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「秋葉山荘」から(「山形100名山」) [地元のこと]

宮内全景の写真が欲しくて、昨日(10月9日)の朝、秋葉山荘へ行ってきました。その方角、かつてはりんご畑があったのですが、もう日常的に使われている道路ではなくなっています。秋葉山への登り口に入っても草が生えて、ほとんど「山道」です。それでも道路の凸凹は思ったより少なく、30キロぐらいのスピードでスムーズに登ることができました。ただ、万が一対向車があったりすると危険ですので、十分気をつけてください。

家を出た6時ごろ、全くの青空でした。秋葉山荘に着いたのが6時20分ぐらい、みるみる霧が広がってきます。

s3宮内全景.jpgs4宮内全景.jpg5s宮内全景.jpg

腰を据えて晴れるのを待つしかありません。町の喧騒にはまだ早いのか、家の前のラジオ体操の音が聞こえてきたのには驚きました。家のラジオに合わせて秋葉山荘前で体操しました。そのあと1時間あまり、思いがけないゆったりした時間を過ごすことができました。晴れてきたのが8時過ぎ。8時15分ぐらいの写真です。↓

s宮内全景1.jpg

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南陽市の歴史的建造物について [地元のこと]

市民大学 小幡知之先生.jpg28日の南陽市民大学講座、山形工科短期大学校長 小幡知之先生の「南陽市の歴史的建造物について」。最初から最後まで実に興味深く聴いた。多勢丸中邸、蔵楽、夕鶴の里資料館の登録有形文化財指定は、小幡先生の調査結果に基づくとのこと。登録有形文化財指定の制度は、建造後50年を経過し、街の風景に馴染んでいる建物であれば、内部の改造如何はあまりうるさくない。(「登録有形文化財の指定を受けるとどうなるか」で検索して見つけたサイト→登録有形文化財のメリット・デメリット|指定基準・有形文化財の違いhttps://i-k-i.jp/19918

今回取り上げられた歴史的建造物は①旧多勢丸多製糸場繭蔵(現夕鶴の里資料館) ②旧宮内繭市場繭蔵(現蔵楽) ③結城豊太郎記念館 臨雲文庫。

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置賜盆地は雲の底(高ツムジ山からの雲海) [地元のこと]

瀧波一行.jpg10月6日開催の吟道岳鷹会「山形県南秋季吟詠大会」で発表される構成吟「最上川、置賜を行く」のスライド写真撮影に走り回って、26日の夕方近く十分一山に行き、翌朝27日は高ツムジ山まで行ってきた。盆地全景の写真が欲しかったのだが、予てから聞いていた見事な雲海に出会うことができた。毎日お客さんを案内して登ってくると言う瀧波の須藤清市さんも、これまで200回以上通ってきていると言う宮内関口のKさんも、口をそろえて「今日が最高」と言う雲海だった。ほぼ360度展望できる高ツムジ山から、↓は、雲海の底に沈む置賜盆地(7時ごろ)と、ほぼ雲が晴れた置賜盆地(8時半ごろ)の動画です。(削除中)

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市長との未来トーク、火事で中止 [地元のこと]

目覚めても夢の感覚がそのまま続いていた。結城豊太郎記念館が主な舞台だった。元日銀総裁(白川前総裁だろう)の再訪に絡んでいた。講演というか講話がくだけた場で行われていた。どうしてもしなければならないことがあって、それをしながら聴いていたのだが、何か別用ができてその場を離れて外へ出た。そこで用をしていたら記念館から迎えがきた。終わっての懇親の席が余っているので何とかきて欲しいというのだ。その場にいた北野宮司を誘ったが断られた。もっと細々覚えていることもあるが、そんなこんなでグズグズしているところで目が覚めたようだ。そのグズグズ感覚が目覚めても残っていた。なぜこんな夢を見たのかを布団の中で考えて、今日、市長との未来トークがあることを思い出した。結城豊太郎記念館が須藤永次記念館にリンクした。グズグズしている公民館改築問題、須藤永次記念館に焦点を絞ることで開けるような気がした。「日本の住まいを、燃えない住まいに変えた人」。「日銀総裁にして大蔵大臣」よりもずっとインパクトがある。ふるさとへの貢献は結城豊太郎に比べても勝るとも劣らない。・・・・・とここまで朝のうちに書いていて、今夕7時からの市長との未来トークに参加するつもりでいたのだが、4時半ごろ、「丸岩製綿辺が火事」との消防団員の息子へ通報が入って、すぐポンプ庫まで車で送る。和泉町の丸岩製綿の方向、かなりの黒い煙、西風が強くて心配。今晩の未来トーク、どうなるか。と、思いつつも7時前、会場の公民館に行ったら「今日の会合は見送り」の張り紙。事務室に入ったら、公民館スタッフの他に、手持ち無沙汰気な課長二人と女子職員。夢の話は鮮度が勝負、そんな気がして、しゃべりたいことの1/3ぐらいをしゃべらせてもらって帰ったところです。火事は6時42分に鎮火との公式発表、宮内の火事は5年ぶりぐらいです。火事情報、もうかなり詳しく流れています。→https://matomame.jp/user/bohetiku/a5383e4fbbd574122211ネット社会をあらためて実感します。丸岩製綿は同級生。明朝お見舞いに行ってきます。

 

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「宮内から市民の新しい拠点をつくろう会」へ [地元のこと]

9月16日に「宮内から市民の新しい拠点をつくろう会」の定例会がありました。その前の会合で、事務局が用意した見解に対していつも異議を唱える私に、「意見をまとめて文章化してくれた方がいい」との意見があり、了解していたところでした。ただしA4で1ページとの制約があり、ギリギリまで苦慮して会合前日一気に書き上げたのが以下の文章。ゴタゴタ理屈を並べるより事実を示した方がいい、との思いで書いたものです。

