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mespesadoさんによる1億人のための経済講座 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

「放知技」板でmespesadoさんが連休中、『「アベノミクス」の真相』(浜矩子 日経新書)の書評として書きつづけた「経済の見方」がすごい。つぎつぎに目からウロコが落ちて(目の曇りが晴れて)、経済がよく見えるようになる。「よく見える」ということは「自分の感覚が信じられるようになる」ということだ。これまでもmespesadoさんの文章はあちこちにメモらせていただいてきたが、このたびの連載をあらためて「1億人のための経済講座」としてメモらせていただく。「万人のための・・・」という言葉がはじめ思いうかんだが「1億人のための」にした。まだ未完なので、続きはぜひ「放知技」板に行ってリアルタイムで追って欲しい。飯山氏のコメントmespesadoさん自身のコメントも出る。(太字 引用者)
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332:mespesado : 2017/11/03 (Fri) 16:03:55 host:*.itscom.jp
 久しぶりに書評を書きたいと思います。今回取り上げる本は、浜矩子の『「アベノミクス」の真相』です。この本は、安倍政権の経済施策である「アベノミクス」を批判する本であり、2013年の5月に初版が出たもので、アマゾンの書評でも評価が最低と最高の両極に分かれている、というものです。
 まずはこの本の支持者、すなわちアベノミクス批判者のコメント:
> 日本の経済は成熟期を迎えており、低成長時代に入っている。
> そのこと自体は悪いことではない。地球の資源には限りがあり、
> 環境問題や地球温暖化も重要な課題となってきている昨今であ
> る。むしろ、全世界的に持続可能な社会を模索する段階に入っ
> てきたと言える。もはや成長は必要なく、真に豊かな社会とは
> どのような社会なのかを経済的側面からだけではなく考えてい
> かなければばならない段階にきたと言える。
> それなのに、安倍政権はそれと真逆なことをやろうとしている。
> この本の中でアベノミクスの本質が明快に述べられており、ギ
> ンギラギンのアベノミクス。時代錯誤のアベノミクスであるこ
> とが、明快に指摘されている。
> 真の経済成長に結びつかずバブルを生むだけの金融政策。時代
> 錯誤の財政出動。ギンギラギンの成長戦略。この本を読んで、
> アベノミクスは大企業重視に偏った政策であり、しかしそのこ
> とが逆に経済の破綻を引き起こす危険を持っていることがよく
> 分かった。これからは持続可能な社会、成熟した社会を作るた
> め、富の再分配や経済だけによらない豊かさを追求する時代に
> なったのだと思う。アベノミクスはこれと真逆な政策なのだ。
> 浜さんはテレビでも歯切れよく痛快な持論を展開するので注目
> していたが、さらなるご活躍を期待する。今後の日本の進むべ
> き方向への提言を展開されることを期待する。
 次に、この本の批判者、すなわちアベノミクス賛同者のコメント:
>  この本を最後まで読めた人は感心します。とにかくつまらな
> い内容で私は数十ページを読んで放っていました。あまりにも酷
> い内容だったのでアマゾンのカスタマレビューにでも投稿してお
> こうと思ったのですが、最後まで読んでないので批評も出来ませ
> ん。そこで、もう一度取り出して最後まで読みました。
>  結局、この著者が言いたいことは、成長より分配ということで
> す。安倍政権は経済成長を目指すより、分配を重視すべきだと説
> いています。「弱者を見捨てるな、生活保護をもっと充実させろ」
> と書いています。そのためには法人税も増税しろという意見です。
>  世界では「市場」か「分配」かの議論はとうの昔に終わってい
> ます。「分配」で成功するのなら、ソビエトや北朝鮮は繁栄して
> いるでしょうし、JALが倒産したりはしなかったでしょう。この
> グローバル競争の時代によくもまぁこういう古い考えの人がまだ
> いるのですね。私は、格差はある程度は仕方がないと思います。
> 必要なのは結果の平等ではなく、機会の平等です。
>  この著者は世の中の話題に便乗して本を売ってやろうという意
> 図が見え見えです。今度は中国危機のようなタイトル本も出した
> ようです。どうせ中身がないのだろうと推測します。
 何やらサヨとウヨ特有の感想という感じで、私はこのどちらの意見にも納得できなかったので、やはりきちんと購入することにしました。と言っても、アマゾンで1円で売ってたのでそれを購入したのですがw
 読んだ結果は、まあ著者のサヨク史観による主観も反映しているのですが、著者の意見の部分は置いといてファクトの部分を読むと、アベノミクスなるものが一体どういうものなのかを手軽に知るには丁度よい本だとは思いました。具体的な感想は順にアップしていきたいと思います。(続く)
342:mespesado : 2017/11/04 (Sat) 00:39:46 host:*.itscom.jp
>>332 (続き)
 まず最初は「はじめに」から。
 著者は「レーガノミクス」を引き合いに出します。レーガノミクスとは、1980年代にレーガン大統領が実施した「供給力を高める」ことを目的とした経済政策で、それまで続いていたスタグフレーション(経済は不況なのに物価が上昇する)を解消するため、「減税」によって労働意欲を向上させ、国内生産力を高めて経済を立て直すことをもくろんだのですが、実際は当てが外れてそっちは機能せず、もう一方の物価上昇を防ぐため、輸入物価が下げるために「通貨高」政策を行ったところ、輸入が増えて、消費が増えて景気が良くなった(いかにもアメリカ人らしいw)、という結果は良かったけれど当初の想定とは全然違った顛末での「成功」だったわけです。
 著者は、だからレーガノミクスは実はまやかしである。従って、同じく「~ノミクス」と名づけた「アベノミクス」もまやかしである、という印象操作を行っていてイヤらしいのですが、実はこれ、あとで詳しく説明しますが、ある意味当たっているのです。ただし、レーガノミクスは当てが外れた副作用として、輸入増により膨大な貿易赤字を生んでしまうのですが、アベノミクスでは、当初狙っていたインフレターゲットが機能していないにもかかわらず景気の方は向上し(いかにも日本人らしいw)、しかも副作用がほとんど無い、という大きな違いがあります。 (続く)
346:mespesado : 2017/11/04 (Sat) 16:57:12 host:*.itscom.jp
>>342
 さて、全体は
Chapter1 ~「黒田バズーカ砲」は何を狙っているのか?~
     これが安倍政権の「金融政策」の真相だ!
Chapter2 ~「浦島太郎」のバラマキは何をもたらす?~
     これが安倍政権の「財政政策」の真相だ!
Chapter3 ~「日本を取り戻す」必要はあるか?~
     これが安倍政権の「成長戦略」の真相だ!
という3つの大きな章から構成されています。
 まず最初の Chapter1 ですが、まず著者はアベノミクスの目玉である「異次元緩和」を、1990年代のイギリスの例を挙げて、これでは「資産」については「インフレ」になる(つまり「バブル」を引き起こす)けれども、肝心の「実物」経済については「デフレ」のままに留まるから、これではとても「リフレ政策とは言えない」と批判します。
 つまり、イギリスの例では、いくら「オカネを刷って」も、それは不動産の投機に向かっただけで、通常の消費財などに対してはインフレを引き起こさなかったから、アベノミクスでもそうなるだろう、というのです。
 次に、著者は2013年に打ち出されたアベノミクスの「量的・質的金融緩和」の概要:
① 2%というインフレターゲットを2年を目安に達成する。
② 長期国債や投資信託をジャンジャン買い入れる(すなわち市場にあるこれらの有価証券を引き取り、現金に変換してばら撒く)。
③ 金融政策の目標を、「金利」のコントロールから「オカネをばら撒く量」のコントロールに切り替える。
④ もう引き下げる余地の無い短期金利だけでなく、長期金利も引き下げ るため、長期国債もジャンジャン買い入れる。
⑤ 不動産投資信託もジャンジャン買い入れる。
を掲げます。これらのうち②と⑤はリスクの高い有価証券をリスクの無い現金に換えてあげるよ、ということですから、要はリスクを気にせずどんどん投資しなさい、そのために、証券を発行する側も、満期時に返せるあてが多少怪しくてもどんどん借金をして設備投資しなさい。リスクは国が被ってあげるから、という意味になります。
