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長白山行(5)白頭山天池③ 神璽八十六周年祭 [神道天行居]

長白山天池DSC_1726.jpg

展望台の端10数メートルのところにロープが張られ立入禁止になっている。できればそこを祭場に定めたい。ゴミ拾い兼監視人が絶えず往き来しており、交渉したが立ち入りはできない。そのロープ際の後方の一角に空きが出来ているのでそこでの挙行を決断。「土の美多麻」で清める。われわれ以外踏み込めない空間ができる。グッショリ濡れたリックから白布を出して広げ、熊野大社宮司から預かった米、酒、塩、阿部さん用意の種種(くさぐさ)の 味物 ( ためつもの )を並べ、神法鉢巻を締める。何事が始まるのかと視線が集まる。眼鏡をかけた30代前後のインテリ風の男性が問いかけてくる。「今から86年前の昭和8年(1933)、この土地が日本の統治下にあった時代、アジアの安定・世界の平和を願って、豊岡姫の神様(豊受大神)をはじめとするの御神霊(神儀・神璽)をお鎮めしました。その御神霊のためのお祭りをこれから始めるところです。」と艾(アイ)さんを通して伝えた。これまで何度も同行経験のある艾さん、祭事中の質問攻めにもそつなく答えてくれていたようだ。

古森さんは後方に控え、私と竹さんは靴を脱いで正座した。波板のような板敷きだが、正座したことで気持ちは定まった。数十年来の竹さんとの神前奉仕はこの時のためにあったのか。もうそこからは何の迷いもなく事は運んだ。

修祓(天津祝詞奏上)、献饌、祝詞奏上、白頭山天池遥拝秘詞奏上(遥拝ではない!眼前にしての奏上はいつまでも続けたかった)、撤饌、大祓詞奏上、十言神咒(トコトノカジリ)、退下。終わって思いは実に晴れ晴れとしていた。凸凹板に長く座っていたのに足の痛みもなく、このままずーっと続けていたい、こんな気持ちになった神事体験は初めてではないか。片付け終えたその場所で写真に収まった。→に天池がある。(ただ、玉串奉奠をしなかったのは画龍点睛を欠く恨みあり)

神事を終えてDSC_1729.jpg神事を終えてDSC_1731.jpg古森さんDSC_1737.jpg

以下、神道天行居元総務阿部滋先生による「白頭山天池神八十六周年祭祝詞」です。

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長(とこしな)へに白雪積むという白頭山の天津巓(あまついただき)に天之真名井(あめのまない)なす天池を瑞の神殿(みずのみあらか)として永久(とこしなへ)に鎮坐(しずまりま)す掛巻くも綾に畏き豊岡姫大神(とよおかひめのおおかみ)を始め諸々の神々等(たち)の大前並(また)大神璽(おほみしるし)と共に鎮坐す我が教祖(おしへのおや)気玉彦神(おきたまひこ)の御前に今日の斎主(いはひぬし)仕へ奉る○○○○斎廻り潔廻り(ゆまわりきよまわり)恐み恐みも白さく、今年はしも御鎮座(みしずめ)の年より指折り掻き数ふれば八十六年(やそまたむとせ)、平成の大御代より令和の新(あらた)大御代に遷り目出度き年に當るを以ちて、天行居有志者(あめのかりとこのこころざしあるもの)諸々阿部、小野寺、鹿又、高岡、古森、天の八重雲押し別くる空の長路(ながじ)は言ふも更なり、伊往(いゆ)き渡らむ陸路(くがじ)遥らに大御許邉(おほみもとべ)に参上(まいのぼ)り、今日の生日の足日に禮代(いやじろ)の御饌物(みけつもの)供へ奉りてやまとをひらきていはとをひらく事の状(さま)を大御心も霽(はる)けく神諾(かみうづな)ひ所聞食(きこしめ)し給ひて、一日(ひとひ)も速(すむや)けく御光(みひかり)美(うるは)しき新世(あらたよ)の大御代と成し幸(さきは)へ給ひ殊(こと)には古(いにしへ)ゆ未だ例(ためし)無き神分(かみあかち)の大機(おほとき)の眞中(まなか)に當りて禍津源(まがつみなもと)を為す穢(きたな)き赤魔共(あかこごめども)の皇大御國(すめおおみくに)を窺はむとするにおいては大神等の大御神振(おほみいぶり)を以ちて防ぎ守り、悉(ことごと)に討罰(うちきた)め神遺(やら)ひに遺ひ給ひ、天關(あめのいはと)の速(すむや)けく打開けて亜細亜の国々を始め萬(よろづ)の国々和(やはら)ぎ睦(むつ)び皇大朝廷(すめおおみかど)の大御稜威(おほみいづ)を仰ぎ奉り、萬有和合世界霊化の甘(うま)し大御代と成し幸へ給へと集待(うごなわ)れる同志等(まめひとら)と共に忌(ゆ)知り厳(いづ)知り畏み畏み諸祈(こひの)み奉らくと申す。

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熊野秀彦先生は白頭山に2度登拝されたことをこの度小野寺さんにお聞きしました。いずれも西坂口からではなく北坂口からのご登拝だったようです。最初のご登拝についての古道記事「白頭山天池登拝記」を載せさせていただいたことがあります。https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-06-28-1この中で熊野先生は白頭山神璽奉斎の意義について記しておられます。再掲しておきます。

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白頭山神璽御鎮斎は昭和八年七月三十日、先師をはじめ天行居諸先達の、大変な御苦労が重積されて、奇びな御神助により、当時殆ど不可能視されていた白頭山天池に、神界の御命令のまにまに、大神璽を御鎮斎申し上げたもので、神道天行居として日本国外に、大神璽を奉鎮し奉った最初のもののように承って居ります。先師も「天関打開の根幹的準備は今回の白頭山大池神事を以て成就したり」と神事の直後に御記述になって居られ、しかもその御鎮斎の大神璽については「天池神儀」として「神儀は第一殿と第二殿とから出来て居り、第二殿は御主神天照大御神を始め奉り皇典に明記してある文武の大神十幾柱の神々が斎き奉ってある。然るに第一殿は豊受姫神一柱が斎き奉ってあるのである。第ニ殿の神儀は畏れながら終始私が奉仕したのであるが、第一殿の神儀は四十年前に於て堀天竜斎先生が殆ど諸儀謹修奉仕を完了しておかれたもので、その一二の最後の御儀だけを堀先生の命令通りに私が奉仕したものである」亦「豊受姫神は愛の女神であり—仁慈の女神であり、平和の女神である。この大神を天行居で地上霊的気線の要点の一たる白頭山天地に奉斎したのは天行居の大理想が皇道の大義に基く世界恒久平和にあるからである、天行居は決して非平和的な霊的団体ではないのである。天関打開の目標も美はしい平和的なものであること勿論である」と言及して居られ、天行居の鎮斎し奉る数々の霊的重大施設の中でも、殊別けて格別の霊的重大遽点と拝する次第で、この事は皆様も熟知せられるところであります。(つづく)


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