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皇統はなぜ男系なのか(5)「霊性」という問題へ [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

5回に分けた「皇統はなぜ男系なのか」問題、最後は亀さんの「霊性」についての問題提起です。mespesadoさんには、私のブログのコメント欄からの「ナショナリズム論」を援用して論じていただきました。(そのときはじめてそのコメントが届いていたのを知りました。コメントを書いてくれたK氏にもぜひ「東北一郎会」に誘わねばと思いました。)

この議論に触発されて書きたいことがつぎつぎ出てきそうですが、そんなことを思いつつ今朝美智子さまのご結婚式当日のご様子 その時何があったのか」の記事に「そうだったのか」と深く感じ入り、《美智子皇后の「かなしみ」の原点を思いました。この「かなしみ」を負いつづけながらのこれまでのお務めだったわけです。ほんとうにおつかれさまでした。そしてほんとうにありがとうございました。皇后陛下のこの「かなしみ」があればこそ、日本の国柄の尊さを国民等しく、深く理解するようになれたように思います。 語られた高谷さんが内掌典であられたこと思うにつけ、神々のお計らいを思いました。》と「若松英輔「生きる哲学」を読む」のコメント欄に記してきたところでした。

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386:亀さん:
2019/04/19 (Fri) 06:14:19

>>384
染色体を主体とした生物学の視座から見た「男系」、mespesadoさんの一連のレスを読み、溜飲を下げた放知技の読者も多かったことでしょう。そして、 生物学の観点から見た男系については、ほぼmespesadoさんのレスで結論が出たと思いますが、ここでもう一次元上から見渡すに、目に入ってくる 言霊の一つが「霊性」です。そして、霊性の話になると取り上げないわけにはいかないのが、竹本忠雄の著した『天皇霊性の時代』(海竜社)であり、十年前の 小生は旧ブログで、同書の書評を書いたこともあります。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/01/post-1d2b.html
今読み返すに、鳩山元総理を神武天皇の再来などと書いていた愚生、穴があったら入りたい、馬鹿さ加減が知れないのですが、それでも、霊性そのものについての愚生の記述、今でも間違っていなかったと確信しております。

今回、何故に霊性を取り上げたのか、一言で述べるなら、令和の御代に突入する来月以降は折に触れて思い出すであろう、言霊の一つこそが霊性だからです。ここ で、今までのmespesadoさんと交わした様々な男系についてのテーマ、あるいは小生の過去記事を叩き台に、霊性について多角的に考える資料を以下に 羅列させていただきます。幾つかのテーマから一つだけでも、読者の皆様の新しい時代を生きていく上での羅針盤、あるいはヒントになれば幸いです。
■神道と霊性
__________
戦 後日本において神道は「天皇家の私的宗教」とされ、ここから「靖国神社とは別の追悼施設」をつくるべしと一部政治家は狂奔してきましたが、神道とは、一つ の宗教であるよりはむしろ、そのなかで日本人の祖先と自然と心とが一つに溶けあった霊性であって、しかもその価値は普遍的意義を持っているとして、西洋の 一流思想家の間で、要約すれば次のような高い評価を受けてきているのです。

「世界中の他の宗教は、みな、一方向へと向かうように強制するが、神道は宗教という以上に霊性であり--帰依を義務付けていない--そこでは人は自由に他者と違う思想を抱懐しうるからである」
『天皇霊性の時代』p.11
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
漠然とですが、竹本の云う「霊性」、亀さんの思っている「霊性」とはどのようなものか、大雑把ながら、上掲の竹本の記述で理解していただけるかと思います。

■美智子妃とキリスト教
__________
若き日の美智子様は、周囲のカトリックの御環境のなかにありながら、御自身はついに洗礼をお受けになられなかったのですが、それは悪の存在をめぐる疑義のゆえであったようにおっしゃられたのです。

--神が至高の愛であるとすれば、神は予知しながら誤つ人祖を創造し、その人祖の自由意志を与えて「悪」の選択を許されたのであろうか--

と仰せになったのです(拙著『皇后宮美智子様 祈りの御歌』五五頁参照)

以降、このお言葉は、私のなかで木霊のように鳴り続けていますが、若き美智子様を入信から引き留めたものはいったい何であったのでしょうか。この問題は先のほうで再考したいと思います。
『天皇霊性の時代』p.33
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過日、皇室とキリスト教が話題になりましたが(>>376 >>377)、改めて上掲の竹本の言葉を思い出す必要があります。

