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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(4) [思想]

4 戦前戦後のニつの理論


 ナショナリズムに関する限り、今の日本国は旧日本帝国を継承していないことは、前に述べた。継承していないばかりでなく旧日本帝国を拒否し積極的にこれを拒絶することで、今の日本国は成立しているのである。

 ここに、日本国ナショナリズムの形成にあたって困難な問題がある。日本帝国と日本国と。日本人の背負った二つの国家は、たがいに異質なものである。しかし日本人あるいは、その共同体の”くに”は両国家の時期を通じて連続していることはいうをまたない。日本国民の多数は、時期の差と、したがって経験の質における差異はあっても、かつては日本帝国の臣民であった。明治日本を建設し、日清・日露の戦争を主体的に戦い、大正から昭和初期の混乱期をくぐり抜け、満州事変にはじまる侵略的ナショナリズムをその渦中で体験し、米・英を相手に自滅的戦争をいどむにいたったのは、今の日本人の父祖の庶代であり、そしてそれを受けついだ今の日本人自身であった。”大東亜戦争”にしかばねをさらしたのは、今の日本国の国民の夫であり、父であり、また祖父であった。ナショナリズムは一面伝統感情である。これらの過去の諸体験と断絶することによっては、それは成立し得ないはずのものである。

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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(3) [思想]

2 敗戦とナショナリズムの喪失


 それでは、なぜ今の日本からナショナリズムが消えてしまったのか。第一に、一言でいえば、日本帝国のナショナリズムを拒否し、これと断絶するところで日本国が成立したからである。ナショナリズムの視点に立つかぎり、日本国は日本帝国を継承していない。そして、そういう断絶は、帝国政府がポツダム宣言を受諾した瞬間に開始され、占領時代六年八ヵ月を通じて完成された。

 周知のように、ポツダム宣言は、”大東亜戦争”を戦った日本人を二種類にわけた。その第一は、「無分別なる打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れたる我儘なる軍国主義的助言者(天皇への—筆者注)」、「日本国国民を欺瞞し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者」と呼ばれた戦争指導者たちであり、かれらが、満州事変以来の侵略戦争の全責任を人類に対して負うことになる。そして第二種の日本人は、この戦争指導者たちの「欺瞞」によって戦争に従事はしたが、その意志が「自由に表明」されるならば、「平和的傾向を有し、且つ責任ある政府」を樹立するであろう、と期待された一般国民である。ポツダム宣言においては、日本の戦争指導者と、一般国民とを結ぶ関係は「欺瞞」なのである。この両者の関係は、さらに一九四七年七月の極東委員会発表の「日本降伏後の基本力針」において、同委員会を構成する連合国十一ヵ国によって追認される。すなわち「日本降伏後の基本方針」には、「日本国民をあざむき、且つ誤らせて世界征服に乗り出させた徒輩ならびにそれに協力した徒輩の演じた役割を日本国民に十分わからせるために、あらゆる努力を傾倒しなければならない」と述べる。

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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(2) [思想]

大井校長 卒業式.jpg

大井魁先生の「日本国ナショナリズムの形成」を全文転載させていただきます。『戦後教育論』(論創社 昭和54年)からです。初出は『中央公論』昭和38年(1963)7月号です。『戦後教育論』によると、大井魁(かい)先生の略歴は「大正9年(1920)東京田端に生れる。昭和17年東洋大学専門部卒業(10月)、のち昭和20年末まで軍務。昭和22年山形県米沢市立第一中学校教員。昭和24年県立高等学校教員(社会科担、主として日本史)、のち長井高等学校教頭、新庄高等学校校長を歴任、昭和30〜40年、県立米沢女子短期大学(旧米沢市立)非常勤講師・兼務。現在山形県立米沢興譲館高等学校校長。著書『現代と青少年』昭和49年、その他論文多数。」とあります。水戸高校から早稲田大学に進むも、学生運動で放校になり東洋大学に移ったという「うわさ話」を聞いたことがあります。昭和55年3月に興譲館高校を退職され、米沢市教育委員等を務められました。平成21年(2009)9月28日に亡くなられています。先に奥さんを亡くされ、私が米沢市郊外高台にあるお宅にお伺いした頃(平成11年〜13年)は独り暮らしでした。その後、首都圏在住の息子さんの所に行って亡くなられたようです。私が知ったのはずっと後のことで、いま調べてご命日を知りました。担任してもらった先輩方が中心になり偲ぶ会を米沢で開催したとのことですが、それも知りませんでした。知っていたら何をおいても駆けつけねばなりませんでした。先生のお顔を思い浮かべつつ、以下5回ぐらいに分けて全文掲載します。(写真は『岩槻親写真集 興譲館とともに30年』(平成6年)からです。)

 

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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(1) [思想]

前回の記事を書いて、安達峰一郎博士顕彰講演会チラシを探していたら、「週刊置賜」に書いた『上杉鷹山の師・細井平洲―その政治理念と教育の思想』(大井魁著 九里学園教育研究所 平成3)の書評記事をひきだしの隅に見つけた。20年以上前に書いたものだけれども、今のいろんな思いにつながるので載せておくことにします。これを読まれた大井先生からうれしいハガキをいただいたのですが、どこかにあるはずです。


