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追悼 熊野秀彦先生(10) 先生の御遺言 [神道天行居]

昨年6月竹さんがさくらんぼをお送りし、そのお返しとして秋10月頃野先生から瀬戸内の魚の干物をいただいた。御礼を申し上げるべくお電話を差し上げた。電話口に出られたのは奥様だったが、折よく先生が手洗いに起きて来られたとのことで、先生とお話しすることができた。ずっと床に臥しておられたとのことだが、いつも同様きりっとしたお声だったという。そして言われたことは、「くれぐれも修法に励むよう」とのことだった。先生のそのお言葉、どれだけの思いを込められていたか、先生が御帰天された今、実にひしひしと胸に迫る。あれこれ弁解めいたことを書いても詮無いので、深く自戒を込めて、『古道』平成410月号に熊野先生が書かれた「石城山より」を写させていただく。先生の御遺言と受け止める。


石城山より(『古道』平成410月号)

 神法道術は私共天行居同志の生命でありますが、そこにもタテとヨコとの関係が歴然として居ります。

 神法の「神」は太初天孫降臨に具象せられた、天上より天降るタテの気線であり、厳然たる実在そのものでありますが、その探究は正しい「法」を以てせねば、神的御存在の把握は、人間の思惟や憶測の域を一歩も出ないのであります。この場合「法」の施行や錬磨は人間の地上的努力に委ねられて居り、「法」は明かにひとのみちをつくすヨコの気線を象徴しているのであります。

 道術の「道」は先験的な万古不易の人天の筋道を示し、儼乎たる神律として人の世に臨むタテの立場であり、これを窮めんとする人間のヨコの霊的努力が「術」であります。

 要するに|一(タテヨコ)の十(ムスビ)の成就は、「ひとのみちをつくしてかみにたのめ」と、山上の天啓に示された、陰陽なりたらいたる神秘に満ちたものであります。

 この故に如何なる高次元の神法道術も、各自の「真十日神身(マスカガミ)」を以て渾身の至誠を披瀝した、実地の修行を重ねぬ限り、その人にとってはまさに絵に書いた餅に過ぎないのであります。

 日々の平凡な生活の中で自他の神魂を浄め、招福を祈り、やまとをひらきていはとをひらく、大神業翼賛の特殊な大使命のもとに生涯を送迎する天行居同志が、正午の神咒(カジリ)を中心とした各種祈願修法並びに様々な祭典に全霊力を挙げて、悔無き霊鬪を奉仕し奉るために、ニつの重要な要件があります。その一つは先般来繰返し申し上げて参りました、信条及心得並びに信白文艸藁の、この世に得がたい正しい信念の根基に親炙(シンシャ)これを暗誦することによる、自己意識の浄化と顕幽相通の道に関する、確乎たる信念の樹立であります。今一つは毎日の零細な時間を糧とした常住不断の、自己の真澄日神身の強化のための持続的努力であります。長年の間には自から日常の祈願修法により、これらのことは自然に成就致しますが、大機進行中の事態の切迫を告げる今日、更らに捷路(ショウロ/ちかみち)を云うなれば、特にこの場合もヨコの気線に集中した修法により、自らの真澄日神身をなるべく速かに霊悟するにあります。

