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追悼 熊野秀彦先生(8) 先生の御覚悟「磐中隠の精神」 [神道天行居]

今朝起きしなに読んだのが飯山一郎氏の次の記事だった。
http://grnba.com/iiyama/index.html#ss05121

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◆2015/05/12(火) 日 本

美しい国だった…

鷲は世界中を歩き、日本国内も隈なく歩いてきたが…、やはり日本は、ほんと、人も風土も美しい国だった。
その日本の美しさを充分に堪能させてもらった鷲は、仕合せ者だった…。

しかし、日本の美しさを知らない日本の子供たちのことを思うと…、本当に可哀想(かわいそう)でならない。

この感情は、つぎの瞬間、殺意に似た憤怒(ふんぬ)の激情に変わるのだが…、これは(今のところは)“一人涙”で解消するしかない。

くやしくて かなしくて やりきれない。

「日本が17機導入するオスプレイ1機あたりの価格が190億円で、製造原価は5億円」←とかと、米海軍系列メディアであるUSNI Newsに日本自衛隊用V-22オスプレイの価格について記事が出ていた!の、それはデマだ!のと、かまびすしい議論がネットでも盛んだ。
どーでもE~くだらん議論だ。

正確な数字は黒い闇の中なんだし…、日本が今までに米国に貢いできた総額3000兆円以上!という異常に膨大なカネからすれば蚤(のみ)のキンタマだ。

そんなことより、今は、国家3年の大計だ。

今の日本は、国家百年の大計などは到底無理だ。
なぜか?

百年後、どころか10年後の日本列島には、「日本」という国はないからだ。たぶん「日本民族」も存在していないだろう。日本列島という島嶼(とうしょ、大小の島々)も、54基の原発が全てメルトダウンしていて、居住不能だろう。

いや!残り50基がメルトダウンしないよう、世界が何らかの手を打つ可能性も高い。残り50基の原発がメルトダウンしたら、世界全体が終わりになるからだ。

それよりも、今は…、今後3年の間に、一人でも多くの日本人が如何にして生き延びてゆくか? そのため国家3年の大計を建てなくてはいけない!

3年後に、日本の人口(現在は9500万人)は、7000万人くらいになる。この人口激減の過程で、日本政府の統治能力は失われる。

しかし、日本政府はガバナビリティ(統治能力)の喪失を自覚できない体質だから、内憂外患の法則によって弾圧や戦争に走ろうとする。

たぶん、西沙諸島か南沙諸島で中国軍と一悶着があり、米軍が高みの見物をするなか、我が軍は、中国軍に壊滅させられる。

そんなことが切っ掛けとなって、国連の安保理事会は全会一致で 「日本国を国際管理下に移行する!」 との決定が下され…、たぶんプーチンと習近平がリードをとって、京都あたりに日本統治の臨時政府がつくられる…。

臨時政府は、世界の同意と支持を得るために、「人道上の見地から、日本人の海外移住と移民に総力をあげる!」と宣言するだろう…。

上のようなシナリオを念頭において…、志(こころざし)の高い日本国士たちは、一人でも多くの日本人(とくに子供たち)を生き延びさせるための国家3年の大計を練りはじめねばならない。

わが国が、わが日本民族が、ここまで追い詰められている! という自覚が、今の日本の知識人には皆無だが…、たとえばプーチンは「日本民族活用!のシナリオ」を描き終っているようだ。

さぁ、ロシアに行くぞ!
…と覚悟を固め、心の準備をはじめよう!>皆の衆

飯山 一郎

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これまでの飯山氏の論調からして決して唐突ではない。しかしそれにしても、ガツン!ときた。決して絵空事ではない。70年前の敗戦、4年前の3.11、そして今の日本の政治状況、まさに「ずぶぬれ日本」、このままであるはずがない。

数日前のことだが、突然の心境の変化があって、「戦略シナリオ 思考と技術 (Best solution) 」を注文した。戦略的思考などというのは、「なにもかもかむながら どうすることもいらぬ」の天行居的感覚からすれば対極にあるはずなのに、熊野先生を思うこと頻りの中での発想の転換だった。そして今朝の飯山氏。

飯山氏は「今は、国家3年の大計だ。今の日本は、国家百年の大計などは到底無理だ。」と言う。しかし私は「国家百年の大計 」を思うべきと思う。いや、もっと長くてもいい。  

磐中隠の精神.jpg
実は「追悼 熊野秀彦先生」の記事を今日で一応締めくくろうと昨日来思っていた。頭初熊野先生を偲ぶとしてどう書こうかと考えて第一に思ったのが「磐中隠の精神」だった。いつのことだったか定かではない。FAXで送って頂いたのだが、正直のところ、その御覚悟のほどに、怖じけた。到底自分の及ぶところではない、しかしその些かなりとも、そんな思いで神棚の壁に貼付けた。追悼の最後は、この文章で、その思いで今朝を迎えたところでの飯山氏からの「ガツン!」だった。

『フェヒナー博士の 死後の世界は実在します』に「生者が死者の記憶を思い起こすとき、思い起こす側と思い起こされる側が同時に、同一の意識的衝撃を感じる。」とある。生者が死者を思うとき、死者の側にも思いが生じる。その「思い」とは時には「意志」である。「追悼 熊野秀彦先生」を書きつつ、ずっと熊野先生の御意志を感ぜずにはいられなかった。日本人として、「国家の大計」の柱となるのは何なのか。その明確なビジョンを、熊野先生はたしかにもって居られたと思う。十数分前、岩手内陸震度5強、ここもケータイのけたたましい音とともに揺れた。これからもどんな揺さぶりが来ることか。しかし、決して揺るがないものが在ることを、熊野先生はこれからもしっかりと伝えつづけて下さることを信じて疑わない。その伝えを受け止める力をどれだけ持ち得るか。先生、よろしくお願いします! どうか務めを果させて下さい。

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磐中隠の精神


一、友清磐山先生の御遺訓に應え奉る道は この道より外なきことを 徹悃覚悟あるべし


一、必死三昧畢生渾身の修法により 自らの英霊を打ち出し自己開顕を遂げ 石城山開キ 即ちやまとびらきの捨石たらざる可からず


一、汝が残生を懸けしこの究極道は飽くまで 己がうちつしまの消息なれば 石城山をる現界的諸般の事象とその推移とに一切関係あることなし また余人の言辞・行動・信念・作為等に関すること更になし


石城山神界と己が神魂との位相を除きて 使命の完遂に関與するもの一切在ることなし


これ かみはみておるの神示にも示するところなり そのこと徹悃大覚悟ある可きなり


一、是は 大気無くも磐中隠の精神にして 汝における天關打開の方途との外に無しとの大自覚たらざる可からず


  昭和四十六年九月五日


   於九龍屋南軒 熊野秀彦

        


熊野先生 熊野大社にて.jpg平成
15104日、熊野先生に置賜へおいでいただいた。宮内熊野大社で一同正式参拝、そして秋葉山から置賜の一望もしていただいた。行く先々計7回、見事な虹の現出を見た。折しもその日は

、皇太子同妃両殿下が第18回国民文化祭・やまがた2003で山形県に御行啓の最中、そしてその翌日は置賜を訪問されることになっていた。
熊野先生 置賜の虹.jpg置賜の虹2.jpg
(これでひとまず、熊野先生追悼の記事の一区切りとします)











1-秋葉山荘から.jpg秋葉山から置賜盆地西方(飯豊連峰方向)を望む。

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