと心意気を表現すべきものであることから、自らがのれんのデザインに関わることで、のれんに対して誇りを持つようになると同時に、お客や観光客との間で、のれんを通した会話が進み、自然と活気があふれるまちとなると考えたからである。》とあるのでそれはそれでいいが、印象として、統一したイメージがあった方がいいのかとも思った。韮崎市が商標登録しているという「武田の里」のロゴを全部ののれんに入れるとか。
3Dプリンター革命(完) [染物]
NHKスペシャルで見た3Dプリンターの革命性が、私が体験した印染における大型プリンターによるデジタル化の革命性と相通ずることに気づき、思い出話のように書き連ねてきた。まとめてみたい。
1.革命的であるゆえんは、「楽にできてしまう」ということである。したがって修練性は無に帰するともいえる。「仕事ができる」ということにおいて、若い方が上に立つ。
2.品質においても格段にすぐれている。印染でいえば、「思いのままのデザインが、きれいに、丈夫に」そして「速く」できる。したがって「安く」なる。ネット上において、のぼり価格はぎりぎりの安さが追求されている。安さの追求になれば、資本力には敵わない。そこには熾烈な競争が展開される。
3.革命は外からやってくる。業界が気づいたときはまわりはすっかり取り囲まれてしまっている。私もまともに印染の仕事に集中していたらデジタル化はなかった。「新しい歴史教科書運動」に時間を取られた結果のデジタル化だった。
4.業界内部から見ていると、革命は「悪貨が良貨を駆逐する」かのように見える。
(1)綿、麻、絹などの自然繊維からポリエステル(テトロン)を主にした化学繊維への移行を見て「あんなぴらぴら、とてもやっていられない」と思うが、客のニーズはどんどんポリエステルに向かう。私の中学生から高校生の頃、学生服がテトロンに移行した。あのときのことを客の立場で思い起こす。ポリエステルの側においても、自然繊維の比ではないバリエーションが用意される。
(2)印染では当然だった両面染めが片面染めになる。デジタル化の進展で表しか染まっていないのれんが一般化するだろう。業界の外部からすればなんでもないことかもしれないが、内部からすれば「とんでもない」。だから、私にとって両面染めが可能になった時が「印染のデジタル化」が確信できた時だった。
5.業界が培ってきた伝統が無に帰することではない。業界人としてのデジタル化の取組みは、全く新しい仕事が始まるのではなく、これまでのアナログ的な仕事をデジタル的にどう再現するかだった。そこから伝統はつながってゆく。しかし、デジタル化を前提にした新たな感覚での伝統も育ってゆくに違いない。
6.デジタル化といってもすべて機械まかせ、ただ見守っていればいいというものではない。大型プリンターでプリントした紙に、こんどは布を密着させて大型のロールアイロン(転写機)を通すのだが、そのプロセスはかなりの程度アナログ。息子はなんとか数値化しようとするが、こっちはどうしても勘優先。思うようにいかない機械にブツブツ文句を言う息子に言うのは、「機械と仲良くしろ。」デジタル化といっても、結局人間がやる仕事であることに変りはない。
最後に筒描から昇華転写への具体例として、大原浜三熊野神社の山車幕を再掲しておきます。
3Dプリンター革命(4) [染物]
「筒描→スクリーン印刷→デジタルプリント」の流れを見てきたが、「筒描→デジタルプリント」となったのが、鯉のぼりだ。祖父の時代、戦前から筒描で鯉のぼりを染めていた。尾びれに名前と生年月日を入れていた。向いの山﨑染屋さんとはいいライバル関係だったと思う。祖父の曾祖父の時代に婿に入ったり嫁に行ったりの深い関係がある。山﨑鯉は青系、高岡鯉は黄系で、宮内の皐月の空のあちこちに、男の子の名前のはいった鯉のぼりが泳いでいたのだ。筒描ならではの仕事だった。私も大分染めた。下絵→糊付け→染め→水元→乾燥→金入れ→縫製→口輪付け、時間も手間もかかるし場所もとる。だからといってそうそう高くはもらえない。大変な仕事ではあった。
祖父が宮内幼稚園創立時(昭和27年)に染めた鯉のぼり、撮影は昭和33年ぐらい。
3Dプリンター革命(3) [染物]