 いわゆる祈願修法は、神界に対するタテの気線であり、高次元界に対する動昇降の元理に基づく上下関係であります。その祈願修法を更らに強化向上させるためには、ヨコの修行、自修鎮魂による真澄日神身の自覚への大努力を要するのであります。つまり目的意識をもった祈願修法は(これは身近かな願望達成の個人的祈願も、やがては天関打開の大祈願に収束されて同質のものとなるのですが)高皇産霊(タテ)であり、自らを養う自修鎮魂は神皇産霊(ヨコ)であります。先師の申される修行に賓主の別があるとは、この事を述べて居られるのであります。何の道もすべて顕幽を一貫した究極の道は、実にこのタテヨコの調和達成にあります。本田親徳先生の「理(ミチスジ)」の神歌に「独立独行倍伎経緯乃此理之神随奈留(ヒトリタチヒトリユクべキタテヨコノコノミチスジシカムナガラナル)」「踏分与吾経緯乃理波吾大神能敷坐留道(フミワケヨアガタテヨコノミチスジハアガオホカミノシキマセルミチ)」とありますが、いみじくもこの大神理を述べて居られるのであります。斎行の時と次第を定めて厳修する御神前でのお祭を、タテと致しますれば、世俗の事に従うとき、人知れず修するものはヨコであり、顕斎と幽斎との別ちに似たものがあります。バスを待つ間とか、読書に疲れて閉目し椅子によるひとときや、朝のめざめの直後、或は就寝の直前床上に端座閉目して行うも宜しく、神気充溢の折は、事務室で人と雑談していても尾てい骨に熱気の移動を感じる人は多いと存じます。寸暇を惜んで常住座臥到る処で「保豆祢神語(ホズネノカムコト)」や「返本魂霊唱(ヘンホンコンレイショウ)」「招運魂神語(ショウウンコンシンゴ)」等を、口中に唱え奉る喜びは何ものにも替え難い黄金の時間帯であります。この自修鎮魂の妙味を知るときは、車中、週刊誌や新聞を読むなどは泥水で手を洗う愚であります、天行居同志にとってはまさに光陰の惜むべきを知らぬ行為でありましよう。通勤の電車の中などは誰に気兼ねも無い世に得難い独りの時間でありますから「九柱神(ココノツノハシラ)に感(カマ)け通う秘言」や「厭除悪念秘詞(エンジョアクネンヒシ)」などを念誦し、時には「仙伝奏三景神秘詞(センデンソウサンケイシンヒシ)」や「鎮魂神伝秘辞」などを黙唱することなど、何れも尊いヨコの自修鎮魂の不断の努力と申すべきであります。こうした修法の日常性が、然るべきタテ関係の祭典神事に烈々たる修法力を発揮するための、貴重な蓄積行為となるのであります。

 こうしたタテヨコのバランスのとれた日常生活の中で、次第に自己の本体である真澄日神身(マスカガミ)の霊体認識が明確となるのでありますが、それが温熱の気の流動による肉体的な感覚であれ、閉目中の光明体験であれ、睡眠中の夢感現象であれ、すべてが

自己の真澄日神身の顕在化に繋がるもので、それは石城山結縁の同志には、一途に正則の法に集中することにより、容易に通達することで特に霊媒体質の人間でなくては体験出来ぬ、ほの暗い陰影の世界の消息では決して無いのであります。これらはすべて先師が信白文艸藁(シンパクブンソウコウ)で強調せられた人間の本質「真澄日神身」の顕在化であります。この真澄日神身は神道天行居を以て嚆矢(はじめ)となす、古今独歩の先師の御言立(コトダテ)であり、地上界人類の真姿を直示し給うと共に、幽真界と地上界の中間に存在して神秘霊妙を極める人神の実体を初めて三次元世界に開明せられたものであり、ヤマトビラキの使徒として人の道を尽した活躍が期待せられる人間の可能性を、平明端的に表現せられたものであります。

 

信白文草藁 古道より.jpg

憤怒恐愕苦痛恐怖不安等ノ諸々ノ念想ハむすひノ影ノー時的轉變ニシテ實體無ク存在無キモノナリ之を實體アリ存在セリト妄執スレバ虚妄ノ實體アルガ如ク虚妄ノ存在アルガ如ク自他ノ本霊ヲ昧却ス自他ノ本霊ハ久遠ヨリ未来際を尽シテ絶對清明ナル真澄日神身ニシテ仮リニモ變動アルコト無シ日夜萬縁ノ上二這ノ正見ヲ照ラシテ虚妄ノ影響に超然タル可シ此ノ正見ヲ日々萬境二應ジテ長養スルコト修道ノ正路ニシテ要ハ此ノ金剛信念ヲ薫習長養シテ轉退セザルニ在り此ノ金剛信念ハ妄想に非ズシテー切妄想ヲ照破スル天日ノ光明也之ヲ疑フヲ妄想ト為ス

 

幽顕寤寐只是レ真澄ノ産霊ノ神遊ビナルコトヲ明カニ見究メテ物ヲ物シテ物二物セラレズ萬縁に應ジテ身心ヲ労セズ不變不易霊妙不思議ノ大霊光タル我カ真澄日神身ヲ正見シテー切事上ドウスルコトモイラヌコトヲ知リ一切ノ是非得失二絶對無関係ナルコトヲ忘レズ或ハ悠々タル白雲ノ千峰萬峰ヲ飛ブカ如ク或ハ………還来著衫為主人(カエリキタリテサンヲチャクシシュジントナル)カ如ク無篤ヲ篤シ無事ヲ事トシ不出戸知天下不窺牒見天道(コヲイデズシテテンカヲシリユウヲウカガワズシテテンドウヲミル)、坦々蕩々トシテ太古ノ人ノ如カルベシ如何ナル事變モ皆是レ電光影裏春風ノ去来ニシテ夢裡ノ閑葛藤ナリ(信白文艸藁)


