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「ひきこもり」問題、解決のみちすじ [思想]

8年前にこう書いていた。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2010-02-27

 

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 「全国引きこもりKHJ親の会」の推計によると、不登校やニートを合わせた引きこもりの総数は160万人(2015.12内閣府調査 15歳から39歳 推計54.1万人にも及び、子どもを持つ家庭の40軒に1軒が該当するという。 実に穏やかならざる数字である。本人はもとより、その周囲の心労はいかばかりか。しなくて済むならしないで済ませたい苦労の最たるもののひとつ。日本全体に積り積った、そのために費やさねばならぬ精神的消耗の集積を思うと気が遠くなる。本来世の中に役立つ事が人として生れてきての生き甲斐につながるとするならば、そしてそうした人材を育てることをもって本来公教育の使命とするならば、その数字はそのまま日本の教育結果のおぞましき現況を表わす数字といえるわけで、事は重大なのである。横峯吉文氏が雑談中にふと語った言葉、「できる子どもはほおって置いてもできる。できない子どもをできるようにしてやること、それが私のいちばんのテーマだ。」できないとは、単に勉強ができない、運動ができないを意味するだけなのではない。実は、160万という数字も横峯氏からはじめて聞いた数字だったが、それは世の中にうまく適応できないという意味で、まさに「できない」子どもの数なのだ。日本の教育がこの問題に真摯に向き合うことなくして日本の将来はない。決して「うちの子どもは大丈夫」で済まされる問題ではない。この付けはいずれ日本国民全体に及ぶと考えていい。

 

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一昨日の「地域福祉計画策定委員会」で出された案の中に「ひきこもり」について、「地域社会での孤立防止」の節、「【共助・公助】行政・社協サービスの総合化・深化」の項、〈成人・高齢者の孤立防止〉について《地域の中で子育て中の親、高齢者、障がい者等の孤立やひきこもりを防ぐ仕組みづくりや支援の方法について検討します。》とあった。先日、「から・ころセンター」の佐藤祐治さんの講演以来、「ひきこもり」に対する視点を変えねばならないのではと思い出しているので、その思いからすると《ひきこもりを防ぐ》という文言にひっかかりを感じた。案の定、行政当局の説明は「ひきこもりについてはその対策について明確な手立てがない」とのことだった。だから、「そうならないようにする(=防止する)」としか書けないのだ。「視点を変える」ということは、そうではなくて、「ひきこもり」を評価する視点を持つということだ。

 

 先日、佐藤氏の講演を聴いてこう書いていた。

《利用者の8割ぐらいがいわゆる「発達障害」に区分けされる人。あくまでそれはそう区分される個性であって病気ではないことが強調された。「発達障害」の有名人として、黒柳徹子、イチロー、さかなくん(学校から見放されたが、母親が「好きなことを続けてくれればいい」と守ってくれて今がある)、加藤一二三、スティーブ・ジョブズ、ビルゲイツ・・・!》http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28

 

 この人のおかげで私が大人になれたと思う吉本隆明の思想について、その原理を私なりに3つにまとめたことがある。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-03-21

①ひとりで思えば思うほど、思いは世の中からはなれていって、いずれ世の中に対立してしまう。(自己幻想と共同幻想の逆立性)
②ふたりのあいだの思いは無理なく溶け合わせることができる。細胞レベル、遺伝子レベルで呼び合う恋愛はその極致である。(対幻想)
③自分でどう思ったからどうなるというものではない。自分の意思に先立つ人と人とのつながりというものがある。(関係の絶対性)

 

について、別のところでこう書いた。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-04-08

《本来吉本思想は<秩序>に立ち向かう思想だった。というよりむしろ、世の<秩序>に服(まつろ)えない自己にこだわり続ける思想だった、と言った方がいい。『転位のための十篇』の「廃人の歌」の中に「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせる」という言葉がある。私は吉本思想の第一原理ば「個人幻想は共同幻想と逆立する」だと思う。吉本体験はこの個人幻想のレベル(自分で自分にどう折り合いをつけるか)での問題である。あえて表に出して波風立てることもない。吉本体験なんぞはしまっておいてそのまま墓場までもってゆけばそれはそれでちょんのはずだった。吉本の思想と本気で関わった人の多くはそうして心のうちに閉じ込めておいたのではなかったか。「世の中に受け入れられない」、そのはみ出し部分で吉本に共感していたのだから。》

 

要するに「ひきこもり」とは、「世の中の秩序にはまりきれないほど、自己のこだわりが強い人の生き方」なのだ。そう考えると、それを解消する二つの道筋が見えてくる。ひとつは、自己のこだわりを弱めること。もうひとつは、世の中がそのこだわりを受け入れること・・・と、ここまで書いて答えが見えてきた。——こだわりを弱めさせるべく周りでやいのやいの(批判的に)やってかえってこだわりを強くさせ、いよいよ脱け出せなくしてしまうのではなく、そのこだわりを生かせる世の中を用意すること、そのことが、当事者以外ができる「ひきこもり」問題のほんとうの解決の道筋なのではないか。

 

(このことに関わるごく最近の私自身の体験があるが、それはあらためて書くことにします。)


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