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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(1) [思想]

前回の記事を書いて、安達峰一郎博士顕彰講演会チラシを探していたら、「週刊置賜」に書いた『上杉鷹山の師・細井平洲―その政治理念と教育の思想』(大井魁著 九里学園教育研究所 平成3)の書評記事をひきだしの隅に見つけた。20年以上前に書いたものだけれども、今のいろんな思いにつながるので載せておくことにします。これを読まれた大井先生からうれしいハガキをいただいたのですが、どこかにあるはずです。


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 書かずにはいられなかった著者の真情のこもった本に出合えるのはうれしい。

 九里茂三氏による序を引こう。

 「細井平洲の研究といったが、この書は研究の域からよほどはみ出している。それは現実に生々しい教育に心を砕いていた教師としての止み難い嘆息であり、細井平洲と上杉鷹山との生きざまにたいする深い共感であり、またそれ故に発する歓喜のなせるわざである。」

 十年前の自分だったらこれほど素直に読み通せただろうかと思う。様々な先入観によって心が曇らされていた。その先入観の根底に巣食っていたのは、細井平洲が斥けてやまぬ「驕傲の気象」であったにちがいない。

 私事にわたるが、私が自らの驕慢の心に直面させられ、そして今いささかなりともそこから自由になりつつあるとすれば、それは、縄文の昔より、おそらくは三、四千年を超えるてあろう伝統を引く古神道との出合いによってである。著者は言う。「一民族の伝統文化が、一度や二度の敗戦や社会変革によって、全く姿を消すということはあり得ない。それはいろいろな形で現代に継承されているに違いない。ただ今日の学校教育の中では、それはほとんど継承されていないように思われる。」然り。そしてあるいは、いやおそらくはその結果、今の大学を頂点とする学校教育のシステムそのものが、細井平洲が教育によって治さねばならぬと腐心した「驕泰の心」「亢傲(こうごう)の態」を、むしろ助長する方向に機能しているのではあるまいか、と自分自身を省みて言えるのである。

 とは言え、「世の中のしくみが悪いからだめなんだ」式の議論にくみすれば、これまた人間としての自立を妨げる戦後教育の最たる弊に陥ってしまうわけで、処方は別のところにある。

 「旅を道連する時。道に食べ物でも無ひか休む所が無ひ時、独りの道連がやきめしの一つもある時は、道連なりとて見せてひとりは食いはせぬ。せめて是なりとも半分ヅツ、食べ湯でも呑ませうと、是互いに天の誠を失わぬ時は、おのづから互ひの持合ひで、飢えも凌ぎ、其命も助かる。・・・」(細井平洲講釈問答)

 「ごくあたりまえのことではないか」と、あるいは今に伝わる鷹山公による治政の賜物なのかもしれぬ、われわれ置賜人には、日常の暮らしを見回してみて言うことができる。大丈夫、頭の先っちょには神も仏もないはずなのに結構神仏に手をあわせる機会が多いがごとく、表立っては物欲文化に浸り込んで寄ると触ると「カネ、モノ、カネ、モノ」でも、日々の営みの中では決して「天の誠」を見失ってはいない。

 「美(うま)し地(くに)おきたま」。二十一世紀、置賜が日本の中心になるとすれば、この「天の誠」的感覚によってである。この本によって、世界の中心になりうるただならぬ歴史的条件を備え、精神的伝統を引くのが、この置場の地であることをあらためて確認すると共に、この本を、われわれの途方もない夢を実現するためのこの上ない手引書として読むことができた。置陽人、斉しく座右に置いていただきたい。 (はぐらめい)

 

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大東亜戦争肯定論.jpg

大井先生には高校2年の時に日本史を教えていただきました。3年への進級を前にした春休みに、終わらなかった現代史の分の補習授業もありました。私が平成11年から関わった「新しい歴史教科書をつくる会」運動で、山形県支部の顧問になっていただき、何度か山形米沢間を私の車でご一緒して親しくお話もさせていただいたのも懐かしく思い起こされます。ちょうどその頃、林房雄『大東亜戦争肯定論』が復刊、その中で大井先生のナショナリズム論についての言及があり驚いたものです。その本に先生からサインしていただいていました。以下、『大東亜戦争肯定論』の大井先生の議論言及部分です。