 これを評して、著者は「なんのことはない。要は、日銀が『バブル製造装置』と化すということである。」と結論付けています。
 次に、著者は上記の政策概要の続きに書いてある「資産買入等の基金(=リスク資産の購入に対する一定の歯止めとなる枠)の廃止」と「銀行券ルール(=日銀による国債の購入の歯止め)の一時適用停止」について、「失われる通貨節度」という見出しのもとで、「チーム・アベは『バブル製造装置化すると同時に、これまで、日銀が懸命に回避しようとしてきた『国債買い取り専門機関化』の道に大きく踏み出すことになる。」と評しています。
 次に著者は、リーマンショック以降、世界が自国の通貨安を目論んで、量的緩和合戦をしてきたこと、しかしこの施策は外国にとっては通貨高になって輸出に支障をきたすので「外国に迷惑がかかる」から、欧米諸国はそれなりに外国に気配りをしながら量的緩和をしてきた。そして前日銀総裁の白川氏を欧米とともに節度を守ってよくやったと評価しています。つまり裏を返すと、今の安倍・黒田体制が外国に気配りもせず利己的に量的緩和に邁進している、と非難しているわけです。
 そして、「中央銀行が政府のための金貸し業者と化してしまえば、経済的国家主義の横暴への歯止めがなくなる。」「中央銀行に独立性がないということは、その国の民主主義体制が脅かされるということにもつながるのだ。」と批判します。
 次に、アベノミクス効果で「高額消費も増え始めた」と言われていることに対して「庶民の賃金は上がらずデフレも終わらない」と主張し、挙句は「切羽詰った人々がいわば生活防衛型投機というべき行動に出ることにな」る恐れがあるとまで主張しています!
 更に、通貨安競争になって「デフレの押し付け合い」になるとか、「量は増えるわ、信認は低下するわ。こんな具合では、いつ、日銀券が紙切れと化すか、解らない。」とか、企業のグローバル化に鑑み、「輸出企業といえども、円安が一義的・全面的にプラス要因だとは決して言えない状況になっている。」とか、ディズニー映画にもなった「魔法使いの弟子」の物語を引き合いに出して、「実物デフレ状態に何ら変化のないままで、資産インフレだけが洪水と化して猛威を振るう。そんな状態になりはしないか。」と恐怖を煽っています。
 以上が Chapter1 の内容の概要です。次に著者のこれらの批評に対する私の意見を述べたいと思います (続く)
351:mespesado : 2017/11/05 (Sun) 12:17:33 host:*.itscom.jp
>>346
 さて、私は今まで「日本はオカネをいくら刷ってもインフレにならない」と何度も何度も説明してきました。にもかかわらず、政府はインフレターゲットと称して年2%程度のインフレを引き起こすことによってデフレを解消しようとしているのは何なんだ、と疑問に思う人も多いでしょう。
 事実、高度成長期の日本では、実際に穏やかなインフレ(年間で約4%)が続いていたわけで、何で今日の日本でそれが再現できないんだ、と疑問に思ったとしても無理はありません。
 しかし、この「経済が健全に回っていれば穏やかなインフレになるはずである」というのは、皆当たり前のように思っていると思うんですが、本当に「当たり前」なんでしょうか?
 皆さんは、何となく、「高度成長期って、需要がどんどん拡大して供給不足だったんだろ?だったら需要・供給曲線に関する経済学のイロハにより、供給不足なら値段が上昇するのは当たり前じゃないか」と思っていないでしょうか?
 でも、高度成長期における穏やかなインフレって、実はそんな単純な原理で生じていたわけではないんですね。
 消費財には、大きく分けて、産業革命以降の大量生産によって供給される「工業製品」と、従来型の人手による「労働集約型の生産物」である「農業製品」2つのタイプに分かれます。で、「三種の神器」などと呼ばれ、あこがれの、しかしいつかは手に入る「白物家電」のようなものは前者であり、こちらは「供給不足」どころか、旺盛な設備投資と技術革新によりその一時的な供給不足を補って余りある生産能力の充実により、むしろ価格は安くなってきていて、穏やかなインフレ、すなわち価格の上昇の主原因となってきたのは後者の方なのです。
 この間のからくりを順を追って説明すると以下のとおりです:
 まず「白物家電」に代表される「工業製品」は便利だから、その存在を知れば皆欲しくなる。だから徐々に金持ちから順に買い始めて、爆発的に売れるから「工業製品」の企業は儲かる。ここで「労働争議」の儀式を経て、従業員も給料がどんどん上がるので、あこがれの「白物家電」が買えるようになる。ところが「農業製品」の方は、人間の胃袋には上限があるのでそれほど販売量が増えないから収入は増えない。だけど「白物家電」は欲しい。そこで、農家やその販売先の商店では、単価を上げる、つまり「値上げ」をすることによって収入を増やす。これでこれらの業種の従事者も「白物家電」が買えるようになってみんなハッピー。というプロセスを経たのでした。
 もちろんここで「工業製品」とか「農業製品」と書いたのは、あくまでもラベルであって、例えば工業製品でも「文房具」とか「電球」とかの消耗品は「農業製品」に含まれるし、「生鮮食品を扱う個人商店」も「農業製品」とみなされます。
 上で注意すべきは、モノの値段が上がるに際して「セリの原理」がどこにも登場していないことです。「需要・供給曲線に関する経済学のイロハ」で需要が増えると値段が上がるという原理は基本的に「セリの原理」ですから、高度成長期にゆるやかに物価が上がったのは、このように、「経済学のイロハ」とは違う原理によるものであったのです。
 ですから、平成も終わろうとしている今日、同じ原理によって穏やかなインフレを起こしてデフレ脱却を実現しようと考えている人は、このことに気付いていないんではなかろうか、と思われるわけです。(続く)
353:mespesado : 2017/11/05 (Sun) 13:33:15 host:*.itscom.jp
>>351
 前稿で高度成長期に緩やかに物価が上がった真の原因いついて説明しました。そして、そのカラクリが機能するに際して、重要な役割を果たす「時代の特殊性」があったことを忘れてはいけません。その特殊性とは、
① 「白物家電」のような、あるとあまりにも便利で絶対欲しいと思わせるような商品がいろいろ存在し、かつそれらの業種に従業する国民がかなりのウェイトを占めていた。
② 「農業製品」従事者が「値上げ」をしようと思えば自由に値上げできた。
という2点です。
 当時と今日の経済環境を比較した場合、一番違うのが、この2点です。
 まず①ですが、今日では「白物家電」に対応するような商品は見当たりません。一番最初の「白物家電」は「冷蔵庫」「洗濯機」「(白黒)テレビ」の「3種の神器」だったと思うのですが、それまでの洗濯板での力仕事に比べたら、洗濯機って家事労力に天国と地獄くらいの差がありますし、冷蔵庫が無かった時代は一々食べる直前に買い物しなきゃいけなくて、昭和の前半には牛乳は一晩置くと腐るから朝の「牛乳配達」なんていう制度がありましたし、とにかくその便利さと言ったら「革命的」でした。
 これらがほぼ普及し尽くしたころ、次の「3種の神器」になったのは別名3Cと呼ばれる「車(カー)」「クーラー」「カラーテレビ」でしたか。これらは白物家電程ではないにしても、「一度使い始めたらもう戻れない」というほど便利なものでした。
 しかしその後はこのような製品は現れなくなりました。確かに「オーディオ」とか「パソコン」とか「ゲーム機」とか「スマホ」なんてものが出てきますが、これらは「どうしてもすぐ欲しい」というほどではないし、それが当たり前に普及する頃にはあまりに安くなって「消耗品」並みになってしまうので、現在では「農業製品」の側に属する商品と言っても過言ではないでしょう。このことが、現代では「どんどん売り上げが増えてその業種の羽振りが良くなる」というプロセスが生じない原因となっています。
 次に②ですが、一人の人間が「値上げ」しようとしても、同業者が追随してくれないと、自分だけ売り上げが落ちてしまって意味が無いわけですが、当時は農協がしっかり農家に君臨していましたし、食管制度というものもあったので、組織として値上げに踏み切るということができたのです。また商店については、昭和の当時は大店法というのがあって、個人商店がしっかり保護されていましたから、どんな商品も、駅前の商店街の特定の店から買うよりなく、複数の店による競争もなかったから「安心して」値上げができたのです。その後大店法が廃止されるに至り、「値上げ」したらスーパーに客を取られる個人商店は値上げもままならず、次々に廃業になり、駅前に大量の「シャッター通り」が出現したのはまだ記憶に新しいところです。
 このように、本質的な部分で昭和の当時と環境が大きく異なるため、物価が上がる要因がすべてなくなってしまったわけです。  (続く)

