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追悼 熊野秀彦先生(6) フネと天の咲手について(上)・信条私記余瀝・ [神道天行居]

「信条私記余瀝(上)(下)」がありました。極めて重要なことどもを、人間熊野先生の自在心を縦横無尽に張り巡らしつつ展開される凄い文章です。

 

昨日6月7日に開催の「東北神咒奉唱大会」の件で東北支部長さんからお電話いただきました。御帰天後の熊野先生の御立場についてお話しされました。私の思いとぴったり重なりました。あえて「人間熊野先生」と書きましたが、平成12年11月、大和神社例大祭後の直会の席、そこで語られていた熊野先生のご様子について「お釈迦様やイエスの説法の場面もこのような様子だったのではあるまいか」と記しました。私たちにとって、人間として在った熊野先生と今在る熊野先生との間に差異はないのです。よりストレートに、身近になったように思います。「信条私記余瀝」は、熊野先生の肉声が読むほどに、時にはずしんと、時にはふんわりと心に伝わる力のある、何度も何度も読み返したい文章です。

 

   *   *   *   *   *

 

フネと天の咲手について(上)・信条私記余瀝・

九竜屋生


  朱雀院のならにおはしましたりける時にたむけ山にてよみける

    このたびはぬさもどりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに

                           菅原道真

                              (古今集羈旅歌)


 一面よりすれば信条の示す世界は天津まほらまの世界であり、そのままうちつしまの世界であります。要するにその信条に没入する限り観自在菩薩であり大金剛力士であって、仏者のいう大安心の境涯は期せずして手中にあるのであります。

 昭和二十四年五月号の古道誌上に掲載された先師の御手記に、「人間世界は層層無限のヤソヨロズの霊界中の一つの飛び石で寸時の油断もならぬ修行場ではあるが、また同時にそこが平安境でもあること、他の霊界生活におけると同様とも云へないことはない。誰でもが、どこでもが、空間的にもウチツシマでありマホラマである。おちついて勉強も研究も努力も為すべきところであって、このほかにマホラマの平安境はない。一枚の新聞を読むのもよろこびであり、一ぱいの茶をのむのも有りがたく感謝すべきである。何もかも神のしわざである。」と申して居られ、どんな人間でも、神様から与へられたかくれみのを持っていて、それが人間の幸福のあかしであり、如何なる苦境に陥って身を翻してポッカリと、時間的に永遠であり空間的に無限であるこのマホラマに退避を許され、ウチツシマでに安らぎ得る神秘を暗示して居られるのであります。

 このマホラマを横からみると「何も彼も神ながらどうすることもいらぬ」であり「むすびかためいやさか」である。真正面からこれを熟視すれば乃ち幽玄を極めし「マスミノムスビ」に他ならぬのであります。マホラマは俗眼で認識しがたく言葉で表現すれば、言葉につまずき表現にとらはれ易い。併しながら現実、人皆神々のたなごころにあってウチツシマに安らいでいるのであります。

 そうした事実をありのままに自覚せしめる手段として与へられた体型的な言霊の幸ふところ、これ信条であると申しても差つかへはないと思う。

 又同時に「なにごとも神のまにま」という生活観の徹底から「ますみのむすび」意識への回帰も不可能ではありますまい。

 玄扈雑記に「神のまにまにということは、何ごともみな神のしわざと大観し、凶に会へば凶に貞にして疑はないことであるが・・・・・どうも言は意を尽さずで、言へぱ言うだけ遠ざかる気もするが・・・・・これはどうしても心がけていただければならぬことである。病気になっても、財政上の苦境にたっても、その他あらゆる順逆の境に処して、「神のまにまに」の七自由八自在が得られなくてはならぬ。それが「ますみのむすぴ」である。さればといって苦しい時には苦しい。悲しい時にはかなしいものであるし、気分のすぐれぬ時は朗かでないが、それも神のまにまである。ここのところが他家の茶飯で賄へぱ説似一物即不中(説いて一物に似たるも即ち中たらず)とでもいうところで、云えば云うだけ変なことになるが、まあその辺のところをうろうろせられるのも神のまにまでしよう。」とある通り、一度び人間の言葉になると、忽ち千手観音の如きもろもろのむすびを生じ、説似一物即不中となってしまうのであります。併しながら兎にも角にもなにもかもかむながらの生活観に沈潜するための易行道は、自からの周辺に折りにふれては、ふっとマホラマを発見する一瞬を捉へて逃さぬことではありますまいか。

