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祝! 中村修二教授ノーベル賞受賞 [日本の独立]

中村修二教授ノーベル賞受賞はことの外うれしく、まわり回った関わりを家の者に自慢した。このことを書きたいと思いながら、どうしても先にやらねばならないことがあって書けないでいたが、いま阿修羅板で次の記事を読んだので書いておくことにしました。

 

(転載はじめ)

 

日亜化工の創業者長男が明かす
中村教授のLED開発秘話(日刊ゲンダイ)

http://www.asyura2.com/14/hasan90/msg/844.html

投稿者赤かぶ 日時 2014100923:54:05: 

 

日亜化工の創業者長男が明かす
中村教授のLED開発秘話

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/153987


2014109日 日刊ゲンダイ

 

「誰に一番感謝していますか」と問われて中村教授が真っ先に挙げた人物は、自身が20年間勤めた日亜化学工業の創業者、故・小川信雄氏だった。

 中村氏が開発費3億円をかけて「青色LEDを作りたい」と直訴した際、「ええわ、やりなはれ」と、あっさりOK。サントリー創業者の鳥井信治郎氏を彷彿させるが、どんな人物だったのか。

「陸軍医学校に入り、南方戦線へ軍医直属の薬剤官として従事。終戦後の56年に、出身地である徳島県阿南市で日亜を設立しました。89年に社長を退き、02年に死去。享年90でした。2男2女をもうけていますが、現社長の小川英治氏は長女の婿養子に当たります」(マスコミ関係者)

 信雄氏の長男・雅照氏は「父は非常に豪胆な性格でした。一方で、会社運営のための細かい手続きなどは緻密に処理するなど、繊細な一面もありました」とこう続ける。

「人が知らないものを一からつくりだすことを最上の目標にし、研究や勉強に一切妥協しない。中村さんもひたむきに研究を繰り返す方だったので、父とは波長が合っていました。大塚製薬創業者の大塚武三郎氏を尊敬し、寝室には大塚氏の書いた四字熟語の掛け軸がありました。意味は『汗を流して道を悟る』。苦労するのが好きな父らしい言葉だと思います」

 雅照氏は77年に日亜に入社したが、82年に退社している。今の日亜をどう見ているのか。

「開発に“3億円”をポンと出すような社風は、今はありません。会社が一定の規模に成長しているので仕方のないことです。しかし、私の弟・智滋は中村さんと同期入社で取締役まで務めましたが、父の社長退任後、追われるようにして会社を辞めました。中村さんも父が退任した後は冷遇されていたようです。現社長には人を見る目がないんじゃないかと疑いたくもなります」

 創業者の精神は息づいているのか。


(転載おわり)


遠い記憶になってしまったが私にとって大事なことだったので思い出してみる。平成4年に市議になって間もない平成5年か6年の頃だった。当時『VOICE』を読んでいて、片岡哲哉氏が「アメリカの占領政策をきっちり見直して真の日本の独立を考える政党」の必要性を訴える記事に共鳴した。そうしているうちにどこで見たのか『國民新聞』、その一面にあった『動向』という雑誌広告の中から「維新政党待望論」の文字が目に飛び込んできたのだった。早速取り寄せたその雑誌によって、片岡論文が思い描いたような政党設立の具体的動きがあることを知った。その論考は旧仮名遣いで書かれた格調高いものだった。動向社を通じてその論者の連絡先を知り、同志である竹さん宅から電話したときのことは今もはっきり記憶にある。豐源太をペンネームとするその人こそ小川雅照氏だった。以後私も「維新政党」設立の流れの中に入ることになるのだが、参議院選挙に候補者擁立にまでこぎつけたのがいつだったか、徳田虎雄率いる「自由連合」とのバッティングで、私の政治的原点であった「自由連合」に就くこととし維新政党とは距離を置くこととなった。今でも使われているだろうか、「維新政党新風」の旗は私が染めた。

 

豐源太講演会チラシ.jpg

維新政党設立を担う人材は理論家ぞろいだったが、小川氏はその中心的存在であった。平成6123日、みぞれまじりの冷たい雨が降る中、宮内文化センターホールで「ほんたうの日本を置賜から」という題で講演していただいた。その講演は私のコメントもまじえた形で、20回にわたって「週刊置賜」に連載した(平成71月〜5月)。冊子にして書店に並べようという勢いだったのだが、自由連合との絡みもあったのか頓挫した。このたびその稿を引っ張りだしてみてあらためて読み直さねばと思った。各回の見出しのみ記す。

 

 ほんたうのことを知りたい

 何がまともかわからなくなってしまった日本

 昔への尊敬のない改革はあり得ない

 『美(うま)し地(くに)』置賜

 地殻変動期に入った日本

 道義国家に本

 日米相克の原点

 自虐史観からの脱却を

 大正から昭和へ

 侵略ではなかった

 歴史の捏造「南京大虐殺」

 「守るべきもの」が見えない「損得勘定優先社会」

 どこから見ても「南京大虐殺」なんてあり得ない

 東京裁判は何を意図したか

 歴史を自分の感覚でとらへてほしい

 「新しいもの」を追ひ続けて「不満の一生」

 大和の国はあっても邪馬台国なんてない

 良識の三原則

 「現代仮名遣ひ」は変はり者の天下の産物

 日本人として血に響くもの

 

小川氏が徳島生れであることは知っていたが、本来日亜化学工業の後継者たる創業者の息子さんであることを知ったのは、10年前中村修二氏の特許裁判の折、『正論』でだったか、小川雅照の本名で書かれた中村氏擁護の論考を読んでだった。「やはりただ者ではなかった」と、あのときの講演をあらためてありがたく思い起こしたのだった。そしてこのたびの中村氏ノーベル賞受賞、いささかなりとも縁ある私が誇らしくうれしい思いになったのもおわかりいただけると思う。もうひとつ、中村氏が大洲高校出身であることをこのたび知ったが、学生時代いちばん親しく、距離こそ遠く離れた今も何かと交流ある友人が他ならぬ大洲高校出身であり、これもまた家の者に誇らしく告げたことだった。(内村鑑三の「代表的日本人』に上杉鷹山公と共にとりあげられた中江藤樹が少年から青年の時代住まいした跡に建つのが大洲高校とのこと。上杉鷹山公によって再興された、わが米沢興譲館高校と「代表的日本人」を通じて思いがけなくリンク)


実は一昨日、小川氏の「父一代の日亜化学―青色発光ダイオード開発者中村修二を追い出したのは誰だ! 」を注文し、それに目を通してからこの記事を書こうと思っていたのですが、注文殺到で届くのはずっと後になりそうです。ちょうど30周年を迎えたという洛風書房さん、良かった!


中村教授のノーベル賞のおかげで引っ張りだすことになった豐さんの講演録、ネトウヨでは括られたくない、私にとっては貴重な記録です。とりあえず序文から第3回までコピーしておきます。講演冒頭、鷹山公が登場します。(クリック拡大)

豐講演.jpg豐講演-1.jpg豐講演-2.jpg豐講演-3.jpg豐講演-4.jpg豐講演-5.jpg豐講演-6.jpg豐講演-7.jpg豐講演8.jpg豐講演-9.jpg豐源太講演10.jpg

 


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めい

中村教授についてはいろんな議論がなされています。その中で日亜化学の元社員の方の見方がほんとうのところに近いように思われました。

   *   *   *   *   *

濱口達史のブログ
http://toeic990.jpn.org/2014/10/ノーベル賞を受賞した中村修二さんと日亜化学、/

ノーベル賞を受賞した中村修二さんと日亜化学、いったいどちらの言い分が正しいのか?元日亜社員のつぶやき。
Posted on 2014年10月8日

先日、青色発光ダイオードの発明を讃え、赤崎、天野、中村の三博士にノーベル物理学賞が贈られました。言うまでもなく非常に素晴らしい快挙で、本当に祝福すべきであると思います。
一方で、今回の裏の側面としてマスコミに再びとりあげられているのが中村さんと日亜化学工業株式会社の訴訟問題です。今日はこの話をしたいと思います。