354 名前:mespesado 2017/11/05 (Sun) 16:08:43 host:*.itscom.jp
>>353
 さて、ここで書評に戻り、>>346 に掲げた個々の論点について論評していきましょう。
 まずはイギリスの、いくら「オカネを刷って」も、それは不動産の投機に向かっただけで、通常の消費財などに対してはインフレを引き起こさなかった、という件ですが、実は日本でも過去に同じことが起きました。言わずと知れた、1991~1993 に起きたバブルの崩壊で終わりを告げた、1986~1991までのバブル景気です。
 この期間は、既に高度成長は終わり、既にあらゆる消費財に対して供給力が需要を上回っていました。なので、基本的に経済は低成長に突入しており、投資の行き先は企業の設備投資には向かわず、不動産のような「供給が有限で増産することができないもの」に向かいました。そして、当時までは「不動産は決して値下がりしない」という不動産神話が信じられており、皆「安心して」不動産に投資しましたが、これはネズミ講と同じで、購入する気がある人が払える上限以上の値段になったら誰も買わないので、その値段になった瞬間にリターンのうまみがなくなるので投資の意味がなくなり、価格が暴落するわけで、これがバブルの崩壊です。そして、爾来、不動産といえども価格が下がることもあると皆が学習したため、自分が実際に住みもしない不動産に投資するブームも去り、純粋な需給関係で値段が決まるようになってからは、資産バブルが生じることも一切なくなってしまったわけです。なぜなら、特定の土地というステータスさえ気にしなければ、少子化により、土地など日本全体で見れば「余って」いるからです。
 このような環境変化を知れば、日本で嘗てのイギリスのような資産バブルなど生じないことはわかりきっていたことです。
 ただし、著者のもう一方の主張である「実物に対するインフレは生じない」という方は当たっています。 (続く)
355 名前:mespesado 2017/11/05 (Sun) 16:50:53 host:*.itscom.jp
>>354
 >>346 に掲げた次の論点は、「チーム・アベは『バブル製造装置化すると同時に、これまで、日銀が懸命に回避しようとしてきた『国債買い取り専門機関化』の道に大きく踏み出すことになる。」という著者の意見についてです。
 前半の『バブル製造機』になるというのは前稿で示したとおり誤りですが、問題は後半です。そもそも日銀は、なぜ嘗ては『国債買い取り専門機関』になることを懸命に回避しようとしてきたのでしょうか?
 それは、日銀が無制限に国債を購入すると言うことは、実質的に政府紙幣を発行していることと同じになる、もっとぶっちゃけて言えば、政府が自由にオカネを刷ることを認めることになるからです。
 これは、供給力が不十分な時代なら大問題です。なぜならそれこそオカネだけ勝手に増やせば、足りない商品の取得を巡ってセリになり、ハイパーインフレを引き起こすからです。一方で、政府は国民にいい顔をしたいので、オカネをなるべくバラ撒きたい。だからどうしてもオカネを刷りたい衝動にかられるわけで、それを牽制するために通常はオカネの発行権限を中央銀行に預けているわけです。
 ですが、あらゆる消費財の供給力が需要を上回った現在では、いくらオカネを刷ってもハイパーインフレになる危険はないのだから、このような牽制は不要であり、日銀が『国債買い取り専門機関』になって何が悪い?というわけです。著者の言う「中央銀行が政府のための金貸し業者と化してしまえば、経済的国家主義の横暴への歯止めがなくなる。」だの「中央銀行に独立性がないということは、その国の民主主義体制が脅かされるということにもつながるのだ。」などというのは単なる感情論に基づく難癖以外の何物でもありません。  (続く)

