mespesadoさんによる経済談義(144)「クニはみんなのもの」 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]
mespesado理論では「無税国家」は自然の成り行きです。それに対して「立花孝志は田原坂を超える」さんが、「それでは国が成り立たなくなるのでは」と心配します。mesさんは、「・・・超える」さんの心配を別の角度から受け止めます。
《「人々の勤労意識」とか「人々の共助意識」という霊長類の本能に支えられた日本の国民意識を、もしかしたら「無税国家」にすることによって破壊してしまうかもしれない》《「税金を廃止すると国が成り立たなくなる」というのが「実は正しいかもしれない」》《公務員は「住民のおかげで食べさせてもらっている」という意識が無くなるわけですから、今まで以上に「住民のために」という意欲を持たない職員が増えてしまう、という弊害が出てくる可能性があるわけです。/「無税国家の弊害」というのは、このような純粋な財政上の問題とは違うところに噴出する可能性がある》
この問題の答えは、最後の堺のおっさんの発言から見えてきます。《だんじりの想像を超える負担ができるわけは…/だんじりがみんなのものであるためだ。》《現代以前はその共有財産がほかにも/もっと生活に結びついていくらもあった。》
今日の即位の礼の報道、戦後教育に洗脳されたままのテレビのコメンター達、天皇という御存在に対して腹にイチモツあるような発言が気に障りますが、平成の始まりに比べて国民意識はずっとまともになっているように思えます。「だんじりがみんなのもの」であるように「クニはみんなのもの」、本来日本では天皇の御存在を通してそう思えるクニになっているのです。mesさんの心配は無用、と私には思えます。
* * * * *
738:mespesado :2019/10/21 (Mon) 10:11:41
2年連続で過去最高へ 平成30年度税収60兆4000億円
https://www.sankei.com/economy/news/190702/ecn1907020033-n1.html
2年連続で過去最高へ 平成30年度税収60兆4000億円
https://www.sankei.com/economy/news/190702/ecn1907020033-n1.html
↑こういう記事を見てどういう感想を持つか。
私は、まずは「結構なことだ」と思う。
ただし、「税収」が増えて国が儲かっているから、ではない。
それぞれの税金の「税率」が変わらない中で「税収」が増えた、ということは、その税金が掛かっているもとの「課税標準額」が増えている、ということ。大抵の「課税標準額」は、民間における経済活動の結果としての「収益」に比例していることが多いので、「税率」が変わらない中で「税収が増加した」というのはすなわち「民間における経済活動の結果としての収益が増えた」ということの証拠になるから。
ただし、繰り返すようだが、「税収」そのもの、それ自体には全っったく意味が無い。税金は通貨を回収して捨てているだけだから。そういう意味で、この記事を締めくくっている以下の部分↓
> 税収が増えている一方で、国の借金である国債残高は増え続けている
> という問題もある。SMBC日興証券の宮前耕也シニアエコノミストは
> 「財政再建を進めるためにも、税収に頼るのでなく歳出改革に取り組む
> べきだ」と話している。
に代表されるインチキ・エコノミストの発言は、誤った緊縮脳のウソ論理で相変わらず国民を洗脳する戯言でしかない。
保守層には受けの良い「産経新聞」も、中には田村記者のような、経済の本質がわかった記者もいることはいるが、大多数の記者は、財務相影響下で、所詮は強欲金融の犬である「日経新聞」と同じく「~経済新聞」の中で上司や組織の論理に逆らえない「ことなかれ」サラリーマンでしかない。いや、財務省の役人それ自体も「ことなかれ」サラリーマンでしかない、と思う。
