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追悼 熊野秀彦先生(5) 「信条私記(下)」 [神道天行居]

若松英輔氏がはじめて吉本隆明と会って話した時の体験を書いた文章がある。


《「あなたは、老いと悟りの問題をどう考えますか。悟りというものはあるのでしょうか。」こう述べた後、こちらがどんな人間か自己紹介をする間もなく、吉本さんは、十分間ほど自分の考えを述べ続けた。自分も知っている、ある高齢の、高僧と言われた人が自殺した。宗教的な悟りと言われているものは、じつは人間を根源から幸福にするものではないのではないか。それは、人生の秘密を告げ知らせるものではないのではないか、というのである。さらに彼は、悟りとよばれる現象はあるにしても、それは生きるということにおいてはほとんど意味を持たないのではないか、とも言った。その語り口は、何か身に迫るものを感じさせた。この問いを見極めることに人生の大事がある、という風にすら映った。

 語られたことは、それを話す吉本さんの必死の姿ゆえに今も鮮明に記憶されている。その姿からは、悟りとは、山の頂上に登るような到達の経歴ではなく、どうにか生き抜こうとする持続ではないかと問う声が響いてくるようでもあった。概念として「悟り」が語られ、それを目指すという営みが起こるとき、人はかえって真に悟りと呼ぶべきものから遠ざかる、というのだろう。》


この文章について私は《吉本隆明と若松英輔という希有な出会いが、「悟り」というものをあっけなく相対化してしまうという歴史的文章》と評した。(最も深い「吉本隆明論」) このたび「信条私記()」を読んで、私の中に育てられていた「天行居的感覚」が若松氏の文章に反応したことを知った。


信条私記()」では「天行居的感覚の原点」が示される。そこに見えるのは数葉の葉をつけた一枝のサカキのすっきりした霊的容姿》である。それでいいのだ・・・と言いつつ、最後を「葦原の 瑞穂の国は神ながら 言あげせぬ国 然れども 千重浪しきに 言挙げぞ吾がする」で締められるのが、なんとも涙が出るほど熊野先生なのだ。「 千重浪しきに」寄せる言葉を、その都度決死の思いを以て私どもに示されたことが心底ありがたい。叱咤をしっかり受け止めねば、と思う


   *   *   *   *   *


信条私記()

九龍屋生


 磐山先生も『此の「ますみのむすび」の観行は悟りを開くといふやうなことではないので、際限のないものである。無限に修行して道体を長養すべきである。道体長養といっても無論有相の意味でいふのではない。いつも申上げる通り修行には賓主の二方面があることを知らなければならぬ。この「ますみのむすび」観行の場合は、「主」の立場の修行であるから何物も認めず、又我といふものも認めないのである(中略)又何物をも認めぬといっても所謂断無の見ではない。それでは何か。「ますみのむすび」である・・・修行して神になるといふやうなことではない。本来の神たる我を明らかにするだけのことである。どうすることもいらぬのである。』と申して居られるのです。

 これを以てしてもますみのむすびの貫徹が単なる悟境ではないことが明瞭であります。

 ますみのむすびに貫徹しても、一見して有相の意味の変化がその人物に現れることはないのであります。この観行は無相の霊的清明心の研磨であるから、霊的な意味における人間完成を示してゐるのであります。

 悟達の人と申せば洒脱自在な禅的覚者をまぶたにゑがきたい気持となりますが、さうした禅的背景から生れたいはゆるその道の臭味のあるベテランではなく、ますみのむすびの覚者は素人めいた中におのづから底光りのする仁である筈で「霊を以て霊に対する」霊学の根本法則を以て活眼を開いてみないと—見損ふ風の人物である筈であります。

 修行して偉くなるといふ賓の立場の修養も大切ですが、石城山の道は大学の道でもともと自己の所有する清明も又なき清明心を、自分で納得する立場の修行(主の立場)でありますから、それほど骨の折れる筈はなく観念の力で天津狭霧を吹き払へぱ、洗った様な清明の皎々たる秋の月が出て来る当然で、何も彼も神ながらどうすることもいらぬのであります。どうすることもできないのはケシツブほどの「信」が不足しゐてるからであります。信ずれば何でも出来ると申すのも、マスミノムスビに徹すればこそで出発を誤ってはいけません。音霊法の場合、種々の雑念妄想が湧いても思へ思へ、思ふことがなくなれば思ひ出しても思へ、と申されるのも「主」の立場の修行の一つで、雑念も妄想もひとしくこれますみのむすぴであります。

