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mespesadoさんによる憲法論(1)序論 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

会議等の最初に「南陽市民憲章」を唱和させられる機会がしばしばあります。どうしても「気持ち」を入れることができなくて、口先だけでの「唱和」になってしまいます。「日本国憲法」もそんな感じです。頭をかすめるだけなのです。mespesadoさんによる憲法への斬り込み、どんな展開になるか期待したいと思います。今回はその序論です。

*   *   *   *   *

100 名前:mespesado 2019/08/04 (Sun) 11:31:33
【シリーズ:検証!憲法9条①】

 本シリーズでは、篠田英明氏の『憲法学の病』をベースに、その表紙カバーにもあるように、「問題は憲法じゃない、憲法学者だ!」という事実を解説していきたいと思います。
 まず最初に日本国憲法の「前文」と「第二章」として一章を当てられている「第9条」を掲載しておきます↓


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    日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われ
らとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわ
たつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が
起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを
宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるも
のであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行
使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、こ
の憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲
法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想
を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専
制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会に
おいて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひと
しく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認
する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視しては
ならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に
従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責
務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達
成することを誓ふ。

    第一章 天皇
  【略】
    第二章 戦争の放棄
 〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国
 権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決
 する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。

    第三章 国民の権利及び義務
  【以下略】
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 続いて同部分の「英文」です↓
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The Constitution of Japan
(promulgated november 3, 1946)

We, the japanese people, acting through our duly elected
representatives in the national diet, determined that we shall secure
for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation
with all nations and the blessings of liberty throughout this land,
and resolved that never again shall we be visited with the horrors of
war through the action of government, do proclaim that sovereign
power resides with the people and do firmly establish this
constitution. government is a sacred trust of the people, the
authority for which is derived from the people, The powers of which
are exercised by the representatives of the people, and the benefits
of which are enjoyed by the people. this is a universal principle of
mankind upon which this constitution is founded. we reject and revoke
all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict
herewith.

We, the japanese people, desire peace for all time and are deeply
conscious of the high ideals controlling human relationship, and we
have determined to preserve our security and existence, trusting in
the justice and faith of the peace-loving peoples of the world. we
desire to occupy an honored place in an international society
striving for the preservation of peace, and the banishment of
tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from
the earth. we recognize that all peoples of the world have the right
to live in peace, free from fear and want.

We believe that no nation is responsible to itself alone, but that
laws of political morality are universal; and that obedience to such
laws is incumbent upon all nations who would sustain their own
sovereignty and justify their sovereign relationship with other
nations.

We, the japanese people, pledge our national honor to accomplish
these high ideals and purposes with all our resources.

Chapter i. The Emperor
  【略】

Chapter ii. Renunciation of war

article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and
order, the japanese people forever renounce war as a sovereign right
of the nation and the threat or use of force as means of settling
international disputes.

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea,
and air forces, as well as other war potential, will never be
maintained. the right of belligerency of the state will not be
recognized.

Chapter iii. Rights and duties of the people

  【以下略】
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 (続く)

103 名前:mespesado 2019/08/04 (Sun) 18:52:45
【シリーズ:検証!憲法9条②】

 まず、篠田さんが「憲法学者」として具体的にどのようなメンバーを想定しているのかについて書いてある箇所があります。『憲法学の病』の8頁の以下の部分です↓

>  私が批判の対象としているのは、宮沢俊義、小林直樹、芦部信喜、樋
> 口陽一、高橋和之、長谷部恭男、石川健治、という歴代の東京大学法学
> 部教授陣の見解である。あとは佐藤功、高見勝利、木村草太、といった
> 東大法学部(法学研究科)出身で、他大で奉職しながら、東大法学部教
> 授陣とも深く結びついてきた憲法学者の見解である。

 さて、これらの学者が実際にどんな主張をしているのかをネット記事で確かめてみましょう。まずは最後の方に出てきた木村草太さんの記事です↓

いまさら聞けない「憲法9条と自衛隊」~本当に「憲法改正」は必要なのか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49041

> まず、憲法9条2項は「戦力は、これを保持しない」と規定する。これを
> 読むと、防衛のためであっても、「戦力」を使った武力行使が禁じられ
> るように見える。

