SSブログ

mespesadoさんによる経済談義(157)「安倍外交」評価→「挙国一致」へ [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

落合莞爾著『南北朝こそ日本の機密ー現皇室は南朝の末裔だー』を再読しています。ちょうど昨日読んだところに次の文章があったのを、mespesadoさんの発言で思い起こしました。

《フランス人に開いたところでは,彼等は個性を尊重する余り常に少数乱立していで、国内では侃々諤々の論争をしていても, こと国益にかかわる間題では瞬時にして挙国一致するそうです。 『評経』に 「兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぐとも外に其の侮りを禦(ふせ)ぐ」とあるのは正にこのことで、「家の中で兄弟喧嘩をしていても、外では力を合わせて他人から侮辱を受けないようにせよ」、との教えです。》(84p) 実は、この前にあるのが以下の文章、《二大政党現象は、日本の政治学では「憲政の常道」として美化されてきましたが、その本質は、互いに括抗して対時する二つの勢力を第三の勢力が天秤にかけ、極めて小さい錘(おもり)を操作することによって全体を効率よく支配できる構造です。/そもそもこのシステムは、英米社会に寄生したワンワールド勢力(ヴェネッィア·コスモポリタン)が、国家全体を間接支配するための仕組みとして考案したものですから、両勢力の政治的主張が本質的に大差のない場合にも、些細な違いを設けて二大勢力に仕立て上げます。/二大政党のうち選挙で勝った方が政府を建てるという政権交代制は、近代の英米両国で議会制度と共に定着したため、英米政治史上の特質となりました。そのような「二大政党論」を無条件で称揚していたのが、「戦後文化人」と呼ばれる一派に属する政治学者·法学者でした。/・・・/議会制度の国であっても、少数党が連立するとか小異を残して大連立するとか、国民性と国柄によって様々な形があるべきものです。現に戦前の日本では、政友会と民政党による二大政党制が一且確立されましたが、外交問題山積みの国際環境の中で、二大政党が足の引っ張り合いばかりしているのは日本の国柄に合わず国益を損すると覚った国民が、政党政治を放棄して挙国一致体制に傾きました。/これは蓋し賢明な選択でしょう。》(83-84p)

戦前日本は、コミンテルンによる対日戦略(ゾルゲー尾崎秀美)にまんまと乗せられ、国内改革勢力を背景に統制派(永田鉄山ー東條英機)が主導権を握った「挙国一致体制」でした。その行き着いたところの敗戦です。今の日本も「挙国一致体制」に向かっています。戦前の反省からそれを「危うい」と思う人もあるかもしれませんが、私は好ましく思います。戦前の流れとは違います。以下のkame cafe@milkkoucyaさんも言うように、安倍総理は世界政治レベルで必要とされています。戦前は、真崎甚三郎的存在を排斥した「ムリムリ挙国一致」でした。いま、真崎甚三郎的存在がいるとも思えません。自然な流れとしての「挙国一致」が見えるのではないか。

「放知技」板の底流にある「国家資本主義」という言葉が、私には新鮮に響いています。以前こう書いていました。《「国家社会主義」と言えば岸信介です。それを引き継ぐ「国家資本主義」。その先に見えてきたのが「ベーシックインカム」。「皇神(すめがみ)のみはるかします四方(よも)の国は・・・」(祈年祭祝詞)。まさに「見霽かす」です。》https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-07-19

*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。