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熊野秀彦先生 [神道天行居]

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このたびお山に行きたいと思ったのには、熊野先生に会っておきたいという強い思いがあった。このブログに「熊野霊学」として熊野先生の書かれたものを紹介している。これからも継続してゆきたい。そのことの了承を得ておかねばならない。そして何よりも、今の私のいる場所が実際自分で思っているような場所なのかどうか。要するに、熊野霊学への視点はうまく的を得ているのかどうか。熊野先生にお会いすることで確認したい。

 

私が初めてお山に行った時、先生は役所を退職されて間もなくで、天行居の修道部長を務めておられた。昭和60年4月、桜の盛りの中での修斎会だった。当時の神道天行居機関紙「古道」を繙くと「今年の石城山参道の桜花の美事さは例年に無いもので・・・」とある。それが第511回修斎会で、その前3月の修斎会の辞令欄に、今は京都大教授の鎌田東二氏の名が見える。氏とはお山でお会いしたことはないが、位階から判断して2回は修斎会に参加しておられる。ちょうどこの年の7月に「神界のフィールドワーク―霊学と民俗学の生成」(創林社)が出版されている。たまたま書店で見つけて求めた。それではじめて鎌田氏の名を知った。十年前山寺でのご講演の折お話しする機会を得て、「熊野先生にお会いする機会があればよろしく」と言われたのを思い出す。ちなみに今回の修斎会はちょうど750回だった。最初の修斎会参加の帰途、田布施の駅まで熊野先生とご一緒したのをありがたいこととして覚えている。

 

 

参山のたび無言禊斎の中での先生のご講話が何よりの楽しみだった。多くの同志がそういう思いを持って参山されていたと思う。先生は石城神山とわれわれを結びつける「みこともち」であられた。お話はいつも新鮮だった。先生の認識の深まりに合わせて、用意される資料は回を重ねる毎に厚くなっていった。手元にはお聴きした先生の講話の回数分の資料が残る。

 

11日の山上修法を無事終え、12日の日本(やまと)神社例大祭。各社清掃を担当する修斎会参加者のあいだに、熊野先生がお出でになっているとの情報はたちまち伝わった。大正12年1月2日のお生まれ。来年90歳になられる。以前に比べ大分弱っておられるご様子とも聞いていた。日本神社に参列された姿を拝してたしかにそうだった。階段を下りられる際、お支えする場面もあった。

 

山を下って道場での直会(なおらい)。もう終盤にさしかかった頃だった。会場の後方に熊野先生を囲む輪ができていることに気がついた。すぐその輪に加わった。椅子に掛けられた先生の前を10数人が取り囲む。そこでお話しされる熊野先生は以前のままの熊野先生だった。「やまとをひらくのはひとりひとりの個人の役割、やまとがひらかれてはじめて神様の御出動であるいわとびらきがある・・・」。私なりに「真十日神身(ますかがみ)の顕現」に結びつけて聴いていた。正面の女性が目に涙をためていた。先生に正面するK君も大きな目を赤くしている。私もこみ上げてきた。変わらぬ熊野先生がありがたかったし、私なりの認識がその方向において的を外してはいないとの確認もありがたかった。お釈迦様やイエスの説法の場面もこのような様子だったのではあるまいか、そうした場面に今自分が立ち会っている、そんな感慨もあった。もっといろいろな感情があったかもしれないがとにかく猛烈なこみ上げがとまらなくなってしまった。カメラを持ち出す雰囲気では全くないのだが、ここに載せたい一心で勇を振るってシャッターを押した。最も熊野先生らしいまさに慈顔というにふさわしい温顔をとらえることができたと思う。



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