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靖国問題をどう考えるか [現状把握]

放知技板のメインスレ、mespesadoさんのがんばりが目立つ中、Conganasさんの登場でまたグンと締ってきた感じです。飯山師がひそかに派遣されたのかも。《靖国問題は代替わりの今、早急に決着する必要がある》という問題提起、極めて重要に思え、2年前に書いた川田順造氏講演会(付・今上天皇は靖国神社参拝についてどうお考えか)のコメント欄にメモったのですが、かつて副島さんが重要な事を書いてもおられるので、あわせて記事にしておきます。

まず、Conganasさんの問題提起です。

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679Conganas :2019/01/03 (Thu) 20:52:07

   文殊菩薩の野崎博士の記事
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-9263.html
を読んだ。

>マスメディアの安易なプロパガンダに載せられることなく、歴史の大きな意味と流れを見極めて対応することが必要だ。

のくだりに同感した。

良いの悪いの好きだ嫌いだを超えて2019年の世界も昨年に引き続き金正恩が主導しそうだ。
政権内のネオコンの首を次々に切りながら、トランプもシリア総撤退をやりとげた。
この調子でトランプは、在韓米軍撤退にこぎつけるだろう。
南北朝鮮統一のための露払いは意外な速度で加速する。

半島統一と、わが国の米国からの独立はWW2の戦後処理という同一面上の課題である。
半島処理と同時進行で在日米軍撤収もドライブされことになる。
リアルタイムならずとも連動し、大きなイベントとして顕在化する。

天皇代替わりの本年は、わが国の真の独立にむけた画期となる年だからだ。
真の独立には国軍の創設が必須
くしくも靖国神社は本年が創建150周年(東京招魂社・1869年8月6日建立)だ。

そこで靖国で昨年起きた驚愕の事例にふれることにする。
10月に靖国神社内会議の音声データが流出する不祥事が起きた。

神社内会議での宮司の発言には歯に衣着せぬ過激さがあった。
内容は、今上陛下が一度も靖国参拝をされないまま代替わりとなると
皇室における靖国軽視が次代天皇に引き継がれて固定化される懸念を述べたものだ。

「はっきり言えば今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」

音声全体は報道されず、ごく一部の肉声だけが切り取られマスコミに流布された。
このひと言はあまりに国民の常識を逸脱した、あり得ないもの言いに思われ
いくら意図しない流出でも致命傷となり、同宮司は宮内庁に陳謝し辞任した。

宮司発言の文脈から憂国の義憤を汲み取ることは可能だ。
日本の将来を見据え靖国と皇室をめぐる現状がこれでいいのか
やむにやまれず雄叫びをあげたのだともいえる。
英霊の声を代弁した神がかりの発言だったともいえよう。

しかし、今上陛下が同神社に一度も参拝をしなかったのは理由がある。

あきらかに1978年に靖国神社が宮内庁に根回しせず
独断で合祀を強行したA級戦犯合祀問題にいきつく。
これが後の歴代首相閣僚の靖国参拝に対し中韓が批判を繰り返す
外国政府からの内政干渉をまねいた。
そのたびに大日本帝国の最高権力者による戦争犯罪を声高に糾弾された。

この一点なのだ。
昭和天皇の代継である今上陛下が靖国参拝に慎重になられ
御在位中ついに一度も参拝されなかったとしても仕方なかろう。

宮司がいくら憂国の義憤にかられたとしても、
因果をたどれば靖国側に致命的な落ち度があったのである。
それを棚にあげ被害妄想の怨嗟の声をあげるのでは何の解決にもなるまい。