 先生の著書の中にたぬきねいりの人を起すのが一番骨の折れる仕事だとありますが、実際人はみな「神竜にして雨露を大旱に惜むもの」であります。

 従って一旦忽然と「ますみのむすび」の境涯に入るとしても、それを以て大悟徹底といふ仏者の悟力めいた思ひ違ひがあってはなりません。と同時に観点をかへれば只々神界の実相に工みなき心で直面し、純粋無垢なものを追求する……それが出来たら直ちにこれマスミノムスビの覚者でありませう。信条では実に親切にこの問題について『只々敬神利生を第一と致すのでありまする。』と結論されてあります。要するに「悟を開く」といふ風な年期のゐる人霊の開発とは自から別の問題であります。

 『平凡なうちに生彩を持たせるやう。』この先生のお言葉は石城山の家風であり、至簡至易が真理の本質なのではありますまいか。

 ますみのむすびは現象的に、歴史的に時間的経過としてこれを観ずれば、直ちにこれむすびかための道であります。中古以来使ひなれた言葉を使用すれば、善因善果悪因悪果因縁果報の神律であります。

 信条第十条私どもは人々が死後なほ現世の如く人格的に生活することを原則として確知し、現世の如くに弥栄の道、天行の道に精進し修養努力するものであることを信じて疑ふ余地がありませぬ(原則外の変態現象もあります))及び廿一条私どもの研究はこれを一と口に要約して申しますれば、真の古神道(霊的見地よりする体験的の神ながらの道)を研究することで、何も新発明の新思想を製造せんとするものでなく、決して珍しい精神運動ではありませぬ、併し人類の進歩、文化の向上を否定するものではないので、つまり新しい履(くつ)をはいて古(いにしへ)の道をふまんとするものに外ならぬのであります)廿五条わたくしどもは太古神代よりの産霊紋理(むすびかため)の神律を信じて疑ひませぬ、中古以来多くの世人によつて使ひ慣れた用語を以て表現すれば善因善果悪因悪果すなはち因縁果報の神律を確く信じ、その光りをもって毎日の踏み行く道を照らして「善」の修行を人生の至宝と心得、理屈を離れて実地に実行を積み行くことが其のまま天行(かむながら)の道でありまする)の各条は、この古今不易の玄理を説いて余蘊なき神言であります。この事実のみを特に強調した宗教もありますが現象的な事態を人霊の開発により諦観した場合、その実相を裏面からみた空観思想(ますみ観)が生れて来るのであります。これも風流と申せば風流で何事も変化が面白く、アクセントが平凡を脱する世の中ですから、趣味としてはこの大哲学も面白いのでありますが、前述の如くアハセカガミの古伝喪失から来る不調和現象でありますから、年月を経て鬱乎たる老巨樹の荘厳は認めますが、弥栄修理固成といふ神界の実相とは逆現象を示現して居り、見方によれば数葉の葉をつけた一枝のサカキのすっきりした霊的容姿に比すべくもない老残の頽齢と云へるでありませう。

 兎にも角にも因縁果報の神律はあくまで「善の修行」を目標とした前むき姿勢であって、死後の生活も現世も活き通しの活發發地に脈打ってゐる現実なのであります。

 因縁、縁起といふ哲学的体型ではなく、神々のみたまのふゆ、御神徳として直感されるむすびかための神律なのであります。

 かく考察を重ねて参りますと、将に信条一巻は古今を通じて謬らず中外にほどこして悖らさる黄金律の集大成であります。これを霊現すれば実に大光明を発する一大黄金塊であります。ボケットに入れて持ち歩きの出来る渺たる一印刷物も神変不可思議光を発して、知るものも知らざるものも同じく、自他を浄化してやまないのであります。私は昭和二十一年一月十二日磐山先生が親しく手記せられた玉章を提唱して、信条奉賛の拙文を擱筆したいと存じます。

 『多年石城山では「ますみのむすび」といふ言葉で賄ふことになって居る。先年も某居士がやって来て、「ますみのむすび」も面白いが、しかしそれは安悟りといふものだといふ。私はそれに答へて「むろん安悟りである、五百年間に僅か半箇一箇を打出するやうな禅とは異る、石城山道場では一週間の間に片ッ端から五眼を開かしめて居るのだ」と云ったら「地獄へ行くこと箭の如しぢゃ」と云ふ。「ところが天行居では地獄といふものがなく、神仙界へ結緑したものは殆ど例外無しに神仙界へ引き越すのだ」と私がいふと「地獄がないのでは話にならぬ」と笑って休し去った。石城山で簡単な「おとたま」を修行させても直ぐに五蘊皆空を照見せしめ、行深般若を得せしめるのである。この小篇の書き始めにある本居先生の言葉を一寸考へ合せて貰ひたい。むかしやれなかったことも今はやれることもあるのである。石城山神界の使徒たる全国の同志諸君は、地上全人類を浄化するといふ位ゐの大抱負をもって活動していただかねばならぬ。只だ山を見るとは、山を見ないことである。』


   葦原の 瑞穂の国は神ながら 言あげせぬ国

     然れども 千重浪しきに 言挙げぞ吾がする


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