SSブログ

深い衝撃/副島隆彦著「余剰の時代」を読む  [副島隆彦]

余剰の時代.jpg

1970年代、日本の食料生産は供給過剰時代に入った」という松尾雅彦氏の指摘(『スマート・テロワール』)が頭を離れない。そんな折りの副島隆彦氏による『余剰の時代』の発刊。「余剰」が人類史を大転換しつつあるの意か。シンクロニシティを感じつつ注文した。


最終章「生き延びる思想」での著者の勢いに圧されながら読み終える。勢いに任せて書きなぐると言ったら言葉は悪いが、著者の本心が溢れかえっている。いわく、《ある程度悪賢い、ずる賢い人間でないと、金儲けはできないようである。》(173pここは太字になっている)《70歳を過ぎたら、次から次にどんどん死んでいくのが、いい社会だ。》(176p)《素人さんを騙すために金融業界はある。》(181p)《人から騙されないということが、人生で一番大事なことだ。》(185p)《言うことを聞く人間を育てるために国民教育があって、公教育(学校教育)をやるのだ。》(193p)・・・そして《長生きはいいことだというのは間違いだと言うべき時代が来た。》(188p


しかし、私にとってこの本のほんとうの衝撃はここではない。

 

「理想を捨てよ、そして何があっても生き延びろ!」の第2章、「余剰問題の解決策としての戦争」の段。《戦争をすることそのものが、帝国が生き延びる道なのである。》(83-84p)その帝国の支配下にある属国日本。《古来征戦 幾人カ回(カヘ)ル・・・戦争の恐ろしさは、過剰、余剰なものを処分するという思想が根底にあることだ。》(87p)お膳立ての中でしか生きたことのないように見えてしまう総理大臣の顔が思い浮かぶ。これが属国日本の現状。ここを読みつつ「日本のその先行きは必然か」と思いはじめた自分がいることがなんとも恐ろしいのだ。ハイジャック事件に際し、時の総理大臣が「人の命は地球よりも重い」と言えた時代があったことがウソのようだ。


もうひとつの衝撃は、国家が人を戦争に駆り出すイデオロギーの源をたどると、「自由と平等」思想のシンボル的存在であったはずのルソーに行き着くことの指摘だった。《(各人が)すべての人と結びつきながら、しかも自分にしか服従せず、それに自由でありつづけることができなければならない》ために《みずからと、みずからのすべての権利を、共同体の全体に譲渡する》のがルソーの説く社会契約説である。そのことのいかがわしさにいちはやく気づいたのが論敵ヴォルテールだった。《これでは、人間世界は、新たな牢獄になる》と。(127-129p)そして副島氏は言う。《ルソーがトータリテリアニズムtotalitarianism全体主義の生みの親だ。》(130p

 

この結論には著者自身が驚いたようだ。《この本は、こんな所にまで来てしまった。読者をまるで荒涼たる荒野にまで引っ張って連れて来てしまって、まことにもうしわけない》(140p)の言葉。そして反芻する。《念を押して繰り返し書く。ルソーの何がいけなかったのか。それは無理やりヴォロンテ・ジェネラール(普遍意思)なるもので、『あなたには生まれたときから普遍意思が備わっていて、その中に所属しているのだ』と言い切ったことだ。あれが、ルソーの最大にいけなかったことだと私は思う。/『ハイ。あなたはすでに契約しています』と言われてしまったら、そこから離脱できない。現実にそうだ。日本国民として生まれたら、もう国民としての義務に服せとされる。権利もあげるけど、義務も果たせ、と。『いやだよ』と言っても逃げられないのだ。これを、なんと人類の自由思想の旗手であることになっているルソーがつくったのだ。このことは大きな問題だ。ルソーがその後の人類を抑えつける思想をつくったのだ。なんと『自由の思想』の名において。》(141-142p

 