A級戦犯合祀という暴走が問題だったのである。
靖国神社が引き起こしたこの深刻な政治問題について
靖国側が当事者意識をもたなければ解決は不可能だ。

当方の私案では靖国神社からA級戦犯の御霊にいったん昇魂していただき
東京から懸隔の土地を用意し別名神社を建立し、ひっそり分祀することだ。

わが国は八百万の神います国である。
A級戦犯であろうが八百万の神の列にあるべき国がらなのだ。
全国にごまんと存在する神社のいちいちに口出す外国政府はない。

自衛隊もいよいよ自立の機運がめぐってきている。
靖国問題は代替わりの今、早急に決着する必要がある。

わが国の真の独立が進むことでロシアとの北方領土問題も飛躍的にドライブできる。
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平成29年2月11日米沢での川田順造氏講演会、質疑の中で靖国のことが話題になったのを機に、川田氏が今上陛下に直接訊ねられた時の事を話されたのでした。貴重に思えテープから起こしたのでした。
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ぼくはやっぱりある意味で私が日本の天皇制に賛成なのは、今の今上天皇は即位してから一度も靖国神社に参拝していません。それは、靖国神社の方では天皇に来 てもらいたくてしょうがないんですよね。ただ皇太子の時に行っていますね。即位してから(靖国参拝を)やらないのはなぜかというと、これは僕は天皇陛下に直接聞いたんですよ。この時の天皇陛下に対する質問は、今日は昔の紀元節ですけれども、紀元節の歌「天津ひつぎの高みくら 千代よろづよに動きなき・・・」、この「天津日嗣」というものがいかなるものかということを僕は天皇陛下に直接質問したんですよ。「天津日嗣ってどういうものですか」って。そしたら、今の天皇陛下は非常に偉いって僕は尊敬しているんだけれども、誠実な人ですぐ答えてくれました。美智子妃殿下と並んでいるんだけれども、美智子妃 殿下をふりかえってね、即位の時に、要するに筒みたいなものらしいです、そこに手を置いて、それは先祖のお位牌ですよね、先祖の霊が宿っている、そこに手を置いて「先帝の遺志を継ぐことを誓います」、遺志というのは遺された志ですよね、皇后と手を置いて先帝の遺志を継ぐことを誓う、先帝の遺志は靖国神社に参拝しないことですよね。A級 戦犯が祀られてから、昭和天皇は一度も行っていません。だからその点ではね、今の天皇も即位してから一度も行っていませんよ。靖国神社は招いていますけれ ども。だからそれが続く限りは、次の代になっても、天津日嗣に先帝の遺志を継ぐことを誓えば、靖国神社に参拝しないことがずっと続くわけです。だから時の政権がどう移り変わってもね。だからその点では、日本の天皇制というのに、ひとつの、なんて言うかな、遺志の継承というものみたいな価値を認めたいと思うんですよね。
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多言は要らないと思う。その通りなのだ。そして、昭和天皇の時代のA級戦犯合祀問題。5年前の1月10日に書いた靖国の名に背きまつれる神々を思えばうれひの深くもあるかの記事がある。副島氏の安倍の靖国参拝問題が大きな火種に。日本は世界中を敵に回してはいけない。という発言に拠る。
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 ここで、端的(たんてき)に言うと、United Nations (ユナイテッド・ネイションズ=連合諸国、連合国側) の総意に、日本は従わなければいけないのだ、ということだ。世界を敵に回してはいけない。この 連合諸国=が第二次世界大戦の間にできて、それが、そのま ま、戦後も、そして今も 世界体制(The U.N. ×「国際連合」は愚かな、意図的な訳語だ。正しくは United 連合 Nations 諸国 、連合諸国だ)なのだ。現在のこの世界体制を敵に回して、安倍晋三たちは、勇ましい、頓馬(トンマ)な闘いをやっている。 世界とはどういうところか、が分かっていない。 世界の厳しさも分かっていない。 甘やかされた 坊や みたいな連中だ。

「ヤルタ=ポツダム体制の打破」、 「東京裁判史観の克服」、「戦後レジームの打破」を掛け声にしている、愚か者の集団だ。 その甘えきった態度が、どれぐらい自分たちの愚かさを、今、世界中に、満天下に晒(さら)しているかを、分かっていない。 安倍晋三たちは、いいかと思って世界の舞台で裸踊りをしているのだ。

それでア メリカに楯突いてみせれば、それで、自分たちが英雄気取りだ。アメリカ(オバマ政権)が怒っているのは、今の日本の極右政権が、世界の戦後秩序=世界体制を 、半ば無自覚に破壊しようとしている、甘ったれた連中だということを、日本側が分からないことだ。 安倍たちは、アメリカを敵に回しているのではな い。世界を敵に回しているんだ。 世界を敵に回すと、本当に、恐ろしいことになるのだ (世界は、いったん決めたら、本当に国際的強制執行をする)。

  東条英機(とうじょうひでき)首相(大将)たち、7人戦争指導者を、死刑にして首を吊ったのは、アメリカの軍事法廷(ミリタリー・トリビューナル)という だけでなく、世界体制なのだ。その東条たちを、合祀(ごうし)して祀(まつ)っている(1978年から)靖国神社は、世界基準での The Tomb of Unknown Soldiers ザ・ツーム・オブ・アンノウン・ソルジャーズ 無名戦士の墓 ではない。東条たちは、戦争指導者たちであって無名戦士ではない。

