SSブログ

「共感の体系」 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

mespesadoさんが「共感の体系」について、「その先に(というより、むしろ逆に『本来の姿として』というべきか)》在るもの」と表現されました。納得です。こう言われたことで新しい世界の広がりを感じています。mesさんの言葉で、自分の中に新たな思考の枠組みが生まれそうだ、そんな気がします。まさにそれは、「本来の姿」です。「なーんだ、そうだったんだ」が、いつもmesさん理論の行き着くところです。

*   *   *   *   *

867:mespesado :2019/10/31 (Thu) 07:24:28
 今まで、れいわ新選組の山本太郎氏にもNHKから国民を守る党の立花孝志氏にもどうにも違和感を感じていたところ、はぐらめいさんが最新のエントリー:
https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-10-31
でヒントになる記事を提供してくれました。
--------------------------------------------------------------------
(引用はじめ)

 「正誤論や正義不正義論も大切ですが、個人の行動レベルでは損得(=レ
シオの論理)で動かないと、気がついたときはまた自分だけ取り残されて
(=自分だけ損をして)悔しい思いをします。頭でっかちな人、正義感が強い
といわれる人というのは、正誤論や正義不正義論で言行一致してしまってい
る人たちです。そして「他人も言行一致しているはず」と思い込んで先読み
に失敗することが多いでしょう。

(引用終わり)

 たしかにそうなんだと思わされつつ、言うにいわれぬこの異和感はなんだ
ろうと考えていました。その答えはきっと、人間の行動というのは決して
「個人レベル」のものではなく、人と人とのつながりの中でこそのものであ
り、そう考えるならば、個人レベルの損得勘定は二義的にすぎない。ほんと
うに大事なのは人と人とのつながりの中で生まれるいわば「共感の体系」
でも言えるものなのではないかと考えるのです。
--------------------------------------------------------------------

 つまり、山本氏はまさに「正誤論や正義不正義論で言行一致してしまっている人たち」の一人なのであり、逆に立花氏は「大半の人が『個人の行動レベルでは損得(=レシオの論理)で動かないと、気がついたときはまた自分だけ取り残されて(=自分だけ損をして)悔しい思いをします』という考えで行動している、と割り切って考えている人たち」の一人なんじゃないかな、と思うのです。
 本当は、その先に(というより、むしろ逆に『本来の姿として』というべきか)、めいさんの言われる「共感の体系」があるはずなんですが、ここにまで到達していないことへの「違和感」なのだと思います。

878:mespesado :2019/11/01 (Fri) 00:15:24
>>873 >>864
 山本太郎氏は、貨幣の仕組みに対する国民の誤解を解いて、反緊縮を啓蒙しようとしている。その努力は称賛されるべきだ。しかし残念なことに、彼には安倍政権が、精一杯緊縮勢力に抵抗しているにもかかわらず、彼らの抵抗が強すぎて成果が出せていないという政治の裏事情が見えていない、という限界がある。
 逆に、立花孝志氏は、マスコミの世界が薄汚いものであり、この悪の根を成敗しないとどうにもならないことをよく知っていて、マスコミに頼らず、ネットの力だけでどこまで彼らに対抗できるかを知恵を出して戦っている。この努力は称賛されるべきだ。しかし残念なことに、彼には国民の間に誤った貨幣の理解が蔓延していることが政治の世界で緊縮財政が横行している原因であることは見えていない、という限界がある。
 要するに、どちらも精一杯頑張っているが、重要なことが見えていないという欠点があるのだ。
 彼らの正しい部分もバカにして否定するのは愚かだが、逆に全面的に買いかぶり過ぎるのもどうかと思う。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。