著者はルソーによって用意された「新たな牢獄」から脱け出る方途をニーチェに求める。ニーチェは言う。《(弱者への同情をよしとするような)君たちのその真面目さが、どんな軽薄さよりも危険なものに思える・・・君たちが考えるような人生での無事息災というものは、——それは生きることの目的などではない。・・・不幸のときに魂が張り詰めることで、人間の魂は強きものに育てられるのである。・・・快楽と苦痛と同情が関わるすべての問題よりも、さらに高次元の問題がこの世には存在するのである。》(ニーチェ『善悪の彼岸』)著者は言う。《このようにニーチェだけが、はっきりと今の、生き苦しい中を生きている私たちに指針を示してくれている。雄々しく解けない問題に立ち向かい、苦悩の中で克服せよ、と『力への意志Wille zur Macht』を説いている。》(146-147p)著者はここで糞切ったのだと思う。ハラを括った最終章へとつながるのである。

 

レビューを書きつつ、ローマ帝国支配下ガリラヤの民の切なる思いが去来した。果たしてわれわれに救世主の降臨はあるのだろうか。それにしても敗戦後70年、ステルス(低被発見的・隠密的)支配による闇はいよいよ深い。・・・そうか、わが国には呪いから醒めた天劒降下の故事がある。われわれが念ずべきは布都御魂ふつのみたま)の御再臨か。



nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 4

めい

《その人といると、なぜかホッとする、、、温かなものを感じる、、ハッと自分の不安が癒えていく気持ちを抱ける、、、それがこれからの時代進行の原理なのです。》
マドモアゼル愛さんです。読んでホッとしたところです。
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20150403

   *   *   *   *   *

■ 花冷え New! 2015年04月03日(FRI)

桜が咲くと一回は寒い時期が訪れ、花が散らないか心配になったりやきもきさせられるものです。

桜が咲いて散るまでには、誰にもこうした小さなドラマがあり、こうした一連のすべてがセットになって私たちは桜の時期を迎えるわけです。

先日のブログで書いたように、明日は皆既月食であり、夜桜を見ながら月食を眺めるなど、めったにできない体験をする人も。

しかしそうした天体の合図に合わせるように世界情勢が動いています。今の動きは第二次大戦が終えた後に匹敵する大きな変革が起きていることで、マスコミが重要性を伝えないことで、日本の立ち位置が推測できるということでもあります。

沈んでいく船に待機命令を出してそのまま船を沈めたどこかの国の悲劇がありましたが、日本のマスコミも国民に世界で起きている重要性を伝えないまま、ほおっかぶりして変革を見ない態度を決めているようです。

しかし、それに気づいたときには、もう水がキャビンに入っているようなもので、いやでもだまされていたと気づかされることでしょう。

マスコミがほとんど重要性を解説しないままアジアインフラ投資銀行への非参加を当たり前のように伝えたり、今、起こりつつあるイエメンの報道など詳細はまったくない。

イエメンはこの時期での戦闘は非常に危険で、サウジの兵士、中国の兵士も戦闘に参加しているという、ミニ第三次大戦の様相すら感じさせます。

なぜマスコミが公平で詳細な世界情勢を伝えないのかは、彼らの親分が窮地に陥った報道となるからでしょう。

窮鼠猫を噛むではありませんが、戦争で金儲けをしてきた勢力は世界が言うことを聞かなくなってきたので、必死の形相になってきている。何としても戦争を起こしたい、、、そうしなければ、力を維持することができず、金と紙切れドルとの争いに負けてしまう、という状況がある。

日本がなぜ金購入を許されなかったのかも、黒田日銀総裁もそうですが、宮沢外務大臣時代には、宮沢氏はことあるごとにぼやいていた。本当はゴールドを買いたいと。

高度経済成長後のあかつきには、自由になるお金がたくさんあったにも関わらず、ゴールドを買うことをアメリカによって止められている。

ゴールドと紙切れ紙幣の争いがニクソンショック以降の歴史の一面であり、紙切れ需要を満たすためには、経済の発展、あらゆる消費文明の維持、さらに戦争は必要という構造でした。

