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mespesadoさんによる1億人のための経済講座〈Ⅱ〉(7)「mespesado理論を知る者と知らぬ者の知的格差は,月と泥亀ほどの差が出るだろう.」 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

松尾匡著『この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案』の書評として展開された「mespesadoさんによる1億人のための経済講座〉」の最後の4本。ひとつの区切りを迎えたところで、飯山氏があらためて大賞賛の言葉を寄せられました。

486飯山一郎 : 2018/02/18 (Sun) 22:36:04 host:*.dion.ne.jp
>>478
mespesado氏の大連載,『(安倍政権に勝てる対案 )松尾匡論』が…
政府の国債発行→日銀の円(¥)増刷が,「(国や国民の)借金」ではなく,「国富の増大!」であることを明解に示したことは…
「目からウロコ」の読者を想像以上に増大させ…
その波及効果と大なる影響力で,(霞が関などにも)思わぬ読者を勝ち得たようだ.
まこと,mespesado氏の大連載は,政財界,金融界にも大なる影響をもたらすだろう.
ネット界や知識人の世界(論壇,思想界)でも,mespesado理論を知る者と知らぬ者の知的格差は,月と泥亀ほどの差が出るだろう.
mespesado氏のお陰で,『放知技』の知的レベルは,ネット界でも最上位にランクされる位置に到達した.
mespesado氏には,あらためて深甚なる御礼を申し上げたい.≫

*   *   *   *   *

 474:mespesado : 2018/02/18 (Sun) 14:43:27 host:*.itscom.jp


>>375

さて、またもや間が100近く空いてしまいましたが、松尾さんの本の続く第6章の第2節は、「安倍政権の経済政策の3つの矛盾」と題し、主としてアベノミクスの「第3の矢」すなわち「民間投資を喚起する成長戦略」に対する批判が展開されています。

 まず著者は、第3の矢がおかしいとして3つの矛盾:

(1)第3の矢は新自由主義的で「新しい古典派」の政策なので、ケインジアン的である第1、第2の矢の緩和政策と互いに矛盾する。

(2)完全雇用のもとでの「天井」の成長率は低いので、天井の成長施策である設備投資主導の景気拡大策である第3の矢を推進するのは無駄

(3)将来不足する介護・医療の人手を設備投資や輸出・建設業に振り向ける第3の矢の政策は、前者の人手不足を増長させる

を指摘します。

 ここで(2)で出てくる「天井」というのは、以前に >>74 でも説明しましたが、著者によれば、総需要がいくら高まっても、失業者がすべて雇いつくされて「完全雇用」になったら、それ以上生産を増やすことはできないので、この上限のことを経済の「天井」というのだそうです。

 そして、経済の成長には「短期」と「長期」の成長があり、経済学において単に「成長」と言えば「長期の成長」のことを指し、これは経済の「天井」が拡大していくことを意味し、福祉を切り捨てて人を労働の場に駆り出し、競争を激しくして弱い生産者を淘汰して生産効率を高めるといった「新自由主義的」な政策や、設備投資主導の景気拡大策である第3の矢というのは、この「長期」の成長を目指した政策である。

 これに対し、実際の経済が天井に達していない段階において、第1と第2の矢のようなケインズ経済学に則った景気拡大策で実際の経済を天井に近づけていくような成長のことを「短期」の成長という、というのです。

 以上の予備知識のもとで、著者が上に言う(1)の矛盾とは、今は実際の経済が天井に達していないゆえ「短期」の成長こそが必要であるのに、第3の矢のような、天井に達していることを前提に行う「長期」の経済対策を行えば、デフレをかえって進めてしまい、「短期」の成長を逆に妨害してしまうことになる、というわけです。

 また(2)の矛盾とは、今日の日本では労働人口は減少しており、「労働力」はこれ以上増えないので「天井」の成長すなわち「長期」の成長はこれ以上望めず、従って第3の矢のような「長期」の成長施策に資源を投入するのはムダである、というわけです。そしてしばしば言われる「成長か分配か」というジレンマは「長期」の成長政策についての議論(つまり「長期」の成長のためには労働者への分配を削って設備投資に回す必要があるから)であって、「短期」の場合は成長と分配は両立する(つまり「短期」の成長の場合は経済が「天井」に達していないから設備は余っているので設備投資に分配しなくてよい)、と主張します。