356 名前:mespesado 2017/11/05 (Sun) 17:10:05 host:*.itscom.jp

>>355

 >>346 に掲げた3番目の論点は、リーマンショック以降、世界が自国の通貨安を目論んで、量的緩和合戦をしてきたこと、しかしこの施策は外国にとっては通貨高になって輸出に支障をきたすので「外国に迷惑がかかる」から、欧米諸国はそれなりに外国に気配りをしながら量的緩和をしてきた。そして前日銀総裁の白川氏を欧米とともに節度を守ってよくやったと評価している点についてです。

 これは日本が円を無制限に供給すると、為替において円安になり、外国にとっては自国の通貨が(円に対して)高くなり、外国にとっては輸出に支障をきたすから迷惑ではないか、ということなんですが、確かに「供給力が不十分な国」が自国通貨を無制限に供給すると、その国の通貨はどんどん下落します。ですからその国に輸出しようとしている外国は迷惑を蒙るというのは確かです。しかし、日本は「供給力が十分高い国」なので、日本が円を無制限に供給して、それが外国人の手に渡って日本から何かを購入しようとしても、日本による商品の供給が滞ると言うことは無いので今までどおりの値段で購入でき、為替は変動することがありません。つまり一定以上の円安にはならないのです。これは国内でハイパーインフレにならない話と全くパラレルな話です。ですから、こと日本のような生産力が極度に高い国は、いくら通貨を大量に供給しても一定以上の通貨安にはならず、外国に迷惑がかかることもないのです。   (続く)

 

358:mespesado : 2017/11/05 (Sun) 23:24:55 host:*.itscom.jp
>>356
 >>346 に掲げた4番目の論点は、アベノミクス効果で「高額消費も増え始めた」と言われていることに対し、著者が「庶民の賃金は上がらずデフレも終わらない」だろうと主張していることについて。
 政府のアベノミクスに関する「表向きの」説明は、以下のようなものです。すなわち


① 今は景気が悪いが、それはデフレになって相対的にオカネの価値が上がり、人々がオカネを使わないからだ。そこでこれをインフレに変えることができれば、オカネの価値が相対的に下がるので、人はオカネで持っていると損だと考え、消費が増加するようになり、景気が良くなるはずである。
② デフレをインフレに変えるには、オカネの価値を下げればよいが、そのためにはオカネを「刷って」市場にジャンジャン供給すればよい。