熊野先生、ありがとうございました。さらなる御啓導お願い申し上げます。
(「追悼 熊野秀彦先生」を一応ここで区切らせていただきます)

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めい

熊野先生の御遺言は、安倍政権が身を置きそれを絶対視する世界とは別次元の世界があり、今後その世界の方がいよいよ重みを増してくることの預言でもあります。

《(安倍政権にはそれしか見えていない)そのような日本人にならない選択肢も僅かに残される。》とあいば氏が言う、「僅かな選択肢」から大きな世界が広がりつつあることを予感します。

世相を斬る あいば達也
「デモクラシーの限界 その先にあるもの」という視点に立って世相を斬る。唯我独尊の誹り怖れずhttp://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/59ed559190408c109632191992194f54

   *   *   *   *   *

●「接続可能」という言いたがる安倍 意味を理解してる?

安倍晋三が到底耳にしたことがないような言葉を、ここ一年半程になるが、頻繁に使い出した。「普遍的価値」と「接続可能」という言葉だ。この言葉を、あの舌足らずの早口で口にしたときは、必ず目をパチクリさせて、最後に上手く交わしたと言わんばかりの顔つきでニタリと笑う。この二つのワードは、宗主国アメリカ様の覇権よ永遠なれと宣言していると云う事だ。安倍のオツムだと、独立した主権国家になる為には、軍隊を保有し、好きな時に好きなだけ交戦可能な軍隊を持つことだと思い込んでいる。その自己決定は、民主主義に則り、時の政権が選択肢を持っている、と理解している。

この自由な選択肢があると考えるところに(思い違いしている)、大変な誤謬があるのだが、素知らぬ顔をしている。安倍が法解釈をどこまでも歪曲して、安保法制を国会で通過させようとしている姿の中に、知ってか、知らずにか、判別できない面がある。集団的自衛権の行使において、海外派兵すると云う事は、現状では日米安保の枠組みでの話しだから、常に米軍を補完すると云う意味合いを持つ。その事実を知ってか知らずか、これが独立国の主権を象徴するものだと言い募るところが、滑稽だけど、非常に怖い。

結果論だが、欧米型の普遍的価値観と接続可能な世界と云うのは、アメリカの覇権こそが、この世のすべてだと言っているに等しい。また、接続可能と云う言葉は、既得権益の社会構造を守り抜くと云う事で、改革、イノベーション‥などと捲し立てるが、何ひとつ変えないどころか、一層深くアメリカとの関係強化に乗り出したという事になる。それも、米軍との集団的自衛権行使の容認とTPPがセットになれば、これは不用意に使いたくない言葉だが「売国」である。自己決定権を保有するように努めるどこか、完全放棄を宣言するに等しいのだ。

この安倍政権の決定は、アーミテージとナイによって、官邸に命じられたものであることは、9分9厘間違いがない。一定の教養を身に着けて、政治に興味を持てば、このカラクリは明白に見えてくる。ゆえに、本気で保守な連中も、リベラルの人種も、安保法制とTPPに異議を唱えるわけである。この、あまりにも酷い売国行為に異議を唱えない人々がかなり居ることには驚愕だが、これが守銭奴的生活に慣れてしまった国民の真の姿であるのなら、これも運命と諦めるしかなさそうだ。

ただ、アメリカの日本支配が決定的になり、軍事と云う面で、米軍は、常時、日本の自衛隊の役割分担を、自明のように割り振ってくる事になる。これを、断固断るような蛮勇ある政治家は、偽りの三権分立、司法の手で、公人の資格を、何らかの形で失うことになる。こと此処に至っても、日本人の多くの興味は、自らの生活をどうするか、どうやって豊かになるか、どうやって楽に生きて行こうか、そう云う興味にしか、目が行き届かない洗脳が充分になされている。大宅壮一の「1億総白雉」は、ほぼ完ぺきに出来上がったことになる。アメリカが唯一、支配に成功した属国のモデルとして、歴史に名を残すに違いない。