■女性と霊性
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「霊性の時代」は「女性性」の復活の現代と一致して到来したことと合わせて考えると、なおさら興味ふかい言葉です(「女性性」であって、「フェミニズム」 ではありません)。というのも、キリスト教世界の霊性は、ユングをはじめ多くの智者から予示されてきたとおり、キリスト中心の「男性性」時代からマリア中心の「女性性」時代へと移り、その大転換点は、二十世紀末から二十一世紀初めのころとされているからです。ということは、まさにわれわれの時代、ということになります。天文学上ではそれは、春分点が魚座水瓶座(アクエリアス)に移る時期を示すところから、一時期「アクエリアス時代」という言葉が世上で流行したこともありました。

「悪」の問題から考えると、霊性上のこの重心推移は、きわめて意義ふかい何かを示しています。
『天皇霊性の時代』p.75
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
同様の観点で「アクエリアス時代」を説く識者の一人に安西正鷹さんがいます。また、世界戦略情報誌『みち』の発行人、藤原源太郎さんの言葉を借りれば、まさに天照大御神に纏わる、「第二の天の岩戸開き」の時代に突入するということであり、令和の御代にいよいよ突入する今、前々から言われてきた数百年に一度、あるいはそれ以上の大転換期が本格的に始まろうとしていることを指していると思います。そのあたりを実体験したく、この五月一日に関西方面に足を運ぶ所以です。

まだまだ取り上げたいテーマは多いのですが、mespesadoさんの記述から一点だけ、取り上げておきます。

> 「浮気のリスクが高い」
これは浮気という観点から見た生物学的な皇統断絶の話ですが、他にも「暗殺」という観点から見た皇統断絶もあります。すなわち、応神天皇の父君・仲哀天皇 を弓で殺めたのは、熊襲の酋長であった応神天皇本人という一例を挙げるまでもなく、皇統は〝万世一系ではありません。しかし、「天皇霊性」という観点から 見れば、間違いなく皇統の万世一系は世界最古、今日に至っても綿々と続いていると云えます。

さらに近世、つまり江戸末期から現代に至っても、皇統の〝断絶〟は幾度もありました。そのキーワードは「田布施」です。田布施については、いずれ飯山史観に織り込む予定であり、それは来月の新天皇、さらには新天皇の次の御代にも及ぶ話になります。

亀さん@人生は冥土までの暇潰し
390:mespesado:
2019/04/20 (Sat) 21:18:12

>>386
> ここでもう一次元上から見渡すに、目に入ってくる言霊の一つが「霊性」
> です。

  私は、おそらくこの「霊性」というのも生物学的な根拠を持つものと考えています。「もう一次元上」というのも、件の「男系・女系」問題が遺伝子情報のうち でも性染色体だけに限った話であるのに対し、そのような狭い情報に限定しない、という意味で「次元」が上になるのだろうと思います。この問題について、ま だ完全ではないですが、現時点で思う所を述べてみます。

 はぐらめいさんのブログ「移ろうままに」の過去記事↓
https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2019-02-21-2

のコメント欄に、次のような「ナショナリズム」に関する投稿がされています。↓
--------------------------------------------------------------------
【前略】ナショナリズムを定義するのはなかなか骨の折れることですが、本的ナショナリズムと西洋のナショナリズムでは大きな質の相違があるように思います。
西洋ナショナリズムは、言ってみれば、フランス革命の中で、ローマ教皇からの独立から生まれたもと理解しています。そもそも、ヨーロッパでは、諸国に主権は存在せず、主権は教皇のもとにあったのです。その教皇から主権を奪う過程で生まれたのがナショナリズムであったと、門外漢ですがそのように理解しています。帝国主義の時代、ナショナリズムは富国強兵を担うもとして機能していましたが、大戦後は、逆に植民地の独立の精神的支柱なっています。
言ってみれば、ナショナリズムの歴史は浅く、かなり曖昧なものとして捉えられます。それも当然で、ナショナリズムの大本である国自体が確固として存在した例はさほど多くないように思います。ヨーロッパ自体、国は王朝の領土という意味しかなかったようです。この辺は、かなり曖昧な知識によって書いていますが、中国の場合は少しは確信をもって言うことができます。

そもそも、中国全体は国というよりは、一つの世界といった方が適切です。中国は、他民族によって構成された世界であり、ナショナリズムが生まれる土壌はありませんでした。実際、隋・唐・元・清の歴代王朝は、漢人からみれば異民族が支配する王朝でした。現在は、漢人が中心となった中国共産党が支配していますが、50以上の民族を抱え、このような状態でナショナルアイデンティティが形成されるはずはなく、中国にはナショナリズムは存在しないと断言することができます。それ故、中国人は中国を捨てることに何の痛痒もなく、また逆に他の民族を併呑することに罪悪感もないのです。