 自分たち、世界体制が東条たちの首を吊ったのに、そこに、どうやって、外国の元首たちが、花輪を持って、哀悼の参詣をすることができるだろうか。世界中の国々の 無名戦士の墓に、外国の元首(大統領、首相、国王)は、お参りするのだ。 このことを、日本人は、分かっていないのだ。誰も説明する者がいない。皆、愚か な日本国内の境域と、テレビ新聞の洗脳で、国民は、世界基準の知識、世界で通用している当たり前の思考、思想を、を全く教えられず、めくら(=盲目)にされたままだからだ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  昭和天皇が、東条たちの合祀問題があった1978年以来、靖国への参拝をしなくなって、大きな怒りと共に、ストライキを始めた。昭和天皇は世界を知っている。日本の元首(げんしゅ、sovereign ソブリン、主権者、国王)だったから、世界を敵に回したらいけないのだ、と知っていた。

 だから、広島、長崎に原爆が落とされた後、世界に向かって、日本人(日本国民全部)は、命乞いをして、これ以上もう、皆殺しにしないでくださいと、土下座して、ポツダム宣言を受諾したのだ。

  このことの意味を、今の日本人は、分からなくなっている。世界は、日本国内だけでしか通用しない、愚かな考えに、同意しない。そして、安倍晋三の自分勝手 な靖国参拝を受けて、今、一番、怒り狂っているのは、アメリカだ。このことの意味を、愚か極まりない、バカ右翼と、安倍晋三を支えている自民党の中の右翼 勢力は、反省した方がいい。 世界を敵に回して勝てると思っているのか。この事態では、ドイツでさえも日本の肩を持たないだろう。
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私が、2007年に書いて出版した、本の中の「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」論文の 重要場面を、弟子たちが復刻してくれたので、ここに載せます。私のこの文は、以後、日本の戦後史の歴史資料に属するものとなるだろう。

(転載貼り付け始め)
『最高支配層だけが知っている 日本の真実』(成甲書房、2007年刊)所収

「 安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」」
 副島隆彦

 (この本の P.25~P.28 を転載する )

 「昭和天皇のコトバ・富田(とみた)メモ」は米国の意思がリークさせた

 安倍晋三(あべしんぞう)首相は、昨2006年の9月20日に自民党総裁選に圧倒的な強さで勝利して、そのあと、9月26日に、国会で首班指名(しゅはんしめい・総理大臣に当選すること)を受けて組閣した。

 そのあと、すかさず、10月8~9日には、アメリカではなくて、中国と韓国を訪問して胡錦涛(フー・ジンタオ)国家主席、盧武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領と首脳会談を行なった。まずアメリカに行くのではなくて、中国と韓国に行ったのだ。

 この最中の9日に、なぜか、北朝鮮がうまい具合に、例のお粗末な核実験(らしきもの、その後も浮遊核物質が検出されないので、失敗説もある ) をやってくれた(これにも、実は、裏がある)。これに世界の目を奪われて、安倍晋三の外交行動の奇怪さは露見しないで済んだ。

  安倍晋三の表情は、このころから、うつろになり、全く冴えなくなった。テレビで見ていても気の毒な感じになってきた。自分は一国の宰相である、という気迫 が急速に消えて無くなった。加えて、しどろもどろの国会答弁をするようになって、「安倍は、7月まではもう少しは威勢が良くて、元気だったのに。一体何が あったのか」と新聞記者たちまでが、噂を始めた。一国の責任者としては、あまりにしょんぼりしている。もともとはこういう人ではない。タカ派のバリバリの 右翼人間である。

 2006年7月20日に突如、アメリカベったりで親米派の代表のような日本経済新聞に、富田朝彦(とみたともひこ)元 宮内庁長官のいわゆる「富田メモ」が、一面のトップで載った。それは、昭和天皇の、「今のような、靖国神社には、(1978年以来、私は)お参りできな い」という発言が書いてある日記であった。

 このことは、昭和天皇のお気持ちとして、今の靖国神社では、私は参拝できないし、公式の戦没 者の国家的な追悼施設としての国際社会の理解も得られない、という天皇によるはっきりとした意思表示であった。なぜ、あの時、日経新聞に「富田メモ」とい う形で、靖国神社問題が噴出したのか。その謎が今、私は解けたのだ。

 昭和天皇の靖国神社に関連した発言の「富田メモ」からの、昭和天皇の発言の全文は次のとおりである。

(引用開始)

