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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(番外5) 「世界市民」か「国民」か [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

かつて高教組の県委員長の歴史の先生と論争したことがありました。(追悼 菅 弘先生)) とどのつまりの対立点は「『世界市民』か『国民』か」という問題でした。このたびmesさん、新鮮な視点を提示されました。《「認識の深さ」というか「認識のネイティブさ」ということからすると、集合の包含関係でいうと、逆に「狭い概念」の方が「上位概念」》 ということで納得です。また、日本の場合はこれが欧米のような単なる「政体」であるだけでなく、「国体」という、これまた霊長類の本能とも整合性を持つ実体でもある≫というのも納得。その結果として、「日本の風土という環境による見えない影響力」によって日本人を日本人たらしめるわけです。そしてその影響力は日本に住む外国人にも自ずとおよぶわけで、そこに日本には日本なりの「共感の大系(関係の絶対性)」があるがゆえなのだと思います。人と人との具体的な共感の積み重ねこそが認識の初源です。理屈(>ポリコレ感覚)はその後です。

*   *   *   *   *
992:mespesado :
2018/06/30 (Sat) 08:47:13host:*.itscom.jp
>>984 >>986 >>988 >>990 >>991

 >>979 の伊吹さんの移民難民問題に対し、>>981 の堺のおっさんさんが

> 移民ビジネスに誘導されたいんですね、 移民の本質は母国を棄てるこ
> とです

と書かれたことに対し、座敷牢スレッドの #635 で、BORO某さんが

>  どこかの国の国民である前に先ず人間であることを忘れてはダメだろ
> う。
>  またその国に異動、住居の自由があるのなら、どこに移民しようが全
> く当人の自由だ。
>  美しい国ニッポンが国策で移民を奨励したのもツイこの間のことではない
> か。
>  いかに理想的な国家であろうと移動や移民の自由がなかったり移民を
> あたかも売国、棄国のように見なす考えは危険だ。

と書かれたので、私がその座敷牢スレの #650

>> どこかの国の国民である前に先ず人間であることを忘れてはダメだろ
>> う。

> ↑あ。この段階ですでにダウト!
> つまり、この段階ですでに西洋かぶれのポリコレです。
> なぜかわかるかな?

と返しました。これの答を座敷牢で返そうかなと思っていたのですが、本スレでも何だか熱いテーマになってきたようですので、この本スレで私の考える答を書こうと思います。参考になりましたら幸いです(かえって話をこじ
らせるだけかもしれませんがw)。   (続く)

994:mespesado :2018/06/30 (Sat) 09:25:54host:*.itscom.jp
>>992

 BOROさんの件の発言は、我々個人個人にとって、「人間である」という事実の方が、「どこかの国の国民である」という事実の「上位概念」である、ということを自明の前提にしています。
 確かに、我々一人一人は、「ある家族の一員である」ことよりも「ある地域の一員である」ことの方が「集合論」の「包含関係」で言えば「広い概念」であり、「ある地域の一員である」ことより「ある国の国民である」ことの方が広い概念であり、それより「人間である」ことの方が広い概念であり、それより「地球上の動物」であることの方が広い概念であり…という包含関係の多層構造があることは確かです。
 しかし、「広い概念」である、ということが即「上位概念」である、というのは自明なんでしょうか?
 確かに「分類学」的なヒエラルキー(いわゆるピラミッド構造)で言えば確かにそのとおりだけれど、我々が赤ちゃんとしてオギャーと生まれてから次第にコミュニティーの中で自我が確立していく中での認識という観点から考えると、むしろ逆なんじゃないでしょうか?
 生まれたとき、真っ先に認識するのはママであり、次いで家族、そしてお外で遊ぶようになってから、地域の住民、そして学校に上がってから(あるいはオリンピックや今やってるワールドカップなどを通じて)自分の帰属国家を意識するようになり、最後に世界のニュースや理科・社会の学校での学習により、自分が「人間」という種の一員であることを知り、最後に生物学の知識として(あるいはペットを飼ってる人はその飼育を通じて)人間は動物というカテゴリーの一員である、と知るのです。ですから、「認識の深さ」というか「認識のネイティブさ」ということからすると、集合の包含関係でいうと、逆に「狭い概念」の方が「上位概念」なのです。
 だからこそ、近代的な人権思想が登場する前は、「よそ者に対する排斥」はアタリマエ。それどころか人権思想が登場した後でさえ、帝国主義時代のヨーロッパ人はアジア・アフリカの「未開の」人たちを見て、彼らを自分たちと同じレベルの「人間」だとは認識せず、公然と差別を続けていたわけです。
 さて、時は流れ、私が別テーマで >>917 で解説した流れを通じて「個人の尊厳」という一つのイデオロギーが市民権を持ち、堂々と発言され、教科書でも「覚えておかなくてはならない基本的な認識」として世の中に周知されるようになりました。しかし、これは人類が持つ「秩序を乱されると不快になる」という本能からくる意識とは真っ向対立する「ポリコレ」です。 
 思うに、(BORO某さんや天然某さんのような典型的な)サヨクの人たちは、この状態で「ある国の国民である」ことよりも「人間である」ことの方を上位とみなす「ポリコレ」の方を正当と認め、本能に基づく不安については「間違っているから捨てるべきだ」と主張してしまい、移民問題では国を捨てる「移民」という行為を「善」とみなすあまり、移民先で風俗習慣の秩序が乱されて元からの住民が被っている迷惑に対しては冷たい態度を取る。
 これに対して「愛国主義」のウヨクは、これまた「国家」という(西洋の場合は特にそうですが)「人工的」な概念を力説して、こちらを「人間である」ことより上位とみなし、個人の自由は秩序に劣後する、という考え方を取っています。
 要はウヨクもサヨクも集合論的に広い方を上位と考えるのか、狭い方を上位と考えるのかの違いはあるけれど、どちらかを「上位」に捉えているという点で「優劣思想」に囚われてしまっている。そうでなくて、「国家」(特に日本の場合はこれが欧米のような単なる「政体」であるだけでなく、「国体」という、これまた霊長類の本能とも整合性を持つ実体でもある)も「個人の尊厳」もどちらも人々の生活を守ってくれるかけがえのないものなんですから、どちらも尊重すればよい。その上で個別の問題については冷静な頭で知恵を出して、折り合いをつけて解決していくしかないのではないでしょうか。
*   *   *   *   *
さらに具体的な問題として論じられます。
*   *   *   *   *