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 書かずにはいられなかった著者の真情のこもった本に出合えるのはうれしい。

 九里茂三氏による序を引こう。

 「細井平洲の研究といったが、この書は研究の域からよほどはみ出している。それは現実に生々しい教育に心を砕いていた教師としての止み難い嘆息であり、細井平洲と上杉鷹山との生きざまにたいする深い共感であり、またそれ故に発する歓喜のなせるわざである。」

 十年前の自分だったらこれほど素直に読み通せただろうかと思う。様々な先入観によって心が曇らされていた。その先入観の根底に巣食っていたのは、細井平洲が斥けてやまぬ「驕傲の気象」であったにちがいない。

 私事にわたるが、私が自らの驕慢の心に直面させられ、そして今いささかなりともそこから自由になりつつあるとすれば、それは、縄文の昔より、おそらくは三、四千年を超えるてあろう伝統を引く古神道との出合いによってである。著者は言う。「一民族の伝統文化が、一度や二度の敗戦や社会変革によって、全く姿を消すということはあり得ない。それはいろいろな形で現代に継承されているに違いない。ただ今日の学校教育の中では、それはほとんど継承されていないように思われる。」然り。そしてあるいは、いやおそらくはその結果、今の大学を頂点とする学校教育のシステムそのものが、細井平洲が教育によって治さねばならぬと腐心した「驕泰の心」「亢傲(こうごう)の態」を、むしろ助長する方向に機能しているのではあるまいか、と自分自身を省みて言えるのである。

 とは言え、「世の中のしくみが悪いからだめなんだ」式の議論にくみすれば、これまた人間としての自立を妨げる戦後教育の最たる弊に陥ってしまうわけで、処方は別のところにある。

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若松英輔「生きる哲学」を読む [思想]

2ヶ月ぐらい前、もったいない本舗から段ボール箱5枚が届いていた。思い切って本を整理しようと思ったのだった。いくつか詰め込んで、そのうち催促が来たのだがそのままになっていた。そうしているうちに「自称2062年の未来からやってきたという未来人2062氏(本名不明)の予言」というのに出会った。その中にこんなQ&Aがあった。

 

Q.なにか持っといた方がいいものとかあるの?


A.書籍は大事に保管だ。


もったいない本舗さんには申し訳ないが、そんなわけでずるずるになってしまっている。そうこうしているうちに「読む」ことの意味をあらためて認識させられる本に出会った。若松英輔さんの『生きる哲学』。いろいろ忙しいのに、一気に読ませられた。人は悲しみによって形而上学の世界(根源的実在の世界)に導かれる、自分にとってそんな悲しみとは何なのか。


クライマックスとも言うべき章が、「第13章 読む 皇后と愛しみが架ける橋」だった。


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ですから「木内鶴彦」の本体は肉体にいるのではなく、意識の中にいます [思想]

思いがけない三羽のうさぎの発見から、「無私であることにおいて、個は究極的に輝く」(若松英輔)という言葉との出会いがあり、その後、読む本出会う文章なぜかことごとくその流れだったのだが、さっき木内鶴彦さんの「『臨死体験』が教えてくれた宇宙の仕組み」を読んでいて、どうしても記録しておきたくなってOCRで読み込んだ。

 

そもそも月は1万5000年ぐらい前に出現したものだと言う。大量の水を含んだ巨大彗星が太陽に接近して莫大な水蒸気を発生し、その水蒸気が地球の引力によって地球に降り注いで地球の水分は一挙に倍増、一方、水分を抜き取られた巨大彗星は軽石のようになって地球の周りを廻るようになった、それが月。水を得て地球の質量アップ、その結果自転速度は25時間が24時間になった。生物の体内時計が25時間であるのは月のなかった時代の名残り。あの図体の恐竜が今の重力下で時速60キロで駆け回れるはずがない。女性の生理が一ヶ月周期になったのは月ができてから。それまでは年1回。重力の変化が身体に変調をきたし、その不安が子孫を残そうとする本能に働きかけて女性の生理になる。人間だけでなく、サンゴも満月の後に産卵し、ネコのサカリも満月や新月のとき。地震や火山爆発もそう。「このように月の出現は、地球上の生き物や人間、そして地球にも大きな影響をもたらしたのです。」として、次の、ほんとうになるほどと思えた文章が出てきたのです。

 

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「無私であることにおいて、個は究極的に輝く」(若松英輔) [思想]

昨日の朝、珠玉の言葉に出会った。「無私であることにおいて、個は究極的に輝く。」太い線を引きながら神棚の前で読み進めてきた『現代の超克』4章「近代の問いー『近代の超克』を読む」の「霊性の問題」の段、若松英輔さんの「個と全体、あるいは分有された個」での言葉だ。抄約する。