 そして最後の(3)の矛盾とは、(2)の「長期」の成長への投資が、単に無駄なだけでなく、貴重な労働力を「長期」の成長につぎ込むことになるため、「短期」の成長に必要な人材も取られてしまう、というわけです。

 以上がこの第6章の第2節の概要です。

 さて、私も経済の「成長」について、一口に「成長」といってもその分類が必要だとして「量の成長か、質の成長か」という問題と、「生産者に対する成長か、消費者に対する成長か」という切り分けが必要であることを以前に指摘しました。しかし、松尾さんの場合は、そういう区分の話ではなく、「短期」の成長か「長期」の成長かが問題だ、というのです。まずここで引っかかりました。

 そもそもこの議論の前提として、「経済」の「天井」という概念が出てきます。しかも著者は

> 総需要が高まっていっても、失業者がみんな雇いつくされて完全雇用に

> なったら、もうそれ以上、その時点で生産を増やすことは出来ません。

> これが経済の「天井」になります

と述べています。この点は既に批判したところですが、「流れ作業に張り付いたベルトコンベアー業務」の時代じゃないんですから、生産量と労働者数は最早比例しません。例外は運輸、ファーストフード、建設、介護など、人海戦術に依存する「製造業以外」の業種ばかりで、これらは設備投資とは関係がありません。

 従って、経済の「天井」など存在しません。敢えて著者の言うような「天井」という概念を考えるなら、これは「青天井」です。ですから、「長期」の経済成長という概念自体を考える必要がないわけです。

 また、私が「生産者の成長」として挙げた「海外投資」による成長戦略も製造業の利益を安定化するために必要な経済政策であるはずですが、著者の「短期」「長期」論ではそもそもそのような視点自体が登場する余地がありません

 そして、(3)で問題としている「人手不足」も、確かに発生はしているが、その原因は設備投資に人が回されるから生じているのではなく、少子化とかつての不況で失業者が溢れていたことに依存したビジネスモデルが、失業者の減少で成立しなくなってきたことによるものであり、やはり著者がここで説明しているような機序とはあまり関係がないようです。

 さて、安倍政権が最初に打ち出した3本の矢における「第3の矢」は、前に浜矩子氏の本を論評したときに紹介したように、おそらく各省庁に無理やり出させた各省庁の利権に関する項目を並べたもので、脈絡も現実性もないものばかりであったのに対し、この本の脱稿後の2015年9月に出された「新・3本の矢」では、松尾さんが述べるところの「短期」の成長に資する具体的な経済政策が挙げられています。著者は、この状況を次のように述べています:

> ただし、安倍さんは本書原稿の脱稿直後の2015年9月に、「アベノ

> ミクス第2ステージ」と称して、社会保障や子育て支援への取り組みを

> 打ち出しています。今後の出方に注意が必要です

 まさに、松尾さんが期待していた野党ではなくて、批判していた当の安倍政権がこの本が指摘する経済政策をアベノミクスに取り込んでしまったわけですね。      (続く)


475 名前:mespesado 2018/02/18 (Sun) 15:26:43 host:*.itscom.jp

>>474

 次は第6章の第3節「その他の批判すべき点」に進みます。

 著者は、「第1の矢」も「第2の矢」も足りない、通常の「やめろ」という批判とは逆に、「もっと増やせ」と批判すべきだと主張します。

 一方、消費税の増税は景気を後退させるだけでなく、貧しい人ほど負担が大きい「逆進性」があることから批判的で、インフレ時に自動的に増税になる「所得税の累進度の強化」がよい、と主張します。また、資産価格が上昇した場合に売却益が出ていなくても価値が上昇した時点で上昇分に課税する「資産増価税」を提案しています。

 次に、景気対策としてのオリンピック需要について、通常の景気回復で完全雇用に達したところにオリンピック需要が重なると、供給不足が生じてインフレが進む。そのインフレを抑えるために国債発行で民間からオカネを吸収するため、高金利に、従って円高になり、特にオリンピック需要のおこぼれがない地方の輸出企業が壊滅することを懸念しています。

