手島郁郎「日本よ、永遠なれ」上映会 [新しい歴史教科書をつくる会]
追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長) [新しい歴史教科書をつくる会]
西尾先生と副島先生 [新しい歴史教科書をつくる会]
正気煥発板での「陰謀論」についての言及を探していて、3年前に、アル中流さん、桜子さんとの間で西尾先生と副島先生についてのやりとりがあったのを見つけたので転載しておきます。
(転載はじめ)
投稿日 : 2003年05月23日 13時53分 投稿者 : 管理人
タイトル : Re: 話にならないと思います
副島氏が今朝の「今日のぼやき」有料版に以下の文章を寄せておられます。私には納得のゆくものでした。皆さん、ご意見を。
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来年の5,6月あたりに米軍は、北朝鮮への軍事攻撃に踏み切り、まず北が保有する核兵器を破壊するだろうと私は予測している。私は「アジア人どうしは戦ってはならない。すくなくとも戦火を交えてはならない」という評論活動をしている。日本が、米国の策略に簡単に乗せられて、北朝鮮と交戦するような愚かな行動に出ないようにすべきだというのが私の考えの総論である。米国は東アジア人どうしをいがみ合わせて対立させ、お互いに殺し合いをさせたがっているのである。米世界覇権帝国は自分で手を汚すのが嫌だから、できれば日本や韓国の軍隊を利用したいと考えているのである。アフガニスタン戦争で北部同盟の軍勢を、そしてイラク戦争ではクルド人の武装組織を利用したのと同じことである。
アメリカは、日本と韓国を、北朝鮮に対しての、クルド人あるいは、「南部同盟」として使いたいのである。
その手に乗ってはいけない。同じアジアどうしとして、直接殺し合うことだけはしてはならない。
「つくる会」問題の核心 [新しい歴史教科書をつくる会]
新田先生が「一度、ここで「つくる会」騒動のあらすじを整理しておこう」ということで、 『前史としての「教科書改訂問題」 』に言及された。http://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-date-20060606.html
(転載はじめ)
西尾幹二氏は、「つくる会」名誉会長を辞めた第一の理由として、「旧版『新しい歴史教科書』の重要部分が、改訂版では私に何の断わりもなく岡崎久彦氏(改訂版・監修者)の手で大幅に改筆され、親米的な内容にされたこと」(『サピオ』6月14日号)を上げていますが、その経緯は次のようなものでした。
改訂作業に岡崎氏に加わってもらうことを主導したのは藤岡信勝氏でした。岡崎氏の改定案の大部分が西尾氏の執筆箇所だったため、扶桑社の編集者は後から問題になることを大変心配し、その旨を藤岡氏に伝えました。すると、藤岡氏が「私が責任をもって西尾さんから了解を取る」と言うので、任せておいたところ、藤岡氏がそれを怠ってしまい、それで西尾氏が「無断で改訂された」と怒り出した、というのが真相のようです。
その西尾氏の怒りは、岡崎氏が『中央公論』などで「今度の教科書は反米的な面が消えて大変なよくなった」旨を書かれたことによって増幅され、理不尽なことに、長年教科書を担当してきた扶桑社の編集者である真部栄一氏へと向かい、次に、採択への影響を考えて、間に入って西尾氏を押さえた宮崎正治事務局長へと振り向けられることになって行きました。
(転載おわり)
「つくる会」評議員辞任届 [新しい歴史教科書をつくる会]
今日の「全国支部長・評議員全国会議」の案内をいただきながらそのままにしてあったので、昨晩下記の文を書いてファックスで送りました。
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新しい歴史教科書をつくる会
会長代行 高池勝彦様
全国支部長・評議員合同会議のご案内をいただきながら、連絡が遅くなってしまい申し訳ありません。昨年夏以来会費未納の状態が続いているにもかかわらずご案内をいただき恐縮しております。支部事務局長は後任を得たものの、東北代表としての評議員の席については後任もないままに辞めさせていただくのは甚だ心苦しいのですが、私自身先の展望見出しがたく、職責を果たし得るとは到底言い難い状態ですので辞任させていただくことをご了解賜りたくお願い申し上げます。
思い起こせば平成11年の夏、山形ビジョンの会K会長と幕屋のT氏の突然の訪問を受け、つくる会の支部長選定についてのご相談、すぐその足でU氏を訪ねての懇願、数日後、U氏より「あなたが事務局長を引き受けるなら支部長を受ける」とのご返事に、当時地元政治から足を洗い仕事に専念するつもりでしたがやむなく運動に入らざるを得なくなったというのがことの始まりでした。以来6年有余、つくる会に関わって費やした莫大な時間を思うと、つくる会を去ることについては慙愧の思いも多々ありますが、一応のけじめをつけさせていただきたく存じます。これまでの体験が今後何かの形でまた活かされることがあるかもしれないというかすかな思いも胸の片隅に残しながら、辞任のお願いとさせていただきます。よろしくお取り計らいくださいますようお願い申し上げます。
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評議員については、3年前だったか仙台での会議の折、宮崎事務局長に強く辞任を申し出たのだが、東北では適当な後任が見つからないとのことで、やむなくほとんど名前だけの申し訳ない状態で今に至っていたのだった。
「つくる会」の限界? [新しい歴史教科書をつくる会]
西尾先生の日録http://nishiokanji.com/blog/2006/05/post_322.html#c3351で、たかしさんのコメントに対して西尾先生が応じられたのに始まり、それに私が口を挟んだことから、東埼玉人さん、布袋和尚さんと何回かのやりとりがありました。「つくる会」の限界のようなものに気づくことがありましたので転載させていただきます。
(転載はじめ)
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ある時期からつくる会が一部の人にとって、保守論壇の登竜門になってしまったことが問題の根源のように思います。
つくる会の教科書の採択率をあげるには、官製談合に似た教科書採択の構造をうちやぶることが必要です。
そのためには、何より教育委員会が地域住民の意思を反映したものになる必要があり、現に小学生の親でもある私自身に何ができるのかを今考えています。
