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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(65)「新しい金融理論」(3)  [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

管理通貨制度の下、「日銀の借用証に過ぎない紙きれ(不換紙幣)」をなぜ人は安心して「取引」に使っているその本当の理由は何か? その答えのひとつが、「通貨の価値を裏付けるものは、租税を徴収する国家権力である」という「租税貨幣論」。それに対してmespesadoさんの考察の行き着いたところは、絶え間なく事実によって強化され続ける「円を店に持っていけば、その金額に見合った価値の商品と取り換えてもらえるはずだ」という「信仰」こそが、「円」という「不換紙幣」が現実に通用している根拠になっている〉という「貨幣信仰論」。要するに、みんなそう思ってるからそうしているしそうなっている、それ以上でも以下でもない。そこでmesさん、この「貨幣信仰論」ですが、「租税貨幣論」のような理論と質的にどこか「次元が違う」ような気がしませんか?》。持ち出されたのが「死刑囚のパズル」。「計算」で成り立つ「論理」の世界と、「忖度」で成り立つ「現実」の世界、その「次元の違い」があぶり出されます。計量経済学者の視野が狭いのは、この「計算」という狭い世界に閉じこもっていることがその根本原因であるように思えてなりません。》「もっともらしい数式自体ほとんど何の意味もない」という「新しい金融理論」(1) の結論と同じ。mespesadoさんによって、学者世界がことごとく相対化されつつある様が見えてきます。

新しい「令和」の時代が始まろうとしています。「権威」からも「先入観」からも自由になって、「自灯明」明石原人さん)に照らされつつ新たな「ほんとうの世界」を切り拓いてゆくこと。——あらためて、飯山師が遺された「放知技精神」のように思えたところです。

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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(64)「新しい金融理論」(2)  [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

「なんとなく」そう思ってわかったつもり、それを「すっきり」わからせてくれるのがmespesadoさんのすごさです。頭のスッキリ度が試されます。

以前『お金の秘密』(安西正鷹著)を読んでアマゾンレビューにこう書きました。《お金の仕組みのいかがわしさは「信用創造」において極まる。銀行から借金して通帳に書き込まれる数字には原価も何もない。しかしその数字が記入されるやいなや、その対価として、その数字に利息を加えて「稼ぎ」によって小さくしてゆかねばならない義務が生ずる。こうして国も企業も個人もこの幻に過ぎない数字に追いまくられた日々を強いられる世の中になってしまっている。》

しかし、mespesadoさんによってスッキリわかるようになったのは、「企業も個人も」はそうであっても、外国から借金しているわけではない「国」はそうではないということです。その機序についての、見事な解明です。


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421:mespesado:
2019/04/28 (Sun) 01:00:48

 そろそろ >>261 新しい金融理論」の続きとしてMMTに関する記事を書こうと思います。
 人によってはMMTに「漏れなく付いている」ということになっているのが「貨幣負債論」「租税貨幣論」なのですが、今回は前者についてです。
 「貨幣負債論」とは、管理貨幣制度において、貨幣というものが金貨のような「現物」ではなく、「単なる貸し借りの記録」に過ぎない、と主張するものです。
  多くの人が、今でもオカネというものを、金塊そのものではないが、それに近い、何か実体のある「モノ」であるように考えています。確かに「硬貨」とか「日本銀行券」とかは金属や紙でできた「実態のあるモノ」ですが、多くの人は、それだけが「真の」オカネであり、それ以外の、例えば銀行の預金口座の数字など は、オカネそのものではなく、必要な時に「実態のあるオカネ」である硬貨や紙幣に交換してくれるからこそ価値があるのであって、この「預金口座の数字」そ のものはオカネではない、と考えている節があります。だからこそ街中至る所にATMが設置してあって、みなサイフが空になると、ATMで「預金」という 「単なる数字」を、硬貨や日本銀行券という「実体のあるオカネ」と「交換」して安心するわけですね。

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