その争いに戦争屋が負けだしており、すぐに争いをおこして急激な武器需要を作らないとやっていけなくなる、、、、なりふり構わない状態。

それに日本のマスコミも政権も加担している面が大きいのです。そのことがここに来て一般人にもそれとなくわかってきている。

少なくとも、今の政権が私たちのために何かやってるのではなく、もっと他の者たちのために、日本人の作った成果物を横取りしている、、、そんなことが、誰に教わるまでもなく、何となくわかってきた。

なので、早く戦争を起こし、それも圧倒的なめちゃくちゃな戦争を起こし、それどころではなくするしかない、、、という勢力が暴れまわっている。

山場はまさに皆既月食から半年でしょう。

その一方で、中国はアジアインフラ投資銀行を作り、新たな通貨制度への道を、ドルに変わって築こうとしている。

当然、ドルの本家であるアメリカ、及び、円を減価させてまでドルを守ろうとする日本政府は、これに反対。

イスラエルまでアジアインフラ投資銀行に入るというのに、日本はストップと。

しかし、6月には追いかけて日本も入ります、、、という情報も。安倍以降を読んでいる勢力がそうした情報を出している可能性があります。

アジアインフラ投資銀行がどういう流れになるかはまだ不明ですが、ドル降ろしである点で大変なことが起きているといえる。歴史的な出来事なのです。

サウジアラビア イスラエル アメリカ 北朝鮮 日本が本当の意味で一体だったことが、誰の目にも今、わかりかけてきている。悪い一体として。

世界の流れはそれとはまったく別になりつつある。カギを握るのは、本当は私は日本だと思います。

日本の態度ひとつで世界の流れは決まってしまうので、日本を操縦している勢力が安倍政権をつくり、何としてもこれまでの体制を維持しようとした、、、

安倍政権がとん挫したら、本来の日本の力が出てくるので、流れを大きく変えることになると思います。

天皇も世界もそのことを知っている。戦争屋に付くか、新たな時代に賭けるか、、、歴史は予断を許さないところに来たようです。

こうした大きな変革期には、失ってはならないものの見方があります。それは、どちらにつけば得するとか、どちらに付くしかない、、、という不安からの判断はすべて間違えます。

そうではなく、未来を見つめる際に必要な見方は、どういう未来が自然で、自分が無理せずに生きられるか、、、明るい気持ちでいられる未来は何なのか、、、ということです。

安倍さんは戦争をやりたいのかどうかはわかりませんが、少なくとも、戦争が遂行できる未来をお考えであることは確実です。

それがいいとか悪いとかより、安倍さんんがお考えのような未来が、自分にとって、心が明るくなるか、自然であるかが大事なのです。

原発の力に頼り、多少のリスクは用心しながら、経済発展を重視する、、、という考えが、私たちに明るい未来を抱かせるかどうかが大事なのです。

仕方ないでしょ、、、とやっても、時代変革期には通用しなくなると思う。そんな安全策で未来を考えても、サラリーマンで一生を安楽に終えられる時代ではないのですから、そんなことより、この未来を選択すると、自分の心が、子供の心が、明るくなれるかどうかが、本当は大事なのです。

やくざ商売でベンツに乗っても、貧乏よりはましだったという時代ではもうないと思うのです。ベンツに乗れても、未来が明るくかんじられなければ、もう意味はない、、、そういう判断が必要な時代になっているのです。

その人といると、なぜかホッとする、、、温かなものを感じる、、ハッと自分の不安が癒えていく気持ちを抱ける、、、それがこれからの時代進行の原理なのです。

それが本当のこれからのリーダーであると藤原直哉先生は述べています。本当にその通りだと思います

重く、仕方ない選択を、生きるためにしてきたこれまでの私たちの時代とは、まったくことなる原理が訪れているのです。

我慢して、原発に頼ることも、我慢して戦争方向へいくことも、すべて時代遅れなのです。

心が明るくなる未来を見つめて、選択していくとき、戦争も原発もなくなります。

難しい理屈は不要。間違った選択で未来を見つめる必要など不要なのです。

戦争に未来も何もありやしません。そこには勝っても負けても明るい心はありません。ブラック企業のあり方も、世界で行われている子供虐待や虐待労働も、まして死刑や拷問など、問題外のやり方なのです。

