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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(54)「日本衰退論」(10) 貨幣経済の倒錯 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

人の情理に反する「極悪非道」の軍需産業や金融資本はたしかにグローバリズムの申し子であっても、それをもって「グローバリズムは全部ダメ」ということにはならない。軍需関連、金融関連以外の「その他の産業」については、それまで「参入障壁」によって保護されてきた生産者にとっては厳しくとも、消費者から見れば「グローバル化」はむしろ好ましい、ということが全体の主題ですが、その議論のプロセスが必読。「貨幣経済」が生み出した「倒錯」の機序の説明が見事です。基本は「生産活動」は「消費活動」のためにあるのであって、断じて逆ではありません。》

*   *   *   *   *

40 名前:mespesado
2019/02/23 (Sat) 20:03:36

 さて、かなり間が空いてしまいましたが「日本衰退論」の続きです。前発言が、前スレッドの #973
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16557737/973/でした。そしてその最後を

>  さて、こうした歴史の流れの中で、軍需産業と金融資本はかつての勢
> いを失いますが、これらに便乗していたその他の産業のグローバリズム
> は健在で、「グローバリズム」はやや形を変えて継続していくことにな
> ります。しかし、この「その他の産業」のグローバリズムは、軍需産業
> や金融資本のそれのような「極悪非道」とはやや趣が異なる特質を持っ
> ていたのです。

と締めくくりました。
 この「軍需産業や金融資本」と「その他の産業」では同じグローバリズムでもどこが違うのでしょう?
 それを考える前に、グローバリズムでも新自由主義でもいいですが、これらの概念を語るとき、一番重要なプレーヤーのことが置き去りにされていることに気付かなかったでしょうか?
 そうです。「消費者」です。そもそも生産活動って何のためにあるかというと、「人間はモノやサービスを消費したい」というのが一番基礎にあって、しかしそのモノやサービスは誰かが生産しなければ存在できないので“止むを得ず”生産活動が必要になるわけです。つまり「生産活動」は「消費活動」のためにあるのであって、断じて逆ではありません。
 ところが、人類はあまりに長い間「労働集約的」に生産活動を行う時代が続いたせいで、「働かないと消費できない」ような仕組みを作り上げることによって生産活動へのインセンティブを維持させてきました。そもそも貨幣経済それ自体が「働かないと消費できない」ような仕組みの典型例ですよね。なぜなら「オカネが無いと消費財を手に入れることができない」から「オカネを稼ぐ」必要があり、そのためには「働いてモノを作って売らないとオカネが稼げない」から“やむを得ず”「働く」ことになるからです。
  ところが高度成長により家電などの耐久必需品がほとんどの人に行き渡ると企業の必要な生産量は鈍化します。するとどうでしょう、本来「生産活動」は「消費 活動」のためにあったのだから、「もうあんまり生産しなくてよ」くなったら万々歳のはずです。だって「労働」という「シンドい作業」が要らなくなるんです から。
  ところが、生産活動を奨励するために作った「働かないと消費できないような仕組み」であるはずの「貨幣経済」が、この流れを邪魔するようになります。つま り、「もうあんまり生産が要らない」からといって生産活動を縮小すると、「企業の売り上げ」が鈍化してしまい、そのため「給料」も上がらなくなるので労働 者は将来が不安になり「貯金を溜め込む」ようになるので「今の消費に使えるオカネ」が減り、かえって消費ができなくなります。また、そのあおりを受けて企 業は「売り上げが減る」ので「企業収益も減」り、従って「従業員の給料を下げ」るようになるので、ますます「消費者はモノが買えなくなる」というわけで す。つまり、本来は消費に必要な生産を活発にするためのインセンティブとなる便利なツールであったはずの「貨幣経済」が、生産量が十分なレベルになった途端に、一変して「消費にブレーキをかける」悪魔のツールに大変身してしまうわけです。
 この状況を打開できるのは、与えられた生産物を消費することしかできない消費者には無理な話で、結果として「カネと政治力を持っている」生産者の側が何とかしてこの局面を打開しようとアクションを起こします。
 この流れは、早々と自国の製品が行き渡ったことにより売り上げが伸び悩み始めた日本よりも、日本など外国からの輸入品を消費者が選好したために自国の企業の売り上げが伸び悩んだ欧米(特に米国)から先に始まります。
 彼らは自国の市場が日本などからの輸出に席捲されて輸入超過になっていましたから、それに対抗する意味でも市場を海外に求めます。
  さて、ここでまだ自国の必需品が行き渡って不況になる前の時代に時計の針を戻します。生活必需家電を作っているような企業は、売り上げが鰻登りなので羽振 りがよいですが、そうでない通常の商品を作っている会社はそんなに羽振りが良くなく、自らの生活水準を維持するためには余計な競争を避けようとします。な ぜなら新たに同業への参入者が増えると一生産者当たりの売り上げは減ってしまうからです。そこで、彼らは「よそもの排除」のために、「品質の良い商品を安 定的に供給するため」とか言って消費者のためであるかのような大義名分を掲げて「参入障壁」を作ります。これは本当は 生産者の生活を維持するためのものなのに、彼らの「既得権」を保護していれば、消費者にとっても、確かに「ベテラン企業」による安定した品質のモノやサー ビスが入手できるのであまり反対は無く、そもそも個々の「消費者」だって、同じ人間がある職業に従事する「生産者」でもあるので、自身の収入が安定する方 がメリットがあったので、このような「参入障壁」はあまり問題視されることはありませんでした。
 さて、そんな中で、一足先に売り上げが落ちて追い詰められている米国の企業は何を考えるか。海外を見まわしてどこかにオイシイ市場はないか、と探していると……日本では、様々な業種が「参入障壁」を築いているではありませんか!
 これはチャンス!と彼らは思ったはずです。彼らは、自分たちの政治力を使って、日本の各業種が作っている参入障壁を撤廃させて「競争市場」に改革すれば、自分たちにも市場に参入できるチャンスができて、儲かるかもしれない!と気づき、それを早速実行します。いわゆる「グローバリズム」の誕生です。
 さて、このグローバリズムですが、在来の国内企業にとっては、各種の規制が撤廃されれば企業は競争が厳しくなって収益が減る危険があるので「困る」けれども、じゃあ同じ国内の消費者にとってはどうでしょう?
  規制が撤廃されることにより、生産活動の参加者が増えるので、全体の品質が落ちるというリスクはあるかもしれないけれど、逆によりよいサービスを提供する 会社が現れるかもしれない。そうなれば、品質に関するリテラシーは要求されるけれども、それを各消費者がマスターできれば(つまり「賢い消費者」になるべ く努力すれば)、グローバル化は「生産者」とは違って「消費者」にはメリットがあることになります。
  つまり、従来から日本に存在していた業種(つまりもともと日本人にとってニーズがあった分野の業種)に対しては、グローバリズムというのは、確かに「生産 者」にとっては厳しいものがあるけれども、「消費者」にとっては、もちろん「賢い消費者」になるべく努力する必要はあるけれども、逆にメリットもある、と いうことになるわけです。
 ここで「従来から日本に存在していた業種」と書いたのが、冒頭の、前回の記事の引用部分にある、軍需産業や金融資本以外の「その他の産業」のことに他なりません。   (続く)

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