742:mespesado :2019/10/21 (Mon) 11:00:34
>>731
立花孝志さん本人ではないけれど、そういう人たちの出現を歓迎している人の動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=5xgWuxqjCkM
↑この鴨頭さんという人は初めて知りましたが、こういう意見って、まさに「哲学」だなぁと思います。まさに(ポリコレを主張する人たちではなく)ポリコレ的風潮に同調(付和雷同)する大多数の「ことなかれ」主義者の意識とは真反対のことを説いている感はありますね。
立花さん自身の政治戦略が成功するかどうかは予断を許しませんが、こういう傾向の人が出てくることは、世の中の流れが変わる前兆といっていいような気がします。
744:mespesado :2019/10/21 (Mon) 11:04:11
>>741
> >消費税以外の税金を全て、全廃して欲しいのです。
> そんな事をしたら国が成り立ちません。
こう主張される理由が訊きたいです。私は「税は財源ではない」と繰り返し説いているのですが、それに賛同した上でなお、こう主張する理由があるのか、それとも私の意見に反対だからなのか。もし後者なら反対する理由は何か。そういう点に大いに興味があります。
746:立花孝志は田原坂を超える :2019/10/21 (Mon) 11:36:02
>>744 名前:mespesadoさん
> そんな事をしたら国が成り立ちません。
これは直感です。 深い意味はないと言うより、「税は財源ではない」という事が理解できていないのです。
貴殿の書き込みは長くて、耄碌ジジイは最後まで読み切れず、申し訳ありません。
これを機会に、時間を作って読んでみたいと思います。
747:mespesado :2019/10/21 (Mon) 11:46:15
>>746
> これは直感です。 深い意味はないと言うより、「税は財源ではない」
> という事が理解できていないのです。
ご返事ありがとうございます。この「直観」で判断する。
いわゆる自称インテリの世界では、こういう態度を小バカにする人が多い。
でも、世の中の大多数の人は、実は「直観」で判断している。
だから、私はどうしたら「正しいこと」を直観で理解できるようにできるのかについて悩んでいます。
そういう意味で、貴方のような方から意見をいただけると非常に有難いと思っています。
確かに私の書き込みは長いですw
かといって短いキャッチフレーズで説得できるほど世論は甘くない。キャッチフレーズが短くて、かつその主張が相手の「ツボ」にうまく嵌った時に限り、相手の腑に落ちる。
だから、貴方とは是非その辺のやりとりをして、この「ツボ」にはまるにはどうしたらいいかのヒントが得られたらいいな、と思っていますので、今後も是非よろしくお願いします。
748:mespesado :2019/10/21 (Mon) 11:55:44
>>747
こうは書きましたが、私は別に上から目線で自説は絶対正しい。それを理解しない貴方は正しいことが理解できてないだけだ、などと傲慢な考えをしているわけではありません。
そうじゃなくて、本当に「税金を廃止すると国が成り立たなくなる」というのが「実は正しいかもしれない」と本気で考えています。
それは、財政上の問題とかではなく、、という可能性があるとは思っているからです。
つまり、ものごとを一つの側面からだけ捉えたのではうまく行かず、多面的に考えなければならない。そういう意味で、貴方の「直観」の中に、私が考えたことのない側面を起源とする「正しい直観」が含まれているかもしれない、と期待するからです。
というわけで、私は貴方を論争で打ち負かそうと思って挑発しているわけではないので、そこは誤解の無いように(別に今の貴方が誤解しているとは特に思いませんが)よろしくお願いします。
750:mespesado :2019/10/21 (Mon) 12:12:00
>>748
例えばの話ですが…。
