若者に期待!「菊の南陽」 [菊まつり]
快晴!菊と市民のカーニバル [菊まつり]
突風被害、菊まつり花公園会場 [菊まつり]
「南陽の菊まつり」宮内会場がいい!(祈・林部智史さん 紅白出場) [菊まつり]
「南陽の菊まつり」を考える(市民大学講座資料) [菊まつり]
昨日(9日)、宮内ふるさと資料館「時代(とき)のわすれもの」の鈴木孝一館長とともに「南陽市民大学講座」の講師を務めて来ました。会場は南陽市役所の大会議室。ちょうど9月9日、重陽の節句の日に「菊まつり」について語ることになりました。全部で40人ぐらい、20代の聴講者が5、6人ありました。おおすじ、5年前に「置賜の民俗」に書いた「『南陽の菊まつり』百年」の内容ですが、プロジェクターで写真を見ていただきながら二人で話しました。南陽の菊まつりの大元である百花園齊藤善四郎から数えて6代目齊藤喜一さん(81歳/獅子冠事務所頭取)も自転車で駆けつけてくれました。
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1.はじめに
◎今年(2017)第105回、正確には大正元年(1912)から数えて105周年。(戦中中断あり)
2.菊まつり前史
◎齊藤善四郎(1789寛政1791年間–慶応19673年/初代百花園)
・代々獅子冠事務所頭取を務める旧家。菊の種苗を関西から取り寄せたり、菊人形も試作。造花の技にもすぐれ、藩主斉憲公赤湯に入湯の折献上して御嘉賞を賜り、宮内の面目を一新。桜田屋敷の御殿奉公のため娘を連れて上京の折、善四郎の造花が「江戸にて見たこともなきめずらしきもの」との評価を受け、日光大楽王院宮(ありすがわのみや-つなひと有栖川宮韶仁親王の第2王子)へ献上の栄を賜り、東叡山不忍寳珠院より白銀一斤、茶一斤のほか「花菖蒲根分け50株」を賜る。錦三郎先生によれば、この菖蒲によって菖蒲沢の由来となり、また長井古種もこの菖蒲が由来ではないか。
・伊藤木梯画/斎藤篤信讃の肖像画がある(明治5年)。讃にいわく「士而僊 非僊非士 此翁愛百花・・・」。善四郎は百花園實秀を名乗っていた。以後齊藤家は「百花園」を号して現在に至る。菅原白龍揮毫の「百花園」号額が残る。
・善四郎は花弁を愛して多種の珍草百花を栽培して無料で愛好者に分与、宮内に菊や菖蒲、牡丹等花づくり気運の種を蒔いたという。
・没後画かれた、斎藤篤信(1825-1891)の賛がある肖像画が残る。
◎齊藤登輿(二代目善四郎の妻。明治34年没。享年70歳)
・田畑仕事を嫌って表具師となった二代目善四郎に代わり、妻の登輿が菊を作る。秋になると菊見の客がたくさん来るので、餅を搗いて売ったところが一日に二斗も売れて大変儲かった。ここに後の興行としての菊まつりの原点がある。
◎佐藤大覺(横町佐藤医院/明治24年に米沢から移住)
・宮内菊づくりの先駆者。屋敷に菊を飾り、道を行く人が足を留めて見入ったとの記録がある。
これからどうなる?「南陽の菊まつり」 [菊まつり]
じっくり書こうと思っているうちにほとぼりが冷めてしまったりして書けなくなっている記事があります。11月30日に書き始めたこの記事もそうです。幹事会も実行委員会もいろんな意見が飛び交ういい会でした。そこからどう発展させるかじっくり考えねばと書き始めたのですが、そこで止まったままでした。16日に幹事会があるとのことで読み返してみて、出発点の確認として自分には大事なことが書いてあると思えたのでアップしておきます。中味のないただそれだけの記事ですが、言いたいことは要するに、「いま、可能性に満ち満ちた”南陽の菊まつり”」です。
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これからどうなる?「南陽の菊まつり」
一昨日(28日)の幹事会、昨日(11月29日)菊まつり実行委員会を経て、あらためて今後の方向性を打ち出す必要に迫られることになっている。この際これまでの経過を踏まえつつ、自分なりのイメージを考えてみたい。