 さて、これらに対する批評ですが、まず最初の「第1の矢」と「第2の矢」をもっと増やせ、という主張には全面的に賛成です。

 そして消費税増税批判についても賛成です。

 しかし、「所得税の累進度の強化」や「資産増価税」には反対です。

 なぜなら、既に繰り返し説明したところではありますが、復習すると、かつての高度成長期には企業も家計も収入が右肩上がりだったので、高額所得者はその大半を税金で取られても、翌年以降もそれ以上の収入が入ることがほぼ確実でしたから、高額の税金を取られても生活水準を下げる必要もなく、「金持ちの矜持」で許せたでしょう。ところが低成長時代になって将来の収入が全く不安定になると、今年たまたま高額の収入があっても翌年以降はそれが継続する保証がなく、場合によっては赤字になる可能性もあるのですから、せっかく幸運にも儲かったときにその大半を税金で持っていかれたのでは、生活水準の維持どころか将来の生活が不安になってしまうわけです。その結果、高額所得者は将来が不安でますます貯蓄に走り、消費を抑えるので、各消費者にとっても景気にとってもデメリットしかありません。

 また、「資産増価税」など論外です。自分が住むための土地が何らかの環境変化で勝手に地価が上昇し、キャッシュフローもないのに税金を払えなど地獄以外の何物でもないでしょう。

 そもそもインフレになったらオーバーヒートした景気を冷やすために増税するというスキーム自体が高度成長期固有の対策であることに気付くべきです。高度成長期は供給力が不足していたので、あまり需要が増えすぎると製造業で人手が不足して供給不足が生じてしまうので、そうならないようにブレーキをかける必要があったわけですが、今日のように機械による自動生産が浸透した環境のもとでは景気を冷やす必要性自体が存在しません。つまり景気を冷ます必要がないので、増税する必要もありません(まあ、そもそも税金という制度自体を廃止すべし、というのが私の持論ですが、まあそれは置いておいても、です)。

 最後のオリンピック需要云々についてですが、これも「完全雇用」で人手が足りなくなるというのも、人海戦術的な要素が高い建設業では確かに問題となりますが、機械が活躍している製造業ではあまり関係なく、インフレになることもなく、従ってオカネを吸収する必要もなく、従って高金利にも円高にもならないでしょう。この件については(建設業の何から建設するかという優先順位を除けば)すべて杞憂だと思います。     (続く)


476 名前:mespesado 2018/02/18 (Sun) 16:16:56 host:*.itscom.jp

>>475

 いよいよ松尾匡氏の『この経済政策が民主主義を救う』も、第6章第4節「残されたチャンスはいつまでか」を残すのみとなりました。

 この節のテーマは、アベノミクス批判者がよくやる間違いについての解説で、いわば「アベノミクス批判批判」のような内容になっています。

 まず著者は、安倍政権に反対する人たちまでが安倍政権の景気対策を安易に「アベノミクス」と呼ぶな、と戒めます。なぜなら、いざ景気が良くなったとき、「アベノミクスのおかげで景気が良くなった」と宣伝され、明らかに景気の足を引っ張る「第3の矢」までもがアベノミクスの一部としてプラスに評価され、その副作用として生じた不都合な出来事まで「景気改善のための必要悪だった」と正当化されてしまう可能性があるからだ、と主張します。

 また、反対陣営が「アベノミクス=トリクルダウン」のように喧伝するので、まるで「トリクルダウン」が奏功しているかのように誤解されてしまう、と述べます。そして反対派がよく言う機序:「株価が上がり、お金持ちが儲かるのでトリクルダウンで下々まで恩恵がある」を漫画的であり、そんなことを信じている人は政府・日銀関係には誰もいない、と釘を刺します。

 そして、株価操作は世論対策のショーみたいなもので、景気にあまり影響は無く、株価に一喜一憂する安倍支持者も反対者のご都合主義的な論評を批判します。

 また、批判者がありえない経済危機予言を繰り返す風潮を戒め、2016年の国政選挙までに国内要因で不況になる可能性はゼロであると断言します。

 最後に著者は、いわゆる「失われた20年」と呼ばれる日本の景気の長期停滞はオカネを刷って景気を良くできる最後のチャンスだったといいます。つまりその前の高度成長期と、今後の少子高齢化による人手不足によるインフレ時代にはさまれて、この長期停滞期こそオカネを刷る景気対策が可能な「神が与えたチャンスの時代」だったと言うのです。これを著者は高度成長期を「人口ボーナス」の時代と呼ぶのに擬えて「供給力過剰ボーナス」と名づけます。