ある日、日本政府が反緊縮を完全に理解し、国税を廃止するのみならず、地方の財政が自己完結しているために地方税が廃止されていないのを不憫に感じて、国債の発行で地方交付税を賄い、あるいは日銀が地方債を直接買い上げる、という方針によって、地方税もゼロにすることを決定したとします。
今の我々は、市役所などでいい加減な対応をされたときとか、学校の先生がデモシカ(←死語)だったりすると「公務員は税金で食ってるくせに!」と非難し、そうした住民の声が、逆に公務員が怠惰になることを阻止する牽制効果を持っていることは否めません。
ところが税金が廃止され、公務員給与もすべて「オカネを刷っ」てまかなわれるようになったら、公務員は「住民のおかげで食べさせてもらっている」という意識が無くなるわけですから、今まで以上に「住民のために」という意欲を持たない職員が増えてしまう、という弊害が出てくる可能性があるわけです。
「無税国家の弊害」というのは、このような純粋な財政上の問題とは違うところに噴出する可能性がある、という話です。
751:立花孝志は田原坂を超える :2019/10/21 (Mon) 12:24:53
>>748 名前:mespesadoさん
私は「直感」と書き、貴殿は「直観」と書いた。
「直感」は、実際に何かがはっきりと見えているわけではなく、何となく肌で感じるといった、触覚に類する認識のあり方である。
「直観」の方は、心の目で物事の本質を見抜いて、真実をはっきりと見て取るといった視覚に類する認識である。即ち、「直感」は、比較的日常的な場面で多く用いられる言葉であるのに対して、「直観」は、主に哲学や論理学といった学術性の高い文脈において多く用いられる表現である。
ここに、相手を説得するヒントがあるかも分かりません。
私は暇潰しで、ここに来るようになりました。 ですので、論戦は好みません。 孫の為に、立花さんを信じて応援するだけです。 夕方までCPから離れます。
753:mespesado :2019/10/21 (Mon) 15:38:25
https://www.youtube.com/watch?v=z3DHVj2knj4
山本太郎氏。
5分あたりから、公約の「消費税廃止」について、その公約の根拠を山本氏本人が解説している。
「税は財源ではない」という根幹の事実には全く触れず、消費税が経済にとっていかに悪影響があるかを説明している。「財源」として「新規国債」もあることも説明している。ただし「国債」は「借金」であるという主張は否定しないで「消費税を増やすとかえって借金が増えている」とか「自国通貨建ての借金では国家財政は破綻しない」という説明。
その後、「若い人を中心に、現状維持の安定感を求める人が自民党に投票していて、れいわに投票する人と対照的なんだが」と質問されて、「今のままでは現状維持にすらならない」と答えている。
そして最後に一言、と言われて、大企業中心で生活者を踏みにじる政策ばかり続けてきた。だからこそ政権交代が必要(それが実現するためのための野党共闘)と述べて終了。
↑この説明の方向性は、支援者や山本氏が取り込みたい人たちにとっては心に響くかもしれないが、やはり自民党支持者の心には届かないのかな、と思えた。
まあ、「税金は財源ではない」という、「事実ではあるが、あまりに常識からはずれているとしか思われない主張」は、与党支持者にとっても野党支持者にとっても納得してもらうのは難しいと思われるから、上記のような説明内容に限定したのは戦略的なものであろう。
しかし、その緊縮財政を是正するのが「何のためか」という部分で、与党支持者と野党支持者では決定的に違うと思う。
野党支持者は、基本的にルサンチマンというか「被害者意識」が強いので、山本氏が最後に主張したような「金持ちの都合ばかり考えやがって」という怒りが強いから、それをひっくり返すんだ、という意識が強い。
ところが、これに対して与党支持者は「我々がまがりなりにも安定した生活を続けていられるのは日本の国力が強いおかげ」と考えている人が、(潜在的な意識に過ぎない人も含めれば)実は大多数であると思う。