中村さんは徳島県に拠点を置く日亜化学の研究員として今回の受賞につながる成果を挙げました。10年以上前の話です。その結果、中村さんは学会のスターダムを駆け上った一方で、日亜化学は青色LEDを始めとする様々な応用製品を世に送り出したちまち光業界で世界有数の企業へと成長しました。
しかしその後、紆余曲折を経て中村さんと日亜の関係は悪化。氏は日亜を退職し、「怒りを感じる」という言葉とともに、発明の対価として200億円※を求めた裁判を起こしました。怒りというワードは彼の著書「怒りのブレークスルー」の題名にも出てくるほどで、相当怒っていたようです。結局、数年の法廷闘争の後に約6億円の賠償金を日亜が中村さんに支払うことで決着します。

※当初、あやまって600億円と表記していました。お詫び申し上げるとともに訂正させていただきます(2014/10/9/19:11)

その裁判の中で中村さんは、青色LEDの発明はすべて私がやった、発明の対価として2万円しかもらっていない、日本の研究者は奴隷のようなもの、という趣旨の主張をしています。その結果、中村さんは孤高の義士で、日亜化学は労働者から搾取するだけの悪の企業、というステレオタイプなイメージが流布しました。

はたしてそれは本当なのでしょうか?

私はやはり、中村さん=正義、日亜=悪というレッテル貼りは行き過ぎという気がします。実はわたしは大学を出て2年ほど日亜化学の研究所に務めた経験があり、日亜の職場環境については実際に経験をしました(今は、別の会社に務めています)。また、私が入社したのは中村さんがご退職されたあとなので直接の面識はありませんが、彼の元同僚を通して話を聞くなどして間接的に事情を聞きました。実際にすべてを直に見たわけではないので断言はできませんが、勧善懲悪な図式というのはやはり無理があって、真実はもう少し中庸であるように思います。

日亜化学に在籍する元同僚による中村さんの評判は様々です。奇人、変人、ケチといったネガティブな表現は聞かれますが、それは口さがない徳島県民ゆえ(※徳島は海を隔てた堺に近く、文化的には大坂商人のようなところがある)。本気で彼を嫌っているような人はあまりいないように思います。
むしろ、実験哲学には光るものがある、エンジニアとしての生き様は尊敬しているなど、彼の技術面については多くの人が認めているようでした。
彼らにとって中村さんは一緒に働いた同僚であり、友人であり、上司であり師匠でもあるという、どちらかというと身近な存在のようです。

ただし、仕事の成果となると話は別です。中村さんの「すべて自分でやった」という趣旨の主張には多くの人が反論します。実際に青色LEDを実現するには無数の致命的な課題があったのですが、その解決策を提案し実現したのは中村さんの周りにいる若いエンジニア達でした。彼らが「こんなアイディアを試してみたい」というと、中村さんはきまって「そんなもん無理に決まっとる、アホか!」とケチョンケチョンに言い返したそうです。それでも実際にやってみると著しい効果があった。そういう結果を中村さんがデータだけ取って逐一論文にし、特許にし、すべて自分の成果にしてしまったんだ、と。これらの進歩はまだ青色LEDが実現する前の話で、プロジェクト自体がうまくいくかなんて全くわからないフェーズでの出来事です。そんな中、みんな必死になって策を練り、頭をフル回転させて一つ一つ突破口を開いていった。そういう状況があるのに、全て自分がやったという主張は受け入れられない、という気持ちの人が多いようです。

もっとも、彼らも中村さんの成果を否定しているわけではありませんでした。中村修二なくして青色LEDなし、赤崎先生のグループ以外で誰よりも先駆けて良質な結晶を作れることを証明した実績は否定のしようがありません。また、その後の研究グループを率いたのも彼でした。中村さんは学会などで忙しく研究現場は不在にしがちだったため現場の人間が勝手に動いていた側面があるようですが、それでもチームのメンバーは良い成果があると「これは中村さんに報告しないと!」と喜びを分ち合おうとした、という話をきいたことがあります。変わり者で困った上司だけど、やっぱり大切な隣人であるという風には捉えられていたようです。

このように、裁判での主張を巡って中村さんと元同僚とあいだで多少の軋轢はあるようですが、そんなに関係が劣悪なようには見えません。でも、中村さんは日亜に対しては「怒り」を感じていると言っています。一体、彼は誰に怒っているのでしょうか?

ここからは私の推測も多く混じっていますが、彼が怒っているのは元同僚ではなく、日亜の経営陣に対してでしょう。

そもそも中村さんに青色LEDの研究を許可し、億単位の研究費を提供したのは先代の会長(故人)でした。当時の日亜は従業員200人程度の中小企業ですから、安い出費ではなかったはずです。ましてや誰も成功するとは思っていなかった青色LEDの開発でしたから、先代は、もうお金は返ってこないかもしれない、けどわずかな可能性に賭けてみよう・・・というつもりだったでしょう。そういう事情ですから、中村さんも先代には感謝しているのではないでしょうか。
しかし、青色LEDが軌道に乗り始めたときには先代は引退し、別の人が経営についていました。新しい経営陣はLEDを事業化するのに全力を傾けます。その結果、中村さんに対しては販売戦略会議に出て意見を言ってくれ、いついつまでに商品化を成功させてくれ、などと研究とは無関係な業務を依頼するようになりました。商品化チームというのは常識人の集まりですから、きっと中村さんの浮世離れした行動は呆れたものに見えたに違いありません。勢い、バカにしたような態度も取ってしまった可能性があるかと思います。
しかし、これが根っからの自由人、反骨精神の塊である中村さんに受け入れられるわけがなかったのです。私が歯を食いしばって立ち上げたLED研究なのに、少しうまく行ったらあとから乗っかかった連中が食い物にしようとしている、許せない・・・・と思ったとしても不思議ではありません。

そんなこんなで現経営陣と中村さんの軋轢は頂点に達し、退職、訴訟へと発展した・・・・というのがことのあらましかと私は思っています。

訴訟の中で、発明の報酬は2万円しかもらえなかった、という中村さんの主張があります。これはある意味本当で、嘘とも言える主張でしょう。日亜に限らず企業には発明報酬と言って特許出願時にその発明の良し悪しにかかわらず1〜5万円程度の定額の報奨を支払う制度があり、「2万円」はそのことを言っているのです。しかし、その後の特許の活用度を見て発明人の給料を上げたり、事業化の後に利益の一部を支払うなどして発明の対価を支払うのが一般的です。実際に日亜は給料を上げました。中村さんの年収は大きな企業の役員に匹敵しうるレベルだったという噂も聞きます。また、仕事も多少の制約はあったにせよ大きな裁量を与えており、中村さんは学会発表のために会社を離れて世界を飛び回り、論文を多数書いて多くの対外的な成果をこの時期に積み上げています。まさしく自由そのもので、日本の研究者は奴隷のようという中村さんの主張は、日本のサラリーマンには受け入れがたいのではないか、と思います。海外の大学に在籍する研究者に比べると制約が多いなどいろいろあるのかもしれませんが、少なくとも日本の企業として後ろ指を差されるレベルの待遇ではなかったのではないでしょうか。

以上、簡単にまとめると、

青色LEDの実現については、貢献は非常に大きく間違いなく筆頭だが、重要なアイディアの全てを発案したわけではない。
中村さんは発明の対価として2万円以外に豊富な給与と自由な待遇を手に入れていた。
社員は中村さんをそんなに嫌っていないが、全て自分の発明だったという主張については良く思っていない。
中村さんは今の経営陣は好きではなく、いろいろ軋轢があった。
もちろん私が見聞きしたことが全てではなく、勘違いしている部分もあるかもしれません。しかし、中村さん一人が正義を背負い日亜化学という悪と戦った、という紋切り型のストーリーで語るには事実は少々複雑だと私は捉えています。中村さんの成果が素晴らしいのは大前提ですが、ただ、みんなもう少し日亜の言い分も聞いてあげても良いのかな、と私は思います。