そうしたものが滅びていく時期に入りました。

by めい (2015-04-04 07:07) 

めい

《AIIBへの不参加が客観的な情勢判断に基づいて「国益に資する」としてなされた決定であるなら、それがひとつの政治的見識であることは私も認める。/けれども、その決定の根拠が「アメリカによく思われること」であるというのなら、それは主権国家のふるまいとは言いがたい。/主権国家はまず自国の国益を配慮する。/韓国も台湾もオーストラリアもそうした。日本だけがしなかった。というかできなかった。》

日本人が敗戦後70年の呪いから醒めるチャンスなのかもしれません。

   *   *   *   *   *

「AIIBへの「雪崩的参加」とアメリカの覇権の翳りについての記事を訳しておきました。:内田樹氏」
http://www.asyura2.com/15/hasan94/msg/925.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 4 月 04 日 23:08:05: igsppGRN/E9PQ    
「AIIBへの「雪崩的参加」とアメリカの覇権の翳りについての記事を訳しておきました。:内田樹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17039.html
2015/4/5 晴耕雨読

https://twitter.com/levinassien

NewYorkTimesの一昨日の記事です。

AIIBへの「雪崩的参加」とアメリカの覇権の翳りについての記事を訳しておきました。

http://blog.tatsuru.com/ アメリカはすでに態度を軟化させ、世界銀行・アジア開発銀行とAIIBのコラボレーションの条件を詰めるという「おとしどころ」を探り始めています。

日本政府だけがぼんやり「蚊帳の外」に置かれてる。

安倍政権て、ほんとうに「使えない」政権ですね。

朝からNew York Timesの記事を読んで「どうして日本のメディアはこういう重要な問題について客観的で精密な報道と分析ができないんだろう」と頭を抱えてしまいました。

韓国や台湾やオーストラリアの政府部内で「アメリカの警告を蹴飛ばす」決定を下す際にどういう議論があったのか。

> 宋 文洲 AIIB対応について安倍総理が怒った: 「聞いていた話と違うじゃないか。君たちは、いったい何処から情報を取っていたんだ」 3月31日、首相官邸で官僚達に http://t.co/wnkfv5JEaD

> 平川克美 自衛隊「国際法上は軍隊」 答弁書を閣議決定 (日経新聞2015/4/3 18:40)。おい、まだ憲法改正されたわけじゃないですよ。ここまで、憲法をないがしろにする内閣は戦後初めてだな。この内閣は、法治主義をなめきって、人治主義でいこうということなんだな。

ーーーーーーーーーーーー
http://blog.tatsuru.com/

2015.04.04
New York Times AIIBについての記事から

4月2日のNew York Times の記事を訳した。

AIIBの意味について、日本のメディアは取材も分析も足りないと思う。

AIIBへの不参加が客観的な情勢判断に基づいて「国益に資する」としてなされた決定であるなら、それがひとつの政治的見識であることは私も認める。

けれども、その決定の根拠が「アメリカによく思われること」であるというのなら、それは主権国家のふるまいとは言いがたい。

主権国家はまず自国の国益を配慮する。

韓国も台湾もオーストラリアもそうした。日本だけがしなかった。というかできなかった。

それはこれまで中国を敵視し、メディアを通じて中国のガバナンスは不安定であり、経済的にも後退局面に入っているという「主観的願望」を垂れ流してきたせいで、現実が見えなくなってきたからである。

中国がアジアにおける日本の最大のライバルであるというNYTの評価は客観的には適切なものだと思いたい。

けれども、これからも「ライバル」であり続けたいと思うなら、願望を語るより現実をみつめる方がいい。

中国の開発銀行への雪崩的参加に中国も驚愕
Jane Perlezapril 
北京発

中国の新しいアジア開発銀行の月末での参加締め切りに突然のラッシュが起きた。中には中国政府の親しい友人とはとても思えない国の駆け込み参加申請まであって、中国人自身が驚いている。