 磐山先生が一般的に道人がみなよい意味における御天気屋だと申して居られたのも、これは仙骨のある人間の特殊な性格で、彼等がマホラマつまり壷中の天を知っていてその一種の異郷へ出入して居るからで第三者からみると、時間空間のズレがあるため御天気屋にみえる場合が多いからでありませう。乃ちどの様な狂乱怒濤の中でもひょいと一振り各自携帯のかくれみのをふるえば、白砂青松の浦安のウチツシマに長々と寝そべって澄みに澄む大空を仰ぐ歓喜の心に満たされることが可能なのであります。悪戦苦闘の己れは舞台の上の大根役者で御本尊はマホラマの特別席から折り詰めに二合瓶で観賞しているのである。

 それでは「ますみのむすび」は観想法の一種かと思われる人があるかも知れぬが、いやいやその様な差別相の相対界の産物ではない。誰れもがこの世に生まれてきたとき神様から与へられた万人共通の自在棒であります。金剛如意棒なのであります。私は将来石城山の宗教性について云々されるとき、この如意棒である「ますみのむすび」の用の一面を代表して「マホラマ」「ウチツシマ」の妙旨が提唱される時が必ずやって来ると確信致すものであります。

 その具体的探究方法としては金剛合掌乃ち「天の咲手」が最初に挙げられるでありませう。

 終戦直後宮市で御示しになった磐門講社のありかたこそ、実に石城山の宗教的な活動方式の規範であり神ながらなる小規模な試行(トライ)であったのであります。霊的に極めてハイクラスの石城山を維持運営して行くためにも、宗教的な石城山の開拓を推進して行くことが戦後の同志の責任であり、先師の御遺志ででもあるのであります。

 茲で申します霊的の石城山とは神事中心の神界の使命機関としての公的なお山であり、宗教的な石城山とは広く現界へ指向した外向きの宗教的救済機関としての石城山であります。そのためには多少とも和光同塵的な幅の広さも自から必要になり、教化的なシステムも更らに整備されなくてはなりますまい。

 今まで色々な先輩のお話ではどうもこの二つは両立せぬ様な印象を受けて来ましたし、私自身さえそう思いこんで今日に到りましたが、併しこれは今となって明らかに両立し・・・・と云うより不可分の関係を生じている天の時ではありますまいか。

合掌のこころ.jpg

 内輪話でまことに恐縮ですが磐門講社時代先師の提唱された「合掌の心」が我々同志間にどの程度信得及されて来たか、今一度猛省してみる必要があるのではないでしょうか。

 余談ですが吾々の集会の席上で会わせる顔はどうも霊的な顔が多くて、ここで私の申上げる宗教的な顔が寡いのはどうした訳でありましょう。静かにこれを疑視するときどの顔つきも複雑な霊的コンプレックスで、自分自身だけではなくみな幾層にも霊的人格や背景(気線)が重複してだぶって居り、同志の集会より眼にみえぬ随行者や先導者の方が幅をきかせている昨今ですが、これではあまりにも我々現界人としての自己主張がなさ過ぎるのではありますまいか。尤も霊的な訓練を主とした霊の戦士ばかりて、そうした傾向のあることは又やむを得ぬとしても、今一歩自他の霊魂を照耀して宗教的雰囲気を努力して蒸成し、一寸した波動に敏感に反応を示す手軽な感合態度を厭除し、より一層高次な霊的人格を望む訳にはいかぬものでしょうか。

 宮市拝訪の際磐山先生の御談しに「霊媒的な存在になってはいけない、霊感的人物こそ望ましい、霊感的人物とはたとえば黒住宗忠翁の如きである。」と申された御言葉が今も尚耳朶に遺って居ります。私の云々致しました宗教的人格とはこの霊感的人格に外なりません。その反対の立場である霊的な顔(フェイス)とは霊媒的なそれと考へて頂きたいのであります。


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