しかし、このアリ地獄に落ちて、もがき苦しむのは、現時点で言えば、40代より若い人々になるだろう。生まれていない子供が、この世に出てきたことには、徴兵制が敷かれ、男女共々、軍隊に入隊しなければならなくなっているだろう。そして、アメリカ人の替わりに、戦死者を多数出す憂き目に遭うだろう。それでなくても、少子化が進行しているのに、更に米軍の代理戦争で若者が減ってゆく。女子の軍隊での扱いは、イラク戦争以降の米軍の姿を見れば、言わずもがな理解出来るが、オス兵隊の激情を安寧にさせる役割分担を与えられるのは、世の常である。

異常だけでも阿鼻叫喚だが、これにTPPが乗っかるのだから、もう最悪だ。アメリカと云う国に支配されていると自覚出来るのは、軍事の面だけで、日本人の得意の生活感の中で、知らない内に強欲マネーに支配される。当初は、生活者である国民にとって、あらゆるものが自由競争で価格破壊が起きるので、喜ぶ。しかし、マネーは人間の生き血を吸うのが本質なのだから、歓び歓迎している連中の家の柱を食い尽くすわけで、シロアリそっくりだ。マネーの力と云うのは、蟻のレベルではなくステルスなわけで、主体(正体)が目視出来ないので、非常に厄介な魔物である。

このマネーと云う魔物は、食い物に毒を入れても安ければいい、儲かれば良いの原型のようなものだから、人でも、木々でも、空気も、水も、土も食い尽くす。弱者や老人は無用の長物、合理的生産性や富を持たざる者は、放置状態に追い込むことで、食い扶持が減るように合法的に遺棄する。こうなると、手のつけようがなくなる。しかし、日本人のすべてがそういう境遇になる訳ではない。そのような日本人にならない選択肢も僅かに残される。人間種からマネー種に変身することだ。擬態でも目先は誤魔化すことは可能だ。相手は無機質だから、心眼持っていない。まあ、50代以上の人々は、メザシと菜っ葉に生卵、アメリカさんの遺伝子組み換えライスでも食べてでも、生き残ることは可能だろう。月額12万の年金が「少ねぇ」と文句を言うなど、夢のまた夢になる。粗食の練習と、ぽっくり死ぬ研究でもするのが賢明だ(笑)。あまり、適時適切な手段は浮かばない。さとりの境地が最も苦しまずに済むだろう。南無阿弥陀仏だね。

by めい (2015-07-03 05:32) 

senya51

はじめまして。。。

意外なところで熊野先生のお言葉を拝聴でき感謝いたします。
古道で先生が帰天されたのを知り、漸く開放されて自由になられたのだとの思いが強く、過去に幾度かご指導いただいたことが思い起こされました。

もう随分と前のことですが・・・
講話の際に「信条をただつらつらと読むのではなく、しっかりと記憶なさい」とのご指導が再三あり、ようやく最近になってそれを実行すべく努力ができるようになってきました。

記事を拝見して・・・
真面目に神法道術の修行を行わなければと心新たに思を強くしました。

本当にありがとうございました。感謝いたします <(_ _)>

まだまだ残暑厳しい折柄 ご自愛ください。
また益々のご健勝をお祈りしております。
by senya51 (2015-08-06 22:35) 

めい

senya51様

備忘録のつもりで書いているブログですがお読みいただきほんとうにありがとうございます。

当初このブログは、天行居については何も触れていなかったのですが、御分霊を自宅にお祀りするようになってちょうど2年目、「だれもが自分のいちばん大事なところをあからさまにして生きてゆく時代になったのだと思う」ようになって、天行居について書き出しました。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19 おかげでその年、11年ぶりに参山し山上修法に参加できました。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-11-15 このとき熊野先生にお会いして、先生の御文章をネットで紹介させていただくことのご了解を得ました。

このたび先生が御帰天されたことで、いよいよ先生の御啓導を感じます。仙台の梅原支部長さんが「先生はまっすぐ正神界に入られておはたらきです」と言われました。

はずかしながら入講30年にしてようやく、いただいた神法道術のありがたさを実感させていただいているところです 。われわれ天行居同志、熊野先生おっしゃるごとく、たしかに「宝の山」の中にいるのです。まずはともかく、自分自身のイハトビラキからはじまります。がんばりましょう!

by めい (2015-08-07 05:46) 

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