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『神になりたかった男 徳田虎雄』(1)政治の世界での空回り [徳田虎雄]

神になりたかった男.jpg読むほどに口惜しくてならない場面が記されていた。平成2年2月、3度目の挑戦で「保徳戦争」を制し衆議院初当選を果たした時についての記述だ。おそらくその頃だったと思う。「文藝春秋」だったか「週刊文春」だったかに徳田さんが「天中殺にあたっている人」のひとりとして取り上げられた。階段に登っている姿の1ページグラビア写真で記憶する。政治家としての徳田さんを見てきて、何度もその記事を思い出した。そしてこのたび、徳田虎雄の政治家としての最初の躓きを知った。おそらくこれ以降「ムリ、ムダ、ムチャ」に拍車がかかった。それが躓きから立ち直るひとつの方途だったのかもしれないが、政治家としては、本来政治の流れには乗ることができないまま、ルサンチマン政治家の道を歩まざるを得なかった。無念に思う。

*   *   *   *   * 

 二月一八日、全国で衆議院選挙の投票が行われた。
 開票速報では保岡がリードしたが、膝元の奄美大島で思うように票が伸びなかった。
 午後一〇時すぎに徳田が逆転し、ハ〇〇票の差をつける。四〇分後、「当確」のランプが徳田に灯った。待ちに待った朗報に、名瀬、金久町の選挙事務所は「やった、やった」「万歳!」と歓喜にわき返る。チヂンが打ち鳴らされ、指笛が響く。徳之島の選挙事務所は、戦後初めて自島出身の代議士が誕生し、興奮のるつぽと化した。感極まった男が闘牛を讃える「ワイド、ワイド」のかけ声を叫びながら、亀津の大通りを疾走する。
 名瀬の選挙事務所で徳田がくるのを待つ間、陣営の幹部が「一七日に沖縄で起きた急患輸送機の事故の犠牲者に、皆で黙とうをしましょう」と呼びかけた。騒々しかった事務所は、水を打ったように静まり、すすり泣く声が洩れた。
 事務所に現れた徳田は、マイクを向けられると「息子や孫が島に帰れる奄美にしたい。申しわけないが、負けても、勝っても、涙は出ない」と短く答えた。
 得票数は徳田四万九五九一票、保岡四万七四四六票だった。二月二〇日付の「南海日日新聞」の記者座談会では、徳田の勝因は「病院効果」とストレートに指摘されている。
 「市町村別の票分布を見ても分かる通り、病院効果が大きい」
 「猛烈な病院建設など徳田氏のバイタリティーに期待するところもあったと思う」と記者は語っている。投票の翌日には保徳双方の選挙事務所に警察の家宅捜索が入り、関係資料が押収され、保岡派五人、徳田派三人の運動員が公職選挙法違反(買収)で逮捕される。

 当選でわき立つ奄美の選挙事務所に一本の電話がかかってきた。
「自民党の総務です。徳田さんはいらっしやいますか」。相手は名の知れた代議士だった。電話を受けた職員は、慌てて恐縮し、徳田に受話器を渡した。
 「はい。徳田です。わざわざお電話をいただき、恐れ入ります」
 「ご当選、おめでとうございます。それで、徳田さん、自民党はね、あなたを追加公認したいが、どうですか」と、相手は率直に訊ねた。徳田は、天にも昇る心地だった。「お受けします」とひと言いえば、順調にことは運び、自民党代議士・徳田虎雄が誕生する。
 ところが、徳田は「ありがとうございます。相談したい人がいますので、二日、お待ちいただけないでしょうか。それからお答えします」と応じた。徳田の脳裏をよぎった「相談したい入」とは金丸信だった。自民党入りを推してくれているのは、金を届けた金丸だろう。まずは金丸に相談して「仁義」を通し、晴れて入党しよう、と考えた。
 徳田も、政治家としてはうぶだった。「お受けします」と即答し、事後報告すればいいものを、金丸への礼儀を優先したのである。徳田は金丸に会うのが待ち達しい。能宗に指示し、二日後に元麻布の邸に金丸を訪ねるアポイントを取らせた。
 勝利の美酒に徳田は酔った。有頂天だった。身内の支持者の集まりで、つい金丸への二〇〇〇万円の鼻薬が効いた、と得意げに喋ってしまう。その声を録音した者がいた。
 ここが運命の分かれ目だった。自民党入りを即断し、余計なことを喋らなかったら、日本の政治史、少なくとも自民党史は変わっていただろう。集金力抜群の徳田は自民党内で一派をなし、総理の座はともかく、厚生大臣の椅子ぐらいは引き寄せていたかもしれない。徳田は、最後の詰めでしくじった。
 東京に戻った徳田は、能宗の車で元麻布の金丸邸に急ぐ。門扉の脇の呼び鈴を押して来意を告げると、インターフォン越しに金丸の妻の乾いた声が返ってきた。
 「このたびは、ご当選、おめでとうございました。金丸はおりません」
 「えっ、先生には予定をお入れいただいたのですが……」
 「あいにく、不在でございます」
 慌てて自民党本部に連絡するが、金丸はつかまらない。奄美に電話を寄越した代議士に、改めて入党を申し入れても「追加公認はなりません」と扉は閉ざされた。後日、金丸への献金を語った録音が保岡陣営に持ち込まれた噂が徳田に伝わってきた。たとえ金丸でも、配下の議員から「これは一体、何事ですか」と録音を片手に突き上げられれば、動けないだろう。
 徳田が踏んだ国会の赤じゅうたんは、よくみれば権謀術数のシミだらけだった。
 代議士となった徳田は、国会という表舞台にはほとんど立たなかった。
(154-157p)

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