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合同吟詠発表会報告 [詩吟]

合同発表会.jpg昨日(11月30日)、平教場と宮内岳鷹会の合同吟詠発表会を無事終えた。今年は第19回。そもそもの始まりは平先生門下の単なる交流懇親会だったが、飲んで食うだけではもったいないというので、その後会員全員発表の場ということになって、両教場交代で当番、今年は宮内担当だった。そこで、県南大会の構成吟「最上川、置賜を行く」に、平教場女性陣の合吟「『奥の細道』より 最上川」を合流させ、山形全域の構成吟「最上川」にして全員で取り組むことを提案、一も二もなくみんな賛成。そうなれば芭蕉の他にも茂吉は外せないし、菅原白龍等とともに長井から最上川を下ったという大久保利通の漢詩もぜひ入れたい、ということで10分延長、30分の大作となった。その追加分のスライド、いろいろ立て込む中でようやくとりかかったのが数日前、なんとかできて前日ハイジアのプロジェクターで試写、そしたら追加分だけでなく県南大会向けのスライドもあちこち手直しが必要。当日になってからギリギリまでなんとかがんばった。そのかいもあって大好評。孫さんを平教場に通わせる米沢の目崎先生、「米沢でも老人施設などでやってみたい」というので、とりあえずUSBをそのまま差し上げた。スライドはともかく、吟そのものも県南大会が独吟だったが、今回はほとんど合吟、それだけに迫力もあって格段によかったのではないか。当日開会前の練習では「大丈夫かな」と不安だったが、みんなさすが本番は強い。懇親会の席では、何人かに「終わって涙が出た」と言われた。今回の発表会、涙といえば、涙が出るような吟、場面がいくつもあった。平先生の講評「レベルの高い会でした」。感動を味わうことのできる会だった。あらためて「詩吟の力」を思う。平先生の指導のもと、それぞれが「自分の吟」ができるようになっているのではないか。だからスタートで音程が狂っても、詩文を忘れても、そのあとはそこで焦らず立ち直ってしっかり自分のペースにもちこんでしまう。そういうことも含めてみんなすごかった。

下記、開会セレモニーでの平岳謙先生による「指導者挨拶」です。米沢の一大イベント「雪灯篭まつり」、こうなるに至るきっかけに、平先生の「発想の転換」があったことが明かされる貴重なお話です。(音声でもアップしたいのですが、アップ容量限界になってしまったので、文章化しました。解決策究明中です。)

