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この先に見える明るい世の中 (「置賜発アジア主義」より) [アジア主義]

『懐風』(米沢御堀端史跡保存会)への寄稿「置賜発アジア主義」、最後のところでまごまごしましたが、一昨日原稿を届けてきました。「復興アジア主義」で大井魁先生に登場してもらい、その流れで林房雄『大東亜戦争肯定論』で締めました。「むすび」の文章は、mesさん講義の結論に呼応しています。「日本衰退」論に振り回されてはダメ、日本人は日本らしさを大事にしながら自信を持って、必要なところにはどんどん金をぶっ込む覚悟で突き進めば、自ずと未来は開けてくる!

以下、最後の2章です。

*   *   *   *   *

復興アジア主義
大井魁14Endo-2.jpg 戦後「ナショナリズム」がタブー視されていた時代にあって、いちはやくその必要性を訴えたのは米沢興譲館高校の大井魁先生でした。私も高校3年で日本史を習いました。中央公論に「日本国ナショナリズムの形成」を発表し、当時の言論界に大きな反響を巻き起こしたのは昭和38年、私が高校1年の時でした。その論文は『戦後教育論』(論創社1982)で読むことができます。(「移ろうままに」に転載https://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-04-07
 《日本国に理性的なナショナリズムを形成することが、今日の急務である。》とするもので、それには《日本帝国時代の日本人と日本国の今の日本人との、歴史的な一体感の回復をおいてはほかにない。国家としての(戦前戦後の)断絶を超えて、帝国臣民の主体的体験を日本国国民が自己の体験としてうけとり、帝国時代の日本を今の日本人の自我のうちにつつみこむことが、日本国にふさわしいナショナリズムの形成の条件である。》とし、最後を《何よりも望まれるのは、日本の五十万の教師の自覚である。日本国の理性的ナショナリズムの形成は、まず日本の教師たちの先覚者的任務の自覚からはじまらなければなるまい。》と締めくくっています。
 この論文の中で先の孫文演説が取り上げられています。
 《中国革命の父と呼ばれる孫文が、その死の前年である一九二四年の講演に、中国革命の基本思想を説いたなかで、明治日本のナショナリズムを評価していることは 周知のとおりである。/ 日本は、「ヨーロッパ文明の東方への到来に乗じ、ヨーロッパ、アメリカの風雨のなかに身をひたして、新しい科学の方法を利用し、国家を発展させ、維新後五 十年にしていまやアジアでもっとも強大な国家となった。・・・この日本が富強になり得たということは、アジアの各国に限りない希望を生みだした。・・・以前にはヨーロッパ人にできることでも、われわれにはできぬものと思われていたものだ。それが今日本人がヨーロッパに学び得たことから、われわれが日本にまなび得るこことがわかったわけだ」/ 右のように述べて、孫文は、日本が衰えた国から強大な国家に変ったのは、”民族主義”の精神があったからだと論じている。アジアにおける明治日本に対する右のような評価は、今日においても変更を加える必要はあるまい。》
 日本は「民族主義」によって近代化を果し、アジアの希望となった、というのです。しかし、大井論文はつづけて《朝鮮の併合を機として、日本のナショナリズムは、他国と他民族の犠牲において自国の発展をはかる我欲的ナショナリズムに転換する。》と指摘、《日本帝国は、朝鮮の併合から道徳的に汚れはじめた》とします。大井論文の志向する「ナショナリズム」が、帝国主義とは一線を画する「置賜発アジア主義」の流れを汲むものであることは言うまでもありません。大井先生主張のナショナリズム復興は、「真っ当なアジア主義の復興」と同義です。

むすび
 戦前の対外膨張ナショナリズムに同化させられたアジア主義とは異質な、もうひとつのアジア主義の流れが、この置賜から流れ出していることに気づかされ、その都度メモっていたものを一本にまとめてみました。
 なぜ置賜なのか、思い当たるのはやはり、謙信公に発し直江公を経て鷹山公によってしっかり根付かされた置賜のエートス(精神風土)です。《雪の深い一本道で誰かが出逢ったその時に、自ら避けて人を通そうと思う心は素直な人間の自然にとる道であろう。》「興譲館精神」)―― 何も難しくはない、要するに自然の情理に沿うことです。置賜発アジア主義とは、主義をことさら標榜したわけではなく、目覚めた日本が世界に目を向けた時、置賜の空気で育った先人達が自ずと歩んできた道行きです。振り返ると、一本の道筋がついていたのです。
 ではこれから、その先に何が見えてくるか。
推移GDPの147694449276569007180_GDP-1.gif 明治中期以降現在までの国民総生産の変化のグラフです。(貨幣価値変動は調整済 https://s.webry.info/sp/naga0001.at.webry.info/201610/article_6.html
 戦前の伸びと戦後の伸びではそのスケールがちがいます。この勢いで、豊かに、便利に、楽に、暮しやすくなったのです。
 さらに2045年にはAIが人間の知能を超える(シンギュラリティ/技術的特異点)と言われ、想像を超えたAIの発達による驚異的な生産力の発展が考えられます。その先に見えてくるのは「限界費用ゼロ社会」、要するに、オカネが不要になる世の中です。
AIと欲望グラフ.jpg 生産力の発展が人間の欲望の進化を上回るようになれば、貧しさゆえの争いは無くなります。争ってまで他のところに「王道楽土」を求めなくてもよくなるのです。孫文の言う「王道」と「覇道」で言えば、あえて「覇道」を求める必要はなくなるのです。
 林房雄は『大東亜戦争肯定論』(1964)で大井論文を高く評価しました。特に先に引用した締めの文章について《あまりに「先覚者」すぎる日教組の現指導者諸氏はそっぽを向くかもしれぬが、少なくとも半数の二十五万の教師諸氏の胸底には同じ憂いと自覚が芽生えはじめているのではなかろうか。憂いは哲学的となり、形而上学的となり、もやもやの雲となっているが、やがて雨となって日本の乾いた土をうるおしてくれるかもしれない。》と記しました。そして同著に次の言葉を残しています。
 《王道を信ずる者は敗北し、覇道の実行者が勝利者となる。・・・「王道」は常に自ら破れ、「霸道」は「霸道」によって自らほろびる。しかも「王道」は常に不死 鳥のごとく灰からよみがえる。「王道」がついに「霸道」を倒して再び立つ能ざらしめる 時は必ずくるはずだ。人間はこの夢を抱いて七千年の歴史の非情に堪えてきた。》――こう嘆じた後、《私もまた「王道実現の夢」をいだきつつ死の床につく一人でありたい。》と書きました。それから50年、宮内熊野大社の大祓詞で明けた平成30年元旦以来の世界の動きは、林が思い描いた「その時」に向けて着々と歩みだしているように思えるのです。

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