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あかきこころ [神道天行居]

先日書いた「追悼 熊野秀彦先生(9) お別れ会(仙台)」の中で、初めて友清歓真先生の文章に触れたときのことを思い出しつつ、《「宗教的」といっても、決して自己を絶対化することなく、常に自らを相対化して止まない基調音に何よりも好感をもつようになっていました。友清神学の基底をなす審神(さにわ)の精神が文章のいたるところから伝わってきました。ウソやハッタリではない、信ずるに足るホンモノだと確信できました。》と書いた。その時は頭になかったのだが、今日たまたま昭和十年八月の御神示に行きあたって「あっ、これだった!」と思い、書き留めておくことにします。友清先生にはその記録を積み上げれば背丈を超えるほどの御神示があったそうですが、石城山開山後そのほとんどすべて焼却されたそうです。『同志必携』(手帳判)には三つの御神示のみが載っており、その一つです。


  昭和十年八月三日神示


あかきこころをあかしとすれぼきたなし。


きたなきこころをきたなしとすればあかし。


あかきこころをあかしとせざればあかし。


きたなきこころをきたなしとせざればきたなし。


あかきこころをきたなしとすればけがる。


きたなきこころをあかしとすればきたなきくにへゆく。


「あかきこころ」とは。友清歓真全集を典拠にそれぞれの用語について明らかにした『天行居用語辞典』から引いておきます。「雑念がとれたところの清浄心なるものは雑念の本家である。」との言い切りは、友清先生のレトリックの真骨頂です。高僧の「悟り」にふれた最も深い「吉本隆明論」(若松英輔さん)を思い出しました。「悟ったと思う妄念という危うさ」です。この危うさの自覚を友清先生は決して忘れません。熊野先生もきっとそうでした。傲慢さとはもっとも無縁に見えました。求めるべきはるかな道がはっきりと見えていたからにちがいありません。その道をしっかり歩んでおられたのです。


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追悼 熊野秀彦先生(10) 先生の御遺言 [神道天行居]

昨年6月竹さんがさくらんぼをお送りし、そのお返しとして秋10月頃野先生から瀬戸内の魚の干物をいただいた。御礼を申し上げるべくお電話を差し上げた。電話口に出られたのは奥様だったが、折よく先生が手洗いに起きて来られたとのことで、先生とお話しすることができた。ずっと床に臥しておられたとのことだが、いつも同様きりっとしたお声だったという。そして言われたことは、「くれぐれも修法に励むよう」とのことだった。先生のそのお言葉、どれだけの思いを込められていたか、先生が御帰天された今、実にひしひしと胸に迫る。あれこれ弁解めいたことを書いても詮無いので、深く自戒を込めて、『古道』平成410月号に熊野先生が書かれた「石城山より」を写させていただく。先生の御遺言と受け止める。


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追悼 熊野秀彦先生(9) お別れ会(仙台) [神道天行居]

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67日、仙台青葉神社で斎行された東北神咒奉唱大会で、熊野先生のお別れ会の開催を知らされ、13日、竹さんとともに参加してきました。


私たち置賜天行居同志として東北神咒奉唱大会に初めて参加したのは、昭和62年だったと思います。それまで何度か本部での修斎会に参加し、無言潔斎の中でお聴きする熊野先生の御講話に、それまで全く知らなかった世界の広がりを実感するようになっていました。そうした折、われわれに天行居を教えてくれた先輩同志長谷川平内さんの「仙台に熊野先生がお出でになるから行ってみないか」という誘い、一も二もなく馳せ参じたのでした。


長谷川さんを通して聞いていたことでしたが、天行居が大ゆれに揺れたという「(宗主継承に関わる)憲範問題」の渦中に東北が巻き込まれ、まだその余韻がくすぶっている時代でした。このたびお聞きしたのですが、そういう中、当時の友清操宗主(先師友清先生の奥様)の命を受けての熊野先生東北派遣だったのだそうです。奥津彦重先生(渡部悌治先生の岳父)と小野浩先生を擁する東北帝国大学独文学を拠点に広がった東北の天行居同志たちとの関係修復という大きな使命を熊野先生は担っておられたのです。天行居のその辺の事情について当時新参の私たちはほとんど何もわかってはいませんでしたが、最近になってその深刻さを実感させられることがありました。実は昨年の東北神咒奉唱大会の報告記事に書いた小野浩元宗主先生の部分が削除されて、文意が汲み取りにくくなっていたのです。

