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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(番外21) 「愛国心」は自然の情 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

前記事《これからの時代(いつに時代もそうですが)、「日本人にとって何がほんとうの幸福か」を柱に据えるべきなのです。》と書きつつ、「日本人」と「日本人でない」ことの境は何か、ということが頭をよぎります。8日に、mesさんによる独自の「国家論」が展開されたばかりでした。「国家」くらいの「等質さ」が通婚可能な最大集団としては最も都合が良い。/通婚可能であれば、個々の個人の個別の遺伝子が子孫を残すのに都合が良いので、通婚可能な集団は互いに助け合う方が遺伝子のコピーに都合が良いので、集団本能として「互いに助け合う」ようになる。これの本能的ベースが「愛」。その互いの助け合いが大変よく機能しているのが日本人という集団(つまり日本という 国家)ですね。》目からウロコ、ややこしい理屈抜き、わかりやすくすべてをカバーしてしまっています。要するに「愛国心」は自然の情なのです。ポリコレ感覚、サヨク感覚というのは、無理に捩じ曲げられてしまった感覚です。まっとうな世の中になるにつれ、元に戻ります。昭和38年(1963)のこと、大井魁先生《何よりも望まれるのは、日本の五十万の教師の自覚である。日本国の理性的ナショナリズムの形成は、まず日本の教師たちの先覚者的任務の自覚からはじまらなければなるまい。》(「日本国ナショナリズムの形成」『中央公論』)と書いて「危険な思想家」視されたものでした。昭和53年(1978)第一回菊と市民のカーニバル、その先導を自衛隊音楽隊にお願いしたところ、宮内小学校から「自衛隊が来るなら協力できない」とクレームが入り、やむなく音楽隊はカーニバルの隊列から外れて、ずーっと先の前ぶれ隊として演奏していただいたことがありました。このことを思い出すと、天皇御退位に伴う新元号「令和」移行に湧く今の日本は隔世の感です。(「自衛隊アレルギー」と「天皇アレルギー」の解消→日本人の共通意思形成

ふと思ったのですが、自然の情としての「愛国心」は「インセストタブー(近親相姦忌避)」感覚と同根であるような気がします。「インセストタブー」という言葉は、昭和41年(1966)に今西錦司先生の「文化人類学」講義で初めて知りました。サル社会にもインセストタブーがあるというものでした。(今西先生については、「安倍評価」に転回する前に、「安倍総理的感覚がダメな理由」という記事の中で書いていました。→https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2016-07-31)

以下、wikipediaからです。

サルの研究では、まず1950年代に徳田喜三郎が京都動物園のアカギザル・カニクイザルの間では母息子間の性行為がないことを指摘。その後、サル学者の高畑由紀夫は、ニホンザルの 群れの交尾2000例あまりのうち、一親等にあたる個体間の交尾例はゼロ、二親等で5例、三親等でもわずか7例に過ぎなかったことを報告している。ただし、サルの群れは若く立場が弱いオスが年長の権力的なオスに追い出されたりもする社会であるために父親が認知しにくく、この観察結果は母系の血縁のみを反映していることに注意が必要である。ゴリラは幼いころから一緒に育ったゴリラとは決して交尾しないことは有名であり、その他多くの哺乳類は野生下では繁殖 に際して近親交配を避ける行動をとる。ハダカデバネズミテッポウエビのように近親交配を重ねる生物も知られているが、極めて少数であり、独特の生態を発達させている。

一方で、遺伝学者パトリック・ベイトソン鳥類で示したように、多くの動物は近親個体とあまりにかけ離れすぎていない個体をつがい相手として好む。ベイトソンは日本のウズラを用いた実験で、一緒に育てられたきょうだいだけではなく血縁が全くない個体も交配相手として避けられ、いとこが交配相手に選ばれる確率が高いことを発見した[16]。この場合の究極要因はかけ離れすぎた相手との配偶が異系交配のリスクを高めるためだと推測されている。また、生殖に関係ない範囲においてはボノボやチンパンジーで性的に未熟な息子と母親の交尾が観察されることもある[17]。動物がどのようにして近親者を認知しているかについて明らかになっていることは少ないが、幼年時に共に育った個体や親を近親者と認識することをウェスターマーク効果と呼び、ヒトも含めたいくつかの哺乳類で同様の効果が知られている。》これに対応する以下のmes理論です。

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