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名古屋、伊勢行(3) 伊勢神宮内宮 [メモがわり]

08-DSCF8334.JPG10-DSCF8336.JPG外宮(げくう)から内宮(ないくう)までの距離は南南東へ5キロぐらい、車で約15分。まだ10時前で赤福の店のある参道入り口に近い駐車場に置けた。電線がなく石畳のおはらい町、わが宮内熊野参道もここを模したことに今気付く。(平成4年10月、おはらい町無電柱化工事完了。平成5年6月、石畳工事完了。宮内熊野参道は平成12年)10時前でまだ準備のできていない店も多い。日本一の門前通りをゆっくり味わいつつ境内へ。外宮より人の流れはずっと多い。宇治橋を渡って右に折れ五十鈴川の御手洗場へ。「国民(くにたみ)もつねに心をあらはなむ みもすそ川の清き流れに」。熊野大社月例祭で奉唱する明治天皇御製毎月5首ずつ全10首のうちの最初がこの和歌。どうしても五十鈴川(みもすそ川)の流れに手を浸したかった。水は少なめだがいちばん上流に手が届く場所があって念願を果たした。水は澄んで冷たく小魚の泳ぐ姿が見えた。

4-IMG_1367.JPG06-18-DSCF8338.JPG5-IMG_1372.JPG

07-20-DSCF8341.JPG「撮影はここまで」の本宮石段下で私と家内と娘と、この日われわれと御両親顔合わせの後伊勢市役所に婚姻届を出すことになっているパートナー、4人で代わる代わる記念撮影の後、本宮参拝。ここではひたすら無心に手を合わせるのみ。離れがたいが、ここでの感覚しっかり思いに焼きつける。3-IMG_1410.JPGそれがきっとパワーとなる。御垣内にはいっての特別参拝に臨む正装姿の団体さん一行があった。東側米座の宮地には立ち入りできない。参拝を終え、内宮参集殿で熱いお茶をいただきしばし休憩。いいカメラアングルという宇治橋のたもと下で記念撮影。来るときよりずっと賑わいを増したおはらい町をゆっくり歩く。赤福本店で4人で1こずつ、合わせて420円。ちゃんとお茶と箸が4人分。応対も気持ちいい。おみやげに8個入れ6箱いただくことに。この日ホテルでみた毎日新聞に「ホワイトデー用のういろう発売」の記事、その店虎屋さんを見つけ、ホワイトデー用は数日後ということで、ひな祭り向けのものなど2本入れ3組いただいて2組はおみやげに。「翌日までに食べてください」とのこと。ういろは好きで名古屋の「青柳ういろ」「大須ういろ」はよく食べたが、裸のままの虎屋のういろ、もちもち食感が格別。

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1-IMG_1426.JPG昼の会食の場として用意されていたのが伊勢市河崎地区の「伊な勢」というお寿司屋さん。お寺の建物だったとかで立派なしゃちほこのある門の由緒ありげな古い構えの店。狭い通りを通ってたどりついたわかりにくそうな場所なのに結構客は多そう。そこで御両親と初めて対面。伊勢の銘酒「義左衛門」を味わいながらぜいたくなひとときを過ごさせていただきました。「伊勢はなにもないところで・・・」というお母さんの言葉に「えっ」。お伊勢様のおひざ元でこの言葉を聞くとは思わなかった。「お伊勢様以外何もないところ」の意か。たしかに神宮周辺とそれ以外との隔たりは大きい。熱田神宮でと同じ感じを抱いたのもたしか。勢田川の水運とともに栄えたというこの河崎地区、かつては多くの問屋があって「伊勢の台所」としてにぎわったとのこと。実は、寛政5年(1793)4月16日に西国に出立したまま帰ってこない先祖がいる。当家十代前の当主。年齢ははっきりしないが、親、妻、子の年齢から推して60歳前後か。おそらく冥土の土産ということで伊勢参りに行ったのだろう。このたび娘が伊勢の人に縁づくことになったこととかかわりあるのかないのか。さらに、我が家で昔から使っていた数字代わりの符牒が「イセヨリ○○○○○」(イ→1、セ→2、ヨ→3・・・・○→9)というのにも伊勢とのかかわりを思う。そしてこのたび。伊勢がぐんと身近かになったありがたい旅でした。


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