北京の政府部内には台湾からの参加要請があると思っていた人はほとんどいなかった。台湾はいまだに中国から離脱した地域と見なされているからである。ノルウェーもそうだ。両国の関係は5年前に中国人作家にノーベル平和賞を授与したときから冷え切っている。

しかし、申請締め切り後、中国政府はAIIBには46国の参加があったとアナウンスすることになった。アジア隣邦の参加は想定していたが、最終的に参加国名簿にはG20のうち14カ国の先進国が含まれ、うちブラジル、フランス、ドイツなどはアジア以外からの参加であった。

「これほど広汎かつ好意的な支持は想定外だった」とJin Canrong(Renmin 大学国際関係論教授)は語っている。
最終局面での雪崩的な参加表明は、アジア地域における影響力を中国と競合しているアメリカに対する中国の圧勝と見なされている。経済的な現実が認知されたということである。中国は深いポケットを持っている。そして、アメリカが後押ししている制度ではアジアにおける道路、交通、パイプラインなどに対する急増する需要にはもう応えることができない。

アメリカの当局者は新制度をアメリカと日本が支配している国際的な金融制度である世界銀行とアジア開発銀行を切り崩すための企てであると見なしている。オバマ政権筋は新しい銀行の貸与条件が中国のリーダーシップの下で緩和されたために、例えば、開発ラッシュのために地域の貧しい住民が追い出されたりすることを懸念していた。
中国のアジア地域における主要なライバルである日本はオバマ政権の側に残った最後の同盟国となった。一方で韓国、オーストラリアといった通常はアメリカの忠実な同盟国である諸国が当初の決定を覆して参加表明をした。

締め切り直前になっての諸国の雪崩的な参加表明はまず英国によって開始された。アメリカの最も信頼されている友邦である英国は最終的に中国がこれほど巨大な輸出先、投資先である以上、その政府の重要政策のひとつに対して傍観者の立場を貫くことはできないと結論したのである。

ヨーロッパ、アジアにおけるアメリカの同盟国がAIIBに参加しないようにというアメリカの呼びかけを踏みにじったという事実に、中国の当局者や学者たちは、中国はアメリカの指示を受けることなしに世界規模の制度を構築しうる力量があることを証明したとして勝利感を味わっている。

「この事実は中国がアメリカとは独立したかたちで、アジア地域諸国とさらにはアジア以外の諸国とともに活動することができるということを示した。」とWu Xinbo(上海Fudan大学アメリカ研究センター所長)は語っている。
「諸国民が、それが自分たちの利益になり、公共の福利に資すると判断することであるなら、人々はもうアメリカの承認を必要としなくなったのだ。」

「ワシントンは世界銀行とIMFにおける中国の発言権を抑制したことで結果的に墓穴を掘ることになった」とDavid Daokui Li (前中国人民銀行アドヴァイザー、ハーヴァード大学経済学博士)は言う。

「アメリカはナーバスになって、同盟国にこう告げた。『おまえたち、中国に加担するな。あいつらは信用できん』。しかし、結果的にアメリカの忠実な同盟国たちはAIIBに参加してしまった。これにいちばん驚いているのはアメリカ人ではなく、中国人だ」とLi は言う。

「ワシントンは同盟国にAIIBには参加しないように警告を発していた。オバマ大統領は中国がアジア地域で勢力を拡大することに対抗して強硬路線を取ると今年の一般教書で明らかにしていたからだ」とBonnie Glaser(ワシントンの戦略国際研究センターアジア担当アドバイザー)は言う。「オバマは中国にはルールを書き換える能力はないと述べた。ルールを決めるのはアメリカである、と」

だが、アメリカはこの戦いに敗れた。一夜明けて態度を軟化させたアメリカは世界銀行とアジア開発銀行に対して、いくつかの基準をクリアーするなら、AIIBと協力関係を結ぶように促している。

