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上京メモ(2)慰霊碑「哀しみの東京大空襲」 [メモがわり]

DSC_1402a.jpg上京の前日(6/5)、宮内小学校創立147周年記念式。淀野校長発案の恒例行事「鍾秀学講座」で、6年1組(西山先生/私がとりとめなく話したことを板書していただいた→)の教室に入って講師を務めてきた。昨年「宮内音頭」が好評だったというので、前半は「宮内音頭」(昭和30年)を聴いてわれわれが小学生の頃の華やいだ宮内の雰囲気を知ってもらい、後半は、宮内勃興期に宮内に育ち、転変を経て東京に出、戦後「燃えない建材 タイガーボード」によって日本の「木と紙の住宅」を「耐火住宅」へと変えるに功あった須藤永次の業績について語った。東京からの工場疎開をやっとの事で終えたばかりの終戦のその晩、「燃えない家をつくる!」と直ちに東京へ戻ると家族に表明したその決断、それを子どもたちに伝えるには「東京大空襲」の理解が前提となる。出かける前あらためて調べて驚いた。昭和20年3月10日深夜、1700トンの焼夷弾を積んだB29爆撃機300機が東京上空に来襲、2時間半の爆撃で罹災者100万人、死者は10万人に及んだともいう。子どもたちにはあの東日本大震災でさえ死者が1万8千人を思い起こさせ、いかに悲惨であったかを伝えたつもりだった。

東京大空襲碑DSC_1428.jpg南陽宮内会で一緒だった妹夫婦に泊めてもらって7日、時間に余裕が出たので久しぶりに上野駅で下りた。何とはなしに出た公園口、周辺案内図を見て東京大空襲の慰霊碑が近くにあることを知った。前々日を思い起こし、どうしても行かなければならない気持ちにさせられた。生憎の雨振り、折りたたみの傘を広げ、修学旅行のバスが並ぶ間を縫ってたどり着いた。墓地の門前の一隅、思ったより小さな場所だった。先代林家三平夫人、海老名香葉子さんの思いが出発点だったようだ。御霊の安からんことをじっくりと祷らせていただいた。ここに参ったことで、この度の上京がことのほか意義深くなったように思えた。以下、碑文。(http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_taito_city006/index.htmlより)

*   *   *   *   *

【碑文】
慰霊碑 哀しみの東京大空襲 


何の罪もない多くの人々が、
戦時体制の下で悲惨な最期を
遂げられたことを心から悼み、
あらためてそのご冥福をお祈り
すると共に、再びこうした悲劇が
繰り返されないことを願って、
この慰霊碑を建立する。
平成十七年(二〇〇五)年三月十日
【説明文】
哀しみの心をいつまでも 


  今年は昭和二十(一九四五)年の第二次世界大戦の終結からちょうど
六十年、あの本所、深川を中心とした三月十日の「東京大空襲」も、
次第に人々の記憶から薄れていこうとしています。
  この年は、元旦早々B29が飛来して、浅草付近を空襲したのに始まり、
一月だけでも百機を越える来襲があり、五百発もの爆弾と二千五百発
もの焼夷弾が投下され、何の罪もない千五百余人の一般市民が死傷さ
れました。
  その後も東京は、実に数十回にも及ぶ空襲を受け、中でも三月九日の
夜半から十日にかけての空襲は言葉に絶する程凄まじいものでした。
  房総半島を経て飛来したB29 は、十日の午前零時八分から一斉に
下町を襲いました。
  この日来襲したB29は三百二十五機といわれ、実に千七百トンもの
高性能焼夷弾を投下したのです。
  人々は隅田川や上野公園を目指して必死に逃げましたが、このたっ
た二時間の間に、実に十万人以上もの方が犠牲になられたのです。
  それは今想いだしても、本当の地獄図といえる程、悲惨な光景でした。
  そして、翌日からこの上野の山には焦土と化した下町から夥しい
数のご遺体が運ばれて来ました。この慰霊碑の付近の道端にも、米俵
や筵を掛けられたご遺体が並べられたのです。
  やがて、大八車やリヤカーを引いて、ご遺体を引き取りにみえる方
もありましたが、多くのご遺体は身元不明のままでした。
  そうしたご遺体は、この近くに巨大な穴を掘って、そこに仮埋葬され
二年後に改めて掘り起こされ、荼毘に付されたうえ、本所横網町の
震災記念堂にお祀りされました。
  無論、こうした東京への空襲はその後も続きました。なかでも、こ
の上野の山とその周辺が罹災した五月二十四日、二十五日の空襲は、
凄まじいものでした。
  今、終戦から六十年の歳月が経ち、こうした生々しい記憶が次第に
薄れていきつつある時、下町の焦土化を見守り、そこでの無辜の犠牲者
を暖かく迎えたこの上野の山に、私たちは心からの慰霊碑を建て、
東京全域に亘る悲惨な犠牲者の霊を弔い、これからの日本を支えていく
若い人々に、この「哀しみの心」を伝えていきたいと希っているのです。
平成十七(二〇〇五)年三月十日  
海老名香葉子 
建立有志一同


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