つまり、彼らにとっては、山本氏のように「企業のことばかり考えているからその政治的資源を弱者に振り向ける」ようなことをすれば、たちまち日本の国力が衰弱して今の生活水準が維持できなくなる、ということを恐れているように思える。例えば保守系論者の「軍事力を強化すべきだ」とか「原発は維持すべきだ」とか「法人税や金持ちへの累進課税は引き上げるべきでない」といった意見は、まさにそういった考え方に則った意見であろう。
これこそが、実は「れいわ新選組」の致命的な弱点であると思う。
この与党支持者にも緊縮財政の非を訴えるには、山本氏のような「消費税で生活者が犠牲になっている」という論点よりも、「緊縮財政を続けると、予算不足で必要なところに予算が付けられず、その結果国力が毀損される」ことを主体とした訴えをしなければ彼らの心には訴えないであろう。しかし、このような訴えは、野党支持者にとっては(強者を支援することになるので)不愉快であり、逆に野党支持者の支持を失う危険がある。そして、そもそも山本氏自身に、この「国力毀損」の観点が欠けているように思う。
この点こそが、自民党支持者を取り込むことができない「れいわ新選組」の本質的な限界なのであろう。
755:mespesado :2019/10/21 (Mon) 17:42:37
>>751
直観(intuition)と直感(inspiration)
別に意図して使い分けたわけではないんですが、この二つ。よく似た概念ですが、要するに「自分から意識的に見に行く」のが「直観」で、「向こうから勝手に見えてくる」のが「直感」という感じかな、と思いました。
ただ、いずれにしても「前頭葉」で考えた「リクツ」じゃなくて、もっと霊長類の本能からすれば「素直な」、あるいは「本質を突いた」もの、という感じの概念だと思うので、人間の行動原理を考えると、この直観あるいは直感は大切ですね。
で、今回の「税金は財源じゃない」という話について言うと、これはいわゆる反緊縮のテーゼとも言うべき「自国建て通貨なら国債はいくら発行しても破綻しない」という主張に対して、我々の「直感」は、「そんなウマい話があるわけがない。騙されるな」という耳元での囁きがそれに該当し、それに対して我々の「直観」は、「いや、待てよ。我々はこれだけ一生懸命働いて、しかも技術も進歩して全員に行き渡るほど大量生産できてるのに、オカネが無いから買えない、っておかしくないか?」という疑問がそれに該当するように思います。
つまり、今までの体験だけから「心が呟くまま(=直感)」に従っていると、見えて来なかったものが、意識して立ち止まって、「待てよ。それって一見尤もらしいけど何かおかしいぞ」と思って自分で見に行こう(=直観)とすると、その真相が姿を現す、ていうのがオカネの話なんじゃないかと思うわけです。
もちろん理屈を突き詰めるのも大切ですが、直感と、それを更にメタな立場で眺める直観もまた大切なんじゃないかな、と思うわけです。
759:mespesado :2019/10/21 (Mon) 18:13:01
>>753
これに対して、与党である自民党内の数少ない反緊縮議員である安藤裕衆院議員と西田昌司参院議員。せっかく貨幣の本質がわかっている人たちなのに、政治的主張はなぜか大人しくて物足りない。
なぜかな~とおもっていたのだが、安藤さんは、『月間日本』というサヨクに乗っ取られた雑誌に、しかも「自民党の法人減税は間違いだ」という、一見「企業の力を削いで国力を毀損させるのか?」と思わせるようなタイトルの記事を書いているし、一方の西田さんは、著書『財務省からアベノミクスを救う』の中で、「日本を蝕む強欲資本主義」というタイトルの章を立てて、強欲資本主義は日本人に馴染めない、と論じている。
つまり、自民党で超少数派である反緊縮の代表である安藤さんも西田さんも、維新などによく居る新自由主義者のいわゆるマッチョ保守バリバリな人とは対極にある、穏やかな中道保守とでも言うべき人たちなのである。
このことは何を意味するか?