というわけです。
 ところが著者は、確かにオカネの価値が下がるのはいやだから、何でも早めに購入しておこうとするだろう。でも必需品については生鮮食品などは買い溜めしておくことができないんだから、早めに購入しようとするのは値段の張る高額品だけで、庶民の生活には関係ない、として批判するわけです。
 しかしです。上記の①と②という説明を真に受けてはいけません。今まで説明してきたことからもわかるように、②がそもそも成り立ちません。つまりいくらオカネを供給しても、商品が供給過多なので物価の上昇がそもそも生じないからです。
 実は、オカネを「刷って」市場にジャンジャン供給すると、全く別の原理で景気が良くなるのです。つまり、オカネを市場に供給すると、経済活動はほぼ定常ですから、市場に流通するオカネの量はすぐ定常な量に戻り、残りのオカネの行き着く先は、家計や企業の内部留保になります。つまりオカネを「刷って」供給すればするだけ内部留保が増えるのです。
 ところで今の経済がなぜ不景気かと言うと、モノの売り上げが定常で伸びず、企業は定常な需要に対する同業他社とのパイの奪い合いになるので同業他社が画期的な新商品を出すと自社のパイが奪われ、最悪倒産の危険があるので、倒産リスクを回避するために内部留保を溜め込み、社員になかなか還元しないからです。
 そこでオカネを市場に供給すると、最後に内部留保が増えるので、それが企業にとって安心できる水準になったところでようやく社員に還元しようという気になる。また社会全体がそのようにして社員に還元し始めれば、社員の収入が増え、それまで将来が不安で消費したくても消費できなかった人たちが安心して消費できるようになり、企業の売り上げも増え、企業の経営者も、それなら設備投資や求人も増やそうか、という気になる、という形で次第に景気が良くなっていくわけです。そして現実にもこの理屈のとおりになって来ているわけです。
 ですから「インフレターゲット」云々は、実はオカネを市場に供給するための単なる口実に過ぎず、実際に景気が良くなる機序は以上のとおりなのです。ただ、政府がそれを最初から知っていて計画的に実行したのか、それとも最初は本気で①と②が機能すると思って走り出したら、思いもよらず上記の機序でたまたまうまくいったのか、は定かではありません。  (続く)
【追記 11.6】

373 名前:mespesado 2017/11/06 (Mon) 23:15:50 host:*.itscom.jp

>>358

 さて、>>346 に掲げた、Chapter1の残りの論点:

「デフレの押し付け合い」になる

「量は増えるわ、信認は低下するわ。こんな具合では、いつ、日銀券が 紙切れと化すか、解らない。」

企業のグローバル化に鑑み、「輸出企業といえども、円安が一義的・全面的にプラス要因だとは決して言えない状況になっている。」

「実物デフレ状態に何ら変化のないままで、資産インフレだけが洪水と化して猛威を振るう。そんな状態になりはしないか。」

についてはもう説明も要らないでしょう。

 ①は通貨安競争のことを言っているのですが、著者は自国通貨で外国通貨を購入する「為替介入」と、自国通貨をジャンジャン発行することで結果的に生じる通貨安をあえて混同しています。前者を露骨にやれば世界の顰蹙を買い、「おまえがやるならおれも」ということになるでしょう。でもアベノミクスがやっているのは後者の方なのです。自国通貨をジャンジャン「刷る」ことができる国は限られています。日本のように生産力が高い国にしかできません。なぜなら生産力が弱ければ、ハイパーインフレになってしまうからです。しかも既に説明したように、円安は一定のレベルで収まるので世界の顰蹙を買うところまで円安にはなりません。

 次に②ですが、何度も繰り返すようですが、日本は生産力が高いので、円の量が増えても円の価値が毀損することはないので、円が「紙切れ」と化すことはありません。

 これは③についても同じで、円安は一定の水準で収まるので、グローバル化した企業のマイナス要因も限られた範囲で収まるでしょう。

 ④も、既に説明したように、資産インフレは洪水どころか資産インフレ自体が起きないので杞憂です。

 以上、まとめると、著者が懸念するような事態はどれも発生しないし、アベノミクスが本来目指していたプロセス(インフレターゲット)は成立しないかわりに、別の機序で景気は向上する、ということがわかったわけです。

 さて、それではここで皆さんにクイズです。

 このアベノミクスによる「量的緩和」は一体いつまで続ければよいでしょうか?

 

 [回答案1] 財政赤字が膨らむから即刻やめるべきだ。

 いえいえ、「財政赤字」なんて概念は無いのでこの答はナンセンスであることは皆さんもうお解かりですよね。でも世間では、未だにこの回答案のように本気で考えている人が多数派なので用心が必要です。

 

 [回答案2] インフレターゲットの2%が達成できるまで続けるべきだ。

 これも × ですね。だってインフレ率が2%になんか到達することは未来永劫無いんですから。ただし、それをわかっていて、あえてこの線で行くという手はあります。つまり量的緩和を無期限で続ける口実にする、というヤツです。そして次の「正解」の条件が満たされた時点で「これ以上量的緩和を続けると通貨節度の点で問題がある」とか何とか宣言して量的緩和を終了させる、という政治的な手法として使うなら、この回答案2も十分アリです。

 

 [回答案3] 多くの国内企業が倒産の不安がなくなるまで十分内部留保が積み上がり、社員に還元してもよいと考える水準に達するまで。

 既に説明した、アベノミクスによる景気の向上が生じる機序を考えると、これが「正解」となります。ただ、その具体的なラインは、インフレターゲットのパーセンテージのような目に見える客観的な数値で表されるようなものではないので、その目標値を具体的に指標化したり数値で示したりすることは難しく、市場をよく観察して、そろそろ内部留保が十分積み上がっただろうと判断した段階で終了宣言した方がよいので、内容的には回答案3が正解だけれども、タテマエ上は回答案2の手法を使う、というのが政治的な回答としては正解であろうと思います。

