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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(55)「日本衰退論」(11) 「日本流」対応 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

米国発のグローバル化は、前回述べた米国主導の「日本社会の規制緩和要求」や米国主導だった頃のTPPの案を見ると、外国の制度を自国の企業進出のために変更させるのも厭わないという「内政干渉的」なやり方であるのに対し、日本の場合は海外に進出しても内政干渉的な要求はせず、むしろ現地の習慣を尊重し、逆に自国の労働者に対しては、その待遇を犠牲にすることを厭わない、ある種「自虐的」な内容であることが見て取れると思います。》《かつての帝国主義時代に、同じ「植民地政策」でも、欧米諸国が現地に対して「搾取的」だったのに対して日本は朝鮮半島にしろ台湾にしろ搾取的ではなく、むしろ「共栄的」だった》ことと同じというmesさんの議論、全くそう思いました。「日本的」というより、むしろ自信を持って「日本流」と言った方がいいように思えました。

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59 名前:mespesado
2019/02/24 (Sun) 22:23:23

>>40 【日本衰退論の続き】
 さて、前回は、まず米国企業の生産が伸び悩んだことにより彼らが日本の市場に与えた影響を考えてきました。それでは日本の企業が(高度成長の終焉とそれに続くバブルの崩壊後に)生産が伸び悩み始めたとき、日本の企業がどういうアクションを取ったかを振り返ってみましょう。
 その一つは、売り上げが伸びなくなったために、コストをカットすることで利益を伸ばそうとする動きです。そのコストカットの一番のターゲットにされたのは、いうまでもなく「人件費」で す。それ以前も、日本の習慣である「年功序列」賃金は、確かに人口ピラミッドが年齢の高い層ほど人口が少ない時代であればポストの割り当てもうまく行き、 また人件費もコスト圧迫要因とならなかったのですが、人口構成が次第に「ピラミッド型」から「釣鐘型」に変化していくにつれて、年齢の高い従業員の占める ウェイトが増えてきて、会社はベテランの処遇に苦労するようになっていました。このため「年功序列」から「能力給」へとシフトしなければならない、という 問題意識がずっとあったのですが、バブル崩壊で一挙に日本の企業の発展が衰退していく中で、それまで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と己惚れていたのが 一変して自信を無くし、米国の「隣の芝生」が羨ましくなってきていました。米国の賃金体系は、もともと「能力給」的でしたから、「米国に学べ」を合言葉に 日本でも「能力給」的な賃金体系を導入する企業が増えてきました。尤も、能力給を導入する企業の思惑はそれだけではなく、「能力のある従業員は給料を上げ、能力のない従業員は給料を下げる」という、一見公平なやり方に見えて、実際は能力の有無を決めるのは主観的な人事評価というのが実態ですから、「能力のある従業員」と認定する人数をどれだけにするかを主観的に決めることによって、トータルとしての人件費を抑えることができるようになるというのも企業にとっては魅力的だったわけです。
  しかし、このような給与体系の変更でカットできる人件費はたかが知れています。日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていたころから「貿易戦 争」で米国から自国の産業と、それに伴う雇用を衰退させる輸出超過を何とかしろ、と圧力を受けており、企業の海外移転という手段で「現地生産」という手段を取る企業が出て来ていました。これなら現地の雇用にも寄与でき、貿易摩擦の解消にもなるからです。ところが日本企業の業績が厳しくなると、この企業の「現地生産」を貿易摩擦の相手国ではなく、労働者の賃金が安くて済む「発展途上国」で行うようになってきます。このような動きは1980年代の後半から急増し、1990年代にかけて一挙にトレンドとなります。この種のグローバル化は双方向で推し進められ、逆に外資系企業も日本に進出するようになります。このトレンドは、加速する日本企業の海外進出
https://www.jica.go.jp/aboutoda/interdependence/jica_databook/04/04-1.html
というサイトのグラフにあるとおりです(赤線が日本の海外進出、青線が日本に進出した外資系企業)。
[海外からの所得の受取と海外に対する所得の支払の推移]
グラフ
出所:内閣府社会経済総合研究所「平成19年度国民経済計算年報」に基づきJICA調査団作成
ただし日本の海外進出の方が規模が大きいため、差し引けばトータルで日本人の雇用が失われていることを意味する訳ですが。
 そしてこのような、従業員の所得に対する「冷遇」は、1985年に成立した「労働者派遣法」の翌年からの実施により決定的になります。実はそれ以前からも人材派遣というのは実際には行われていたのですが、国が正式に認めた形態ではなかったため、この法律をきっかけに、派遣労働者という形態を正式に認め、きちんと法で網を掛けるようになったわけです。
 しかし、最初は13業務に限って派遣を認める、という職種を限定したものだったのが、次第に規制が緩められ、1999年には遂に業種が原則自由になってしまいます。明らかに、低賃金で必要な期間だけ調達できる労働力が欲しいという雇う側の都合がまかり通ってきたことがわかります。
 さて、ここまでを振り返って、同じ「グローバル化」と言っても、米国など海外の企業が主導したグローバル化と日本の企業が主導したグローバル化は質的に大きく異なることがわかります。
 米国発のグローバル化は、前回述べた米国主導の「日本社会の規制緩和要求」や米国主導だった頃のTPPの案を見ると、外国の制度を自国の企業進出のために変更させるのも厭わないという「内政干渉的」なやり方であるのに対し、日本の場合は海外に進出しても内政干渉的な要求はせず、むしろ現地の習慣を尊重し、逆に自国の労働者に対しては、その待遇を犠牲にすることを厭わない、ある種「自虐的」な内容であることが見て取れると思います。
  これは、かつての帝国主義時代に、同じ「植民地政策」でも、欧米諸国が現地に対して「搾取的」だったのに対して日本は朝鮮半島にしろ台湾にしろ搾取的では なく、むしろ「共栄的」だった、それなのに戦後はGHQの洗脳のせいなのか、やたら当時の日本人自身を「自虐的」に評価してしまっている、というのと何や ら似ていると思うのは私だけでしょうか。  (続く)

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