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こんな立派な会場を用意していただいて、宮内岳鷹会の皆さんありがとうございます。はじめに 御礼申し上げたいと思います。
雪が降ってまいりました。さてこの雪をどう捉えるかでありますが 、「困ったなあ」と捉えるか、「素晴らしいものが降ってきた」 と捉えるかということで、生き方が変わってくるんじゃないかなと思います。
この雪を見ると、私は20代のある時を思い出します。鹿児島の方で友達がおりました。その人と二人で故郷の素晴らしさを語っておりました。あるいはふるさとの問題点なども話し合いました。私はその中で「私の方では雪が降るんですよ、大変なんですよ、その雪のために、人々の生活が脅かされたり、あるいは 希望を失わせたりするんですよ」と言ったら、そしたら鹿児島の男、なんて言ったかと言うと、「 羨ましいですね。」・・・雪のつらさわかんねえんだなこの野郎って思ったんです。 その後、続いた言葉が何だと言う何かと言うと、「私の方は黒いものが降ってくるんですよ。」「なんだごど?」って言ったら、「桜島の噴火によって、 冬になると西風を受けた鹿児島市はその灰に覆われてしまう。部屋の中にも洗濯物が干せないようなこともしばしばあるんですよ。」それ聞いて私は「あーそうか」と。雪というようなものを生きる上でマイナスと捉えていたんだけれども、これは違うんだなと。ものの見方、どんな角度でものを見ていくかということ によって、ひとつの事柄というようなものが大きく変わった評価を受けるもんなんだなーっていうことをしみじみ感じました。 それでその時から「雪降って困った、雪は嫌だ」ということは言わないようにしてるんであります。鹿児島の人の一言が 、「羨ましいなあ」という言葉が、私をして故郷を見つめる見方というものを変えてくれたんでありますね。
それから雪のこと何とか大事にしなくちゃならないと思って、米沢工業高校に勤めておった時に始めたのが米沢の 「雪灯籠まつり」でございます。 最初は上杉神社の境内だけで 飾っておったんでありますけれども、そこに生徒を連れて行きました。そして初めて生徒が雪灯籠つくりに参加したんです。それが発展して翌年は工業高校の 前に並べられるようになったし、米沢あげての行事に発展していったんでありますね。 雪の素晴らしさというものが改めて、 多くの方々から認識していただく機会をもった訳であります。
さて私達は、幸せに生きるか不幸せに生きるかということで大事なことは何かと言うと、今住んでいる所にどんな目を向けることができるかっていうことが、 大きな問題になってくるんじゃないのかなと思います。「困ったなあ、やんだなあ」、そういう風なものの見方で生きていれば、「あ、こんなこともあるんだ、 こんな素晴らしいこともあったのか」という、発見を重ねていくということが非常に大きな問題になってくるんだろうと思います。
私、50代の頃、宮内から太郎を越えて吉野の荻まで行きましたがね、春先驚いたんです。山々のあちこちに桜、 桜が咲いてるんです。 その桜はソメイヨシノでないんです。 私達の見慣れたソメイヨシノじゃなくてオオヤマザクラでした。亭々と天空にそびえて、そしてソメイヨシノよりももっと赤みの濃い花を咲かせてくれる。 綺麗だなあと思ったんです。天国に行ったような気持ちになったんでありますよ。 しかし地元の人は当たり前だと思ってさっぱり感じない。「綺麗だねあの桜」と言うと「うん」なんていう程度のもんでありますよね。どういう風なものの見方をするかという風なことがとっても大事だ。
さてそういう意味で、今日私達の発表会のために、構成吟を作ってくださいました。 最上川という流れを中心にしたところの、その最上川のほとりに、どんな文化が 生まれたのか、 あるいはそこで、 人々はどんな 生活をしておったのかというふうなことをつぶさに見せてくださるような、そうしたものが計画されております。私たちにとって素晴らしい出会いだと思うんです。ものの見方という風なものを教えてくださる、素晴らしい企画に私達は恵まれました。とりわけ幼い時に故郷の素晴らしさというのを感じとった人間は、私はどこに行っても、 その地域を立派なものに作り上げる想像力が芽生えてくるんだろうと思います。 そんな意味で少年少女のみなさんも、この構成吟の 発表というようなものを聞いたり見たりすることができるということは、 皆さんの一生にとってどれほど素晴らしいものになるかわからない、というふうに私は捉えております。
先ほど、 ここにAさんが来られました。体の具合が悪かったんで今までちょいちょい吟詠の練習を休んだということを話されて、そして最後に、必ずこの病気を克服して、 再びみんなと一緒に練習に励むようにしますので、 と固い決意を述べられました。感動しました私は。
「太郎を呼べば太郎が来る。 花子を呼べば花子が来る」という言葉があります。「太郎、太郎」と呼べば太郎が「はーい」と言ってやってきてくれます。「 花子、花子」と言うと、 花子が「はーい」と言ってやってきてくれます。 さて、「病気治った、病気治った」って言えば 病気は治るようになってくるはずであります。 ひとつ是非覚えておって下さい。「太郎を呼べば、 太郎が来る。」
幸せをもたらすような言葉を私たちがたくさん吐けば、必ず幸せがやってきます。 不平不満だらけの言葉をたくさん吐けば、そのような現実が私たちを覆うことになります。 今日機会にですね、ものの見方、考え方というようなものを大きく変えて、見事な見事な人生を歩む素晴らしい地域づくりに貢献していきたいもんだなというふうに思うところであります。 皆さん頑張って下さい。

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