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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(44)存在意義が消失しつつあるオカネ [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

モノがありあまるほどあったらオカネは要らなくなる。mesさんは言います。そもそもオカネって、「生産が足りないときに、誰から優先的に消費する権利を付与するか」という「椅子取りゲーム」のために存在するだけのことに過ぎません。》目からウロコです。

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682:mespesado:2019/01/04 (Fri) 09:50:20

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 我が国がインフレにならずデフレが定着してしまったのは、金融政策によるものでも何でもありません。単に「技術の進歩により生産過多になったおかげで高度成長が終わり、更に今までの投資先だった設備投資が要らなくなり不動産に投資が向かって発生したバブルもはじけてオカネの行き場が無くなってしまった」からに過ぎません。一般的に、技術が進歩して生産余力が過剰になれば、どこの国だって必然的にデフレになります。日本はそこに世界に先駆けて到達しただけ。
 そもそもオカネって、「生産が足りないときに、誰から優先的に消費する権利を付与するか」という「椅子取りゲーム」のために存在するだけのことに過ぎません。そしてその消費できる優先順位を示しているのが「持っているオカネの量」なんですね。
 ですから、全員にモノが行き渡るだけ生産されているなら消費に優先順位を付ける必要がありません。 全員に配布すればよい。何だか共産主義みたいですが、現実に存在する(した)共産主義国家は、生産が足りないのに全員平等に消費させようとするから、全員 が不満足にしか消費できない、つまり全員が貧乏になってしまう、という夢も希望もない世界になってしまう。そんな中で「共産党員」だけが特権階級として満 足な消費を謳歌する。こんな世界は「理想」でも何でもありません。
  でも、今の日本のように技術が進歩し、しかも品質の良いモノやサービスが好きなだけ生産できている世界では、全員にタダで配ることが物理的に可能です。こ れでは「オカネ」という存在に意味がなくなるのはアタリマエ。それでも多くの人がオカネに執着するのは、オカネにモノやサービスの交換のための単なるツー ル以上の、何かステータスやら「努力そのものに価値を見出す」とか今の時代に合わなくなった価値観を無理矢理オカネというものに押しつけているから。もし こんな執着が無くなったら共産主義も資本主義も無く、そこには真のパラダイスが広がっているはずです。
 ちょっと脱線しましたが、こういったオカネというツールの存在意義の消失がインフレという意味での財政危機を防いでいる、そのことにこそ我々は気付く必要があります。

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