財務長官Jacob J.Lewは今週北京に飛び、李克強首相に親書を手渡した。だが、いささか遅きに失した。もうアメリカはこのプロジェクトで建設的な立場にシフトすることはむずかしいだろう。ワシントンのハンドリングが拙劣であったと多くの人々がみなしているが、その影響はすでに出て来ている。先週中国南部でのBoaoアジアフォーラムで、習近平主席は彼のアジアについての展望を1000人の出席者たちの前で語ったが、参加者の多くは中国以外の国から人たちであった。

「中国に対する賞賛が他国からこれほど寄せられたことに、そしてアメリカの存在感が失われたことに私は驚いている」とGlaser は言う。

これから中国の担当者たちには、AIIBを透明性、貸与条件、環境への影響などについての基準をクリアーし、多様なアジェンダを持つ多様なメンバーたちの要求に応えることのできる制度たらしめるという重責が課せられた。

AIIBの暫定トップであるJin Liquiは世界銀行とアジア開発銀行での勤務経験がある。「経験豊富だし、仕事がわかっている男だ」とNicholas R. Lardy(ワシントン、ピーターソン国際経済研究所シニアフェロー)は評する。「彼は40名の有能なスタッフを採用した。半分は中国財務省から、半数は中国以外からだ。手に入れる限りベストの陣容で臨むと彼は言っている。」

by めい (2015-04-05 05:41) 

めい

副島隆彦さんの新刊『日本に恐ろしい大きな戦争が迫りくる』のいい書評がありました。私は読んでいませんが、副島氏の危機感が伝わります。
http://blog.livedoor.jp/kenzaemon/archives/50455972.html

