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長白山行(2)二百三高地 [メモがわり]

203高地説明DSC_1692.jpg「日本の国民を騙している」と書かれてある説明板

井上ひさしの舞台は、平成3年に「しみじみ日本・乃木大将」を観たのが最後だ。「週刊置賜」の劇評にこう書いた《舞台も大詰め、半ば茶化して演じられる明治天皇からの御言葉をいただいた乃木大将、万感の思いをこめて「天皇陛下万歳」と叫んだとき、あろうことか期せずして、観客席の一部から万歳への共感の拍手が沸き起こつたのである。その拍手は、それまで舞台上で積み上げられた乃木大将像を全く無化してしまったといってもいい拍手であった。しかもその拍手が決して場内に異和を感じさせた風もなく、むしろ安堵の波紋が広がっていったように思えたのはなぜだろうか。それまでの舞台に言いようのない苛立たしさを感じさせられていたことも確かなのである。・・・日本の軍旗が踏み付けられ、雑巾がわりに使われ、逆さに立てられるのを眼のあたりにすることの、劇という虚構上のこととはいえ、言いようのない不快感。井上氏はその「不快感」こそが虚構上のことなのだと訴えたかったはずである。しかし少なくともこの日の舞台では、井上氏の訴えが観客に届くことはなかった。井上氏の観念は、現実を超えることができずに、いわば現実からの逆襲にあったのである。》

「乃木希典愚将説」が広まったのは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』によってであり、井上ひさしの舞台もそれに依っていたのだろう。この度二百三高地に実際に足を踏み入れたことであらためて多くを知ったが、司馬史観はもう完全に論駁されている。「しみじみ日本・乃木大将」はもう見向かれる事のない舞台だろう。前記事で紹介した国際日本人養成講座水師営の会見 ~ 乃木将軍とステッセル将軍」は、読み終えてこみ上げるものがあった。「必読!」と記したゆえんである。百聞は一見にしかずというか、とにかくその地に足を踏み入れる事で、多くのことを学ばせられるということを実感した「二百三高地」訪問でした。(つづく
爾霊塔DSC_1685.jpg「爾霊山」記念碑の説明板には「日本軍国主義の罪の証拠と恥の柱」と書かれていた。
203高地紹介DSC_1688.jpg
280ミリ砲DSC_1690.jpg28センチ砲《二〇三高地の戦いを含む旅順攻囲戦では最終的に18門が投入され(徒歩砲兵(重砲兵)により運用)、延べ16,940発を発射した。砲床には本来のコンクリートに代えて木材を用い、旅順攻略において3週間かかるといわれた砲床構築を徒歩砲兵は9日で完成させ、6門にてロシア軍陣地に大打撃を与えた。本砲用の砲弾はあらかじめ要塞用に整備されていたため、開戦後の増産を待つ必要もなく、このことも迅速な野戦投入の一因となった。さらに観測点となる高地の奪取後は旅順湾内に停泊するロシア海軍旅順艦隊(第1太平洋艦隊)に対し砲撃を行った。実際の砲撃では砲弾は艦船の艦底をほとんど貫通できず、水中弾が与えた損傷程度の限定的な効力にとどまった。旅順艦隊側の艦船の着底も、自ら被害を抑えるために、弾薬を陸揚げしたうえで注水・着底させたたものだった。ただし当時は旅順艦隊をほぼ殲滅することに成功し、のちの日本海海戦における海軍の勝利に大きく寄与したとされた。旅順降伏後の二十八糎榴弾砲は、元来は要塞砲でありながら、日露戦争の陸戦における最終決戦(会戦)である奉天会戦にも引き続き投入され活躍している。》(ウィキペディア)
旅順口を望む
旅順港DSC_1694.jpg

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