 私は、或る時に、A級(戦犯たち14人)が合祀され、そのうえ松岡(洋右 まつおかようすけ)、白鳥( 敏夫 しらとりとしお)までもが。 筑波(藤麿 つくばふじまろ 前の靖国神社の大宮司 )は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。

 松平(慶民 まつだいらよしたみ)は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心(を)子(の)(松平芳永 まつだいらよしなが 宮司)が知らず(だ)と(私は)思っている。だから 私(は)あれ(1978年)以来参拝していない。それが私の心だ。

「昭和天皇、合祀に不快感靖国のA級戦犯に触れ」共同通信、2006年7月20日配信 

(引用終わり)

 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示す発言をしていたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)が書き残したメモがあることが関係者の話で20日、分かった。

 昭和天皇は1978年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝していない。メモは、明確になっていないその意図を探る貴重な資料であるとともに、小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ。

  関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは88年4月28日付。メモによると、昭和天 皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。

 「松岡」「白取」はA級戦犯としてまつられている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。(共同通信、同前)

(引用終了)

  このように、昭和天皇ははっきりと自分の考えを述べている。この天皇の意思と考えは、明らかにA級戦犯の合祀への反対である。平和を強く願う気持ちが表わ れている。そして新たな戦争に加担するような動きに対して強く戒めている。戦後の指導者たちが、軽率な行動をとってはならないと警告している。

 このあと、記者団に質問されて、小泉純一郎首相は、「人(昭和天皇のこと)にはそれぞれの考えがある」と言い放って、昭和天皇の意思(大御心 おおみこころ)を無視して、8月15日の首相参拝を強行した。

 安倍晋三も同様であり、すでに5月に内閣官房長官として、こっそりと参拝していた。このことも、どこからの筋か不明だが、露見した。明らかに日本の保守勢力内部に大きな分裂と抗争の暗闘がある。それが、この富田メモの公表という時点で、はっきりと表に出た。

 この7月20日の日経新聞の富田メモの突如の公表は、アメリカの意思も入っている。アメリカは、小泉と安倍に、靖国神社に公式参拝するな、アメリカは反対である、というはっきりとした意思表示をこの時、出したのである。小泉と安倍は、これに逆らった。

  その前の五月に、日本の財界は、経団連と経済同友会の共同の声明で、小泉首相の8月15日の靖国参拝を中止するように求めた。それは、アジア諸国への配慮であり、中国との良好な関係が日本にとって重要だ、という趣旨からだった。この動きに対して、保守言論雑誌に、「金のことしか考えない財界人たちは黙れ。 中国で金儲け(営利活動)をすることしか考えない財界人たちを批判する」という評論文がいくつも載った。

 根っからの親米派であるはずの財界人たちを、日本民族派の保守言論人たちが糾弾(きゅうだん)する、という奇妙な構図が見えた。この時に日本国内に走った保守派内部の亀裂と分裂線が、その後の進展を物語っていた。

(ここまで副島隆彦 筆『・・・日本の真実』のP.25~P.28から引用 終わり)
*   *   *   *   * 
さらに《あと一本、歴史資料になるであろうと思われる雑誌記事を、その全文を載せる。》として、「選択」平成25年2月号掲載の岩井克己氏の文章が載る。岩井氏は、長年宮内庁の記者クラブに所属した朝日新聞記者という。
*   *   *   *   *
 書き手への深い敬意を表し、かつこの文は、日本国の戦後政治の歴史資料になる重要なものである、と私は判断するので、その全文を以下に引用します。

(転載貼り付け始め)
 
『選択』誌 2013年2月号 「靖国の名に そむき まつれる」
宮中取材余話  連載54  皇室の風   岩井克巳

● 靖国の名に そむき まつれる

 富田朝彦(とみたともひこ)元宮内庁長官から電話があったのは、徳川義寛(とくがわよしひろ)元侍従長が死去したあと、生前の証言をまとめて『侍従長の遺言』(一九九七年一月、朝日新聞 社刊)と題し出版した直後だった。

「読んだよ。本当によく書いてくれた。よくぞ徳川さんから聞き出してくれた。ありがとう、本当にありがとう」

 それだけである。徳川証言のどこがどうとは一切言わないので、その感極まった声に当惑したのを覚えている。 長いつきあいだったが、あちらから電 話をくれたのは後にも先にもこの時だけだ。