995:mespesado :2018/06/30 (Sat) 10:21:17host:*.itscom.jp
>>994
 結局この問題は、伊吹さんの >>979 や >>986 の書き込みに問題があるから議論になっているわけで。

 まず >>979 から。

> 欧米や東南アジアなら税制が緩いので財産が雪だるま式に増えて子孫は
> 富豪として生きていけます。

 これって、税制が単に金持ちたちの利権を優遇するように制定されているだけのことでしょう?
 彼らの国では民主主義とは言え、実質的には金持ちの意見が通りやすいからそうなるんで、一方の貧民は未来永劫貧民のままであることが多い。これでは貧民に生まれてしまったら救いがありません。仮に韓国のように「競争社会」で「すべての人にチャンスがあ」ったとしても、所詮は椅子取りゲームであり、すべての人が豊かになるストックを持っている日本とは比較になりません。

> アメリカのお金がある人達はやることが凄いですよ。

 確かに個人レベルで言うと、「アメリカの金持ち」は羨ましいでしょう。でも国家全体で考えると、アメリカはすべての人の消費を満足する生産力を持たないという意味で「日本より貧しい」国です。つまり日本は制度の作り替えで何とかなるが、アメリカは製造業が物理的に皆を満足する量と質を持たないんだから、制度のいじくりでどうなるものではありません。
 それに加えてアメリカは西側諸国の中でも「自由主義」でなく、唯一「資本主義」をイデオロギーの柱とする国です。だから、他の自由主義国が単に「共産主義」を忌み嫌うのに対してアメリカは「社会主義」さえも忌み嫌う。だから先進国で唯一といってよいほど医療の公的保険制度がありません。というより国民がそのような制度を社会主義的だと言って拒否しています。盲腸の手術で何百万円とか、私だったら絶対永住したくないですw。

996:mespesado :2018/06/30 (Sat) 10:42:42host:*.itscom.jp
>>995
 次は >>986

> 日本の役人に聞いたのですが100年後には日本人の遺伝子はほぼ中国
> 人に置き換わっている計算になると言ってました。

 すいませんが、意味不明です。お役人は高学歴が多いですが、高学歴のトンデモさんは世の中にゴロゴロ転がっています。

> 国内に居ても外国に居ても日本の遺伝子は薄まります。
> だったら少子化の日本より繁殖力のある社会で生きた方が日本のDNAが
> 増えるので良いかと。

 確かに日本人のDNAは世界でも特殊なDNAタイプが残っていることはよく知られていますが、すべての日本人がそうなのではかく、割合で言ったら過半数言ってなかったんじゃないですかね、確か。
 実は日本人を日本人たらしめているのは、DNAの影響も確かにあるかもしれないが、「日本の風土という環境による見えない影響力」の方が大きいかもしれないんですね、これが。
 というのは、あるサイトで知った話なんですが、この前の大阪北部地震で、朝の通勤時間直前に起きた地震なのに、出社をやめて帰る人もなく、何事もなかったように黙々と歩いてでも出勤を続ける人が大半で、「社畜道ここにあり。さすが日本だ。外国ではありえない。」とある人が言ったら、別の人が、「いやいや、うちの会社、外国人の、それも日本に来てから1年以内の社員が多いけれど、みんな出勤してきてたぜ。これ、日本の何かの環境がそのようにさせてるんじゃないか。」とか言っていた、という話があります。
 ですから、仮に外国から日本に(あまり急激に大量にだと別でしょうが)移民が増えて来ても、案外みんな今の日本人的になってしまうんじゃないかと思ってもいます。それに比べると、外国に移住した日本人は、他の国の人と違って「日本を棄てる」人が多いような気がします。これは日本人が「生まれた国に執着がない」というよりも、逆で、生まれた国に執着がある大半の人は日本を離れることがなく、逆に日本にいると生きにくい「少数の人」だけがあえて外国に移住するからそうなるんじゃないかと思います。ですから、

> 日系社会や日本文化を外国に根付かせる、日本との懸け橋になるなど移
> 民は日本居住者にもメリットがあります。
> 外国でいろいろな可能性に挑戦する人、日本で神社仏閣歴史などを守る
> 人、色々いた方が日本人の可能性が広がり良いと思ってます。

という役割を彼らが担う、ということは実はあまり期待できないんじゃないかと思っています。

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