 

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『宇宙人ユミットからの手紙』 「死んでも通用する生き方」が要請される世の中へ [神道天行居]

熊野先生の御帰天につづいて、二日に一度以上顔を合わせていた齊藤氏の生きるか死ぬかの大病。そんな折、わけがわからないけれどもなぜか面白くて読んできた『物理で語り尽くすUFO・あの世・神様の世界』(保江邦夫×井口和基 ヒカルランド 2015)で知って、『宇宙人ユミットからの手紙』(ジャン=ピエール・プチ 徳間書店 2007)へ。先日来『フェヒナー博士の 死後の世界は実在します』(グスタフ・フェヒナー 服部千佳子訳 成甲書房 2008)とも相俟って、天行居信条第十条「私どもは人々が死後なほ現世の如く人格的に生活することを原則として確知し、現世の如くに弥栄の道、天行の道に精進し修養努力するものであることを信じて疑ふ余地がありませぬ(原則外の変態現象もあります)」がいよいよリアルになってくる。じっくり読んでみたくて『宇宙人ユミットからの手紙』の〈14 「この世」と「あの世」〉をOCRで読みとった。


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追悼 熊野秀彦先生(8) 先生の御覚悟「磐中隠の精神」 [神道天行居]

今朝起きしなに読んだのが飯山一郎氏の次の記事だった。
http://grnba.com/iiyama/index.html#ss05121

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◆2015/05/12(火) 日 本

美しい国だった…

鷲は世界中を歩き、日本国内も隈なく歩いてきたが…、やはり日本は、ほんと、人も風土も美しい国だった。
その日本の美しさを充分に堪能させてもらった鷲は、仕合せ者だった…。

しかし、日本の美しさを知らない日本の子供たちのことを思うと…、本当に可哀想(かわいそう)でならない。

この感情は、つぎの瞬間、殺意に似た憤怒(ふんぬ)の激情に変わるのだが…、これは(今のところは)“一人涙”で解消するしかない。

くやしくて かなしくて やりきれない。

「日本が17機導入するオスプレイ1機あたりの価格が190億円で、製造原価は5億円」←とかと、米海軍系列メディアであるUSNI Newsに日本自衛隊用V-22オスプレイの価格について記事が出ていた!の、それはデマだ!のと、かまびすしい議論がネットでも盛んだ。
どーでもE~くだらん議論だ。

正確な数字は黒い闇の中なんだし…、日本が今までに米国に貢いできた総額3000兆円以上!という異常に膨大なカネからすれば蚤(のみ)のキンタマだ。

そんなことより、今は、国家3年の大計だ。

今の日本は、国家百年の大計などは到底無理だ。
なぜか?

百年後、どころか10年後の日本列島には、「日本」という国はないからだ。たぶん「日本民族」も存在していないだろう。日本列島という島嶼(とうしょ、大小の島々)も、54基の原発が全てメルトダウンしていて、居住不能だろう。

いや!残り50基がメルトダウンしないよう、世界が何らかの手を打つ可能性も高い。残り50基の原発がメルトダウンしたら、世界全体が終わりになるからだ。

それよりも、今は…、今後3年の間に、一人でも多くの日本人が如何にして生き延びてゆくか? そのため国家3年の大計を建てなくてはいけない!