 そして本書の締めくくりに、ヒトラーが登場した当時のドイツの話を持ち出し、それまでドイツが第一次大戦直後のハイパーインフレに懲りて世界大恐慌後も緊縮財政を続けて不況を悪化させていたところに登場したヒトラーの政権が、当初は脆弱な政権だったにもかかわらず、大規模な公共事業で完全雇用を実現し、国民の圧倒的な支持を受けてしまい、そのまま戦争に突き進んでしまった、という歴史を今の安倍政権に重ねることで、同じ轍を踏んではいけない、と結んでいます。

 さて、これらの意見のうち、前半の「ありえない経済危機予言を繰り返す風潮を戒め」るところまでは全くそのとおりだと思いますが、その次の「失われた20年」が「供給力過剰ボーナス」の最後のチャンスだ、という見方には賛成できません。著者は、今後人手不足のインフレの時代が来る、というのですが、科学技術の発達は不可逆ですから機械化(特にAI化)の飛躍的な進歩により、人手不足の時代が来ることは考えられず、「供給力過剰」の時代は今後未来永劫に続くと思います。

 また、最後の段落のヒトラーと安倍政権を重ねる論調は感心しません。というのは、ナチスに関する論評は現代の欧米でも未だにタブーの強い分野であり、一般にはhttp://www.gibe-on.info/entry/adolf-hitler/に纏められている内容が「公式」のものですが、https://togetter.com/li/1176504に挙げたような問題があり、そもそもドイツではこの問題について未だに学問の自由まで制限されているという事情もあり、そのこと自体がかなり「特殊」な話であり、あまり何か別のことを述べるのに引き合いに出すのは適切でないテーマだと考えられるからです。

 本シリーズはあと一回、「むすびにかえて」の論評をもって終了とさせていただきます。   (続く)


