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「経済脳(損得の視点)」を超えるもの [副島隆彦]

放知技板、亀さんの書き込み(861)で副島隆彦氏が田中宇氏の「★人類の暗い未来への諸対策」を絶賛しておられることを知った。たしかに副島氏も「経済脳」に縛られている。

20年ぐらい前から副島氏からは多くを学んできた。「副島隆彦」カテゴリーもあるし、アマゾンにレビューも書いている。(『余剰の時代』https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-04-04、『日本が中国の属国にさせられる日』https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-05-06)ただ、最初から「異和」もあった。それを「重たい掲示板」で表明したことがあった。その時の題が「『損得の視点』への異和」。その1年後にこのブログを始めたので、その時の議論を「『損得の視点』を超えるもの」と題して書いている。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-06-03

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[4012][4001]損得の視点 (落合さん)への異和 投稿者:めい 投稿日:2005/03/18(Fri) 21:35:25

落合さんの<[4001]損得の視点>を読んで感じるところがありましたので初めて書かせていただくことにしました。

(引用はじめ)

 「正誤論や正義不正義論も大切ですが、個人の行動レベルでは損得(=レシオの論理)で動かないと、気がついたときはまた自分だけ取り残されて(=自分だけ損をして)悔しい思いをします。頭でっかちな人、正義感が強いといわれる人というのは、正誤論や正義不正義論で言行一致してしまっている人たちです。そして「他人も言行一致しているはず」と思い込んで先読みに失敗することが多いでしょう。

(引用終わり)

  たしかにそうなんだと思わされつつ、言うにいわれぬこの異和感はなんだろうと考えていました。その答えはきっと、人間の行動というのは決して「個人レベル」のものではなく、人と人とのつながりの中でこそのものであり、そう考えるならば、個人レベルの損得勘定は二義的にすぎない。ほんとうに大事なのは人と人とのつながりの中で生まれるいわば「共感の体系」とでも言えるものなのではないかと考えるのです。

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ということで、雲井龍雄、メルロー・ポンティ、吉本隆明を引き合いに出しながら論じた。私にとっては原点ともいうべき議論だった。思いがけなく副島氏からコメントをいただいてありがたかったが、私の真意から外れた、メルロー・ポンティへのいささか的外れな評価だった。結局副島氏の拠って立つのが「レイシオ感覚」であり、それは「損得の視点」を第一義とすることであり、要するに「経済脳」ということで、それが副島氏の生き方にもつながって、つらいだろうなあ、と思ってしまう。ただそれはそれとして、「アジア人同士戦わず」感覚を植え付けていただいたことをはじめとして、私にとって学ぶことは多いので、今も2冊に一冊ぐらいは買って読んでます。

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