  ずっと忘れていたが、うかつにも最近になり思い至った。富田は、晩年の昭和天皇から靖国神社のA級戦犯合祀への思いを聞かされ、それを誰にも言 えず一人悶々(もんもん)としていたのではないか。徳川証言で一端が世に明かされ、ようやく胸のつかえがとれたのではなかったかと。徳川は、七八年に、靖国神社 がA級戦犯を含む合祀予定者名簿を届けに来た時、自分は異議を唱えたと証言した。

「私は、東條英機さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいの じゃないかと言ったんです。永野修身(ながのおさみ)さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから。(略) 靖国神社には、軍人でなくても消防など戦時下で働いて亡くなった人は祀(まつ)っている。しかし松岡さんはおかしい。松岡さんは病院で亡くなったんですから」

「靖国神社は元来、国を安らかにするつもりで奮戦して亡くなった人を祀るはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も合祀するのでは異論も出るでしょう」

 しかし靖国神社は松平永芳(まつだいらながよし)宮司が合祀に踏み切った。以後、天皇の靖国参拝は途絶えた。後年、八六年八月十五日に詠まれた御製が発表された。

 この年の この日もまた 靖国の みやしろのことに うれひは ふかし

 徳川は「合祀賛成派の人たちは、この歌も自分たちの都合のよいように曲解した」と怒っていた。半世紀も侍従を務め、何事にも慎重で口の固かった徳川の強い語調に「天皇が徳川の口をして語らしめている」と感じた。

  靖国神社を天皇が参拝しなくなった理由がA級戦犯合祀への不満だとすれば事は重大だ。徳川は合祀に異を唱えたのは自分だ、と語ることで、安易に合祀を推進した人たちへ天皇が突きつけようとした「切っ先」を身を挺して押しとどめ、天皇が浴びるかもしれない「返り血」をも防いだのだろう。

 筆者はこの徳川証言を、九五年八月、朝日新聞の戦後五十年の連載企画として紹介した。しかし、一部の近代史研究者を除き目立った反響はなく、天皇 や首相の靖国参拝を求める人たちからも黙殺された。徳川の「間接話法」は十分には通じなかった。

 徳川は九六年二月に死去し、富田も二〇〇三年十一月に死去した。
そして〇六年七月、小泉純一郎首相が靖国神社参拝を宣言し国内外の反発も巻き起こるなか、日本経済新聞が富田の日記と「富田メモ」を特報した。 一九八八年四月二十八日付のメモに「直接話法」の記録(引用者註。 昭和天皇自身のお言葉という意味)があった。

  「私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取(白鳥敏夫)までもが、筑波(藤麿 つくばふじまろ 前宮司 )は 慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司(松平芳永 まつだいらよしなが)がどう考えたのか 易々と(父の)松平(慶民 まつだいらよしたみ)は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている。だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」 ( )内は筆者
 
 実は富田の日記は、筆者(引用者註 岩井克己氏)の先輩で 富田とは長く親しかった元朝日新聞記者が死後間もなく遺族から段ボール箱で渡され、公刊の可否を相談されていた。一通り目を通し「出版は難しい」と返却したという。それにはメモは含まれていなかった。日経によると、記者が日記とメモを入手したのは〇六年五月。小泉首相の参拝問題が内外の激しい議論を呼んでいる時期に端(はし)無くも重なったという。

 この頃、筆者は侍従職事務を長年仕切った卜部亮吾(うらべりょうご)侍従から死去直前に託された日記の公刊準備を進めていた。八八年四月二十八日の日記には、富田 と卜部が順次天皇に呼ばれ「靖国の戦犯合祀と中国の批判、奥野(誠亮・元国土庁長官の)発言のこと」を聞かされたと記録されていた。

 また後年の日記 に卜部は「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意(ぎょい)に召さず」と記していた。富田メモが昭和天皇自身の発言であることがほぼ裏付けられた。

 そして〇六年十二月には、天皇の歌の相談役を務めていた歌人岡野弘彦(おかのひろひこ)が、先の天皇の御製(ぎょせい)の真意を徳川から聞いていたことを著書で明らかにした。 徳川は次のように語ったという。

 「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼(いた)みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社に合祀せよという意見が起こってきたとき、お上(かみ)はそのことに反対の考えを持っていられました。

  その理由は二つあって、一つは国のために戦(いくさ)に臨んで、戦死した人々のみ魂を鎮め祭る社であるのに、その性格が変るとお思いになっていること。もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根(かこん)を残すことになるとお考えなのです。ただ、それをあまりはっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲 (えんきょく)していただいたのです」(『昭和天皇御製  四季の歌』)

