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南陽市の歴史的建造物について [地元のこと]

市民大学 小幡知之先生.jpg28日の南陽市民大学講座、山形工科短期大学校長 小幡知之先生の「南陽市の歴史的建造物について」。最初から最後まで実に興味深く聴いた。多勢丸中邸、蔵楽、夕鶴の里資料館の登録有形文化財指定は、小幡先生の調査結果に基づくとのこと。登録有形文化財指定の制度は、建造後50年を経過し、街の風景に馴染んでいる建物であれば、内部の改造如何はあまりうるさくない。(「登録有形文化財の指定を受けるとどうなるか」で検索して見つけたサイト→登録有形文化財のメリット・デメリット|指定基準・有形文化財の違いhttps://i-k-i.jp/19918

今回取り上げられた歴史的建造物は①旧多勢丸多製糸場繭蔵(現夕鶴の里資料館) ②旧宮内繭市場繭蔵(現蔵楽) ③結城豊太郎記念館 臨雲文庫。

①旧多勢丸多製糸場繭蔵(現夕鶴の里資料館

多勢丸多.jpg丸多の曳家.jpg夕鶴の里資料館になっている丸多の繭蔵。昭和50年代に西側に道路ができるため曳家で東へ移動したことがあるとのこと。昭和58年操業停止、平成5年資料館として改修なった。桁行12間、梁間6間。大正11年(1922)の建造。製糸業がいちばん勢いのあった時代です。トラス.jpg梁間を大きく取るために洋風小屋組のクイーンポストトラスになっています。t15 漆山村.jpgトラスとは、三角形を基本にして組んだ構造で長い橋や大きな梁や屋根に使われます。日本の伝統建築は垂直と水平材で構造を考えますが、洋式建築は斜め材も構造に持ち込みました。そのため、長いスパンにわたって、下に支持材なしで飛ばすことができたのです。蔵楽の2号館はキングポストトラスです。トラスという言葉、初めて知りました。金上と丸多の配置がわかる大正15年漆山村地図もありがたいです。「鈴木下駄屋」は鈴木憲和衆院議員の父親の実家か。

②旧宮内繭市場繭蔵(現蔵楽蔵楽.jpg

平成13年の「南陽市中心市街地活性化基本計画」策定の中で当倉庫群の活用が盛り込まれ、平成15年までに整備されました。現在、宮内公民館改築問題を検討する「市民レベルの宮内に新しい拠点をつくる会」で、今後をどう利用するかが課題になっています。当初、公民館を現在地にするか、それとも蔵楽に移すかと二者択一的に考えていたのですが、議論を重ねる中で、公民館だけでなく、全く新たなプラスアルファを加え「両方活かす」案にまとまってきました。そんな中で見た先日の夢(https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2019-09-25-1でした。

T15宮内.jpgそれはともかく、小幡先生、かつてここでのコンサートに来て、「こういう施設を持つ南陽市民が羨ましい」と思ったのだそうです。そう言われて、あらためて蔵楽を見直す気持ちになりました。青苧フェスティバルを何回かやったことがありますが、使いでのある楽しい建物です。今後の耐用年数についてお聞きしましたが、特に問題は見られないとのこと。ただ、特に一号館、耐震診断は必要とのことでした。T15年地図と昔の写真ありました。

結城豊太郎記念館 臨雲文庫

黙々と膨大な資料整理に当たられた工藤宗一郎初代館長が懐かしく思い起こされます。(https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2018-10-18)先代加藤館長がエネルギーを吹き込みました。9年間の在任期間中発行された「記念館だより」が間も無く発刊されるとのことで予約しています。この春就任の武田館長、佐藤庄一友の会々長コンビ、今後の新機軸に期待がかかります。当初いささか高踏的の感あった当施設も、今はハードとソフトが噛み合った施設として生き生きしています。以下、建築の経過です。

結城豊太郎隣雲文庫図面.jpg【建築の経緯】
昭和9年8月上旬 豊太郎が赤湯町長に文庫建設計画を伝える。土地は、「結城先生の御屋敷」で、「御自分の旧家屋を移されまして其の跡に新たに此の図書館を建て」た。
9月8日 着工
 地割に豊太郎も立ち会う。ただし、旧家屋移転、表門組立て、土蔵移転などが先で、文庫には着エしていない。
11月21日 文庫建築に着工。
12月19日 上棟式。
12月30日 「竣工半ば」。上棟式後に屋根を架けてエ事を進めているが、棟梁工藤安蔵によるとまだ半分程度の進捗。「到未工」
昭和10年4月7日 「臨雲文庫」モ竣工間近キ時二当リ」「文庫内工事係未完成部ノ進步ヲナスコト」とあり、竣工間近だがまだ未完成の部分があった。
4月27日 作業は一通り完了。「当日迄二内外ノ整理完成セリ」
4月29日 開庫式。豊太郎から、設計者石岡孝三(小杉氏)、工事請負者工藤安蔵に感謝状送呈。  
(参考) 結城豊太郎先生遺徳顕彰会『臨雲 結城豊太郎遺芳録』平成15年

「新子安別邸移築」説についての推理も興味深くお聴きしました。結論は、《新子安で使われずに保管されていた古材(=武蔵野の家屋+新調材=臨雲文庫》でした。

また、結城豊太郎(1877-1951)の功績を見ると、臨雲文庫をはじめ、旧赤湯町の上水道敷設、風也塾の移転、赤湯小グランド大拡張、赤湯実業公民学校の新築、小田原の別荘、新子安の別荘、麻布の私邸建築等、公的な貢献、および私的なものを併せると、 総じて土木·建築事業が多いことから、「普請」に対する関心が非常に高かったと指摘。伊東忠太(1867-1954)と書簡のやり取りがあったことから、その関係を示唆されたことも興味深いことでした。「同郷のよしみ」、今後の解明が待たれます。

長谷会館入口.jpg長谷会館.jpg最後に宮内菖蒲沢、須藤永次別邸「水園」前の「長谷会館」に言及されました。(ちょうど今年の春撮ってきた写真がありました。)建物の隅が円柱状に盛り上がっていること、2階がトラス式の大広間になっているところが面白く、登録指定文化財の認定を受けるべきとのことでした。多勢亀五郎の金上製糸が倒産した昭和30年、須藤永次が当時の事務所をそっくり移転したもので、菖蒲沢地区の会館として今も使われています。繁栄を誇った金上製糸を偲ぶことのできる唯一の貴重な建物です。

講座の感想を書くアンケート、点数評価に100点をつけてきました。


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