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名古屋、伊勢行(2) 伊勢神宮外宮 [メモがわり]

04-09-DSCF8319.JPG05-11-DSCF8321.JPG娘の住む四日市に泊まって翌朝7時半ごろ伊勢へと向かう。まず外宮(「げくう」と読む)へ。神気がちがう。まさに「なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる」(西行法師)の世界。団体での参拝経験はあったが、「神気」を思うゆとりはなかった。9時前で参拝の人がまだ少ないということもある。この感覚じっくり味わうべし、そう思いきかせつつ参拝へと歩みを進める。「伊勢神宮の正宮に限っては個人的な願い事は一切、タブー(禁止)とされています(「伊勢神宮の参拝作法」)。」塀内は撮影禁止。御祭神は豊受大神。神道天行居では豊受大神。「天津神国津神、こと分けて豊受姫大神、産霊(うぶすな)大神たちの恩頼(みたまのふゆ)をよろこびまつり拝(おろが)みまつらくと申す」という食前詞を思いつつ感謝の祈り。「ただただありがたい」、ひたすらその気持ちに浸りきることが外宮参拝の要諦か。前回式年遷宮は平成25年。今は金座。その東側、更地になっている米座の宮地を拝して、20年ごと62回の遷宮を繰り返して今に至る神宮の歴史を思う。『天行居用語辞典 中巻』より「豊受姫神とようけひめのかみ)」の項、写しておきます。

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とようけひめのかみ 豊受姫神
今更ら申す迄もなく外宮の主神は豊受姫神(保食神、大宜都比売神、御餞都神、食稲魂神いづれも同神)であらせられます。(ダキニや狐を祭ったイナリと全然別であることは勿論)そして豊受姫神は実は須佐之男尊のサキミタマなのでありまして須佐之男尊と月夜見尊は固より同神であらせられます。書紀では保食神が月夜見尊に殺され玉ひ、古事記では大
都比売神が須佐之男尊に殺され給ひしやうに傅へてありますが何れも或る神秘の事実を斯様に傅へてありますので、須佐之男命が青山を枯山に泣きからし給ひ海河を泣き乾したまひしと云ふのも実は此の地上のことでなく月球のことを申すのであります。豊受姫神は須佐之男神の霊性の美しい方面から化生された神で、愛の女神であります。天照大御神が日徳火徳天徳を代表し給ふに対して月徳水徳地徳を代表し給ふ尊貴の神であらせられます。水は一切生類の食物の根本で食物の最も精なるものは稲でありまして豊受姫神は水の精であって又た稲の精で、二十ー二歳に拝せられる美しい女神であらせられますが其の御本体はOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOでありまして、内宮と外宮との千木の異なるところに宇宙の神秘が繋って居るのでありますが、それは到底申上げることは出来ないのであります。御都神と申すのは換言すれば食物の精霊とも云ふべきで、決して膳部神ではありませぬ。外宮の主神が豊受姫大神であらせられるといふことは先輩の所説に盲従するわけでなく、吾等は丹波の元伊勢宮の地下の御霊代を直接に拝して居るからで、月球の形にタスキカケのあとがあり多数の小さき穴の中に稲の実があって、現にこの神殿に奉斎されて居る次第は既に先年詳説した通りであります。古来外宮の主神に就ては天之御中主神であらうとか國常立尊であるとか種々の異説が行はれて居りますが、いづれも草木モノ言ふものであります。②一〇五頁 

豊受比責神、倉稲魂神、保食神、大宜都比賣神、豊宇迦之賣神、若宇迦神、いろいろに稱へて居りますけれど同神であらせられます。古来同神といふ説と別神といふ説とありますけれど平田先生あたりも同神説であります。五穀の神であると同時に衣食住の神様であり、産業守護の神様でありますから勢ひ壽命と福徳の神様としても崇敬するものが多くなったのであります。①三一三頁

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次の項「豊受姫神御霊代」、上記OOOOOOO・・・」に関わると思われることが記されてありました。

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とようけひめのかみのみたましろ 豊受姫神御霊代 

拝啓 御多忙中誠二恐れ入り候得共御都合よろしき日を以て 豊受大神宮へ代参して頂き度 大々神楽奏上 お手続き被下度候           願主  友清歓真
   願意要領
 今より三十余年前 丹後元伊勢宮境内発掘の砌(豊受宮の雄略朝迄鎮座の霊地)天平
瓮(あめのひらか)
等十数個土器発掘 京都の古代土器通にして敬神家又祭祀の古典に精しき堀天龍斎翁(鳥尾子爵の紹介にて)一見して何れも正しく二千年前のものなるを知りしも 大部分破損せる故完全なるもの三四個のみを譲受けたるその中の一器珍らしき品にて 球形の神器也 大いにあやしみて清水にてよくよく洗ひみるに多くの穴あり 又 タスキがけあり 且つ稲実あまた出て来れり実二是れトヨウケ大神の地下の御霊代なる事を知る
 地下に御霊代を鎮めその周囲に天平
天平等に供物を盛り足らはし之を清砂を以て蔽ひ その御霊代の真ッ直ぐ上二齋柱を立てて地上二あらはし之を中心として神殿を築く事古代の神法也(齋柱、忌柱、心の御柱とも云) 於茲、堀翁、驚き潔斎して之をひそかに奉安し 時節を待ちて三十余星霜 今秋當方二改めて豊受大神として祭祀する事となれり

今日二至る迄ニハ當方ニモ種々此事ニツキテ不思議極まる奇蹟あり 今言擧げせざるのみ
倭姫命の霊感ありたる雄略様の二十一年丁巳より今年實二千五百年也
 山田へ遷宮は其翌年故明年が千五百年乎  (朱書)
 右の事情に有之候間右御霊代を当方二祭祀仕候事につき可然奏上を得度 小生参拝すへき筈なれ共只今旅行二差支へ候事情も有之何卒大人御代拝披下度奉悃願仕候
 当方に祭祀せるは去る十月一日也
 改めて十月九日に祭典執行せり  (朱書)
 神部署の規定等小生不案内二御座候処不取敢四十円也封入いたし置候不足の時ハ追送申上候間
一、豊受大神宮二大々神楽奏上の事 当方に御霊代あるを以て大麻は不要なるべし  その辺当局と御相談披下度候
一、豊受大神宮へ御饌奉奠の事
一、豊受大神宮 守祓剱祓各一体拝受の事
一、倭姫宮二可然方法にて右の事情奏上の事
一、倭姫宮の守祓剱祓各一体拝受の事
 大人 右御代行被下候日時決定の上ハ御電報被下度侯
 誠二何共御手数の儀恐縮千万なれ共特二よろし九おたのみ申上まゐらせ候  乱筆御免
   十月十三日   歎 真
 篠田大人 侍史   大正十五年十月十三日篠田幸雄宛書翰
豊受比責神様は本来稲の實の精霊から化現せられた奇霊の姫神様であらせられます。でありますから地上の神殿に奉安する假りの御霊代は稲を束にしてハ足台に載せたものであって此れは年々おとりかへ致したものであって兵火等のために或ひは炎上したこともあるかに仄聞して居りますが古代の神ながらの用意は周到なもので地下の御霊代は万一の不敬も影響することのないやうに地下を堀りて其処に鎮斉し、その周囲に天平
に御餞物を盛りて並べ、太古からの神法によって清き土砂を以て埋めるので其の地下の御霊代の真上から心御柱といふものを地上に現はれるやうに立て、それを中心として神殿を造築するのが太古の神法であります。①三一一頁

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