日本は、かなり特殊な国であるといえます。歴史が始まった以来、私たちの住む所は国であり、渡来人等を含めた日本人の国として、固いナショナルアイデンティティの絆で結ばれた国として存在してきました。摂関政治の時代でも、武家政治の時代でも、幕藩時代でも、明治以降の近代国家でも、このナショナルアイデンティティは疑いもなく維持されてきたのです。

私たちのナショナリズムは、こうしたナショナルアイデンティティに基づくものでなければなりません。ナショナルアイデンティティは遠い祖先から現代までに徐々に育まれてきたものですから、ナショナリズムは現代人だけのものであっていいはずがありません。いわば先祖の知恵の総体とも言うべきものを基礎においたものでなければならないはずです。そこに私たち保守のよって立つ基盤があります。

こうしたナショナリズムは、急進的な思考に対抗します。共産主義を含む左右の全体主義に鋭く対峙するはずのものです。

戦前の右翼を国粋主義者とみる薄っぺらな思考には言いようのない違和感を抱いてきました。彼らの多くは疑いもなくアジア主義者であったのはご存じの通りです。私が関心を持っていた大川周明は、イギリス人のインド人に対する迫害に激怒し、インド解放のために立ち上がった人でしたし、北一輝は中国の革命に一身を投げ出しました。内田良平は、朝鮮の一新会とともに近代朝鮮の確立に一命を投げ出したといっていいでしょう。【後略】
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 この第4段落の「日本は、かなり特殊な国であるといえます。【中略】固いナショナルアイデンティティの絆で結ばれた国として存在してきました。」という部分は、私が >>323 で書いた「通婚可能性の観点から見た愛国論」とまさに関連することのように思います。
 国家というのは、そこの大多数の住民が互いに「通婚可能」だと「感じて」いる最大規模の集団である、 とそこでは説明しました。しかし、日本以外では、この原則が必ずしも徹底していません。例えば国家の中に「階級社会」があるような国では各階級の中では 「通婚可能だと感じている」けれども階級を超えて通婚可能だとは感じないでしょうし、多民族国家でも民族を超えた通婚可能性はあまり感じていないでしょう し、また生物学的にも「遺伝子の違い」がネックになり、子孫繁栄に必ずしも有利ではない。
 そういう意味では、日本「だけ」が真に「国内全体で通婚可能性を感じている」国家であると思うのです。

 さて、亀さんの >>386 の中で、
> 竹本忠雄の著した『天皇霊性の時代』(海竜社)であり、十年前の小生
> は旧ブログで、同書の書評を書いたこともあります。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/01/post-1d2b.html

とありますが、このリンク先に次のように書かれています↓
> フランスにルネ・セルヴォワーズ大使という方がおられますが、『日本
> …その理解の鍵』という著書のなかで『教育勅語』を絶賛し、他の二つ
> の世界的に有名な国家宣言と比較して、そのどれよりも優れていると書
> いています。
 【中略】
> 一つは、一七世紀、一八世紀に在位六十余年におよんだ清の康煕帝の詔
> 勅です。
 【中略】
> 「康煕帝の詔勅のほうは、具体的でプラクティカルなだけだが、これに
> 較べて『教育勅語』のほうは遙かに偉大な道徳的高みを持つものである」
> とセルヴォワーズ氏は、はっきり、軍配を日本に挙げているのです。そ
> してもう一つ、一七八九年にフランス革命政府の発した『人権・市民権
> 宣言』と較べて、こう述べているのです。

>  両者の比較は、雄弁にこのことを物語っている。

>  『人権・市民権宣言』のほうは個人の権利をいろいろと認めているが、
社会に対する個人の義務については事実上これを没却している。一方、
『教育勅語』のほうは、共同体の構成メンバーの相互的責務についてこ
> れを強調している。天皇は、共同体の要をなし、天上の秩序を代表して
> おられるのである。

 つまり、「康煕帝の詔勅」の方はプラクティカルというのですから、「道徳」などと同じように、中国版の一種の「ポリコレ」で すよね。しかも康煕帝は西洋科学の勉強にも熱心で、彼我の天文学を比較して西洋天文学の方が正確だ(それ自体は事実でしょう)として西洋の方に軍配を上げ ているくらいですから、「科学的合理性」を重んじた、中国版というより西洋のポリコレの輸入品であると言ってもよいかもしれません。
 一方の『人権・市民権宣言』の方は、「個人の権利」の主張に偏っているというのですから、これこそサヨクの走りみたいなもので、要するに「本能」を廃して「理性」に軍配を上げる、つまり「DNA」より「脳」を上位に置く、まさに西洋の「ポリコレ」の基本となる思想そのものです。
 これに対して『教育勅語』の 方は、セルヴォワーズは西洋の人ですから、これを「偉大な道徳的高み」という表現をしていますが、もっと具体的に言い換えれば、「自己の利害」だけでな く、「自分の属す(通婚可能な)集団の利害」を重視する、ということで、生物学における「利己的な遺伝子」の考え方によれば、その方が個々の遺伝子の繁殖 には有利になるわけで、まさに日本というのはそういった生物学的な考察の結果に大変忠実な国家、民族である、ということがわかります。多分、日本の持つ「霊性」というのは、このような生物学的な合理性がいろんな雑音やバイアスによって汚されていない大変ピュアな状態にある、世界でも大変貴重な存在である、ということなのかな、と思います。


