「にぎわった頃の宮内を思い起こしてみよう」(鍾秀学)(3) 宮小応援歌 [地元のこと]
手元に昭和5年3月発行の「鍾秀」第6号があった。「宮内尋常高等小学校鍾秀自治会」の編集。児童生徒113名の作文や詩が掲載され、5年生の父の短文も載っている。父の世代の知ってる方の名も多くあり、その幼少期がほの見えて微笑ましい。1930年だから世界恐慌が始まった翌年。宮内、賑わいの記憶(4)に《世界大恐慌(昭和4年)までが最高だった、昭和4年と6年を比べると、繭価格も生糸価格も半分になっている。》とあるが、翳りは見えてもまだまだ元気な時代にちがいない。菊まつりの絶頂期で《昭和4年(1929)山形新聞主催による県下の名所投票で山正旅館の菊人形が第一位を獲得。笠原、宮沢、山正の三料亭がそれぞれ競い合った時代。昭和3年11月の御大典を契機に「菊花熱狂の黄金時代」》、ちょうどその頃だ。
この時の校長先生が、安藤昌益、宮内にリンク!(2)の山田二男先生。冒頭の文章「歌ふ心」に、星前校長(現宮内公民館長)が着目し、昨年赴任の淀野校長が復活させた「宮内小応援歌」のことが書いてありました。創立記念式典で子ども達全員(昨年は6年生のみ)の元気な歌声を聞いたところでした。まさに宮内絶頂期の気分が込められた歌です。以下,山田校長の「歌ふ心」全文。
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「にぎわった頃の宮内を思い起こしてみよう」(鍾秀学)(2)「菊の宮内」「おくまんさま」 [地元のこと]
宮内の賑わいを思い起こす上でもうひとつ忘れてならないのが「菊の宮内」です。花笠踊り(5番 2:20〜)の歌詞に「菊は宮内 あやめは長井 ばらの名所は東沢」とあるのを知っていますか。製糸業が盛んだった頃、宮内には製糸取引の人などいろんなお客さんが来ました。その人たちをもてなす料理屋さんが宮内にはいくつもありました。今から100年ちょっと前にそれらの料理屋さんで競って菊人形を飾るようになったのが、宮内で菊まつりが盛んになった理由です。私がみんなぐらいの、今から60年前は日本中のあちこちで菊まつりが行われるようになっていました(全国で130都市、150会場)。その頃のポスターを見てください。「東北一を誇る・・・」と書いてあります。数ある中でも宮内の菊まつりは図抜けていたのです。
その頃のにぎわいぶりがわかる写真があります。鳥居の場の東西広場が菊人形会場で、鳥居の北側に渡り廊下がつくられていました。そこから十文字方向を撮った写真です。11月3日には仮装行列も行われ、多くの人を集めて町中お祭り騒ぎでした。仮装行列は一時中断しましたが、「菊と市民のカーニバル」と名前を変えて今に伝わっています。
『独眼竜政宗』の昭和62年(1987)が入場者数65,516人で記録に残る中で最高でした。その後、菊まつりもだんだん下火になって平成20年(2008)からは、宮内を離れて花公園での開催になりました。(昨年から少しずつ、また宮内に戻っています。)
「にぎわった頃の宮内を思い起こしてみよう」(鍾秀学)(1) 製糸業で栄えた頃 [地元のこと]
宮内小学校146周年の「鍾秀学」講師を務めてきました。昨年に次いで2回目です。昨年は欲張りすぎていたので今年は「何を伝えたいか」を絞って臨みました。「1.製糸業で栄えた宮内 2.「菊の宮内」 3.熊野大社のある宮内」です。流れを整理しておきます。(「こういう流れであればよかった」という反省もこめた「整理」なので、実際にはずっとドタバタです。)
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粡町自主防災訓練、参加者54名! [地元のこと]
5月20日、市の水害対応総合訓練に合わせて粡町自主防災訓練が行われました。一昨年は10月、昨年は6月、今年は5月とだんだん早まりました。昨年(6月25日)、さくらんぼ農家にとって一番の繁忙期との苦情で今年の5月になったとのことですが、新しい地区役員体制のところでは大変です。粡町もどうなるか心配でしたが、最高の天気となり、在住者122名中54名、昨年を超える参加者でした。(昨年48名。一昨年45名)若い人の参加が多いのも良かったです。一年に一度、粡町のみんなが一堂に会する貴重な機会として定着してきました。粡町にとって菅野市郎防災士の存在も大きいです。用意周到、貴重な話をしていただきました。その後、消防団による消火器使用訓練と放水訓練。今年から役員の元中学先生の進行も見事で、和気あいあいのうちに終了。そのまま解散するのが名残惜しいような集まりでした。
双松公園、満開! [地元のこと]
今年の桜、じっくりじっくり楽しませてもらっています。咲き出すまでは速かったのですが、開き出してからは気温の低い日が続いて満開まで時間がかかりました。(以下の写真、画面上クリック拡大なります)
↓早いのが開き出したのが12日でした。
今日で10日目です。朝日とともにでかけてきました。快晴です。
今朝の双松公園(桜の様子) [地元のこと]
めざせ100万円!南陽若者コンペティション [地元のこと]
南陽市制50周年記念事業としての「めざせ100万円!南陽若者コンペティション」、昨年の6月以来6回のワークショップとトライアルイベントの成果を踏まえて、いよいよ今日が本番。シェルター南陽の小ホールで1時から4時30分まで3時間半、南陽の若い9グループのプレゼンとその審査があった。
昨年の市民大学以来関わりのあったキック*オフによる『新しい菊文化を創り、離れがたい、忘れられない街へ』を応援したい思いもあってでかけたのだが、9グループそれぞれがんばってきた成果を見せてもらえた。アンケートが用意されていて「点数つけると何点?」に90点をつけてきた。満点でなかったのは、「突き抜け」感が感じれなかったこと。ついわれわれの30代前後の40年前と比較してしまうが、あの頃あった「体制打破」のエネルギーは、良くも悪くも今のその世代にはもう必要なくなっているんだなあという感慨も込めて、ないものねだりの-10点だったと思う。思い起こせば、「ぶつかる覚悟」「ぶち破る覚悟」をいつも持っていたのがあの頃だった。もうそういう時代ではない。今の方がきっといい時代・・・そう思った方がいい。
「宮内町歩きマップ」看板完成! [地元のこと]
「ゆく年くる年」に間に合わせたい!とがんばってきた、公民館前の看板が完成しました。従来のものは30年ぐらい前「文化財紹介」看板としてつくられたものですが、あるかないか気づかないほど存在感がなくなっていました。資源ゴミ回収益金の運用を図る「元気がでるまちづくり推進事業」として今年度なんとかしようという事だったのですが、グズグズしているうち臨時出金があったりで来年度に回そうというところへ,「ゆく年くる年」での熊野大社中継決定。ちょうど粡町商店街の防犯灯整備にとってもらっていた分が、市民課管轄の防犯灯整備の方から出してもらえることになり、その分をそっくり看板整備にあてることで、暮れに間に合わせることができました。情報満載、「宮内はいいところだ!」そう思ってもらいたい一心でつくりました。じっくり何度も眺めてほしいです。見るたびいろんな発見があるはずです。イラストはてづかまよちゃんです。(↓画面クリック拡大)