   *   *   *   *   *

日本に恐ろしい大きな戦争が迫りくる 副島 隆彦 講談社 

 地球規模で繰り広げられる厳しい権力闘争を冷徹に見つめ、最先端の世界情勢を予言する世界基準の知識人、副島隆彦氏の作品。
 沈みゆく世界帝国アメリカは現在、大きく二つに割れ激しい暗闘を繰り広げている。即ち、オバマ大統領を支持するハト派VSヒラリーを次期大統領に推すタカ派という図式である。オバマのハト派はオフショアバランシングという考え方で、世界を地域ごとに分け、地域内で適度な対立と緊張関係を維持し支配していく、場合によっては小さな紛争程度は許容するが大きな戦争はおこさないという路線である。一方、ヒラリーのタカ派はネオコン派であり軍産複合体をバックにしているだけに戦争(ラージウォー)推進派である。そして、このハト派対タカ派の対立構造は、かつての民主党対共和党という対立軸ではない。保守の共和党内でもティーパーティーなどはオバマ寄りなのである。即ち、政党を超越した形でハト派とタカ派が分かれているという状況なのである。本書ではこの辺りの勢力分布などが明解な図で示されている。現在のアメリカの対立構造、正にウーマノミクス、女性政治家、女性官僚の著しい台頭が一目でわかる。
 先般の中間選挙ではオバマは惨敗した。精神的に、さぞ衰弱しているのかと思いきやそうではないらしい。残り二年の任期で「オバマはレガシー(遺産)を残そうとしている」といわれている。著者によると、ホップ(南米と宥和)・ステップ(イラン核廃棄)・ジャンプ(北朝鮮核廃棄)という形で一大逆転劇をやるつもりなのだ。流石に大統領になるような人物は「やわな根性」ではない。追い込まれたら余計に闘魂が燃え上がるのであろう。ネオコン派急先鋒とされるライス女史などがオバマ寄りになったり勢力争いも目まぐるしく変化しているようである。
 著者が以前から指摘するようにヒラリーの夫ビル・クリントン元大統領は、ロックフェラー直系なのである。ウィンスロップ・ロックフェラーの隠し子であることは公然の事実であるらしい。即ち、次期大統領にはロックフェラー家の嫁、ヒラリーがなる。これが世界皇帝ロックフェラー家の絵図なのである。従ってマスコミは、オバマが推すバイデン副大統領を黙殺し、一般には全く人気のないヒラリーを次期大統領候補として大きく扱っているのである。マスコミが腰抜けなのは日本だけではないようだ。
 何れにしても、戦争(ラージウォー)をやりたいネオコン派は中東、東アジア地域で紛争を起こすように動くであろう。東アジアに関して、オバマは中国の習近辺、韓国の朴槿恵(パク・クネ)と連携し北朝鮮を封じ込める方針である。これにヒラリーの意向を受け、ひとり日本だけが連携から外れている。世界基準では極右内閣と見做されている安倍政権は、やはり、戦争をしたいのであろうか。
 良識ある国民であるならば、現在の日本が戦前の大政翼賛会的体制になりつつあり、世界情勢も大戦前の状況と似ており、非常に危うい状況であるという認識を持っているはずである。先般の衆院選挙で党内を制圧し誰も逆らわない安倍政権は、更に「内閣人事局」なるものを作り官僚も統制下に置いた。そして、マスコミもすっかり御用報道機関となっている。戦前もそうであったように大手報道機関というものはイザとなったらあてにならないどころか、積極的に権力の走狗となるものである。世界基準の真実、大きな流れは、確かな人物の書物や新聞雑誌の何気ない記事などをもとにインテリジェンスを動員し自分自身で把握するしかないのである。
 著者は戦争のプロセスを以下の通りわかり易く解説している。
①議論、対立(argument):尖閣問題等のレベル
②軍事衝突:(military conflagration):民間人ではなく海上保安庁など公務員に死者がでる。国家として後に引けないレベル
③紛争、事変(military conflict):多数の死傷者がでる衝突。現在のウクライナの状況
④戦争:(warfare):大体4年位で厭戦気分になり終わる
⑤和平交渉(peace talks)
⑥平和、講和条約(peace treaty):日本はロシア、北朝鮮とは未締結
 《戦争とは政治の延長であり、政治と経済は互いに貸借をとりあう(政治と経済はバランスする)。そして、政治力(軍事力)のない国は金を払わされる。戦争は軍事ケインズ主義、公共破壊事業である。》著者の発見した戦争の真実である。
 著者の予言通り若狭湾海域に北朝鮮の弾道ミサイルが撃ち込まれると、国民は一気にパニックに陥り、権力者の思うがままに操られてしまうのであろう。正に「ショックドクトリン」(恐怖による支配)だ。そうならないように著者は本書で警告を発しているのである。その時が来ても狼狽えずに対応できるように、現象の裏にある真実を見抜く眼力を鍛え、心の準備だけはしておきたい。「ショックドクトリン」や国民をバラバラにする「分断統治」などの手法に騙されてはいけない。しかし、残念ながら既に洗脳された多くの国民は本書など読まないし、読んでも理解できないのであろう。だが、しかし、諦めたら終わりだ、「野球はツーアウトから」と言うではないか。

by めい (2015-04-18 17:36) 