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長岡南森遺跡、「前方後円墳」認定に大きく前進 [地元のこと]

昨日、長岡南森遺跡現地報告会に行ってきた。この遺跡については、ウィキペディアにも「南森古墳」として詳しく記載されていた。(→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A3%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3)正式にはまだ「古墳」ではなく「遺跡」なのだが、この度の調査報告、「前方後円墳」としての認定に大きく前進したと言っていいのではないか。ちょうど円形と方形をつなぐ「くびれ」が確認され、さらに左右対称の位置にテラス(段形地形)
(段状地形)(
(段状地形)
の存在も見つかった。そのほか祭祀用の器具も多数発見されたという。出土品は縄文早期のものから中世まで広い時代に亘るという。担当の角田朋行補佐に「前方後円墳との決め手は何が分かった時か?」と尋ねたら、「あくまで状況証拠の積み重ね」との答えだった。ある程度進んだところで調査委員会(委員長 菊地芳朗福島大教授)によって判断されるとのこと。

前方後円墳と認定されれば東北最大級で、4世紀中葉の可能性もある稲荷森古墳に後続し、4世紀後葉の造営と推定されるという。南九州の古墳群についてであるが、「中央から地方(辺境)に波及した」というこれまでの常識が覆りつつあるらしい。(『西都原古墳群』北郷泰道 2005) 下記の飯山史観に深く関わってくる。すなわち《応神天皇の「大隅→河内」と,前方後円墳の「大隅→河内」
この二つの流れが↑並行していることは…
応神天皇の「河内王朝」の淵源が,なんと!「大隅半島」にある!ということ》。では、東北のこの地の古墳群は一体何を意味するのだろうか?

現地で顔を合わせた高橋与一前金山公民館長による報告記事を見つけました。→https://blog.goo.ne.jp/miyakodouso/e/32e584644f3b898c4340d2d09b9afc1e

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晴れた!高速開通プレイベント [地元のこと]

開通記念DSC_1014.jpg思いがけなく17日、東北中央自動車道完成のプレイベントに行くことになった。イベントを担当する建設課長が、私が地区長会長の宛職で菊と市民のカーニバルの実行委員長になったときの商工観光課長、雨の予想を覆して当日無事晴れたのを覚えていて、「ぜひ参加して欲しい」という要請。せっかくの準備が天候次第で中止もありうるとのことで藁をつかむ気持ちだったのだろう。断る理由もなかったので参加することにしたが、アテにされた方は責任重大。頼みにきた担当の係長「実は雨男も居るので、そっちとのせめぎ合いになると思いますが。もし雨になっても責任は一切問いませんから。」とはいうものの、とにかくこっちも神頼みしかないので、16日朝、しっかりおくまんさまにお願いしてきました。見事に晴れた当日、課長駆け寄ってきて握手、「課長の必死の思いが天に通じた」、ほんとうにそう思いました。多くて700人ぐらいの予想が、1500人突破したそうです。

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摩訶庵蒼山のことと窿應和尚の書(「時代(とき)のわすれもの」) [地元のこと]

宮内郷土資料館「時代(とき)のわすれもの」の鈴木孝一さん(孝ちゃん)が、江戸晩期から明治にかけての旅日記や俳句、狂歌本を活字化したというので持って来てくれた。
・『雲鳥日記』 摩訶庵蒼山(1819-1869)。赤湯に生れ、浜松市下石田町で歿。同市安新町普伝院に「さすかたはなくてただとぶほたるかな」の句碑。伊勢、熊野、九州、山陰を経て三河に至る旅で詠んだ旅の句集。
・『ひくまのゝにき』 摩訶庵蒼山。慶応元年の歌(句)日記。
・『狂歌千歳友』 出羽米澤 浅翠庵大垣守舎による狂歌集。文政7年。
・『越の雪』 摩訶庵蒼山と契史の句集。連歌の模範として識者間に定評。【契史本間徳左衛門(1824年 - 1873年):白河会津村松藩の御用達を務めた資産家で中蒲原郡下新村の庄屋。遠藤蒼山に師事して古木庵契史(桂花亭)と号した】
・『蒼山發句集』 三周忌を機に、明治5年刊。
・『陸奥日記』 山水亭千可喜。宮内の酒田屋4代目佐藤利右衛門長春。狂歌。文政3年(1820)3月24日〜4月17日の旅日記。宮内→板谷峠→福島→宮城→山寺→宮内。
摩訶庵蒼山については、島崎利博氏による「幕末期の俳人 蒼山のこと」の記事がありました。(「山形大学付属博物館報34」

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「ふるさと探訪」南陽篇 12月4日(火)放映 [地元のこと]

ふるさと探訪top_logo.pngふるさと探訪header_pic.jpg

三宅裕司さんの「ふるさと探訪」南陽篇、来週火曜日(12月4日)放映との連絡ありました。BS日テレ午後8時〜8時54分です。

内容が詳しく紹介されています。→http://www.bs4.jp/hurusato/onair/125.html

公民館前の看板も出るようです。

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「にぎわった頃の宮内を思い起こしてみよう」(鍾秀学)(3) 子どもたちの感想 [地元のこと]


先日子ども達の感想が届きました。みんなそれぞれいい感じに受けとめていてくれて安心しました。すぐお礼の文章を書きました。足りなかったことを補いつつ授業の記録も入れました。全員分用意して、昨日評議員会での授業参観(20分ぐらいで全クラスを覗く)の時渡してきたところです。

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