つまり反緊縮に理解がある人はマッチョ的傾向からは程遠い、言い換えれば、バリバリの保守でマッチョ的傾向の強い人は緊縮派に成りやすい、成る必然性がある、ということではないか?これこそ、私が前に指摘したように、格差はむしろ望ましいとマッチョ保守的な主張をする立花さんが緊縮的な考え方をしていることとピッタリ符合するように見える。
ということは、国力増強を願うマッチョ体質の与党議員に反緊縮思想を普及するには、安藤さんや西田さんのような「欧米ではサヨクの武器」であるMMT的な議論ではなく、「緊縮財政を続けると国力を毀損する」という事実に力点を置いた「日本版MMT」を是非とも理論体系化して普及させ、安藤さんや西田さんよりもっとマッチョ的な議員にそれを啓蒙していくことによって、自民党内の反緊縮派を増やしていく必要があるのではないか、と強く思います。
765:mespesado :2019/10/21 (Mon) 19:59:59
トランプがネオコンに支配された米共和党を国民の手に取り戻したのと同じように、遂に米民主党にもネオコンから米国民の手に取り戻そうとする旗手が現れた?!↓
https://twitter.com/David_R_Stanton/status/1186199831531810821
766:mespesado :2019/10/21 (Mon) 20:22:05
>>747
いいキャッチフレーズを思いつきました。名付けて
■ ■ ■ 財 政 再 建 亡 国 論 ■ ■ ■
サブタイトルが
~ 財政赤字を解消すると国家が破綻する ~
768:堺のおっさん:2019/10/21 (Mon) 22:33:25
>>766 メッさん
藤井聡氏の「PB亡国論」ってのがありまして、チョットかぶりますが。
ついでに、氏の整理しきれていない部分の建設的止揚も兼ねたらと思います。
PBは、大きな意味で政策です。
したがって、それに対抗する財源論ではなく、
国家建設の政策論を展開することが肝要であると思います。
スローガン的には救国的財政出動も採用していただければ
政策論につながっていくと思います。
それにしても、れいわもN国も政策的には酷い内容ですな。
769:mespesado :2019/10/21 (Mon) 23:22:20
>>768
藤井さんの『プライマリーバランス亡国論』の存在は知っていました。
本の章立てもアマゾンで確認しています↓
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%A1%E5%9B%BD%E8%AB%96-%E8%97%A4%E4%BA%95-%E8%81%A1/dp/4594077323/ref=sr_1_1?adgrpid=54040797995&gclid=EAIaIQobChMIn7PR67yt5QIVR3RgCh2lVwDSEAAYASAAEgI0J_D_BwE&hvadid=338534434789&hvdev=c&hvlocphy=1009307&hvnetw=g&hvpos=1t1&hvqmt=e&hvrand=7364525336552644238&hvtargid=aud-758806828536%3Akwd-522510858632&hydadcr=3416_11127371&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%A1%E5%9B%BD%E8%AB%96&qid=1571665127&sr=8-1
ただ、「プライマリーバランス」という言葉が一般的でないし、コムツカシイ話かな、とタイトルだけで世間には思われてしまうのではないかな、と思いました。そして、その中身についても、各章のタイトルや内容紹介で見る限り、「リクツで説明する」本のように見えるんですよね。もちろんそれはそれで十分に価値があると思うんですよ。でも何かが足りない。それは、
> それにしても、れいわもN国も政策的には酷い内容ですな。
実はそこなんですよ。私もれいわとN国の「政策の内容が酷い」という意見については完全に同意なんですが、そもそもそういう評価自体が実は「リクツの世界」の住人の意見だと思うんです。
たった今、>>767 の焼肉定食さんの張ったリンク先、見ましたよ。山本さんもそうですが、立花さんも、実に聴衆の情に訴える話をしますし、そういう意味で話が上手なんですよ。この「情に訴える」ということが「直感」の世界なんですよね。