最後に、日亜化学は技術者・研究者にとって悪者なのか?という疑問にお応えしたいと思います。実際に日亜に勤務した私の経験からすると、少なくとも研究部門に関してはそんなことは全くありません。むしろその逆です。テーマは自分で自由に選べるし、やり方も自由。やりたい!と言ったことに対して予算がでないことはほぼ無いし、一度始めたテーマを経営者の判断で理不尽に止められる、ということもめったにありません。無駄な会議もないし、資料や書類も細かいことは言われない。まさしく技術者天国と言った格好で、研究に没頭できる環境が整っています。技術を極めるという意味では非常に素晴らしい職場に違いありません。よく、LEDのまぐれあたりに支えられている会社と揶揄されますが、LED以外も世界シェアトップの製品を多く抱えこの業界では研究開発力には定評が有ります。
ただ、元社員として強いて不満を言うとすれば、ちょっと給料が安いかな〜という気はしています。世界レベルのとっても良い仕事をしているエンジニア達がたくさん居ますので、もうちょっと待遇を良くしてもいいのでは(儲かっているわけだし)。あと、食堂のご飯があまり美味しくない。仕出し弁当の販売ではなくて厨房でちゃんと調理されたホカホカのご飯が食べられれば、もっと働きやすい良い会社になるかな〜と思います。それ以外は、本当にいい会社だと思います。

改めまして、今回のノーベル賞受賞は本当に素晴らしいことで、同じ分野で働かせて頂いているものとして、心より祝福申し上げます。博士達の足元にも及びませんが、私も企業の一研究者として、世の中のために役に立つような成果をあげられるように、精進してまいりたいと思います。

by めい (2014-10-10 16:47) 

めい

井口和基さんのブログです。日亜化学のある阿南市在住です。中村教授の「怒り」発言の背景についての体験的分析です。

「怒りのノーベル中村」:怒りで矛先を誤った日本人を反日在日がうまく利用!?
http://quasimoto.exblog.jp/22461513/
by めい (2014-10-11 06:09) 

めい

副島さんの「今日のぼやき」です。長いですがそっくり転載させていただきます。
http://www.snsi.jp/tops/kouhou

   *   *   *   *   *

 「1491」番 ノーベル物理学賞受賞の中村修ニが、なぜ重要であるのか、の本当の理由。10年前のここの、私たちの文を再掲載する。副島隆彦 2014.11.22 
副島隆彦です。 今日は、2014年11月22日です。

 青色発光ダイオードの発明者、中村修ニ氏らが、ノーベル物理学賞を受賞決定したのは、10月7日だった。私にとってまず印象的だったのは、「化学賞だろうと思っていたら、1日早くて(?)物理学賞だった」という中村氏の発言だった。 どっちでも可能なのだな、というのが私にとっての驚きだった。

(よしなお君へ。あとで中村修二の写真とか、ここらに数枚、貼ってください。)

 私は、中村修ニの業績と生き方を、ずっと注目してきた。だから彼の受賞を喜んだ。
私が、今日、ここに載せるのは、私自身が、2004年(もう10年も経ったのか)5月13日付けで、ここの「559」番の会員ページに書いて載せた『 中村修二 「青色発光ダイオード訴訟」とは何なのか?』 論である。

 私には、もっと中村修ニ論として書きたいことがたくさんある。 彼の生き方には鋭く注目してきた。だが今日は、まず過去の自分の中村修二論を載せるだけに留める。

その前に、私の目に止まって採集した受賞直後の 重要な新聞記事を3つだけ載せる。

(転載貼り付け始め)

●「ノーベル賞受賞 中村修二教授 原動力は“怒り!” 」  

テレビ朝日 2014年10月8日      

日本人3人が同時受賞したノーベル物理学賞。世界で初めて「青色発光ダイオード」を開発した名城大学の赤崎勇(あかざきいさむ)教授(85)と名古屋大学大学院の天野浩(あまのひろし)教授(54)、そして、実用化に成功したカリフォルニア大学の中村修二教授(60)の快挙に各地で喜びが広がっている。中村教授のいるカリフォルニアからの報告。

(中丸徹記者報告)
中村教授が受賞を知ったのは、現地の時間で7日午前3時前でした。発表を待って、寝たような寝ていないような状態だったということなんですが、それから現在に至るまで約17時間、国内外からのメディアの取材や関係者からのお祝いなど祝賀ムードが続いています。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校 中村修二教授 「疲れていますね、インタビュー続いていて。受賞した時は、電話が来た時はびっくりしたが、今はずっと時間が経って実感している」

教授は先ほど、近くの知人の家で開かれた祝賀会に参加しました。その後にも、ANNの取材などに答えてくれたのですが、「ここまで自分を突き動かしてきたのは 怒りだ」と話しています。青色発光ダイオードの開発を巡る日亜化学(にちあかがく 徳島市 )との特許訴訟などを経て、日米の研究環境の違いについてはかなり強い思いを持っているようです。アメリカのように、努力をすればしただけ研究のチャンスが広がる環境を日本も作るべきだと教授は強く訴えています。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 中村修二の激しい怒り、はよく知られている。「大発明をしたのに、たった2万円しかもらえなかった」ことから始まる、彼の日本社会への批判と、裁判をずっとやったのだが、日本の国家体制がグルになって、大企業(=総資本 )の文化として、日本の理科系の技術者(エンジニア、テクニシャン)や大学研究者たちに対する、抑圧、断割とも呼べるほどの能力泥棒に対する、彼の叫びは、他を絶するものだった。

実際、中村修二は、裁判の途中で、彼の弁護士の・・・(こいつが相当のワルだ。副島隆彦がそのうち、名指しで成敗する。)と、高等裁判所の裁判官たちにヒドイ裏切られ方をして、寝首を掻(か)かれるに等しい仕打ちを受けた。 それで彼は日本国籍を捨ててアメリカ市民になった。

だから、「日本を捨てた中村修二なんか褒(ほ)めるな」という大企業の経営者たちからの憎しみに満ちた嫌がらせの発言も今だにあった。この争いは、実はまだ決着していない。ことは単に、日亜化学の経営側との長年の確執(かくしつ)にとどまらない。もっともっと奥が深いのだ。以下には、私は気付いた、表面の新聞記事しか載せない。

(転載貼り付け始め)

●「 中村修二教授との「和解」蹴った日亜化学(にちあかがく)社長の根深い恨み」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/154690

2014年11月5日 日刊ゲンダイ

 そこまで、強いわだかまりがあるのか。「お気持ちだけで十分です」――いらない土産物を断る時の常套句だが、ノーベル賞を受賞した中村修二氏(60)からの“和解”の呼びかけを、日亜化学が拒否したことに驚きの声が上がっている。

 文化勲章の親授式(11月3日)の後に都内で会見を開いた中村修二カリフォルニア大教授。かつて青色LEDの特許などを巡って裁判で争った日亜化学工業に対して、「過去のことは忘れましょう。将来だけを見て仲良くしましょう」と話し、「お互い誤解があった。本音で話せば仲直りできる」と、小川英治社長(76)に面会を呼びかけた。

 ところが日亜側は4日、「(中村教授が)歴代社長や会社への深い感謝を公の場で述べておられ、弊社といたしましては、それで十分」と、中村教授との面会を突っぱねた。

 普通の企業なら「全社員でお迎えしたい」などと応えるもの。面会が実現すれば、日亜にとっても会社のPRにもなり悪いことはないはず。さすがに面会を拒否された中村教授も困惑しているらしい。ネット上では日亜に対し「大人げないなあ」なんて声が上がっている。どうやら日亜サイドは、ノーベル賞受賞後に中村教授が「(日亜化学などへの)怒りが全てのモチベーションだった」と語ったことに、カンカンになっているようだ。

