『神になりたかった男 徳田虎雄』(3)希望 [徳田虎雄]
『神になりたかった男 徳田虎雄』(2)無念、もうひとつ [徳田虎雄]
『神になりたかった男 徳田虎雄』(1)政治の世界での空回り [徳田虎雄]
徳友会総会記念講演「男性不妊治療」菅藤哲先生 [徳田虎雄]
27日、徳友会総会があり、山形徳洲会病院泌尿器科菅藤哲先生の「男性不妊治療の現状について最新の話題」と題する力の入った講演を聴いてきた。この問題、全く私の視野に入っていなかった。その意味で「目からウロコ」。
そもそも不妊の原因は、原因不明11%、女性に原因41%、男女に原因24%、男性に原因24%。つまりほぼ半数のカップルの男性に不妊原因がある。2014年度泌尿器科手術件数283件のうち107件が男性不妊手術。そのうち89%が睾丸の静脈にお腹から血液が逆流して瘤(こぶ)状にふくれる精索静脈瘤の治療として行われる精索静脈低位結紮術。この手術は、静脈を精巣のすぐ近くでしばる手術で、たくさんの細い静脈を顕微鏡を使ってしばらなければならないため、煩雑で高い技術が要求されるが、完治可能でその後の受精率は高い。日帰り可能。手術費は保険診療で約2万円。自費診療で約20万円。
日本の出生数は1949年が第一次ベビーブームのピークで269万6638人.第二次ベビーブームのピークは1973年の出生数209万1983人。それ以降減少の一途で、2015年推定が112万3828人。合計特殊出生率は第一次4.32、第二次2.14、そして現在1.29。この逆風をもろに冠ったのが産科医。こうした中でどんどん発達してきた体外受精や顕微授精などの「高度生殖医療」。この分野に産科医が参入した。成功するまで何回も受診することになるのでとにかく金になる。1回当り30〜70万円。
保険が利かないので国の監視もなくほとんど野放し状態。生殖医療専門医は467人。それに対して男性不妊専門医は41人。生殖医療は対症療法でしかないが、男性不妊手術は完治を目指す根本療法。このことをまだまだ知ってほしい。
最後に菅藤先生の決意表明。
山形徳洲会病院10周年祝賀会(附 工藤あやのさん) [徳田虎雄]
一昨日、山形徳洲会病院開設10周年祝賀会に参加してきました。1時半からの記念式典と青木豊彦氏講演会も参加予定だったのですが、大竹元南陽市長の葬儀を優先して5時からの祝賀会のみ。
開設以来事務部長として山形徳洲会病院の基盤固めをされた石川一郎東京西徳洲会病院事務局長と会えたのがうれしかった。石川さんについては、下記の記事。
徳洲会公選法違反:事務局長に有罪−−東京地裁判決
毎日新聞 2014年08月12日 東京夕刊
医療法人「徳洲会」グループの選挙違反事件で、東京地裁(田辺三保子裁判長)は12日、公職選挙法違反(運動員買収など)に問われた東京西徳洲会病院事務局長、石川一郎被告(59)に懲役3年、執行猶予5年(求刑・懲役3年6月)を言い渡した。一連の事件では徳田毅前衆院議員(43)の親族とグループ幹部ら計10人が起訴されたが、これで全員が1審で有罪となった。
判決によると、石川被告は2012年12月の衆院選で、前議員の父でグループ創設者の虎雄前理事長(76)らと共謀し、鹿児島2区から出馬した前議員の陣営に系列病院の職員ら約590人を派遣し、報酬約1億5500万円を支払うなどした。判決は石川被告を地区の選挙運動を指揮した「地域主宰者」と認定したが、「絶対的地位にある前理事長の命令にあらがうことは困難」とも指摘した。【島田信幸】
やつれた石川さんを想像したりもしたのだが、これまでと変わらぬ石川さんで、留置所と拘置所合わせて5ヶ月に及ぶ拘置生活について淡々と語ってくれました。石川さんにはいい休養だったのかもしれません。
祝賀会来賓挨拶のトップは遠藤利明衆院議員。国会議員になって2年目に阪神淡路大震災。徳田虎雄議員と共に徳洲会の救急車で大阪から神戸に入ったという話が披露されました。
徳洲会の昨秋以来のゴタゴタは、「無理、無茶、無駄」で突っ走った創業者時代の垢を洗い落とし、だれにもわかるすっきりした医療組織として再出発する禊(みそぎ)だったことをあらためて認識させられたこのたびの祝賀会でした。それにしても、徳田虎雄の魂よ永遠なれ、と切に思う。
上杉鷹山公と徳洲会精神 [徳田虎雄]
徳洲会の歴史も、まさにその繰り返しでした。
今後も、医療変革の火種となり、愛と思いやりを持って新しい火を熾し、世界中に燃え広がるように皆で頑張りましょう。》