3年後に、日本の人口(現在は9500万人)は、7000万人くらいになる。この人口激減の過程で、日本政府の統治能力は失われる。

しかし、日本政府はガバナビリティ(統治能力)の喪失を自覚できない体質だから、内憂外患の法則によって弾圧や戦争に走ろうとする。

たぶん、西沙諸島か南沙諸島で中国軍と一悶着があり、米軍が高みの見物をするなか、我が軍は、中国軍に壊滅させられる。

そんなことが切っ掛けとなって、国連の安保理事会は全会一致で 「日本国を国際管理下に移行する!」 との決定が下され…、たぶんプーチンと習近平がリードをとって、京都あたりに日本統治の臨時政府がつくられる…。

臨時政府は、世界の同意と支持を得るために、「人道上の見地から、日本人の海外移住と移民に総力をあげる!」と宣言するだろう…。

上のようなシナリオを念頭において…、志(こころざし)の高い日本国士たちは、一人でも多くの日本人(とくに子供たち)を生き延びさせるための国家3年の大計を練りはじめねばならない。

わが国が、わが日本民族が、ここまで追い詰められている! という自覚が、今の日本の知識人には皆無だが…、たとえばプーチンは「日本民族活用!のシナリオ」を描き終っているようだ。

さぁ、ロシアに行くぞ!
…と覚悟を固め、心の準備をはじめよう!>皆の衆

飯山 一郎

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追悼 熊野秀彦先生(7) フネと天の咲手について(下)・信条私記余瀝・ [神道天行居]

お話の端々からその求道の思いが伝わってきたものでしたが、熊野先生は若い頃から剣の道に入られ、生涯に亘って居合の道を極めんとしておられました。熊野先生が到達されていたその高みは私には想像すらできません。先生はいつも話される対象のレベルに下りて語られましたが、霊学に関しても先生の居られた地点は想像を超えたところです。だから、熊野先生がそこに居られる、その御存在自体、それだけでありがたい、そういう方でした。

 

「信条私記」の締めは、先生が到達されていた世界、先生にとっての「ウチツシマ」に在って書かれた文章に思えます。そこにおのずと先師友清歓真先生との感応が生れ、先師御文章の引用になったのだと察します。そして最後は古事記と老子です。高みを拝することができるだけでありがたい、今の私にはそう言えるだけです。

 

まろかれへの万有和合的情緒乃ち「うるわしき、やまとごころ」を以て、もろもろの複雑な事象に対する峻烈単純な他者批判や対立意識の醸成されやすい地上的雰囲気を一掃することが必要なのであります。》このことを自ら体現しておられた熊野先生でした。


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追悼 熊野秀彦先生(6) フネと天の咲手について(上)・信条私記余瀝・ [神道天行居]

「信条私記余瀝(上)(下)」がありました。極めて重要なことどもを、人間熊野先生の自在心を縦横無尽に張り巡らしつつ展開される凄い文章です。

 

昨日6月7日に開催の「東北神咒奉唱大会」の件で東北支部長さんからお電話いただきました。御帰天後の熊野先生の御立場についてお話しされました。私の思いとぴったり重なりました。あえて「人間熊野先生」と書きましたが、平成12年11月、大和神社例大祭後の直会の席、そこで語られていた熊野先生のご様子について「お釈迦様やイエスの説法の場面もこのような様子だったのではあるまいか」と記しました。私たちにとって、人間として在った熊野先生と今在る熊野先生との間に差異はないのです。よりストレートに、身近になったように思います。「信条私記余瀝」は、熊野先生の肉声が読むほどに、時にはずしんと、時にはふんわりと心に伝わる力のある、何度も何度も読み返したい文章です。

 

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追悼 熊野秀彦先生(5) 「信条私記(下)」 [神道天行居]

若松英輔氏がはじめて吉本隆明と会って話した時の体験を書いた文章がある。


《「あなたは、老いと悟りの問題をどう考えますか。悟りというものはあるのでしょうか。」こう述べた後、こちらがどんな人間か自己紹介をする間もなく、吉本さんは、十分間ほど自分の考えを述べ続けた。自分も知っている、ある高齢の、高僧と言われた人が自殺した。宗教的な悟りと言われているものは、じつは人間を根源から幸福にするものではないのではないか。それは、人生の秘密を告げ知らせるものではないのではないか、というのである。さらに彼は、悟りとよばれる現象はあるにしても、それは生きるということにおいてはほとんど意味を持たないのではないか、とも言った。その語り口は、何か身に迫るものを感じさせた。この問いを見極めることに人生の大事がある、という風にすら映った。