> 他方、憲法13条後段は、「国民の生命、自由、幸福追求の権利」は「国
> 政の上で最大限尊重される」と定めている。この「文言を素直」に読む
> 限り、日本政府は、犯罪者やテロリストからはもちろん、外国からの武
> 力攻撃があった場合も、国民の「生命」や「自由」を保護する義務を負
> っている。外国の武力攻撃を排除するには、外国に対する実力行使すな
> わち武力行使が必要になる場合もあろう。

> そうすると、外国からの武力攻撃の場面では、憲法9条(戦力による武力
> 行使の禁止)と、憲法13条(国民の安全を保護する政府の義務)が、緊
> 張関係に立つ。では、日本が武力攻撃を受ける場面で、どちらの規定が
> 優先されるのか。

> この点、憲法の条文同士が衝突しているわけだから、「憲法の文言」は
> 決定打にならない。それぞれの帰結を分析し、どちらの方が実質的に正
> 当化できるかを考えることになる。

 憲法学者の木村さんによれば、日本国憲法9条と同13条は互いに矛盾しているのだそうです。そして、そう考える理由は、木村さんによれば、“憲法9条2項は「戦力は、これを保持しない」と規定する。これを読むと、防衛のためであっても、「戦力」を使った武力行使が禁じられるように見える”からなのだそうです。
 それじゃあ、木村さんは、この「矛盾」をどう「解決」しているのかというと、

> そこで、政府は、外国からの武力攻撃の場面では、憲法13条により憲法9
> 条の例外が認められると解釈してきた。自衛隊は、憲法9条2項に言う
> 「軍」や「戦力」ではないという議論も、自衛隊が憲法13条で認められ
> た範囲を超える武力行使を任務としない組織だという意味である。

> このように、日本への武力攻撃を排除するための武力行使、つまり個別
> 的自衛権の行使については、それを合憲だと説明できる。しかし、昨年
> 問題となった集団的自衛権の行使は、憲法13条では説明できない。

> 集団的自衛権は、外国からの要請に基づき、その外国の防衛を援助する
> 権利である。憲法13条は、国民の生命・自由・幸福追求の権利の保護を
> 義務付ける規定であり、外国の防衛を義務付けていないから、集団的自
> 衛権の根拠とすることはできない。

ということだそうです。つまり、木村さんによれば、自衛隊の存在が認められているのは、憲法13条の「国民の生命…の保護」条文の方を優先するからなんだそうです。そして、その解釈の結果、憲法13条ではカバーしきれない「集団的自衛権」は憲法で認められていない、という結論になるのだそうです。
 次は長谷部恭男さんのトークの記事です↓

基本からわかる 憲法9条を変えなくていいシンプルな理由
https://bunshun.jp/articles/-/8710

> 9条は、条文を読んでも日本語としてよく分からないところがある。「国
> 際紛争を解決する手段としては」戦争もしないし武力も行使しない、そ
> うした目的を実現するために戦力も持たない、そういう条文になってい
> ます。実はこの「国際紛争を解決する手段」という言い方は、1928年の
> パリ不戦条約から来ています。ケロッグ=ブリアン協定という、フラン
> スの外務大臣ブリアンと、アメリカの国務長官ケロッグが主導して、最
> 終的にはその当時の世界のほとんどの国が賛成した条約です。この条約
> は「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フル」ことを禁止すると言っています。

>  これはいったい何を意味しているのか? 憲法や国際法の日本の教科
> 書を読むと、侵略戦争を放棄したと説明していることが多い。これは丸
> きりの間違いではないんですが、少しミスリーディングです。というの
> も、この不戦条約はそれまでの国際法の常識、戦争に関するものの見方
> を根底から覆した条約だからです。

>  それまでの戦争に関するものの見方は、オランダの国際法学者グロテ
> ィウスが作った「正戦論」をベースにしていました。戦争は正しい根拠
> がなければやってはいけないというのが正戦論ですが、グロティウスは
> さらに、「正しい根拠があって戦争したかどうかは勝ったかどうかで決
> まる」という考え方でした。

>  国家間の紛争には中立で公平な裁判所は存在しない、少なくともグロ
> ティウスの頃には存在しなかった。だから、代わりに、決闘するんです。
> シェイクスピアの『リチャード二世』の冒頭でも、ボリングブルックと
> モーブレイが「お前が悪い」「いやいや、悪いのはお前のほうだ」とい
> って、どちらが正しいかを決闘で決めようとする場面があるでしょう。
> 勝ったほうが正しくて、負けたほうは文句を言えないのが決闘。グロテ
> ィウスは、要は「戦争は決闘です」と言っているわけです。国家間同士、
> 宣戦布告をして、「私はこういう正しい請求原因を持っているから戦争
> するぞ」と言い合うわけですが、結局はどちらが勝つかによって、どち
> らが正しいか決まる。

