「にぎわった頃の宮内を思い起こしてみよう」(鍾秀学)(3) 宮小応援歌 [地元のこと]
歌ふ心
山田二男
まだ山形の県営グランドが出来上らない前の千歳公園の丸馬場といった時代に、陸上競技大会——山形県下小學校教員オリンピック大會といった——があった。何せ此の地方でのオリンピック競技の皮切りといってよいので、極めて幼稚なものだったが、物珍らしさに雑多な地方の観衆は堤防を隙間なしに埋めた。私も観衆であり血を湧かした応援者として馬堤に立つリ一人だったことは勿論。
やがて嚠喨たる君が代の軍楽がグランドの中央から響き渡った。堵のやうな雑多な観衆、誰が統制するといふのでもない。それが一斉に起立した、脱帽した、唱和した。朗に澄み渡った秋の空を厳に打ち震はせた。丁度水中に投じた小石が巻き起した最初の小さな波紋が次第に大きく輪を描いて廣がるやうに。私は思はず涙に眼がうるんだ。そして力強く腹のどん底から唱和した。そうだ、吾等の國歌だ。吾等の皇室、尊厳な國体!私は衷心から.嬉しかった。頼もしかった。
「熊野神社の森を負ひ………わが學校のあるどころ………」 朝夕になれ育った親しみ多いなつかしい吾等の學校。 「見はらし遠く気は清し」 高燥な台地から廣澗な置賜平野の精気を存分に吸ひ込んで活発に嬉戯した運動場。「わが宮内は嬉しくも、眺め名どころ多き里」 吾等が郷土の誇り、山河秀麗の地、古来偉人を生む、麗はしい大自然の與へる無言の感化、吾等は幸福なのだ、安穏に酢うてはならない。正しい人、強い人、そして大きく育って行かねばならない。誇りを現実に生かしてほんとに役に立つ人として伸びてゆかねばならない。
「うれひ争ひ影もなく、常に明るきわが里は、わが学校の窓毎に、のぞみ喜びかがやけり………」さうだ、これこそ吾等の理想として生きて行く道だ、明るい気分、希望にかがやく溌剌の意気。
吾等が校歌を唱和する所、母校を想ひ、郷土を愛し、理想に生きて行かねばならない。千五百の在學生といはず、次第に波紋のやうに社会に働き進む幾万の同窓。それのすべてが忘れ得ない感銘でなければならない。
国歌,校歌、郷土の歌、それ等を唱和する心、純真な音楽による協和感激には偉大な力が寵るものである。
尊い校歌を持つ吾等の誇りは応援歌にまで進んだ。作歌することを烏許がましくも引きうけた私は、力と熱と感激の高潮をぞねらった。
(1)
ここ置賜の一角に
二千の健児わが牙城
その名宮内名も高き
熊野の鉾杉見よや見よ。
(2)
胸をかざるは三箭の
マークにこもる正と大
強きこころも誇りにて
名も麗はしの鍾秀よ。
(3)
きたへにからだ鉄心は
沖天震土の気概あり
見よ堂々の活躍を
正義は吾等(白、赤)の守なり
(4)
起て起て健児ゆだんなく
大敵なりともおぢけるな
行け行け選手だいたんに
後に吾等(自、赤)の力あり
廣居先生の力強い作曲によって点晴をした。歌った歌った、盛んに歌った。ユニホームにつける印刷のマークは自治會で譲渡して居る。それが金貳銭、幼年生あたりで「三銭のマークなんて高いじゃないか」か」などの滑稽も出た。
熊野の森、三箭のマーク、正しく強く大きくのモットー、鍛練の心と体、正義と意気、.責任、敢行。吾等はかうした心に燃えて、血をたぎらして運動場裏に活躍するのだ。勝敗は当面の目堵ではない。然し実力あるものは勝つ。勝利は栄誉だ。喜びだ。
(勝利の後に)
天は晴れたり気は澄みぬ
地に花笑び島歌ふ
勝利のかざし我が校の(白組の、赤組の)
かうペに下るうれしさよ。
げに鍾秀の名に恥ぢぬ
健闘栄誉とこしへに
ララララ ラララ
ミヤウチ(シロクミ、アカクミ)
「み空に星の光なく、地上に花の色香なくば、いかにこの世は寂しからん。人に歌といふものなくばいかに人の世は寂しからん、星の光をつめたしとは誰かいふらん。花の色をはかなしとは誰かいふらん。その花のうるはしき姿に打ちむかふ一時ぞ、塵の世の塵の思も忘れられて、人は神にぞ近づくなる。その遠き星の光にあくがるる時ぞ、人はこのうつし世のはかなく仮初のものならぬことも知り得て、行末遠く思をぞ残すなる。かくてぞ人は清められ、また高めらるなる。まして奇しく妙なる人の心の、輝きては星よりも清く、咲ては花よりもうるはしき歌といふものばかり尊きものはあらざらん」(佐佐木信綱)
歌ふ心はうるはしい、純なものだ。歌はんかな、歌はんかな。國歌を.校歌を。そして応援歌を!
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