そういった実務的なことを議論できる場はどこにあるのでしょうか。
Posted by: たかし at 2006年05月18日 15:12
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たかし様
教育委員会は残念ながら地域住民の意思ではなく、地域学校官僚、指導主事とか教育行政官たちの意思を反映したものでありつずけ、それを壊すことも、超えることもできないできました。
文部科学省にもそこに力はまったく及びません。つくる会が立ち往生している原因はこれです。
地域住民が騒ぎ立ててくださる以外に突破口はありそうもありません。
「保守論壇の登竜門」はなるほどと思いましたが、なかば信じられません。
Posted by: 西尾幹二 at 2006年05月19日 00:01
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>教育委員会は残念ながら地域住民の意思ではなく、地域学校官僚、指導主事とか教育行政官たちの意思を反映したものでありつずけ、それを壊すことも、超えることもできないできました。
>
>文部科学省にもそこに力はまったく及びません。つくる会が立ち往生している原因はこれです。
西尾先生、そもそも教育委員会をターゲットにしてしまったことが失敗だった、というのが運動の現場にいたものとしての痛恨の反省だったのです。その方針を打ち出した本部にこのことをわかって欲しいというのが、これまで私がうるさく言いつづけてきたことでした。もっとも私には後戻りする力はもう残ってはいませんが。
Posted by: めい at 2006年05月19日 08:17
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問題にされなかった「問題提起」 [新しい歴史教科書をつくる会]
西尾先生は西尾先生なりにhttp://nishiokanji.com/blog/2006/04/post_315.html、藤岡先生は藤岡先生なりにhttp://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2006-04-24、それぞれご自分の周りを固められて落ち着き場所を探されたことで収拾がつきそうな気配である。それはそれでいいのだが、私の「問題提起」はどこでも全く問題にされてはいなかったことに思い至った。顧みれば5年前からいろんな場で執拗に言いつづけてきたことだ。要するに、「教育委員会をターゲットにしたことに誤りがあったのではないか」ということだ。そもそも支部レベルでの運動当事者としての自己反省だったのだが、このたびのドサクサの中であらためてつくる会全体の問題として取り上げるべきことと思われ、発言した。http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-03-19
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-19-1
私からすると、「このたびのドサクサ」は「ドタバタ」でしかない。このままでは、つくる会に関わった(関わらされた)ことへの悔いが「しこり」として固まりかねない。体に悪いので解きほぐす手立てを考えねばならない。私なりの課題である。
「思想」について [新しい歴史教科書をつくる会]
藤岡先生がブログに「家族への侮辱は許せない」と書かれたことで、「思想」とは何かについて考えさせられた。次のコメントを寄せた。
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藤岡先生
あるいは私が言わずもがなのことを言ったばかりにというつらい気持ちで読みました。申し訳ありません。ただ、このたびお書きいただいたことで、私が先生の岳父にあたられる方のご実家当主に、何も知らずにつくる会への賛同者になっていただくべくお願いに行った時、その方が先生とのご関係を明かされる前にそれとなく先生への評価を私にたずねられたときの奥歯にものの挟まった感じのご様子、また、先生が山形にお出での折、喜んでいただけると思っての私の報告への先生のそっけない対応など、私なりの当時の腑に落ちなさがあらためて理解できたような気がします。それにしても、個別的人間関係を超えたところでの社会的関係による個別的人間関係への反作用、いわば思想に内在する業(ごう)は、ひとたび「思想」などというものにかぶれてしまった人間にとっては諦めて引き受けざるをえない業なのではないでしょうか。
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「それにしても」以下は自戒を込めて書いたつもりである。
「思想」とは、「個人的人間関係を超えた社会的関係までも含めた中での自己の位置選択である」というのが当面の答えか。
学者と政治家、あるいは学問と政治―つくる会の失敗 [新しい歴史教科書をつくる会]
西尾先生が日録に、「つくる会」に向けたものとしてはおそらくは最後になるであろう文章を書かれた。http://nishiokanji.com/blog/2006/04/post_314.html
思い起こすことがある。『国民の歴史』が発刊され一大ブームが巻き起こりつつある最中、平成11年の11月、西尾先生に山形へ講演にお出でいただいた。その時、山形選出の当時参院議員小山孝雄氏が講演に先立って挨拶すべく別室で待機しておられた。そのことを知った西尾先生が、ぜひ開会に先立って小山「先生」にご挨拶を、というので私がご案内することになった。われわれにとって小山議員はいわば身内であり、それに比して西尾先生こそ「大先生」である。その「大先生」が小山議員に接するに実に謙遜な態度であられたことが意外だったのである。学者にとって政治家がどういう存在であるかを垣間見せられた。
「ドラマ」を観る思い [新しい歴史教科書をつくる会]
藤岡先生が西尾先生の問いかけにお答えになりました。http://nishiokanji.com/blog/2006/04/post_311.html
西尾先生には「いかりのにがさまた青さ /四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)しはぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」に通ずる精神のありようを感じるし、藤岡先生には先生なりの精一杯の誠実さが汲み取れる。それらはそれらとしてドラマを観るようにスリリングでもある。しかし私にはまだ「ドラマ」でしかない。
私の思いを探っていて下記の記事を思い出した。