>  昔、ペリー提督がやってきて「開国しろ」と江戸幕府に武力による威
> 嚇を行いましたが、あれは当時の国際法の観点からすると、別に違法な
> ことではない。それから何十年かたって、今度は日本が当時の朝鮮国に
> 対して江華島事件(1875年)をおこして無理やり日朝修好条規を結ばせ
> たわけですが、これも当時の考え方からすれば違法ではなかったわけで
> す。

>  そうした、誰が正しいかはどちらが戦争に勝つかによって決まるとい
> う考え方自体を、パリ不戦条約はひっくり返そうとした。ほぼ同じ時期
> にできた国際連盟も同じ方向性を目指していましたし、その考え方を延
> 長した先にあるのが現在の国際連合であり、日本国憲法の9条です。
> 「国際紛争を解決する手段として、戦争や武力の行使、武力による威嚇
> をしない」、つまり「われわれはもう決闘をしません」と言っているん
> です。だから、決闘の手段としての戦力も持たないし、「交戦権はこれ
> を認めない」というのは、要するに、戦争するための正しい請求原因な
> どもはやあり得ないと言っている条文なんですね。

>  でもパリ不戦条約自体、当時から自衛権は否定していません。ここで
> 言う自衛権は、個別的自衛権です。集団的自衛権じゃありませんよ(笑)。
> 自分が攻撃を受けた時に反撃するのはあり、というのが当然の常識だっ
> たわけです。ケロッグ国務長官も、アメリカ上院の審議でそう明言して
> います。それを前提に現在の9条を考えれば、個別的自衛権はありだとい
> う、歴代の日本政府がずっと主張してきたことは、それなりに根拠のあ
> る話です。

>  今、私が申し上げた結論部分は、日本国憲法が公布された1946年11月3
> 日、同じ日に内閣が刊行した『新憲法の解説』の説明と全く同じです。
> そこには、国連憲章の下で、自国防衛のための自衛の権利は認められて
> いるから、9条があっても心配する必要はないと書いてあるんです。

>  具体的な条文が出てきてからでないと、はっきりしたことは申し上げ
> られないのですが、少なくとも「自衛のための実力を持つことは許され
> るかどうか」いう議論に関しては、すでに国連憲章で個別的自衛権と集
> 団的自衛権は認められています。となると、フルスペックの集団的自衛
> 権もありなのか?という解釈につながりかねない問題をはらんでいる提
> 案です。ただそこは、具体的な条文案を見てみないと、何とも言えない
> ところです。

> 先ほどの話の続きで申しますと、いわゆる個別的自衛権はありだと思う
> んです。これに対して集団的自衛権というのは新しい考え方です。第2次
> 世界大戦終結の頃、「まあ、自己防衛の自衛権だけにしておきましょう
> よ」というのが大半のコンセンサスだったのを、南米の一部の国が「い
> や、それでは心細い。一国が攻撃を受けたら他の国が攻撃された国を助
> けて戦うのもありにしてもらえませんか」と言い出したんです。つまり、
> 他国を防衛する権利ですね。もともと自衛権という考え方の中に個別と
> 集団と両方あったわけではなく、個別的自衛権こそが自衛権だというの
> が本来のものの考え方です。

 この長谷部さんの意見は、木村さんの意見とは違っていて、1928年のパリ不戦条約以来、「国際紛争を解決する手段として、戦争や武力の行使、武力による威嚇をしない」という方針に変わり、国連憲章も日本国憲法9条もその流れに沿っている。そしてパリ不戦条約では自衛権は否定していない。
 また、国連憲章では個別自衛権も集団的自衛権も認められている。しかし、集団的自衛権は第二次大戦のころからの新しい考え方である、というファクトを解説しています。
 長谷部さんのこの主張は、実は篠田さんの『憲法学の病』と同じことを主張しているのです!
 しかし、長谷部さんは「フルスペックの集団的自衛権」という概念を持ち出したり、「個別的自衛権こそが自衛権だというのが本来のものの考え方」などと言い出して、前半のファクトに基づいた主張とは違う方向に結論を持っていこうとしているのが気になります。       (続く)


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