393:亀さん:
2019/04/21 (Sun) 06:19:49

>>390
mespesadoさんの投稿を読み、改めて己の物の見方・考え方の再点検の機会を与えてくれる、放知技の得難い道友だと思った次第。そして、今回思ったのは二点。

最初の一点は、来月下旬に初めてお会いする、はぐらめいさんの(記事に対して書かれたー注・はぐらめい優れたナショナリズム論。はぐらめいさんの(記事に対して書かれたー注・はぐらめいナショナリズム論を読みつつ、それまでは断片的 だったナショナリズムについての己の見方が、お陰様ですっきりと一本にまとまるという、爽快な気分を味わった次第。その意味で、ナショナリズム論を著した(ではなく、引き出したー注・はぐらめい はぐらめいさん、紹介してくれたmespesadoさんのお二人に感謝致します。
https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2019-02-21-2

もう一点は、mespesadoさんの通婚論。
__________
 これに対して『教育勅語』の方は、セルヴォワーズは西洋の人ですから、これを「偉大な道徳的高み」という表現をしていますが、もっと具体的に言い換えれば、「自己の利害」だけでなく、「自分の属す(通婚可能な)集団の利害」を重視する、ということで、生物学における「利己的な遺伝子」の考え方によれば、その方が個々の遺伝子の繁殖には有利になるわけで、まさに日本というのはそういった生物学的な考察の結果に大変忠実な国家、民族である、ということがわかります。多分、日本の持つ「霊性」というのは、このような生物学的な合理性がいろんな雑音やバイアスによって汚されていない大変ピュアな状態にある、世界でも大変貴重な存在である、ということなのかな、と思います。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
飯山史観を編集している身として、日本列島には様々な民族が流入しつつも、数万年という気の遠くなるような時空を経て、今日の日本人を形造ったと小生は 思っています。そうした先人の営みを通じて、ここ日本列島に「霊性」が誕生、そして、mespesadoさんが仰せのように霊性がピュアであり続けることができたのも、日本人の祖先の通婚が大きく物を言った一つだったのでしょう。

そして、小生が思うに、もう一つ大きく物を言ったのが自然であり、両者が祖先の心を造ったと…。
__________
戦後日本において神道は「天皇家の私的宗教」とされ、ここから「靖国神社とは別の追悼施設」をつくるべしと一部政治家は狂奔してきましたが、神道とは、一つの宗教であるよりはむしろ、そのなかで日本人の祖先と自然と心とが一つに溶けあった霊性であって、しかもその価値は普遍的意義を持っているとして、西洋の一流思想家の間で、要約すれば次のような高い評価を受けてきているのです。
『天皇霊性の時代』p.11
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つまり、この日本列島というユーラシア大陸の片隅に流入してきた渡来人を、今日の日本人にあらしめた日本列島という自然、その自然の中に在って通婚を通じて先祖から生まれた心、それが霊性=神道だと竹本は言っているのだと思います。

ここで心、すなわち民族の心を反映しているものの一つが母語ではないのかと思う次第。この我々の母語である日本語、その真髄に迫る上で欠かせないのが、拙稿「ハンガリーと日本」で紹介した天童竺丸編集長の巻頭言の一節、「ツラン魂は健在なり 5」でしょう。
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母語は人の物の見方・考え方、すなわち思考様式を根底で支配していると常日頃感じている身として、「ツラン魂は健在なり 5」には大いに啓発を受けたからだ。殊に、望月長與の提唱する「一音語」、…これこそ世界に数多ある言語のなかでも、日本語だけが持つ独特の特徴を示すものであり、おかげさまで、今までに自分の考えてきた日本語観についての確信が一層深まったように思う。
http://michi01.com/tendoh/226ktg26660415.html
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天童編集長の母語論の他、角田忠信博士の『日本人の脳』もあります。角田博士の業績については、拙稿「乳酸菌と漫画」でも少し触れました。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1288.html

以上、祖先の通婚を通じて今日の日本人がある、という視座を提供してくれたmespesadoさんに多謝!!

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