先ず言えることは、「これからの菊まつり」を「考える」上で、「いまわれわれは非常にいい環境にある」ということだ。それは、われわれの「立ち位置」がはっきりしていることによる。
その「立ち位置」とは、
1. 「104回の歴史」を誇るとはいえ、「現状」の菊まつりレベルは全国レベルからすればいかほどでもないことを認識させられている。これは「笠間の菊まつり」「二本松の菊まつり」視察によって決定的になった。
2. 新しい形を生み出すために、不要なものを切り捨てる覚悟ができている。(菊人形を一場面にした今年の決断は、その是否はともかく、よくできたと思う。入場料無料化もそう)
3. 以上によってわれわれは、「ゼロポイント」の位置を獲得している。「ゼロポイント」とは「無」ではなく「すべてが在る状態」です。あらゆるものが「拮抗し合っている状態」ですhttp://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12210725180.html。(「ゼロ・ポイントとは、宇宙の中のすべての場所になり得る中心点、あるいは、すべての時間と空間を内包する中心点ということです。」http://waku2bashar.info/9670)
笠間・二本松の菊まつり視察報告(3) 二本松の菊まつり [菊まつり]
笠間・二本松の菊まつり視察報告(2) 笠間の菊まつり(後) [菊まつり]
笠間・二本松の菊まつり視察報告(1) 笠間の菊まつり(前) [菊まつり]
11月19日、茨城県笠間と福島県二本松の菊まつり視察に行ってきました。二本松は何度か行っているが笠間は行ったことがない、歴史のある笠間の菊まつりはぜひ見てみたい、商工観光課の企画にすぐ飛びつきました。
見事に晴れわたった最高の一日でした。7時集合、齊藤喜一さんを迎えに向うと、色づいた大銀杏が朝日に輝いています。お月さんと大銀杏のツーショットを撮ることができました。
東北道、磐越道、常磐道を経て水戸インターで高速を降りて20分、笠間までちょうど4時間でした。
笠間の町、店々に菊の鉢が飾られまさに町を挙げての「菊まつり」の雰囲気に圧倒されました。南陽でこの雰囲気を出すにはどうすればいいのか。笠間の賑わいが笠間稲荷を抜きに考えられないのと同様、宮内を会場にするとすれば、熊野大社を抜きには考えられないことは自明です。笠間稲荷への参拝客、上天気とはいえ、平日にしてこの賑わいはすごいです。
第37回菊と市民のカーニバル、晴れた! [菊まつり]
「菊と市民のカーニバル実行委員長」というのもまったく思いがけない宛職だった。実行委員長といっても飾りものだが、肝腎のお天気の責任だけは実行委員長にありそうな気がしていた。幼稚園の園児たち、せっかく準備したのに雨模様だったり寒かったりでパレードに参加できず、残念な思いをしたことが何度もある。31日(月)のこども園の朝礼で「3日の天気は?」と聞いたら「雨の予想みたいです。」それからずっと天気予報を気にしてきたがどうもよくない。「荒れる」との予想も出ている。
「晴れますように」と念じつつ迎えた当日の朝、しっかり降っている。今降るだけ降ればいい、昼には晴れてくれる。7時半、「カーニバルあります!」の合図、花火の音が鳴り響いた。外を見る。やはりしとしと降っている。
会場へは11時半ごろ行くことにしていた。遠来の客があったが、話しながら外が気になる。青空も見えたがまた降り出す。家の前まで雨にあたりながら客を送ってから、十分厚着して出陣。さらに防寒具と傘も持って家内に送ってもらったが、蔵楽に着いてから防寒具も傘も持って帰ってもらうことにした。天への信と不信に揺れつつも、「大丈夫、晴れる。」そこに賭けることにした。
ちょうどこども園のバスが着く。「こどもたちどうする?」と聞くと「オープニングセレモニーだけにします。」小降りだが寒いし、この空模様ではしょうがない。オープニングセレモニー、開会式の会場は蔵楽の中に設えてあった。