 岡野は「十分に真意が伝わるとは言えないが、天皇の篤(あつ)いお気持ちを思って、徳川さんと相談の上で御集(ぎょしゅう)の『おほうなばら(大海原)』に収めることにした」という。

 徳川は間接話法で語って逝(い)った。富田は恐らくメモを公にするつもりはなかったが、かといって廃棄もしかねたまま世を去った。卜部(うらべ)は中身は書かず天皇の発言があったことだけ記録した。

  天皇は「私の心」を露わにすることを強く制約される。側近も口外しないのが基本である。しかし、それぞれに戦争への天皇の悔恨(かいこん)と平和への強い思い、それを理解しない者への怒りと哀しみという「私の心」を聞かされた。その重い「遺言」は自分限りで闇に葬ることが出来なかった。死してなお、 天皇の思いはあたかも「歴史における理性の狡智(こうち)」(ヘーゲル)のように後世に蘇(よみがえ)った。

 筆者は聞き書きの作業中、 生前の徳川から御製集『おほうなばら』を数日間貸してもらったことがある。ページをめくっていると、小さな短冊がはさんであるのに気づいた。鉛筆の走り書きである。後日尋ねると徳川は「発表をとりやめた歌です」とだけ答えた。「これこそが昭和天皇の元の御製(ぎょせい)に違 いない」と思った。短冊にはこう記されていたのである。

   靖国の名にそむきまつれる神々を 思へばうれひのふかくもあるか

(敬称略)

(転載貼り付けおわり)

副島隆彦です。この昭和天皇に真実の御製に和歌の意味は、私が解釈すると次のようになる。

 「靖国の名に 背(そむ)いて、祀(まつ)られることになった、東条英機以下の、自分に最後まで忠実ではあったが、誤った戦争開始、指導をして世界 を敵に回してたことの非がお前たちには有るので、私、天皇としては、世界に向かって、自分自身の非も詫びたのだから、誤った戦争指導をしたお前たちまで も、この度(1978年に)、愚かにも祀(まつ)ってしまった靖国神社に、私は拝みに行くわけにはゆかないのだ。私の憂いは深い」であろう。

  真実はこの皇室記者である岩井克己氏の書いた通りである。 私たちは、私たちのこの日本国が、本当は王国(キングダム、モナーキー 君主制国家。ただ し、その内側がデモクラシー=代議制民主政体=になっている)と知っている。だから私たちの国王である故・裕仁(ひろひと)天皇のお言葉とご遺志に従 わなくてはいけない。

副島隆彦拝
*   *   *   *   *
以上をふまえて、
Conganasさんの私案「靖国神社からA級戦犯の御霊にいったん昇魂していただき、東京から懸隔の土地を用意し別名神社を建立し、ひっそり分祀する」という考えに賛同します。

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コメント 1

めい

堺のおっさんの大事な発言、ここにメモしておきます。
《 秋篠宮が来る大嘗祭を天皇家の私費であがなう方が良いと言ったことは 税金の使い道という切り口から発言されているように見えて、 実は大変天皇の存在からしてまっとうなことをご発言されたと思う。》

   *   *   *   *   *

52 名前: 堺のおっさん
2019/02/24 (Sun) 17:36:53 host:*.enabler.ne.jp

47 kenichi2409さん
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/47/
実にいいことをおっしゃる。
天皇家とは、他に代えようのない「私家」である。
他に代えようがないから、政体が認めた苗字なるものもない。
かつて小泉元総理は天皇家の儀式を「得体のしれない儀式」と。
天皇にしかできない「祈り」を真っ向から否定した。
天皇は政体が規定できるものでもなく、
そんな範疇で括れないからこそ、國體なのである。
そして権威なのだ。
その意味では、私は天皇家の儀式は全て
国事行為として政体が介入すべきではないと考える。
秋篠宮が来る大嘗祭を天皇家の私費であがなう方が良いと言ったことは
税金の使い道という切り口から発言されているように見えて、
実は大変天皇の存在からしてまっとうなことをご発言されたと思う。
国家の安寧を祈る行為をどうすべきか、
国事行為として憲法の類で括ることに違和感を感じる。
ましてや、象徴なる用語で本来の天皇を否定する意味もある憲法が
天皇家の祈りを制約することは本来の日本国の否定につながる。
by めい (2019-02-25 05:24) 

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