 日亜化学の創業者の長男・小川雅照氏はこう話す。
「英さん(小川英治社長)の性格によるところが大きいと思います。おとなしい性格で、決して悪い人ではないのですが、いまだに中村君のことが気に食わないようです。自分より実力があって目立つ存在を受け入れることができない。私の弟・智滋(ともしげ)も取締役まで務めた優秀な男ですが、英さんが社長に就いてから追われるように会社を去っています。今回は中村君の呼びかけに応じて懐の深いところを見せてほしかったのですが……残念です」

 従業員8300人、売上高3100億円を誇る大企業に成長した日亜化学にとって、今さら中村教授に頼る必要もないのだろうが、関係改善の最後のチャンスをフイにしてしまった。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。事(こと)の真実はこういう人間関係の齟齬(そご)なのではない。
もっと重要な記事を以下に載せる。日本では、西沢潤一(にしざわじゅんいち)東北大学名誉教授こそが大事な人なのだ。 西沢は、スバ抜けた才人なのにノーベル賞も貰えずに、東北大学の創設者の長岡半太郎(ながおかはんたろう)の跡継ぎとしての重責だけを担ったまま死んでゆくだろう。この人も注目し研究すべき重要な人なのだ。西沢潤一が、半導体(セミコンダクター)の根本理論や発明をした人なのだ。その他の物質(matter 、マタ―)なるものの基礎研究でも、ものすごい世界基準の基礎研究をしている。

(転載貼り付け始め)

●「LEDでノーベル賞受賞 実用化、日米の先人(せんじん)も貢献 」

2014年10月8日  日経新聞  

「彼が選から漏れたのはおかしい」。青色発光ダイオード(LED)で日本の3氏のノーベル物理学賞受賞が決まったことについて、米国の研究者らからこんな声があがった。彼とは「LEDの父」と呼ばれるニック・ホロニアック米イリノイ大学名誉教授だ。

 ホロニアック氏は米ゼネラル・エレクトリック(GE)に在籍していた1962年、赤色のLEDを開発した。「究極の照明になる」と早くからエジソンが発明した白熱電球に置き換わることを夢見て、イリノイ大に移ってからもLEDの研究を続けた。

 ソニーの創業者である故井深大(いぶかまさる)氏らと親交があった。同社が資金を出してイリノイ大に設立した講座の教授を長く務めた。しかし、ホロニアック氏が開発したLEDは暗く、弱い光しか出なかった。この問題を解決したのが西沢潤一(にしざわじゅんいち)東北大学名誉教授だ。

ヒ素やアルミニウムなどを使って赤色LEDを明るい赤色に光らせることに成功した。西沢氏はその後、緑色のLEDを開発し、「赤、緑、青」の光の三原色のうち2色が60年代に実用レベルに達した。

 技術評論家の志村幸雄(しむらゆきお)氏は「 LEDの研究開発の歴史の中で、この2人の貢献は非常に大きい。ホロニアック氏の基礎と西沢氏の応用がうまくかみ合ってLEDは実用化した」と評価する。70年代から世界で青色LEDの研究開発競争が繰り広げられたが、なかなか実現しなかった。

 GEは7日、グループ会社のGEライティングのマリーローズ・シルベスター社長名で「3氏の画期的な業績はノーベル賞にふさわしい」とのコメントを発表した。彼らの業績と「既に発明されていた赤色と緑色のLEDとの組み合わせが、21世紀の世界の見え方を根本的に変えた」と指摘した。LEDの先人の業績はノーベル賞を受賞しなくても揺るがない。

(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。それでは、いよいよ以下に、10年前に私が書いた私の「中村修二論」を載せます。

(転載貼り付け始め)

今日のぼやき「559」番「 中村修二 「青色発光ダイオード訴訟」とは何なのか? 地裁判決に働いた日本の国家利益防衛としての側面。日米技術戦争。加えて理科系掲示板への優れた投稿文を紹介する。 2004.5.13 」

副島隆彦です。今日は、2004年5月13日です。
今日は若干話題が古くなりましたが、例の中村修二(なかむらしゅうじ)カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授が、日亜化学を訴えた「青色発光ダイオード訴訟」について書きます。

実はこの問題は、日本の新聞・テレビなどが報じた、「発明者の対価(たいか)」の問題とは別に、日本の国家安全保障に関係する重要な問題が含まれている。このことは、最初に2002年にこの問題を私が取り上げたときにチラッと掲示板に書いておきました。

それでは、まず確認のために、この中村修二氏と日亜化学の間の訴訟の経緯について、新聞報道から振り返ります。

(貼り付け開始)

●「発明対価200億円 青色LED訴訟「日亜」に支払い命令  東京地裁、中村教授の請求満額 」

産経新聞2004年1月31日記事  および 日経新聞 2004年1月31日記事 

 青色発光ダイオード(LED)を開発した米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(四九)が、開発当時に勤務していた日亜化学工業(徳島県阿南市)に譲渡した特許の対価の一部を求めた訴訟の判決が三十日、東京地裁であった。三村量一(みむらりょういち)裁判長は請求通り、日亜に二百億円の支払いを命じた。日亜は即日控訴した。

発明対価をめぐる訴訟では、前日に東京高裁が外国の特許も対価請求の対象とし、過去最高の約一億六千万円の支払いを命じる判決を出した。企業側に厳しい判断が相次ぎ、産業界などには衝撃を与えるものとみられる。

 判決はまず、特許権の価値について「権利が存続する間、独占することで得られる利益」と定義付けた。その上で、青色LED製品の過去と将来の売上高の合計が約一兆二千億円に達するとして、日亜が得る「独占の利益」を約千二百八億円と算定。「大企業の事例とは異なり、小企業の貧弱な研究環境の下で、個人的能力と独創的な発想で世界的発明をした稀有(けう)な事例」として、中村氏の貢献度を50%を下回らないと判断した。

 このため、「独占の利益」の半分にあたる約六百四億円(副島隆彦が注記。再記する。604億円)を発明対価とし、中村氏が求めた金額二百億円を請求通りに支払うことを命じた。中村氏側は残りの四百億円余について追加請求を検討している。

 中村氏が訴えを起こしたのは平成十三年(2001年)八月。訴訟はまず、特許権の帰属を審理。十四年の中間判決で「日亜側に譲渡された」と認定した。その後の発明対価の審理では、(1)青色LEDの特許の価値 (2)会社の発明に対する貢献度 (3)青色LED製品に占める中村氏の特許割合 が主な争点となった。

 中村氏は「特殊技術は会社の中止命令を無視し、独力で開発」として発明対価は約三千三百五十七億円(再記。3357億円)と主張。日亜は会社の貢献度が圧倒的に高く、発明対価を支払う必要はないと反論していた。

 中村氏は日亜在籍中の平成二年(1990年)、青色LEDの製造装置に関する技術を開発。日亜が出願して特許権を取得。このときの報奨金は二万円だった。

中村修二氏の話「百年に一度の大発明にこの金額が認められ、非常に安心した。サイエンスに夢が持てる。最高裁まで争うことになるだろうから仮執行はしない」

日亜化学工業の話 「特許権を過大に評価して、他の多数の研究開発者や企業の貢献を正当に評価していない。企業の中で巨額の成功報酬を請求するのは、安定収入と報酬の二重取りを認めるもの。日本企業の研究開発活動は成り立たない」

                  ◇

 青色発光ダイオード(LED) 発光ダイオードは、電気を通すことで効率よく発光する化合物半導体を利用した素子。赤色、緑色の高輝度LEDは作られていたが、実用化に耐え得る高輝度の青色LEDの開発は難しく、「20世紀中は無理」ともいわれていた。中村修二氏は日亜化学工業に勤務していた平成5年、窒化ガリウムを用いることで高輝度の青色LEDを開発。赤、緑、青の光の3原色がそろい、さまざまな色が作られるようになった。

【きょうのことば】 青色LED
赤・青・緑の光の三原色のうち、研究者の間で開発がきわめて難しいとされていた半導体素子。中村修二氏は日亜化学工業在職中の1990年にいわゆる「404号特許」と呼ばれる窒化物の成長手法を発明。この装置を使って青色LEDの開発にも成功、同社が発売した。