青木理「なぜ今、徳洲会事件なのか」(「月刊日本」12月号) [徳田虎雄]
徳洲会の「再生」に期待したい [徳田虎雄]
「徳洲会問題」から見える日本の辛い現状 [徳田虎雄]
「能宗氏の結論」とは全く別の視点からの「徳洲会問題」です。「今さらなぜ?」の答えです。日本の置かれた厳しく辛い現状が見えてきます。
徳洲会ちゃんねるというのがあり、「徳洲会東京本部など捜索 公選法違反容疑で東京地検」というスレッドが 9月17日にアップなっています。そこに日本語のおかしい書き込みが、9月21日以来50を超えています。総書き込み数が現在574ですからほぼ1割を占めます。本人が自分の日本語がおかしいことを自覚しているかどうかわかりません。日本人でないことは明らかです。湘南厚木病院で医療事故があったとして、その身内を装って登場しました。以前から湘南厚木のスレッドに頻繁に出入りして病院の評判を落とすことに一生懸命でした。書き込みのいろんな癖から同一人とすぐわかってしまいます。その意味でお粗末な工作員(?)で、その本当の意図が見え見えなのです。いくつか転載しておきます。
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徳洲会問題、能宗氏が出した結論(週刊ポスト) [徳田虎雄]
「トラオ」の著者青木理氏による能宗氏インタビューの記事が「週刊ポスト」(11/22号)に載った。
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「理事長(徳田)は本当に魅力的な人でした。たぐいまれな行動力と実行力で、不可能を可能にしてきた。でも、変わってしまったんです。いまの理事長は、むかしの理事長じゃない。もう別人なんです。私にとってみれば、”徳田虎雄2号”みたいな感じのね・・・」
「最初におかしいと思ったのは、あの選挙(毅がはじめて立候補した05年の衆院選)です。理事長と徳州会のために尽力してきてくれた方が、理事長の勧めもあって亀井(静香)先生の国民新党から出馬したのに、徳州会は毅さんの選挙運動に集中して、ろくな支援もしないまま落選させてしまった。以前の理事長なら、そんなことは絶対にありませんでした。息子の意向なんかお構いなしに同志を全力で支援したはずです。でも、同志を見殺しにし、かわいい息子に肩入れしてしまったんです。」
「家族が大切な気持ちは分かりますが、むかしの理事長はそのあたりのバランスが絶妙だったんです。ファミリーだけに肩入れするようなことは絶対になかった。」
「無理もないんですが、やっぱり病気のせいだと思います。元気だったころの理事長は回遊魚みたいな人で、じっとしているということができず、必ず現場を走りまわって判断してきました。現場にいって、頭で考えていることと違うと思ったら、まったく違う結論を出す。五感で判断するのが理事長の真骨頂で、その判断感覚が抜群だった。でも(ALSという)病のために動けなくなって、頭で考えざるをえなくなった。そうすると、家族のことなんかが気になるようになったんです。」
決定的だったのは11年の12月、徳洲会の幹部会で能宗と数人の幹部が徳田やファミリーの意向に真っ向から反論を展開したことだったという。
「あれを理事長は私たちのクーデターだと受け止められたようです。」・・・「いっそのこと部屋に私を呼びつけて、叱りつけてくれればよかったのに・・・。私が本当に寝首をかくと、そして理事長の決定に従わないと考えていたんでしょうか」
「・・・徳洲会が離島や僻地の医療を担ってきたのはすごいことだし、これは絶対にいじしなければならない。それに徳洲会の中には理事長の純粋な理念を引き継いだ先生たちが結構いるんです。理事長は退任を表明し、ファミリーも経営から外すとおっしゃっているようですが、院政を敷くようなら何も変わらない。これをきっかけに、徳洲会は時代に合わせた組織改革をするべきなんです。」
「私も(徳州会)の負の部分、もっといえば理事長の裏の部分を背負ってきた人間だし、今回の騒動の原因は私でもある。だから理事長にはこう伝えたい。『理事長、私たちの時代は終わりました。一緒に、身を引きましょう』と」
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私には能宗さんの思いがストレートに伝わった。能宗さんに曇りはない。能宗さんは何の作為も無く淡々と事実に即してありのままに語っておられると思う。