《霊性論とは、人は、神を客観的問題として論じえるか否かという問題にほかならない。(人間という存在はいつも神の一部背あると考える吉満義彦は)人は、何を論じるにしても「神」の問題から逃れることはできない。「近代の超克」とは、「再び神を見出し霊性の立場で文化を秩序づけて行く」ことだと吉満は語っています。》

《吉満にとって霊性は、人間のなかにある絶対を求める衝動です。・・・それは・・・魂が、存在の淵源に還ろうとすることだと吉満は・・・感じている。・・・トマス・アクィナス(1225-1274)が、恩寵はいつも個を滅するのでなくて、むしろ完成すると語っています。》

《全体主義は個を全体のなかに埋没させ、無化することです。しかし、・・・トマスも吉満も、全体性を回復すれば、そこに個が埋没するのではなく、個はますますそそり立つと考える。》

無私であることにおいて、個は究極的に輝く。どこまでも個であろうとすることは、他者の存在をいっそう際立たせる。また、自己は、自己のみによって存在するのではなく、他者とは開かれた自己への別な呼び方であることも明らかになってくる。別な言い方をすれば、他を深く感じることが、自己を、個を深めることになるというのです。》(若松英輔×中島岳志『現代の超克』ミシマ社 平26.8

 

この言葉の現前は私にとってシンクロニシティの体験だった。というのは、小田仁二郎についてとりあえずまとめの段階に入ったところで、その一週間前に語った上杉鷹山公とのつながりをふと感じて、そのときのレジュメの最後のところをそっくり小田仁二郎のレジュメにもってきた。そのつながりがまさに「無私」であり、「時代がようやく追いついた」感であった。

 

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近火御見舞いのこと [思想]

250421久保火災、山新記事.jpg
私は留守だったが、昨日の正午ごろ、直線距離にして200メートルのところで、4棟が焼けひとりが亡くなる火事があった。風もありさらに延焼の恐れもあったが、近くの住民の必死のバケツリレーもあって、なんとかここで食い止めたという。携帯で火事の情報は入っていたが、家に戻ったのはもうすっかり火事が収まった3時過ぎだった。すぐ考えねばならないのが近火のお見舞いだ。今回は類焼の家も見舞わねばならない。1000円札の捻出とのし袋の用意。「近火御見舞」の文字を書いている最中にまた消防車のサイレンが鳴り出した。消防団で火災現場にいる息子にケータイで聞くと、隣の町内の火災で、自分たち二人が先の火災の現場に残って、他はそちらへ向かったという。先の火災の現場からは200メートルぐらい、我が家からは300メートルぐらい。最近久しく火事はない。一日に続けざまなど考えにくい。思わず放火を疑った。これはボヤで収まった。コンロの火をつけたままで出勤してしまい燃えあがったということだった。隣家の人が外に出た煙を見つけ通報して小事ですんだ。それから間もなく息子から電話が来て、家のすぐ近くに赤いランプの車が停まっている。何事か見てきてくれという。こんどは50メートルほど先の十字路で交通事故だ。消防車と接触したようだ。けがはなかったという。なんという一日か。この間、我が家にもお二人から近火御見舞いをいただいた。その日の火災の恐怖を体験しなかった私には恐縮の極みだった。

近火見舞いののし袋を揃えて自転車で出た頃はもう真っ暗だった。同じ目的と見られる人が行き交う。10数軒をまわった。一つ残ったので、ボヤの家の向いの家にも行った。「寄れ」と言われてゆっくりして家に戻ったのは8時をすぎていた。

本題はここから。

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中松義郎博士「日本は負けていない ―超経験者しか知らない史実―」 [思想]

≪本論文はフィクションではなく本筆者が自ら直接見聞きした事実に基づく真の近現代史である。≫ではじまるドクター中松こと中松義郎博士のこの論文は、アパグループが募集した第四回「真の近現代史観」懸賞で社会人部門優秀賞に選ばれた論文。ちなみに第一回最優秀賞を受賞したのが田母神俊雄氏のかの論文だった。「賀川豊彦」を検索していて出会った。戦後67年の戦後史が全く違った形で見えてくる。かなり長いので再読しつつ要所要所をひろってみた。

昭和二十年八月十五日正午、最後の帝国海軍将校生徒だった中松氏は兵学校の校庭で玉音放送を聞いた。
 
≪「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。当時の日本人は全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。 ≫

日本ではかねてより仁科博士を中心に原爆開発が進められており、杉山参謀総長がハワイに落とすことを陛下に上奏するまでに至っていた。(しかし陛下はその非人道性のゆえに却下、しかし杉山参謀長は、ご意向に反し「軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打つ」として開発を継続。その責を負って杉山総参謀長は終戦直後に切腹。)

≪陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。日本は負けていないのに終戦したのである。≫

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「モモ」を読むーーますみのむすび [思想]

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ミヒャエル・エンデ著『モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』を読んだ。

実は20数年前、4分の1ほど読みかけてそのままになっていた。その時、もっと落ち着いた気持ちで読まねばこの本に申し訳ない、そんな気持ちで大事に取っていた、そう言ってもいいかもしれない。ちょうどその頃書いた文章があった。(「週刊置賜」昭和60.1.1)

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