青色素子(あおいろそし)の実現でほぼすべての色をLEDで表現できるようになり、情報機器などの分野で市場規模が拡大。逆光でも鮮明に発光する信号機などにも使われており、年間数千億円ともいわれる需要を生み出し、同社の業績が急成長する要因となったパイオニア発明とされる。

【日亜化学と中村氏を巡る主な動き】
1990年 中村氏、青色LEDの基本技術を発明。日亜化学が特許を申請
1993年 日亜化学、高輝度青色LEDの製法を発明
1996年 日亜化学、高輝度青色LEDの白色LEDの製法を開発
1999年 中村氏、日亜化学を退社。翌年カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に
2000年 米クリー、特許権侵害で日亜化学を提訴/中村氏、米クリー子会社の非常勤研究員に/日亜化学、ク       リーなどを提訴
2001年 中村氏、発明報酬と特許権の帰属を求めて日亜化学を提訴。発明報酬として20億円(のちに200億      円に増額)を要求(東京地裁)
2002年9月  東京地裁、中間判決で日亜化学の特許権の帰属を認める

(貼り付け終わり)

副島隆彦です。この中村修二氏の発明した技術から生まれた青色発光ダイオード( blue light emitting diode )技術の帰属を巡る訴訟の大まかな経緯は上の年表に書いてあるとおりだ。

今年(2004年)の1月30日に、東京地裁の判決があった。この青色発光ダイオードの特許を巡る争いの判決があったのだ。この判決では、中村修二氏が勝訴して裁判長は「発明の対価」として、中村氏の請求通り、200億円の支払いを命じている。「発明の対価」ということばについてはあとで説明する。

一言で言えばこれは特許権(とっきょけん)に基づく考え方である。裁判所が認定したのは、日亜化学という徳島県の阿南市にある会社で、中村修二氏が研究員として発明した技術によって、日亜化学が得た独占的利益が1208億円であって、それに対して、中村教授の発明者としての貢献度は50%であると考えて、それに相当する対価は604億円であるとした。中村教授自身が、請求額として200億円を請求していたので、裁判所としては200億円の全額を認めたわけである。

その前日の29日には、光ディスクの関連特許で、東京高裁は、日立製作所を訴えていた日立の技術者に対して、1億6300万円の支払いを命じた。その次の日に中村氏の裁判の判決が出たのだ。

これらの動きに対して、日本の産業界や経営者達が200億円も支払えというのはあんまりであるという声を上げている。現在は、日亜側と中村教授側の双方が控訴しているので、控訴請求の中で中村修二は請求額を604億円に引き上げた。日亜側は、不当な判決であるとして、従来の主張を貫くだろう、とみられている。

発明家エジソンとビル・ゲイツの“正体“

副島隆彦です。ここで重要なのは、世の中では、発明の対価として200億円というのは高いか安いかという点であるとされている。しかし、私はそういうことは実はあまり興味がない。ただ、日本の技術者やエンジニア、テクニシャンと言われる人々で発明をする人たち、新しい技術を作りだしていく人たちのことだが、彼らは、アプライド・サイエンス(サイエンティストが自然法則を発見したものを、産業技術として応用して製品にすること )の世界の人間であるということを改めて述べておきたい。

サイエンス(近代学問と訳すべきだ。✖科学 は、意味不明だ。副島隆彦説 )というのは、自然法則の発見ということである。ナチュラル・サイエンスの場合は特にそうだ。大きな発見の場合には、ノーベル医学生理賞か、化学賞か、物理学賞の対象になる。以前にも書いたことだが、宇宙(スペイス。Space )の構造 について発見を行うのが物理学賞.
物体 ( matter 、マタ―)の構造の発見が化学賞である。生命(life 、ライフ)についての発見が医学生理賞ということになっている。

それに対して、技術者と言われている人々は、アプライド・サイエンティストである。応用学問者であって、発見(ディスカバリー)ではなくて、発明(インベンション)を行う人たちである。格から言えば、発見よりも発明の方がずっと格が低いということになっている。これは近代学問(サイエンス)というものが19世紀中期ののダーウイン(彼が、市場初めての「サイエンティスト」と呼ばれ、公認された人だ)以来のこの世界が持っている枠組み、骨格である。 それに対して、エンジニア階級は、今でも職人(クラフトマン)階級であって、世界中の理工科大学(ユニバーシティ・オブ・テクノロジー)はヨーロッパの学問基準では、今も職人扱いだ。さすがに今は偉い人達ということになっている。

だから、発明の人は、発見の人よりも格が低いということになっている。トーマス・エジソンという“発明家”がいた( 副島隆彦注記。 2014年11月22日に加筆する。エジソンがGEの創業者だ。彼は、ロックフェラーの使用人であり、マルコーニたちを虐(いじ)めて、発明泥棒をたくさんした人だ。フォード一世たちの電気自動車の開発も妨害した。後にJ.D.ロックフェラー一世と対立した。しかし、エジソン財閥を作れなかったし、後世にエジソン財閥は出来なかった。 それがエジソンという人の悲劇だ。 加筆終わり ) は、発見をおこなうサイエンティストであるとは認められていない。

ここで少し脱線するが、エジソンというのはどうも相当ズい男であったらしい。そういう真実の理解が、近年、出来つつある。エジソンが本当に自分で発明したのはどうやら、電球(バルブ)だけだったようである。真空に近い状態にして、その中でタングステンか竹(たけ)で出来ている電気抵抗の大きい物体(フィラメント)を使って光を出す、というバルブというものを作ったのはエジソンである。

それ以外の、蓄音機や無声映写機にしても、もとはフランス人の発明であるらしい。発明ではなくて、改良したり完成させたりしたというのが妥当らしい。http://www.tepia.or.jp/edison/nenpyo.html

エジソンというのは、GE(ゼネラル・エレクトリック)社の重役の一人になった。しかし、ロックフェラー財閥のような、エジソン財閥という、エジソン自身が財閥資本家には成らなかった。今でもGE社の中にエジソンの流れを組む人々はいるのだろうが、私には詳しいことはわからない。ちなみに、日本の生命保険会社である「GEエジソン生命保険」が、GEとエジソンの名前を採っていることがこれでわかるだろう。

だからエジソンとマイクロソフト社の創業者のビル・ゲイツというのも非常によく似ている。ビル・ゲイツもズルい人間だと言われている。ビル・ゲイツは、ロックフェラー財閥にバラバラに解体され潰されそうだった。今もその余波が残っている。マイクロソフト社に対する、米司法省による独占禁止法(反トラスト法)の適用や、裁判が続いた。

リナックスのようなオープンソース(公開)型を採用する欧州側の戦略によって、マイクロソフト社の独占状態にくさびを入れていこうという動きが活発になっている。しかし、全体の規模からすればまだ微々たるものである。

(副島隆彦注記。2014年11月22日に加筆。 ビル・ゲイツのマイクロソフト社は、独禁法違反で八つ裂き(AT&T社のように、バラバラにされて解体)にされることはなかった。米司法省との裁判で和解した。すまりビル・ゲイツが、デイヴィッド・ロックフェラーの軍門にくだって生き延びたということだ。このあとウインドウズはアメリカの世界支配のための道具になった。ちなみに、日本の孫正義は、始めからデイヴィッド=ダビデ大王=の忠実な子分である。加筆終わり)

ビル・ゲイツは、「ウィンドウズというのは、公共財産(パブリック・プロパティ)である」として、基本部分のソースコードを公共財産(パブリック・プロパティ)にしてしまおうという攻撃に(さら)されて、文字通り八つ裂きにされかかった。インターネットとう世界中を走る公道(こうどう)と同じ公共財産だ、というのである。
それに対して、ゲイツ(彼もユダヤ人)は、ブッシュ大統領に相当な献金を行って助けてもらったようである。米司法省との裁判は和解になった。