 

 以上、アベノミクスの効果と功罪について、浜矩子氏の本をダシにして解説してきました。

 次は同書 Chapter の議論、すなわち財政出動の「中身」に対する考察に移ることにします。   (続く)

 


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めい

補論です。ドイツの立ち位置がよく見えるようになりました。

   *   *   *   *   *

376:堺のおっさん : 2017/11/07 (Tue) 07:19:01 host:*.ocn.ne.jp
>>373 メッさん
質問です。
>自国通貨をジャンジャン「刷る」ことができる国は限られています。
>日本のように生産力が高い国にしかできません。
日本以外に、自国通貨をジャンジャン刷ることができる国家は
日本以外ではドイツ、中国くらいでしょうか?
これらの国ではアベノミクス的な政策が有効でしょうか?

387:mespesado : 2017/11/08 (Wed) 01:01:48 host:*.itscom.jp
>>376
>> 自国通貨をジャンジャン「刷る」ことができる国は限られています。
>> 日本のように生産力が高い国にしかできません。>
> 日本以外に、自国通貨をジャンジャン刷ることができる国家は
> 日本以外ではドイツ、中国くらいでしょうか?
> これらの国ではアベノミクス的な政策が有効でしょうか?

 堺のおっさん様、するどい質問ありがとうございます。
 自由主義国家では確かに自国で(消費者のニーズを満たす品質を兼ね備えた)需要をまかなえるだけの生産力を持つのは日本とドイツくらいのものですね。
 ただ、ドイツは欧州通貨統合により通貨発行権を持たないので「自国通貨をジャンジャン発行する」ことはできないですが、そもそもドイツは金融緩和をしなくても、その立ち位置により経済的にはいい思いをしていますよね。
 そもそもベルリンの壁崩壊により、ドイツは旧東ドイツという生活水準が西より遅れていた「フロンティア」を得ることにより、需要が喚起され、丁度日本における戦後の復興~高度成長と同じパターンで経済が発展します。
東が西の生活水準に追いつこうという時期に、今度は通貨統合でメリットを享受します。どういうメリットかと言うと、欧州でドイツより経済的に弱い国々に輸出する際に、相手国が独自の通貨を使っていると、輸出が増えれば輸出する側が通貨高になって貿易黒字が緩和されるのに、通貨統合しているためにもとの単価のままでオイシイ思いを続けることができるからです。このアドバンテージのために、ドイツは驚異的に景気がよくなり、「税収」も自然に増え、「財政黒字」にさえなる始末です。今後はドイツがイタリアやギリシャに何らかの形で利益を還元すれば、欧州全体として経済発展が続くでしょう。ちょうど、日本において大都市の地方財政が黒字なのを、中央政府が一部吸い上げて「地方交付税」の形で地方の自治体に還元することで地方にも豊かさを齎すのと同じ理屈です。ただ欧州では「国」が違うので、そんなことまでしてなぜ弱い国を優遇するのか、という不公平感をどうするかという問題は残りますが。

 一方の中国ですが、共産主義国であるにもかかわらず資本主義を採用しているため、貧富の差が激しく、経済が発展したとはいえ、まだ貧しい人が豊かになる余地がある分だけフロンティアが残っているので、確かに鉄鋼などの基礎工業製品は供給過多になっているものの、未だ「高度成長」の最中にあると言っていいのではないでしょうか(そういう意味ではドイツも貧富の差は激しく、国内にまだフロンティアが残る点では同じでしょう)。ですから、日本のような意味で「オカネを刷る」必要はないものと思われます。中国でももっと経済が発達して「貧しい人がいなくなった」ら、アベノミクスのような施策が有効になるかもしれません。

 ところで「国内生産力が強い」わけでもないのに「オカネを刷る」ことで景気を良くしている例外的な国が一つだけあります。それは米国です。
 米国は、その通貨ドルが「基軸通貨」になっているため、例えば原油を輸入したい国は、自国の通貨を一旦ドルに換えて購入しなければならないため、常にドルに対する需要がコンスタントにあるので、いくらドルを「刷っ」てもドルが為替で暴落するのが防がれています。更に、米国債を買った外国は、米の軍事力で脅されて売却できないので、事実上外国にばら撒かれたドルを米国はタダで回収できてしまう、というアドバンテージも持っています。ただ、こちらは強力な軍事力を持つ中国が米国債を大量に持っているので米による軍事的な脅しが効かないし、更に、基軸通貨についても人民元がその役割の一部を奪い始めているので、状況次第では、米はドルの持つアドバンテージを失い、「オカネを刷る」ことによる利益を享受できなくなるかもしれません。

by めい (2017-11-08 04:31) 