めい

前の方、『余剰の時代』の書評もありました。
http://blog.livedoor.jp/kenzaemon/archives/50455449.html

   *   *   *   *   *

余剰の時代 副島 隆彦 ベスト新書

 世界標準から取り残された横並びの日本人インテリ階層と一線を画する、数少ない世界基準の知識人、副島隆彦氏の新作。
 「余剰」という人類における深刻な問題をキーワードに近代ヨーロッパの思想史をわかり易く解説した本。
 18世紀のヨーロッパの啓蒙思想はライプニッツの主張する「この世の事象は全て合理的である。従って問題は全て解明される。現実にあるものは全て最善である」というオプティミスム(楽天主義)が主導していた。
 この能天気な思想の欺瞞を見抜き、オプティミスムを痛烈に批判したのがヴォルテールであり、その懐疑主義(ペシミズム)をベースに独自の経済理論を構築したのがケインズである。その根底は「この世はそんな甘いものではない。目前の問題を解決するすることは容易ではない」という思想であり、それは正に余剰(サープラス)の問題であり、人類にとって余剰こそは解決不可能な最大の問題なのである。
 ケインズの提唱した「有効需要の原理」では、「市場は放っておけば神の見えざる手により最善を実現してくれる」ということはなく、人々が消費(需要)するからこそ経済が回るという考え方で、モノとカネを供給していれば景気は良くなるという、現在主流派となっているサプライサイダーとは対極の思想なのである。又、ケインズは剰余価値説を唱えるマルクス主義でさえ市場原理主義の一種と喝破した。
 ヨーロッパの近代政治思想の対立軸として自然法と自然権という考え方がある。自然法(ナチュラル・ラー)は、自然の法則に従い無理や無駄なことはせず立場に従って慎ましく生きるという、永遠の保守思想である。一方、自然権(ナチュラル・ライツ)は、人間は誰でも最低限度の暮らしをする権利を持つという人権を認めた思想である。ここからヒューマンライツ(人権派、モダンリベラル)が生まれた。この思想は現代の官僚の思想でもある。ヒューマンライツの思想では貧困者も生き延びる当然の権利があるとされ、政府は国民の面倒を見る義務があるとし、福祉を行うためには税金が必要であるという考え方になる。そしてこの税金によって富の再配分を行うという思考は、「人には生まれながらに普遍意思が備わっており所属が決まっている、従って自動的に納税と兵役の義務を負うのである」とするルソーの絶対平等主義と通じる。この徹底した平等のためには暴力革命も辞さない過激な人権思想は、フランス革命を主導したジャコバン党の指導理念でもあった。
 ヨーロッパの思想は、ライプニッツからルソーへ、さらに全体主義(ファシズム)へと、過激に体制主義的になっていったのである。著者は諸悪の根源がルソーの過激なヒューマンライツ思想にあると見る。即ち、税金により平等社会をつくるという思想は、国家の寄生虫(パラサイト)として公務員たる官僚機構が強化されることになり、これは正しく中間搾取以外の何ものでもないからである。そして、このルソーの思想のおかしさを見抜いたニーチェのみが現代の生き苦しさを打開する指針を与えてくれる。
 これらのヨーロッパ思想史と一線を画すリバタリアンという思想がある。著者はこの思想に属し、著者の他の著書でも多く取り上げられており、本書でも第3章で解説がなされている。簡単に言うと、国家をあてにせず自分の身は自分で守る、他者からの過剰な干渉を拒否し、独立独歩で生きていくという思想である。厳しい現実社会を、いかに生き延びるか、サバイバルの思想でもある。そこには、綺麗事も理想主義もない。
 著者は語る《いまは老人福祉のやり過ぎである。老人ばかり大事にし過ぎた。若者たちのほうがかわいそうだ。若者に職がない問題というのは非常に深刻で、これは政治の失敗とはっきり言い切れる。世の中、すなわち社会体制そのものがズルいのだ。コネで公務員、大企業、特殊法人に就職している人はものすごい数でいる。”就活”をやらないといけない人たちというのは、本当の意味で特権に恵まれない人たちだ。それと地方出身者はコネがない。》《「注意しなさい、用心しなさい、警戒しなさい、疑いなさい」何事に対しても用心、警戒、注意、疑い。これしかないのだ。》(P178~181)著者の若者に対する切実なアドバイスである。世の中は決して甘くはない、騙し、裏切り、困難の連続である。国家の与える教育も所詮は洗脳なのである。何事も自分の頭で考えなければならない。そして自分自身の考えさえも、「本当にこれで良いのか?」と何度も己に問いかけ反芻するという厳しい思考訓練が必要なのである。
 「余剰」という問題を語ると「人間の余剰」という問題に行き着く。人類は「人間の余剰」を戦争経済(ウォーエコノミー)で乗り越えてきた。人類は大体80年周期で戦争をしている。日本も戦後70年を迎えた。そろそろ何が起こっても不思議ではない。
 ヨーロッパ思想史を学ぶには、簡潔かつ深く書かれており絶好の教科書である。しかし、「余剰」というテーマとの格闘は予言者の域に達した著者をもってしても困難であったのであろう、著者の苦闘の痕跡が感じられる作品であった。著者の多くの作品群の中でも指折りの作品である。若者は本書を読み、思索を深めて、今の不条理な時代を生き抜く知恵を身につけてほしい。

by めい (2015-04-18 17:44) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。