SSブログ

安藤昌益は本居宣長に通底する [安藤昌益]

聴衆DSC_0310.jpg矢内氏の一通りの講演を終えた後の質疑で、北野達熊野大社宮司から重要な指摘があった。資料に挟んだ《(補遺) 「安藤昌益の「身分制批判論」再考》を読まれてのことだった。《私は古事記を勉強しておりまして、本居宣長(1730-1801)の『古事記伝」というのがあって、私は寝ても覚めても宣長さんなんです。宣長の思想がどこまで安藤昌益(1703-1762)とつながるかわかりませんけれども、宣長は、いわゆる人間の理性とかイデオロギーとかそういうものはインチキで、そういうものをなくした人間の自然、素直な自然のままに帰ったところこそ価値あるものなんだと言っているんですけれども、もしかすると安藤昌益はそういうところで思想的につながるんじゃあないかなと。そうすると「日本のルソー」的な西洋基準の見方でない、日本本来思想の具現者として安藤昌益を位置づけることができるんじゃあないか、そんな思いもしているところです。》

検索したら尾藤正英(岩波版「日本思想大系」で安藤昌益を担当)が「安藤昌益と本居宣長」と題して「文学」1968年8月号(岩波書店)に書いている。ちょうど大学紛争まっただ中、全共闘の時代だ。どんな意図で書かれたのだろうか。また家永三郎が『日本近代思想史研究』(東京大学出版会 1953)に、安藤昌益と神道について書いていることがわかった。「神道」との関係:昌益は儒教を排斥しながら,儒教から決定的な影響を受けていた。しかし神道に対しては,必ずしも正面からこれを排斥していない。昌益は「私制神道」を攻撃したが,「自然神道」は自然真営道の現れとしてこれを承認した。物部守屋の排仏論は,まさしく神道者流のそれである。昌益の復古思想は,儒教からのものであると同時に復古神道からのものである。これは賀茂真淵の思想と共通する。昌益にば国粋主義的色彩があり,彼の概念的かつ無条件的な祖国賛美の羅列は,神道者流の神国論の継受である。 昌益はしばしば語源の説明を行い,そこに自己流の牽強付会の説をなしているが,この仕方も神道者流の常套手段のひとつであり,それを彼が多用しているのは,両者の関連の深さを実証するものである。昌益の特色ある種々の立論(たとえば男女平等論)も,町人の非封建的意識を代弁する神道家・増穂残口などの主張と共通するところがある。津田左右吉博士(1873〜1961)によれば,神道は本来の民俗宗教と異なり,民俗宗教を看板とした中国思想の一変態にほかならないものである。だから、昌益が一種の神道家であることと,彼が広義の儒教思想家であることとは,矛盾しない。》(伊達功「現在の安藤昌益研究—分裂と拡散ー」松山大学論集 第10巻第2号) 

さらに吉本隆明が本居宣長を引き合いに出して、安藤昌益の普遍性を語っている講演記録があった。(「日本のアンソロジー」https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a181.html《人間は自分が食べるものは自分が耕し、耕して収穫したものを自分が食べ る。それが人間の本当に根本的な生活であって、それから遠ざかって知識によって生きたり、知識によって起こったり、地位によって起こったりということは全部だめだという言い方だと思います。つまり、直耕から遠ざかるにつれてだめになっていくという考え方だと思います。/ 日本の明治以前、近代以前の思想家でこういうことを言った人はいません。大きく言えば、たいていは仏教の影響か儒教の影響の下で自分の考えをつくってい く。近世で言えば、本居宣長みたいに日本の神社信仰で言う「自然」に違う。自ずから、ということで生きていくことがいい、そういうふうに考えるのがいいと いう考え方もあります。安藤昌益の直耕という概念はそれよりも普遍性があるというか、日本固有思想ではなく普遍性がある。日本に入ってきた仏教、儒教の思想を咀嚼したうえで、それを捨ててしまって自分の生き方、考え方だけを強調している。そういうかたちのめずらしい思想を展開した人です。》その「普遍性」のゆえんは「深さ」である。《精神の深さというところから言って、安藤昌益という人の言い方は全否定のように見えて本当は全否定ではない。その当時で言えば世界思想を全部学んで身につけたけれども、その中から自分が取り出しうる深さの概念が通用する世界だけが本当の思想なのだというところで、安藤昌益の直耕という概念が出てきていると 思います。》吉本は、安藤昌益思想の核である「直耕」を、自らの思想の核とした「大衆の原像」に対応させて理解した。そして言う。《概観的に言えばこの人の一番根本にあるのは何か、何が特徴かはおおよそわかった気がします。いわゆる狭い意味の日本的な人ではなく、しかも独自な、 模倣しているわけでもない、比べようがないという意味合いで言えばまさに日本的な人です。これは非常に重要な思想家だと思いました。きっとこれからもっと 一生懸命追求されるでしょうが、もっとよく知られて、もっといろいろな面から考えられてよい思想家ではないかと思います。》

思想のアンソロジー.jpg吉本著『思想のアンソロジー』(筑摩書房 2007)があったのを思い出して引っ張り出したら、安藤昌益の弟子との問答集「良演哲論」が載っていた。「解説」の結びに言う。《「良中日ク」のなかでわたしにもっとも感銘を与えたのは、儒、仏、神の始祖たる、いいかえればインドと中国と日本の東洋思想が駄目なのは、明をとり暗を捨てとか、善をとり悪を捨てとか、本来宇宙的な自然は互性的であるものを、明善、明徳を倫理の起源としてしまったのは偏惑であると断定している点だった。そして宇宙的自然の原則を、「活真」「互性」「転」「回」「転定」などの少数の造語によって、日、月、星から人間一物の動きと交替変位などを説いたことは、独断でもあったろうが、ほとんど孤断と言っていい概念を伴って、自分は確定して動じなかった。なんとなく天晴れと言いたい気がする。》
安藤昌益を最もよく知る神山仙確が記した「昌益の人となり」に「響くもの」を感じて始まった昌益評価を巡る道のり、結局吉本まで辿り着くことになりました。結論は、「もっとよく知られて、もっといろいろな面から考えられてよい思想家」ということです。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。