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『近衛上奏文と皇道派ー告発 コミンテルンの戦争責任』(山口富永) [政治]

近衛上奏文と皇道派.jpg《二・二六事件の深層について追究した本は、和書だけでも数多あるが、そのなかでも最も深層に迫った本は山口富永の著した、『告発 コミンテルンの戦争責任 近衛上奏文と皇道派』であると説いているのが、世界戦略情報誌『みち』の天童編集長だ。》(二・二六事件と現代http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1721.html)。亀さんブログで知ったこの本、毎日数ページずつ読み進めて読み終えた。すごい本だった。伊藤隆東大名誉教授による、実に24ページに及ぶ序文がある。伊藤教授をしてその序文を書かせたのは、この著の「現場性」である。学者によって「歴史」として括られる以前の、「生(なま)の事実性」である。そこには真崎甚三郎と共に生きた著者が居る。

著者の思いの集約を次の言葉に見る。《筆者は、ここまで、 禿筆を振るってコミンテルンの軍への浸透による戦争責任の告発を筆者なりに書いてきた。/五味川(純平)のような左翼の人らが、この事実を認めようとはせぬであろうが、彼らがもっとも嫌悪するあの戦争は、 実は彼らの仲間であるところの思想の持ち主らによって起こされているこの事実の前に、その答えを聞きたいのである。》(201p)

Masaki Jinzaburo.jpg三島由紀夫は「嫌いな軍人は誰ですか?」の質問に「真崎甚三郎」と答えたという。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1464097474 大東亜戦争を主導した統制派に対するに、真崎らを首魁と見なされる皇道派、その真崎を貶めることで、大東亜戦争の真相が見えなくなる。三島由紀夫も例外ではなかった。
「永田鉄山ー東條英機」が軸となる統制派は、対露北進論を排して支那へと深入し、さらに対英米南進論の道を採る。その背景には、深く政府中枢に入り込んだ尾崎秀美ーゾルゲの策謀、コミンテルンの意志が在った。一億総玉砕も辞さぬ徹底敗戦への道は、統制派の「国家革新」とコミンテルンの「日本共産化」への意思の一致によって引かれていた。その道は戦後、サヨクへと引き継がれて今に至る。
いよいよ敗戦が明らかになりつつある昭和20年2月、ようやくことの次第を明確に認識するに至り、切なる自戒の念をもって上奏に至ったのが近衛文麿の「近衛上奏文」だった。しかし、真崎を貶め、「近衛上奏文」をトンデモ視することで、大東亜戦争に至る真相を闇から闇へと葬ってきたのが、日本の戦後思潮だった。伊藤教授の指摘がある。《ゾルゲ事件が在日独逸大使オットーとゾルゲの親密な開係の中で行われ、そのオットーと日本陸軍が親密であったことは粉れもない事実である。にもかかわらず、ゾルゲ事件の関係記録に陸軍軍人が全くといっていいほど登場してこないのは、その情報が完全に消されたという疑いをぬぐうことが出来ない。同様な情報の操作が、 秘匿や消去が、様々な場面で行われたであろうことは推測に難くない。》(28p)しかしこの著による、真崎甚三郎と「近衛上奏文」の真っ当な評価を通して、敗戦に至る隠された道筋が明瞭に浮かび上がる。すごい本だ。(亀さん、いつもありがとう!)

◎参考

特別番組「近衛上奏文を語る」
https://www.youtube.com/watch?v=BQwdhV8oTaQ


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めい

亀さんブログで取り上げていただきました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1727.html
三島由紀夫についての諸評価を知ることができました。『英霊の声』は神道天行居と関わります。「生きる事実」と「書かれたもの」の異和を感じていました。昭和天皇も今東光師もそれを三島に感じておられたのではないかと思いました。三島の最期は、その辻褄合わせのような気がしています。
by めい (2019-10-18 05:07) 

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