大井先生サイン.jpg

 

《アメリカの青年は、強烈な国家意識と、それに加えるに自由世界の担い手としての使命感を、もちすぎるほどもっている。ソ連もこれと対極的な意味で、たぶん同様であり、そのほかアジア、アフリカの諸国のどこをとっても、いたるところ『民族の偉大』が角をつきあわせている。/その中で日本は、——日本だけが、敗戦とともに国家意識を喪失した。大日本帝国の崩壊とともに、大日本帝国のもっていたすべてがわるいことになった。一億総懺悔で、一時は明治いらいの歴史がすべてわるいことにさえ、されそうな形勢だった。・・・ 糾弾され、追放になったのは、人間であるよりも、国家意識をはじめとするいくつかの観念なのである》という文芸評論家村松剛氏の「女性的時代を排す」(『文藍春秋』昭和398月号)の紹介のあと、《全く変に女性化してしまって、男くささ、男らしさを失い、背骨その他をどこかにおきわすれたかのような現在の思想風俗は正気の沙汰ではない。追放された諸「観念」の中には日本人にとって責重な観念が数多くあったにちがいない。》として、大井先生の主張が取り上げられる。

 

《 「理性的ナショナリズム』

 この骨のないクラゲ状態を脱出して、失われたものを回復するのにはどうしたらいいのか。

 この問いに対しては、歴史家で教育者の大井魁氏が「日本国ナショナリズムの形成」という論文の中で、一つの答えを出している。「日本国に、男性的なナショナリズムを形成することが、今日の急務である。……日本国ナショナリズムの形成根拠を何に求めるべきであろうか。それは、日本帝国時代の日本人と日本国(敗戦後の日本国家のこと)の今の日本人との、歴史的な一体感の回復をおいてはほかにない。現在の日本の自我に立脚しつつ、過去のみずからの姿を、誇りと恐れと恥をもって、ふりかえることである。大日本帝国のなしとげた業績は、今の日本人の業績であり、その犯した罪悪は今の日本人の罪悪である、と認めることである」

 これはもやもやの理性的処理法であろう。直接村松氏に答えているわけではないが、こんな文章が前後して出はじめたというのは興味深い。

 「何よりも望まれるのは、日本の五十万の教師の自覚である。日本国の理性的ナショナリズムの形成は、まず日本の教師たちの先覚的任務の自覚からはじまらなければなるまい」

 これは教育者としての大井氏の要望である。あまりに「先覚者」すぎる日教組の現指導者諸氏はそっぽを向くかもしれぬが、少なくとも半数の二十五万の教師諸氏の胸底には同じ憂いと自覚が芽生えはじめているのではなかろうか。憂いは哲学的となり、形而上学的となり、もやもやの雲となっているが、やがて雨となって日本の乾いた土をうるおしてくれるかもしれない。》(『大東亜戦争肯定論』17-18p

 

『大東亜戦争肯定論』が出たのが昭和39年、この前年、ちょうど私が高校一年の時、大井先生の「日本国ナショナリズムの形成」が中央公論7月号に掲載された。「ナショナリズム」という言葉は、とりわけ教育界ではタブー視されていた時代だったと思う。山田宗睦の『危険な思想家—戦後民主主義を否定する人びと』(カッパブックス 昭和40年)に大井先生の名前があげられたことが由々しきこととしてささやかれていたような気がします。この論文は『戦後教育論』(論創社 昭和57年)で読むことができます。

 

とここまで書いて「日本国ナショナリズムの形成」の要点を紹介すべくあらためて再読したところ、半世紀前の文章にも関わらずその現在的意義に驚き、多くの方に読んでいただきたく全文掲載することにします。(つづく)


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