それで、ウィンドウズというのは個人の財産と認められた。それでも、ウィンドウズのソースコードは、条件付きながら公開が認められる流れを止めることは出来なかった。
米国国内でも、欧州でもこの争いはまだまだくすぶり続ける。

■「発明の対価」と無体財産権

中村修二の問題に戻る。
私は、中村氏の発明によって実現された、高輝度(こうきど)青色LEDについて、どのように技術開発史的に凄いのかと言うことについて、難しい専門知識を並べて説明することは出来ない。私の理科系の知識が足りない。

非常に明るく輝く青色LEDの技術を、日亜の技術者の一人であった中村修二氏が1990年に発明して、日亜は特許を申請している。高輝度の青色LEDの製法は1993年に、高輝度白色LEDの製法は1996年に開発している。

1999年には、彼は日亜を退職して、カリフォルニア大学サンタバーバラ校というLA(エルエイ。ロスアンジェルス)の北側にある町の大学の工学部教授として迎えられて行った。2001年8月に裁判を起こしている。初めは20億円を要求していたけれども、のちに200億円に増額している。

2002年の9月に東京地裁が中間判決として、日亜が特許権を持っていることを一端認めている。それに対して、「発明者の対価」という特許権に付属する考え方、権利をどう判断するかということが裁判の争点になって、それに対して200億円を中村教授に支払え、と言う判決が今年の1月末に出された訳である。

200億円が安いか高いかは私には分からない。日本の技術者が歴史的にかわいそうな状況に置かれていたのは事実である。どんなすばらしい発明をしても、全部、企業が取っていってしまう。社長賞で「金一封50万円」というのが相場の世界だった。これに対して、理科系の技術者たちがやる気をなくしてしまって、いくら社長の前で表彰されたり、優れた技術者であると表彰されても納得がいかないという不満が相当のレベルまで高まっていたと言われている。

それに対して、会社側にしてみれば、会社の企業としての開発部門に抜擢されて、そこで人材として育てられ、会社の設備や資金やスタッフ等々を使って行われた発明なのだから当然、会社に企画段階からの関与があると言う主張になって、特許権はすべて会社側にあるのだ、という理屈になる。

特許法という法律はどういう法律であるか。これは国際条約そのものである。http://www.houko.com/00/01/S34/121.HTM 私が、大学で習った、ちょっと古い時代の法律学では、特許権というのは、「無体財産権(むたいざいさんけん)」と言われていた。無体財産権というのは、体(たい。物体性)がない財産に対する権利である。財産権というのは英語の property で、日本では所有権と訳されている。土地、住宅、あるいは預貯金のような金銭債権のようなものが財産権(有体財産権)の対象になる。

山や立木(りゅうぼく)に対する財産権というのもあって、これは立木法に定められている。http://www.normanet.ne.jp/~hourei/h022dR/m420405h022.htm 木を一本植えただけでも、それが財産権の一つの対象になる、と考えられていて、勝手に他の人が引っこ抜くことが出来ないと言う問題もある。川べりの国有地の土手に木々を植えてしまって10年も20年も育ててほったらかしにしていると、既得権(きとくけん vested interest ヴェステッド・インタレスト )が生じてしまう。もし土地を持っている国側がその勝手に植えられた河川敷の立木を取り払うためには、そのために裁判で起こさないと時効というものに係ってしまうという考え方をする。時効というのは、二つの考えがあって、一つは 「取得時効」 であり、もう一つは「消滅時効」と言われるものである。権利があるのに、主張しないでほったらかしにしていると、消滅時効で主張できなくなる。権利者がほったらかしにして、権利の上に載っている別の人の権利、例えば、作物を作る権利が、事実状態として20年以上も続いていくと取得時効というものに係って、栽培する者の権利が生まれてしまうのだ。

だから、敗戦後の満州からの引き揚げ組の貧困者が、川の土手やらの誰が所有者かわからなくなっている土地に勝手に掘っ立て小屋を建てて住み始めてしまって長い年月が経つとこの時効の問題が発生した。法律学の基本のところに横たわっているのは、だから、このような素朴であるが、泥臭い法律関係である。

似たような問題は、より観念化・抽象化された状態で特許権や工業所有権法(こうぎょうしょゆうけんほう)に表されている。「権利は地面から生まれてくるもの」と言う側面がある。無体財産権(英語では「ノウハウ」という)は観念であって、もの(物)そのものではない。発明は大変すばらしいものだと言うことで、創造的な価値を作ってしまったということを周りが尊敬して認めるという考え方が特許という考え方になった。

その周辺に著作権という考え方もある。これは文学作品や政治思想の著作・文章の集合体としての作品に認められる権利である。これは多くの人に賞賛されたり、褒(ほ)められたりしてしまうと、これが一つの権利として保護される。この点で、著作権も無体財産権の一種である。書かれた本という物体一冊一冊の権利ではない。それは1600円なりの本の代金を支払った人の所有権だ。書かれている文字全体、思想や観念の表明というものそのものが新しいものである場合、その人に著作権者としての権利が認められる。

さらに話を進めれば、商標(トレードマーク、TM)というのもある。コカコーラのロゴの横には、TMという文字が入っていて、これは登録商法(とうろくしょうひょう)というもので、工業所有権法と言う法律で保護されている権利である。それは登録(レジスター)されているわけで、コカコーラという商品名やマークを他の企業や人が商品名として勝手に使ってはいけない。ただし、どこまでが工業所有権法で保護される範囲にあたるのかという問題はある。 

きびだんご とか あんころもち というものは一般名称だから、一般名称は登録商標にはならない。しかし、同じ あんころもち であっても安倍川餅(あべかわもち)というものになると、安倍川のそばで出てきて歴史的にそこで作られて消費されてきているものであって、それを歴史的に販売してきた、数軒のお店に対して、歴史的な沿革を経て、商標が独占的に所有されていると言う風に考えるだろう。

温泉権(おんせんけん)や湯口権(ゆぐちけん)というものもあるがここでは触れない。

コピーライト(著作権)という権利にまつわって発生する問題は、私自身も抱えている。著者印税の問題 が大きい。それ以外のことは今は触れない。

中村修ニ裁判は、特許権(パテント・ラー)の問題だ。すでに述べたように、発明の対価として、200億円が高いか安いかと言う議論になった。私は日本の技術者はかわいそうだ、スレイブ(奴隷)だ、と言う考え方を支持する。ずば抜けた才能があるのに、あまりにも企業の中でただのの一人の従業員としてこき使われて、かわいそうだという考えを私もする。

アメリカやヨーロッパであれば、大変な発明をしそうな人間はその会社を開発チームごとで辞めてしまって、独立したり、別の会社に移ってそこで新しい発明を行い、それを商品にまで高める。技術者も自分の市場価値を認識し、それを積極的に金銭的利益に結びつけている。応用科学というのは自然科学上発見された法則を、売れる商品(インダストリアル・プロダクツ、グッズ)の開発に応用することである。だからエンジニアやテクニシャンは、最終的には自分自身が企業経営者になっていくことが出来る人たちだ。

会社を辞めて、自分で会社をつくって、利益を追求するというまさしく、資本家(キャピタりスト)の生き方をしている人たちだ。人間の自然の欲望に合致した、ラチオナル rational = 合理的、実利的、金銭的な生き方を行うことが出来る人たちである. しかし会社側にとってみれば、会社の財産を持ち逃げされたという感覚になる。そこで人間関係上の憎しみが生まれて、裁判での争いにまで発展した。

金一封社長賞50万円で解決してきた日本の社会は技術者を奴隷のように扱ってきたと言うことははっきり言える。技術開発部門で働いてきた、企業の技術者たちは中村修二氏に対する判決を大歓迎した。しかし経団連(けいだんれん)のような経営者団体にとっては、ぞっとするような事態になる。一年間の企業の利益がこの「発明の対価」で従業員だった者に渡さなければならなくなる。だから東京地裁は中村氏に対する勝訴判決を出したが、高裁判決でひっくり返る可能性があるともいわれている。