これは、小泉純一郎さんの「自民党をぶっ壊す」のキャッチフレーズで行われたポピュリズムと、民衆への訴え方が全く同じなんですよね。ただ、小泉さんのときと決定的に違うのは、話を聞く民衆の情報リテラシーが、その当時と今とでは格段に違っていて、小泉さんの時代は民衆はマスコミでしか情報を得られなかったために、そのマスコミにコントロール・洗脳された民意の中で国民が踊らされていたわけですが、今は、そのマスコミを批判的に見て自らネットで情報を取りに行く人たちを相手に行われているポピュリズムと言ったらいいでしょうか。ですから当時のように、DSのような黒幕の思惑で踊らされているのでない、他人の思惑ではない真の理想を求める純粋な民意と言ってもよいように思われるわけです。
私が最近思っているのは、「リクツがわかっていること」と「直観で正しい方針がわかっていること」というのは別の能力であって、政治家に求められているのは後者の能力であり、従って、その政治家を選挙で選ぶ一般国民に求められているのも実は後者である。それに対して前者のような能力を持っていなければならないのは、他ならぬ中央官庁の官僚の方だ、と思うわけです。だって、学歴を考えたら、政治家より官僚の方が圧倒的に上じゃないですか。官僚が、例えば財務官僚がPB黒字化を進めようとしてて、バカじゃないの?と思う人も多いですが、しかし西田昌氏さんもYoutubeで言っていたように、西田さんが官僚とサシで話すと、彼らは実は正しい貨幣の理屈もすべてわかっている。しかし国会のような公の場に出ると、そういう正しい理解は封印して組織の利害を代弁することしかできない。ですから、政治家が「正しい方向性」を信念として持って、官僚に方向性を示すなら、官僚は細かいことを決める能力は卓越していますから、うまく行く。
ところが、大半の政治家は直観的にものごとを見る目を持っている議員は数えるほどしかいない。そして、反緊縮の旗頭のような安藤さんや西田さんも、「リクツの世界」では卓越しているが、残念ながらあまり「直観力で人を引き付ける」タイプの人ではありません。ここに、政治家に真に求められる能力と現実の議員との間のミスマッチが生じているような気がするのです。
そういう意味で、「直観」ではないが、「直感」の大切さを訴えて、民意を獲得しているれいわやN国のやり方は、政治家の在り方という点では世間に一石を投じてるんじゃないか、と素直に思うんですよね。しかし、
> 国家建設の政策論を展開することが肝要であると思います。
民意をある程度勝ち取ったら、やはり次に必要なのはそこだと思います。しかし、これの(細かい話ではなく)グランドデザインを考えるには、それこそ「直感」ではなく「直観」が必要で、それを考えることは、山本氏や立花氏はあまり得意ではないと思われるので、それをしっかり考えられる強力なブレインが必要でしょうね。
770:堺のおっさん:2019/10/21 (Mon) 23:31:28
大阪の泉州ではだんじりの季節が終わった。
このだんじり、一台当たり新車(?)なら優に億単位のカネがかかる。
これを数百世帯レベルの町会ごとに保有しているため
世帯レベルでの負担は100万~数十万単位にもなる。
普通の町会でこんなのやったらみんな脱会してしまうでしょう。
しかし、この負担をだんじりの地域は伝統的に続けている。
もちろん、嫌気がさして引っ越ししてしまうケースもある。
それでもやり続けるのである。
だんじりの想像を超える負担ができるわけは…
だんじりがみんなのものであるためだ。
地域の共有財産としてのだんじり。
現代以前はその共有財産がほかにも
もっと生活に結びついていくらもあった。
田んぼに水をひく水路や川の堤防なんて
それこそ私財をなげうってでも修理保全した。
みんなのものへの負担は好き嫌いではなく
自分にも返ってくるものとしてみんなが負担したのだ。
だんじりはその名残と言っても良い。
多額の負担であっても、みんなのものであれば、
大半の世帯は応ずるのだ。不思議なものだ。
一方、税金は取られるものという感覚でしかなく
自分に返ってくるものであるとは認識されていない。
少ないほうが良いという感覚になるのは
自分には返ってこないと思えない政策的な欠陥であると思う。
魔の民主党政権を成立させた政策として大きかったのは
今でも懐かしがる人のいる子ども手当であっただろう。
この時も財源論で散々批判されたが、
もしこれがなかったら、日本経済はもっとひどいものになっただろう。
子ども手当が廃止されたことと閉そく感の蔓延は無縁ではない。
国債発行であれ、政府貨幣であれ財政出動に何の問題もない。
しかし、どのような政策でこれを実行するのか?
やはり、みんなのものから優先的に実行していく。
これが肝要ではないかと思う。
台風対策として、当面5000億円の支出を手始めとし、
さらに、財政出動を上積みしていく。
さらに全国的にスピード感をもって広げていく。
数十兆円程度は最低でも実施を国民的に合意できるチャンスでもある。
もちろんそんなレベルでは全国の老朽化したインフラ整備には程遠いが…。
あとは政治家の政策感覚だ。
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