めい

mespesadoさんの記事(『「アベノミクス」の真相』書評)がさらにつづきます。

   *   *   *   *   *

456:mespesado : 2017/11/12 (Sun) 09:53:33 host:*.itscom.jp
 『「アベノミクス」の真相』の Chapter2 の内容の要約です。
 安倍政権の財政政策は、民主党政権時にせっかく「コンクリートから人へ」、すなわちいわゆる「箱物行政」から「福祉」へと財政政策を転換してきたのに、安倍政権で再び「箱物行政」を増額し、生活保護は大幅に削減するなど、流れを元に戻そうとしている。また、防衛費も微増となっている。
 また、民主党政権時にせっかく「中央から地方へ」ということで設定された「地域自主戦略交付金」を廃止し、これも流れを元に戻そうとしている。
 2013年度の予算は前年より微減していると誇るが、国の借金は最悪記録を更新している。また、償還を迎える国債については借り換えではなく、将来に向けての借金返済の財源である「減資基金」を目先の借金返済のために使ってしまって国債発行高を抑えようとしている。
 また、デフレを脱却して経済が成長すると、金利も上昇するので国債という借金に対する利払いも増える上、国債相場の暴落により投資家の円離れを生む。だから金利上昇は避けたい。つまり安倍政権の成長戦略は無いものねだりの戦略である。
 租税政策については、麻生大臣の「10%超もありうる」という発言や「税率引き上げは景気に悪影響があるのでデフレが続いている現状ではなかなかそういう判断はできない」とする安倍首相の発言を見る限り、確固たる租税哲学を持っているように見えない。
 戦後の復興に対応した制度設計は時代遅れであり、新たな経済社会の姿に合致した租税制度の整備が必要。そして人々の多様な消費活動を対象に課税ベースを広げていくべきであり、消費税への依存度を高めていくのは当然であるのに、その議論を避けてきた。
 しかし消費税はその逆進性により弱者いじめの要素が強いので、欧州を参考にし、高額商品は高い税率、生活必需品には軽減税率を適用すべきだ。また、実際の納税に際しても、手間を省略する「簡易課税方式」だと租税制度としてかなりいい加減になるので、「原則課税方式」で行くべきだ。
 また、「一億総サラリーマン時代(=一億総中流時代)」に比べてに比べて所得格差が広がった今日、富裕層への増税を進めるべきで、法人税も引き上げて、彼らがけちけちとカネを溜め込む傾向に歯止めをかけるべきだ。
 また、生活保護の不正受給や年金生活者より生活保護者の方が収入が多いなどの点を捉えて生活保護費を大幅削減しているが、これは自助力なき者の生きる権利を保障する控除の理念に反し、知的後退である。聖書の教えにもあるように、「他人の報酬にとやかく言うべきではない」。

 以上です。ファクトベースの議論が中心だった Chapter1とは異なり、著者の思想がかなり色濃く出ています。一番最初の >>332 で紹介した両極端なアマゾンの書評の違いは、まさにこの章(と次の章)の主張に対するものです。
 このことも踏まえて次回から批評を行って生きたいと思います。

                          (続く)
by めい (2017-11-12 21:40) 

めい

続きです。財政赤字解消優先発想から解放http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-08-14されることで「国力増強」と「福祉増強」の両立が可能であることが説かれます。

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512:mespesado : 2017/11/18 (Sat) 12:10:12 host:*.itscom.jp
>>456
 浜矩子著『「アベノミクス」の真相』の Chapter2 の書評の続き。かなり間が空いてしまいましたが、再開したいと思います。
 もう一度、>>456 を読んでみてください。
 まずは予算の内容について。自民党政府がやっている「箱物行政」や「防衛費」か、著者の浜矩子氏が主張している「福祉」かということは、いわゆる「経済右派」と「経済左派」の対立になっています。
 前者の考え方は、要するに予算を産業振興や国力の増強に傾斜配分するということであり、明治時代の「殖産興業」「富国強兵」以来続く路線ですね。外国に支配されたり外国に「物乞い」したりしないで済むようにすることがその主な目的です。これ、「もう貧しかった明治維新の時代ははるか昔の話で、こんな公共投資減らしてもいいんじゃないか?」と思う人がいるかもしれませんが、それは単純すぎる発想です。↓の引用先のグラフをご覧ください。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5307
 日本以外の先進国は、(2009年頃のリーマンショック時を除き)公共投資は増やし続けているか、横ばいです。古くなったインフラにはメンテナンスが必要ですから、公共投資を減らすべき理由は無いのです。そんな中で、日本だけは、最近は底を打ってきたものの、今世紀に入ってからは、公共投資を減らし続け、民主党政権末期の野田総理(2012年4月当時)は「政権交代から2年半、民主党、連立政権に、まだまだ至らぬ点があることについて率直におわび申し上げます。しかし、公共事業費を3割以上削減するなど、政権交代前には決してできなかったことが次々と実現していることは紛れもない事実です」などと発言していることからもわかるとおり、それが何か「良いこと」のように世間では信じられているのです。
 これに対し、後者の考え方は、「生活保護」などを充実するという、最低限の「家計の収入」を保障するという「北欧の福祉国家」をモデルにした考え方です。国民一人ひとりが貧困に喘ぐのを防ぎ、まさに憲法第25条の言う「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことを保障することが目的です。
 さて、ここで問題なのは、「国力優先」か「福祉優先」か、二者択一だと素朴に信じられていることです。それは「財源は有限だ」と思われているからです。
 しかし、既に何度も繰り返し説明してきたように、「生産力の面で国力が充実している」限り、「財源など金日する必要が無い」のです。なぜなら「オカネは好きなだけ刷ればよい」からです。
 というわけで、「国力優先」か「福祉優先」かの二者択一ではなくて、両方同時に充実させればよいわけで、実に簡単な話なんですね。
 ですが、この簡単な話を実行するのには、実は大変根深い2つの障害があります。これを稿を改めて説明します。  
              (続く)

by めい (2017-11-19 05:53) 