478 名前:mespesado 2018/02/18 (Sun) 17:01:54 host:*.itscom.jp
>>476
 いよいよ松尾さんの本の書評も最後となりました。
 本連載の最後は「むすびにかえて」についてです。
> 祈るような気持ちでこの本を出します。
 冒頭からこんな文で始まるむすびの文章。著者は安倍さんが選挙で圧勝して「改憲」に王手をかける、ということを恐れていることを告白します。そして、それを阻止するために、左派リベラルの野党にアベノミクスに対抗できる経済政策を機会あるごとに提言するのだが一向に聞いてくれない、と嘆きます。
 それどころか、アベノミクスの第1と第2の矢が奏功しているという事実を書くだけでやれアベノミクスの支持者だとか安倍政権に媚びているなどと批判され叩かれるのだそうです。
 更に「安倍談話」について言及し、「ボスの復古的な帝国主義的価値観を本質的に譲ることなく」、しかし各方面への配慮を周到にめぐらせた文章になっている。なんと頭のいいブレインがいるのかと「恐怖に身震い」し、闘志が湧いてきた、のだそうです。
 そして、野党への選挙対策への助言として、アベノミクスの第1と第3の矢が奏功していることについては素直に認め、その推進が「まだ足りないぞ」という方向で戦うしかない、と説きます。
 そして最後に野党が選挙に勝つための方法として「政権交代可能な選挙共闘」を次のように提案します:
 現在の小選挙区制度のもとで自民党に打ち勝つためには、野党を一本化しなければ勝てないが、掲げる政策が異なる各野党が選挙協力で纏まるのは難しい。そこで、「現行の小選挙区制を廃止して比例代表性を基本とする仕組みに改めるために、選挙法を改正すること」だけを目的とした内閣をつくり、数ヵ月後に新しい選挙法のもとでふたたび解散総選挙を行う、と提案します。
 さて、これらの内容についてですが、経済政策に対する評価、つまりアベノミクス第1と第2の矢が正解であり、もっと強化すべきだ、という点は全くもって賛成であり、野党支持の論者でありながら、このような評価をしている論者は大変珍しいと思います。
 ただ、政治に関する見方はもろにサヨクであり、「知識人=西洋かぶれ=ポリコレ=サヨク」のド壷にすっかりはまってしまっているのは残念というか、あまりに典型的過ぎて、これ以上言うことはありません。
 最後の選挙対策ですが、松尾さんも「小選挙区反対論者」の一人であることがわかりますが、そもそも小選挙区の導入は、自民党の天下があまりに続いたために、政党支持率を「誇張」して、政権交代を行いやすくすることで2大政党を育成するために導入した制度だったはずです。
 ところが現在、同じ自民党の天下のもとで政権交代を起こそうというときに、その目的に有利なはずの小選挙区制を廃止する、というのは意味不明です。よしんば最初の選挙で「現行の小選挙区制を廃止して比例代表性を基本とする仕組みに改め」ることに成功したとしても、比例代表制のもとで再度実施した選挙で野党が勝つという保証がどこにあるのでしょうか。世論調査による政党支持率どおり、自民党が圧勝するのが関の山ではないでしょうか。
 そもそも野党が経済オンチで松尾さんの意見も聞かず、しかも国防や外交などの経済以外の政策についても有効な提案ができない野党に期待する意味がわかりません。経済学者として自分が正しいと思う政策を実行してもらいたいのであれば、すでに正しい方向で経済政策を実行しつつある自民党にこそ「取り入」って政策提言したほうがよいのではないでしょうか。それでは外交や国防でヤバイ政策が実行されてしまう、というのであれば、堂々とそれらについても自民党に提言すればよいのではないでしょうか。最初から自民党を「政治的独裁者」のように偏見を持っているために、そのような発想が持てないのかもしれませんが、安倍政権からすれば、松尾さんの提言は公開されている著書で読むことが出来、なるほどと思えば採用されてしまうのですから自民党を嫌って野党を応援しても意味が無いはずです。もう少しそこは柔軟に現実的に考えられないものかな、と思いました。
 ただし、反安倍政権の経済論の中では一番まっとうな内容であったことを、著者の名誉のために最後に申し添えておきます。
 以上でこの本の書評を終わらせていただきます。長きにわたり、お付き合い下さりありがとうございました(次は、最近発刊された明石順平氏の『アベノミクスによろしく』を取り上げる予定です)。    (完)
【補記】今後金利はどうなるか?
479 名前:mespesado 2018/02/18 (Sun) 17:53:08 host:*.itscom.jp
>>477
 Japanede history さん、こんにちは。
> 質問ですが、今後金利は上がる(上げる)のでしょうか?
> 担保を取りお金を貸して利息で儲けるという仕組み事業(欧米型金融)
> も限界に来ているように昨今思います。
 そもそも「借金」が必要になるのは、今モノが欲しいのにオカネが無いからですよね。で、借りたオカネでモノを買って手に入れる。で、期日までにオカネを調達して貸主にオカネを返す。で、このオカネを調達するというのは、普通は何らかの生産活動をしてその対価としてオカネを貰うことにより調達する。そして利息が付くということは、借りたオカネ、すなわち消費したときに払ったオカネよりも、借金を返すときに払うべきオカネの方が多い、ということ。
 例によってこのプロセスをオカネを消去して眺めると…、
 「自分が生産行為を行う前に消費行為を行っている」ということに他ならない。借金しない人というのは、逆に「自分が生産行為をしてから消費行為を行う」ということ。で、先に消費する方が「ずるい」から、その分余計に生産しなければならない。これが「利息」。
 金利が下がるということは、先に消費することの「ずるさ」が大したことでなくなっている、ということの反映に他なりません。
 消費より生産を後回しにすることの「ずるさ」を大したことがない、大目に見れる、ということは、とりもなおさず「生産活動が楽になった」ということの表れでしょう。生産活動が楽になるのは、機械化が進んだから。そして、機械化というのは技術というノウハウの蓄積なので、進歩する一方で、その流れは不可逆。つまり、「ずるさ」の度合いは減じていく一方、ということ。だから金利も下がる一方で二度と上がらない…。
 短いスパンで言えば、金利の上下はあるでしょう。また各種の金融の世界におけるイノベーションにより、一時的に劇的な変化はあるかもしれません。でも、大きな流れから考えると、上のような理路が勝って、今後金利は限りなくゼロに近づいていくと思います。

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