私が体験した印染における第一次技術革新は、スクリーン印刷の登場だった。私の師匠は研究心に富んでいた。いちはやく新しい情報が入る人脈もあった。ちょうど私がいた時にスクリーン印刷用の5間(9m)ぐらいの捺染台を設置して、試行錯誤が始まった。私がいたうちにはまだものにはならなかったが、私には、師匠のその試行錯誤の様子を側で見ていたのが、家に入ってから役立った。印染一筋の祖父とはちがい、母とともにきもの商売に変わっていた父は私が失敗を繰り返すのを見ていて、「どうせだめ」と高をくくっていた様子だった。かつて父はフロッキー加工にチャレンジして結局ものに出来なかった経験をしていた。しかしスクリーン印刷無しには考えられない時代へと確実に向かっていた。時代が、それなりの仕事をこなせるように育ててくれた。餅糊をつくらなければならない筒描でする仕事は、だんだんスクリーン印刷に追いやられていった。自分でつくっていた糊も、いつのまにか既製糊を使うようになり、それでも腐らせて無駄にすることが多くなっていった。筒描の最後の仕事がいつだったか思い出せないが、やめて10年ぐらいになるだろうか。もともと自慢できるような腕ではなかったが、それなりの修練を要する仕事なので、やらなければ腕は落ちる。今はもう全くやれる自信はない。
筒描で染めた白鷹虚空蔵尊例大祭(高い山)の神幟(平成6年5月13日)
3Dプリンター革命(2) [染物]
一昨日のNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 第2回 新成長戦略 国家の攻防」は、今後製造業において技術革命をもたらすであろう3Dプリンターをとりあげた。私は染物の世界で一次元下でのデジタル革命をここ10数年来体験してきたことで、3Dプリンターの革命性を実感した。これまで積み上げてきた職人的手技、熟練性が機械に取って代わられる。単なる交代ではない。よりきれいに、より速く、より堅牢に、より楽に、したがってより安く、ユーザーのニーズに合致したものをつくることができるようになる。
私の印染技法は筒描き(筒引き)からだった。餅米を主体にした糊を使う筒描きは日本の印染めの原点だ。筒描きは大漁旗や一枚ものののれんの場合だが、風呂敷や手拭のように同じ文字柄を何枚もつくる場合は、渋紙を切り抜いた型紙を使う。切り取られた形を固定するために紗を貼る。今は既製の紗をニスで貼る方法だが、昔は糸掛けといって、切り取られた部分を糸と針で固定していった。祖父のその仕事を見ていて、自分にはとても染物の仕事はできないと子供心に思っていた。仙台の染工場に弟子入りして、糸掛けが紗張り方式に代わっているのを知って心底ほっとしたものだった。祖父のやっていた糸掛けは、ネットで検索してももう出てこない。染工場がいくつもある仙台には型づくり専門の型屋さんがあって分業体制ができていたが、祖父はひとりで全部こなしていた。紋書までやっていた。
3Dプリンター革命 [染物]
昨晩のNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 第2回 新成長戦略 国家の攻防」で、製造業において技術革命をもたらすであろう3Dプリンターへの取組みが取り上げられていた。私の場合は2Dの世界だが、染物の世界で、一次元下でのデジタル革命をここ10数年来体験してきた。染物の場合も3Dの場合もデジタル化とは要するに「型が必要でなくなる」ということだ。染物の場合で言えば、色の数だけ型が必要だった。プリンターでは1色も多色も同じ。3Dでは「金型が必要でなくなる」。日本においては、職人的感覚・手腕を必要とする金型技術は世界に抜きん出ていた。それが意味をなさなくなる。染物の世界においても、従来の職人的手技感覚は、伝統技術としての生き残りはあっても、その占める割合はどんどん小さくなってきた。私の場合で言えば、80%ぐらいがデジタル化してしまっている。その方が、圧倒的に「速く」「きれいに」「丈夫に」、その上「楽に」できる。その結果「安く」なる。伝統技術を求めているわけではないお客さんはそれに超したことはない。
私の場合に即して、染物技術の歩みを振り返ってみたい。