■実は軍事転用が可能だった、青色発光ダイオード

ここまでは一般的な話である。理科系で頭のいい人なら知っている。私が主張したいのはここから先の議論である。ここからが重要なのだ。

実は中村修二氏の発明した、高輝度青色LEDというものはどういうものかという問題なのである。上に引用した日経新聞には、「青色素子の実現でほぼすべての色をLEDで表現できるようになり、情報機器などの分野で市場規模が拡大。逆光でも鮮明に発光する信号機などにも使われており、年間数千億円ともいわれる需要を生み出し、同社の業績が急成長する要因となったパイオニア発明とされる」と説明されている。

だから、この発光ダイオードというのは、簡単に言えば、レーザー光線の一種であると考えるべきなのだ。

実はレーザーlaser というか半導体技術に関する、基本特許は東北大学の学長をしていた、西澤潤一(にしざわじゅんいち)氏の方が高度なものを持っていると言われている。貢献度の面でも西沢氏の方が大きいと言われている。だから、本当は西沢氏の方が、ノーベル賞を貰っても良いと言われている。ところが、西沢氏は自分の共同研究者や若い研究者の業績を認めず、論文の頭にまず自分の名前を冠(かんむり)にして入れさせたり、人格に問題があると言う噂を流している人たちがいる。私はあまりそうは思わない。

西沢潤一にレーザーや半導体に関する世界的な基本の特許があるらしい。青以外の、赤と緑のLEDに関する特許をもっているようだ。西澤氏と中村氏は対談本も出している。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4891731028/ref=sr_aps_b_/250-4438947-3461032

西澤氏ではなくて、中村氏の方が注目を集めていることに何か違和感があるということが、物理学者の間で囁かれている。中村修二氏の場合には、初期の段階から英語を使って、世界に発表して、国際的な技術者の学会で認められていたようなので、べつにおかしいことでもないと言う考え方もある。

青色のレーザー光線をこれまで作ることが出来なかったのに中村氏の発明がきっかけでそれが実現できた。このことは事実だ。光の3元色である赤・緑・青のうち、青だけが無かった。これで青がそろったことで、全ての色を表現できるようになったわけだから、半導体の研究の発展に大きく貢献した。カラー映像の技術で大変な貢献をしたということになる。

しかし、本当に重要なのは、これ以外のところにある。私、副島隆彦はこのことを強調する。
じつは、この青色LEDというものは、電波に変えることが出来るらしい。そして、この光線(beam、ビーム)が、水の中を電波のように走ることが出来るようになるらしい。あるいは、光の形をした電波として使えるようになるらしいのだ。私もこの事実は人から聞いただけなので、技術的な詳しい説明が出来るわけではない。が、とにかくそういう事実があるようだ。

だからここには大きなウラの秘密がある。なぜ中村修二氏が、カリフォルニア大学のサンタバーバラ校の工学部に招かれ研究を続けることになったのか。この事に関わってくる。知ってのとおり、カリフォルニア州にはサンフランシスコの外れにシリコンバレーという地区があって、その周辺には軍事系の情報通信産業も裾野のように広がっている。

一方、カリフォルニア州の南部のロスアンジェルスには、サンディエゴという太平洋側最大のアメリカの海軍基地と米海軍の造船所がある。ここには大きな海軍の技術研究所もある。http://www.ils.uec.ac.jp/ReviewReport99.PDF

どうやらここで、「海底でも潜水艦が発することのできる電波や音波」の類を今も開発しているらしい。 私は軍事技術のことは殆ど知らない。現在の段階では、「 海水中から発して相手側に届く電波や音波は存在しない」のである。ソナーというものがある。が、ソナー sonar はアタック・ソナーといって、海水そのものの振動音である。はげしい振動音をそれこそ爆発音に近いような形で海中の対象物である相手方に伝える。

ソナーを発して、相手側にぶつかって自分のところに戻ってきたときの波形によって、敵艦とかを認識する仕組みである。これが海水の中で行われている対象認識なのである。水中、海中は電波や音波が通らない(走らない)から、今のところまだ、交信が出来ない。だから潜水艦は、一端海上すれすれに浮上して、アンテナを出して、基地との交信を行うしかない。アタック・ソナーでは、周りのイルカや鯨がその激しさでショック死してしまうほどだということも問題になっている。

だから水中に潜ったまま、潜水艦がそのまま電波で交信できる技術が存在すれば、飛躍的に海軍の軍事技術は進展することになるわけだ。青色LEDというのは、そのための軍事転換が出来る技術らしいのだ。ここに中村修ニの才能問題の重大さがある。

これは、デュアル・ユース・テクノロジーである。海水は青色だから、その中を青い光なら走ることができるだろう。だから、このブルー・ライト・エミッティング・ダイオードというのは、通信手段としても使うことが出来るようになるらしいのだ。だから、中村修二氏が、サンタバーバラ校の工学部に迎え入れられたのだ。

アメリカが世界最先端の通信技術を開発するのに、中村修二氏はこれからも貢献するということになるのだ。 アメリカは中村氏の発明が軍事転用できると言うことに気が付いて、中村氏をヘッドハンティングしたのだ。(副島隆彦注記。2014年11月22日に加筆。だから、中村修二問題は、初めの始めから、アメリカ政府が仕組んだの、と言えるのだ。)

私の洞察では、日本政府も中村発明の偉大さを理解し始めている。企業経営者レベルの問題ではなくて、より大きな国家レベルの利益のところで考えて、中村修二(やそれをはじめとする技術者系の人たち)の頭脳流出を防ぐ必要があるという判断に至るだろう。普通ならば保守的で体制順応的である、日本の裁判所の判事たちが、なぜ中村氏の肩をもって、200億円を支払えと言ったのかがこれでわかる。

(副島隆彦注記。2014年11月22日に加筆する。 中村修ニは、今も、カリフォルニア大学サンタバーバラ校にいて、「研究所を2つ」作ってもらって研究を続けている。
サンタバーバラ校は、エルエイのサンタモニカの風光明媚な浜辺の北の方の高台の上にある。私は、歌族とサンタモニカの海岸で数日、過ごしたことがある。その前日、服飾デザイナーのベルサーチが、同性愛の青年に殺された。そのニューズを聞きながら、私は、偶然、ベルサーチの邸宅の前を通り過ぎた。玄関にお花がたくさん置いてあった。

 サンタバーバラ校からは、その北側に、サンディエゴの米海軍の巨大な造船施設と軍港を見晴らすことができるはずである。私は、ああ、そういうことだったのか、と10年経った今、しみじみと思い返す。加筆終わり )

上記の「海の青色の中を走る青色発光ダイオードの通信技術としての活用」のことは、まだ殆ど誰によっても語られていないことである。が、私は、すでに2002年の段階で理科系掲示板に次のように書いた。これに対して、会員の理科系の優秀な物理学者の中原君が関連情報を書き込んでくれている。これをここで引用する。

(引用開始)

[494] 中村修二氏の青色発光ダイオード製法特許裁判について 投稿者:副島隆彦 投稿日:2002/09/24(Tue) 06:39:29

副島隆彦です。「青色発光ダイオード(LED)の開発者として知られる中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(48)が、勤務していた日亜化学工業(徳島県阿南市)に青色LEDの製法特許の帰属認定などを求めていた訴訟の判決」(2002年9月19日)については、私も追いかけています。

私は、中村修二さんの本を読んだりしてきました。無体財産権(特許権を含む)の問題として、ずっと考えていることがあります。 中原君や、Rss-K君が、強い関心を示すのがよく分かります。中村氏への賛否両論の分析も私なりに分かります。

これは、日米の技術者(の存在意義)問題にもなりました。日本の技術者たちが企業から独立してゆくべきだ問題、という重要な方向付けを、この判決がしています。反動的な判決に見えて、その次に製法特許(せいほうとっきょ)の価格を決める問題につながるところで本当の基準となるでしょう。