 語られたことは、それを話す吉本さんの必死の姿ゆえに今も鮮明に記憶されている。その姿からは、悟りとは、山の頂上に登るような到達の経歴ではなく、どうにか生き抜こうとする持続ではないかと問う声が響いてくるようでもあった。概念として「悟り」が語られ、それを目指すという営みが起こるとき、人はかえって真に悟りと呼ぶべきものから遠ざかる、というのだろう。》


この文章について私は《吉本隆明と若松英輔という希有な出会いが、「悟り」というものをあっけなく相対化してしまうという歴史的文章》と評した。(最も深い「吉本隆明論」) このたび「信条私記()」を読んで、私の中に育てられていた「天行居的感覚」が若松氏の文章に反応したことを知った。


信条私記()」では「天行居的感覚の原点」が示される。そこに見えるのは数葉の葉をつけた一枝のサカキのすっきりした霊的容姿》である。それでいいのだ・・・と言いつつ、最後を「葦原の 瑞穂の国は神ながら 言あげせぬ国 然れども 千重浪しきに 言挙げぞ吾がする」で締められるのが、なんとも涙が出るほど熊野先生なのだ。「 千重浪しきに」寄せる言葉を、その都度決死の思いを以て私どもに示されたことが心底ありがたい。叱咤をしっかり受け止めねば、と思う


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追悼 熊野秀彦先生(4) 「信条私記(中)」 [神道天行居]

ふと「神学」と「霊学」の二つはどうちがうのかと思って、「神学と霊学」で検索したら、最初に出たのが神道霊学 (神道天行居) - Wikipediaだった。見てみると「・・・について」といった概念的記述であり、実在からは程遠い。それにしても天行居についてここまでウィキペディアで取り上げられていることに驚いた。


「神学と霊学」を思ったのは、「友清神学」と「熊野霊学」という言葉が思い浮かんだからだった。友清先生の軸足が神界に在るのに対して、熊野先生の軸足はあくまで人間界に在っての神界展望である。友清先生の「神性」に対して、熊野先生の「霊性」と言ってもいい。ともあれ、「信条私記(中)」には「熊野霊学」の精髄が詰まっている。読むほどに深い。


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追悼 熊野秀彦先生(3) 「信条私記(上)」 [神道天行居]

熊野先生に公刊された著作はない。ただ熊野先生が修斎会等での講義で用いられた資料(A4判100頁)、「神啓録」「信条私記」を一冊にした和綴B5判63頁、『古道』に書かれた文章を有志がコピーして熊野先生から「序に代えて」と「あとがき」をいただいてまとめた『石城山古神道探求の秘鍵 真十日神身(マスカガミ)』(A3判107頁)、その他、私が以前紹介したことのある、先生がその都度おそらく自動筆記のようにして書かれたと思われる御文章の数々、いずれもまだまだ何度も読みたい、読まねばならない宝の山が私の手元にはある。3年前、先生に最後にお会いしたとき、それらをこの場で公開させていただくことのご諒解を得た。ところがそれからなかなか先に進まずにいまを迎えてしまった。されるだけ今しておかねば、と気が急く。先生は先ずもってどこから読んで欲しいと思っておられるか。そして『信条私記』(上中下)に行き当たった。何よりも自分がじっくり読んでみたい、それが選択の基準なのだが。

 

今読んだからまっこと「腑に落ちた」のが冒頭の僧行賀のエピソードだった。

 

《何かに「ついて」語ろうとするとき人は、貧しい概念の周辺をうろついているだけかもしれない。しかし、何か「を」生きるとき人は、実在にふれている。》若松英輔「『概念』を突破し、再び『実在』へ」 中島岳志×若松英輔『現代の超克』ミシマ社 26


「それこそそれ」、まさにこのことなのではないか。熊野先生も同じことを思い、言っておられた、このことがほんとうにうれしかった。


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