大嘗祭を前に [神道天行居]
天皇の本質 [神道天行居]
天皇の存在意義が今一つ立体的になっていない。
これは、ひとえに亀さんを誘惑するシト(女)が悪いのだが、
天皇とシャーマンの深い繋がりを歴史的に理解していかないと
平面的というか、文字面というか、一面的な理解になってしまう。
巫女に代表されるシャーマンは、大体が女性の役割だ。
現代も恐山や沖縄、日本中で霊感が強く、
霊界とこの世を繋げるのは女の特殊な役割である。
天皇に繋がる権威も、亀卜であれ神がかりであれ
神意を代弁しているという裏付けがあってのもの。
この辺りに、天皇の権威を紐解く鍵があるのではないか。
長白山行(補)「うらやすのねぎごと」を唱えなかった理由 [神道天行居]
長白山行(10)白頭山天池⑧ 豊受大神のこと [神道天行居]
長白山行(9)白頭山天池⑦ 鎮斎の神璽について [神道天行居]
長白山行(8)白頭山天池⑥ その位置について [神道天行居]
長白山行(5)白頭山天池③ 神璽八十六周年祭 [神道天行居]
神道天行居精神の大根本 [神道天行居]
東北神咒奉唱大会(承前) [神道天行居]
宮司さんと隣り合せの席でいろんなお話ができました。今年は先代の三十三回忌(先代の葬儀は仏式であった)。また、先代も青葉神社の宮司を務められていたが、病気のため宮司職を別な方に譲られた、その方から今の重信宮司が引き継がれて今年が三十年目、また伊達政宗公が生まれて今年がちょうど450年、そういう節目の年であり世の変わり目を感じます、とのこと。またご自分は、2代目片倉小十郎の生れ変わりであると思うとも語られた。そんな話の中で、「私が大きな影響を受けた幼稚園の先生(能子先生)の曾祖父が青葉神社の初代宮司ということです。」との話を申しあげたところ「えっ、一條十郎さんですか!?」とほんとうに驚かれた。片倉家が北海道に在った明治の初め、一條十郎さんたちの尽力によって明治7年に青葉神社が創建されたという。私が「祖父一條十郎さんの元で育ち、ずっと一條さんの世話もしたというフジさん(能子先生の母)、いつも宮内に来られていたのでよく覚えています。」とも語った。そこから南陽市の話になり、宮司さんにとって塩竃神社神職養成所の先輩である新山昌孝さん(赤湯烏帽子山八幡宮司/元南陽市長)について、「私は新山さんに学んだことがあります。酒が飲めない新山さんなのになぜかいつも新山さんのまわりは人の輪ができる。新山さんはいろんな話題をもってその話で人を惹き付けるのです。それからいろんな本を読むようになりました。」と語られた。私が「『水からの伝言』について、ここで宮司さんからお聞きしました。」と言うと、「聖書に『始めに言葉ありき』という如く、言葉は神なのです。言葉の乱れで神を見えなくしてしまっています。言葉を大切にする教育がもっともっと必要です。」、つづめるとこうなる話を懇々としていただき、目の前の直会のごちそうに手をつける暇もないほどでした。
青葉神社、片倉宮司のお話 [神道天行居]
6月4日の日曜日、東北神咒奉唱大会。今年で29回目。何回か行けないことはあったが最初の会から参加させていただいてきた。今年は斎主の大役を仰せつかっての参加だった。お正月の飾りものでしかなかった伝来の烏帽子を冠ることになった。頭に載せるだけかと思ったらしっかり頭を嵌め込むものだった。頭の大きさに合わせて広がるようにできている。それにしても先祖の頭はずっと小さかったのだろう、冠っているうち息苦しくなるほど痛くなった。留め具がついているのはどうするのだろうと思っていたが、丁髷につけることに気づいた。中の布が擦れていて何度も使われたものであることがわかる。食い詰めて武士の位を捨てざるを得なくなったとき、せめてもとの思いで残したものにちがいない。まさか300年を経て子孫が使うことになるとは。思いがけなかったのは、祝詞奏上のとき、自分の声が反響していつもになくいい声に聞こえたことだった。竹さんも「いい声だった」と言ってくれたが、外への拡声効果もあるのだろうか。思いがけない自分の声にノリが良くなったこともたしかだ。十数ヶ所にほぼ規則的に並んで一分(3mm)ぐらいの穴が空いているが、何の効果を狙ってのことか。声に関係しているのかもしれない。実際に使用してみて、昔の人々のそれなりの工夫、伝来の重みを実感できた。
われわれの御神事に先立つ青葉神社正式参拝の儀は片倉重信宮司の娘さんのご主人である禰宜さんが務められた。宮司さんはどうしたのかと心配していたのだが、直会の席には元気な御姿を見せていただきお話をおうかがいすることができた。昨年は参加できなかったので2年ぶりだ。今回レコーダーをもって行かなかったし、ペンのインク切れということもあって頭に記録してきただけだが、頭から消えないうちになんとか文字にしておかねばと今朝起きた。
宮司は「身の不浄」ということからずっと御神事は遠慮されているのだと言われた。青葉まつりも脇で見守るだけだったとのこと。昭和15年生まれということで76歳、2年ぶりにお会いしてそれなりの年齢は感じさせられるが、生き生きと語られるお顔はさらに輝きを増しているかに思われる。
「去年は申(さる)、今年は酉(とり)、来年は戌(いぬ)、さて何を思いうかべますか。」「はい、桃太郎ですね。」「桃太郎と言うと?」「はいそうです、鬼が島の鬼退治。去年、今年、来年で、鬼が成敗されるということなのではないでしょうか。」