私は、「これから書くぼやきの見出し300本」の中の重要な一本として、この問題をずっと暖めています。今、急いで言えることは、中村氏を、アメリカのカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校が教授として招聘(しょうへい)した本当の理由は、どうやら、この青色ダイオードが、海中(水中)でも電波として通過してゆくことができるという、今後の重要な発明につながる、という決定的な性質をもっているらしい。それで、サン・ジエゴにある大きな米海軍の基地の中の研究所で、潜水艦用の海中電波の開発研究にこの、中村発明が使われる問題があるらしいのです。

新しい技術(テクノロジー)自身は価値中立的ですが、それが人類の将来にもたらす大きな影響というものを考えないわけには行きません。それと国益(ナショナル・インタレスト)です。今は、急いでこれだけしか書けません。  副島隆彦拝

[495] 先生の投稿[494]に関して 投稿者:中原 投稿日:2002/09/26(Thu) 09:48:44

中原です。昨日遅く、応用物理学会から帰ってきました。
学問道場を久しぶりに拝見すると、先生の[494]の投稿を発見しましたので、手短に私が知っている話を以下に書きます。仕事の合間なので、reference(レファレンス、参照文献)はまた後で確認します。今は項目だけです。

1) LEDの応用分野としては明かりだけでなく、生物への影響を調べるという、面白い研究がある。確か最初に見たのは、植物に当てる光の波長を変えると植物の成長にどんな影響があるか、 という研究で、赤・緑・青のLEDが使われていたと記憶する。光(ひかり)生物学というのもあるらしい。
http://www.ntu.ac.jp/dept/mds/standard/ani-bio/LED-plants.html

この研究の派生と思われるが、水中生物への影響を調べるという研究もあったと記憶する。そこに青色LEDが使われる理由に、まさに先生が述べておられる、青色の光の海中での透過性があったように記憶する。

2) 中村修二がUCSB(カリフォルニア大サンタバーバラ校)で所長に就任する、Center of solid state lighting and displaysには、連邦政府から300万$、企業からは250万$の出資を得て、合計2000万$が集まった。

3) 悪環境(高温、高湿度、放射線暴露)に耐えられるデバイス開発ということで、最近、アメリカ軍(特に空軍)からwidegap semiconductorというくくりで予算が出されている。widegap semiconductorの代表的なものに、GaN、AlN、SiC、ZnOがある。アメリカでは軍の研究予算がどの分野に出るか、というのが非常に研究動向に影響を与える。私は実情は良く知らないが、軍の予算というのは大変richらしい。 だから、アメリカの研究者は軍が予算を出さなくなった分野からは、蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。いい例がZnSe系II-VI族の研究である。以上、簡単ながら。

[497] [495]のreference 投稿者:中原 投稿日:2002/09/26(Thu) 20:03:45

中原です。[495]で書いたことについての、参考文献を以下に上げておきます。

[青色光の水中での透過性]
海洋技術センター(http://www.jamstec.go.jp/jamstec-j/index-j.html)の海洋技術研究部の行った「LEDを用いた非接触型通信に関する研究」の平成12年度事後評価・自己評価票の第二章冒頭に「水中の光は、青色(450nm)を中心とした可視光(かしこう)領域以外を除いて、ほとんど透過することはない」とある。青色光が水中で良い透過率を持つことは事実のようである。透過スペクトルのようなものがあるだろうと考え、調べてみたが、見つけられなませんでした。

[アメリカ軍のwidegap半導体に対する予算]
雑誌 Compound Semiconductor(http://www.compoundsemiconductor.net/)の2002年7月号に記事がありました。
http://www.compoundsemiconductor.net/magazine/article/8/7/4/1

[Center for solid state lighting and displaysに集まったお金]
出資している会社は、ローム、三菱化学、Creeなどで、開発結果の特許の優先使用権を得るという契約になっている。金額は一口250万$であるが、全額でどれぐらいになったかについて、参考文献をネットでみつけられませんでした。確かにどこかの記事で読んだはずなのですが...。 もう少し探してみますので、とりあえず総額については ? ということにしておいてください。 以上。

( 理科系掲示板の過去ログから)

(引用貼り付け終わり)

副島隆彦です。このように中原君が調べてくれたとおり、中村発明は軍事転換が出来る発明である。だから、発明の対価として200億円が高いか安いかというのはつまらない横道の議論である。レーザーがどの程度の通信技術として実用可能なのかという技術的見極めは私にはできない。これはこの文章を読んだ、理科系の人たちがフォローしてくれるかも知れないので、それは後々紹介します。

ただ、物理学とか技術というのは、元来こういう性質をもっていることは日本の国家指導者達はもっと認識した方が良い。これはナショナル・インタレスト(国益)が関わる問題だ。 

副島隆彦 拝
by めい (2014-11-23 07:28) 

めい

「2077」 私の金融本『米銀行破綻の連鎖から世界大恐慌の道筋が見えた』に収められなかった第5章を特別に公開する(第3回・全3回) 2023年8月14日
http://www.snsi.jp/tops/boyaki
日本が核兵器を保有することになるときも、必ずこの海中から発射する、潜水艦発射型になる。ところが、潜水艦の唯一の弱点は、今も海中では通信の電波が届かないことである。海の中を電波は通らない。走らない。
 だからソナーという、ビュンビュンビュンビュンと伝わっていく振動波が、目標物に当たって、それがまたビュンビュンビュンビュンと自分に帰ってきて、それで相手の位置と大きさを何とか把握する。潜水艦の耳と目は、このソナーsonarしかない。潜水艦というのは、つんぼ・めくら(視力、聴力なし)の状態で、海の中を走っているのだ。アタック・ソナーで、海中で岩にぶつからないようにはできる。
 ところが、アメリカは、西海岸(太平洋側)で、世界最大の海軍造船所でもある、サンディエゴ海軍基地で、どうやら海中通信電波の開発に成功したようなのだ。これには、青色発光(はっこう)ダイオードの技術が使われた。
 私はすでに、10年前からこの技術に注目していて書いている。中村修二(なかむらしゅうじ、1954年-、69歳)という徳島県出身の人で、地元の日亜(にちあ)化学工業という化学工業会社の技術者で、この青色発光ダイオードを、最終的に完成した男がいる。

中村修二

 9年前(2014年)に、ノーベル物理学賞をもらった。おそらくこの時期に、中村が作った青色発光ダイオードが、どうやら米海軍で海中通信機として実験に成功したのだろう。中村修二については今、私たちが使っているLEDの電球にどうしても必要だった青色を作ったので、大業績なのだが、それだけにとどまらない。
 中村は、2001年に日亜化学工業を裁判所に訴えて、自分の業績に対して600億円を払えと要求した。しかし判決は、たったの12億円ぐらいだった。中村は、これに怒った。そしてもう日本なんかにいたくない、と日本を去った。そしてサンディエゴの米海軍基地が眼下に見下ろせるカリフォルニア大学(州立の優秀な方)のサンタバーバラ校の教授になった。
 日本側の理屈では、わざとらしく「日本の総資本(企業全体)にとって、あまりにも多額の研究職の従業員の個人業績への評価は、企業の経営を難しくする」ということを言い訳にした。だが、これは当時から作られたウソだった。
 とある有名な弁護士が、企業側と裏で繋がって中村修二を騙した、というのもウソだった。はじめからアメリカが仕組んで、中村修二をアメリカに連れていって、軍事の海中通信技術の開発を、中村にやらせたのだ。そしてそれが実験成功したのだ。それがこの潜水艦に載せる海中通信電波としての青色発光ダイオードの貢献である。中村修二は、ノーベル賞を受賞したとき、「え? 化学賞じゃないの。物理学賞なの」と驚いていた。この辺(あた)りにも秘密がある。
 今度の防衛3文書にたった1行、「海中通信の開発」と書いてあったので、私はピンときた。私のこの分析能力を甘く見ない方がいい。

by めい (2023-08-14 19:49) 

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