めい

続きです。

   *   *   *   *   *

517:mespesado : 2017/11/19 (Sun) 09:00:14 host:*.itscom.jp
>>512
 さて、2つの根深い障害の内の1つ、それはオカネを刷ってばら撒くことによって「物理的に」生じる問題をどうするか、ということです。
 このオカネのばら撒き方、つまりどういう方法で、どういう分野にばら撒くかということは実は本質ではなくて、例えば特定分野に対する予算のバラマキ、黒田バズーカのような有価証券の買い取り、更にはベーシックインカムなど、何でもよいですが、これらを行った結果は、確かに経済に良い効果は齎しますが、高度成長期のような、あるいはバブル時代のような意味で「景気がよくなる」ことは無くて、単に企業や家計の内部留保が積み上がる、という結果を齎します。
 ちょっと脱線しますが、この「…のような意味で景気がよくなることはない」ということについて補足しておきます。
 まずは賃金の上昇について。私がしばしば引用しているツイートの人がこんなことを呟いています↓

https://twitter.com/mollichane/status/931157782908215296
> 人手不足と言われてるけど、まだまだこんなものじゃない。だってまだ就業
> 者数が増えてるんだもの。この人たちが全員職について、初めて本当の人手
> 不足になる。そしてその時に賃金上昇の狼煙があがる。俺が信頼するエコノ
> ミストは声を揃えてその数値を失業率2%前半という。現在2.8%。あと
> 一押し。

 この「人手不足になると賃金が上がる」というのは典型的な経済の初歩である「需要と供給の関係」を労働力の調達に対して当てはめた結果「導かれる帰結」ですが、残念ながら現代の日本ではそうはうまくいかないと思うのです。
 高度成長期だった昔の日本では、企業の収益は右肩上がりでした。なので、企業は収益が増えれば従業員の賃金をそれに見合うだけ引き上げても、そのことによって「将来の倒産リスク」が増大することは考えなくてよかったのです。
 ところが現代の日本では、収益の増減は全く不安定です。今年儲かったからと言って来年も同じだけ儲かるとは限りません。それどころか特段経営にミスがなくても、業界を巡る環境の変化で突然赤字になることだってあるのです。一方で賃金には下方硬直性があるので、一旦引き上げると下げることに対してはものすごい抵抗がある。具体的に言うと、同じ仕事をしているのに自分の責任でなく企業の都合で給料が下がると従業員はインセンティブを失い、労働生産性が落ちることはよく知られています。これに対し、企業経営が好調であっても賃金が上がらないことに対しては、雇用が維持されることの方が大事なので、不承不承でも従業員は納得し、それほど労働生産性に影響が及ぶことはないのです。
 以上の条件下では、企業はたとえ人手不足になったからといって安易に賃金を上げることはできないことになります。その結果、企業は日本人の賃金水準より低くても文句を言わない外国人労働者の雇用でしのごうとし、それもできない企業は倒産するしかなくなります。従って賃金が増やせるのはよほど安定した大企業で、しかも内部留保を潤沢に溜め込んだ企業のみとなります。ただし、「入り口」のところ、すなわち採用時の給与は労働力の需要と供給の原理で多少上がりますが、採用後はなかなか給与は上がらない状態が続くことになります(ですから、給与水準の引き上げですらこの有様ですから、賃上げが引き金になって経済界に連鎖的に生じるはずの穏やかな物価上昇など夢のまた夢ということになりますね)。
 以上のことは家計の消費についても全く同じです。給料が増えない、自分の勤める企業の経営が傾いていつリストラに合うかわからない、年金もいつまで持つかわからない、ということであれば、支出が固定的に続くローンで家や車のような高額を購入するのも躊躇せざるを得ません。それどころか将来が不安なので一生懸命貯金を増やそうとするので通常の消費も伸びません。
 要するに、オカネをばら撒くことで改善するのは雇用の改善、つまり「失業率の減少」と、あとは余裕のある企業の「初任給のアップ」やバイトの「自給アップ」のような分野に限られ、多くの人がイメージしているような、中堅サラリーマンの賃金がグングン上がったり、ハデな高級品を買い漁ったり、接待攻勢で銀座の繁華街が盛況になったり、というような意味で「景気がよくなる」ことは今後は期待できないということになります。
 別スレ( http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15680247 )で今盛り上がっている話題も、この事実を物語っているものに他なりません。
 ちょっと脱線が長くなりましたので、内部留保が増えることで生じる問題については次稿で。                         (続く)


519:mespesado : 2017/11/19 (Sun) 11:01:14 host:*.itscom.jp
>>517
 さて、内部留保が増え続けることによる(物理的な意味での)弊害について考察します。
 国内の大半の(良心的な)企業は、まずは企業の経営が安定的に継続することを最優先で経営方針を定めます。従って、安易に給与を引き上げる前に、できるだけ内部留保を充実させようとします。
 しかしながら、それではどれだけ内部留保を充実させたら満足するのでしょうか?
 来年の収支が不安だから、1年分の(従業員の給与を含む)企業運営コスト?
 いやいや、再来年だって経営がどうなるかわからない。
 それじゃ2年分の企業運営コスト?
 いやいや、再々来年はどうなるかわからない。
 それじゃ3年b運の企業運営コスト?
 いやいや、…。切りがありませんw
 そういうわけで内部留保はどんどん積みあがってしまいました↓
https://mainichi.jp/articles/20161106/k00/00e/020/165000c
 こんな状況にもかかわらず、一向に給与引き上げを行わない経済界に対して痺れを切らした麻生大臣が2015年の生命保険協会の新年賀詞交換会のあいさつで「守銭奴みたいなものだ」と発言したのもむべなるかな、というところです↓
http://www.sankei.com/politics/news/150218/plt1502180032-n1.html
 でも、そうは言っても経営の維持についてすべて自己責任である経営者にとっては、いくら国(最近は経団連も同調する気配が見えますが)が「勧告」したところで、「はい。わかりました」とはなかなか言えないのも理解できます。
 さて、問題は、このような「良心的な」企業や「良心的な」家計ではなく、「悪意」と言って悪ければ「野望」を持った企業や個人です。特に外資の場合はスケールが違うので注意が必要なのですが、内部留保の積み上がり方は、当然個々の企業や個人によってバラツキがあります。なので、ある企業がまだまだ足りないと思っている中で、天文学的に内部留保を積み上げた「野望を持つ企業」は何を企むか?
 一昔前なら「買占め」で値を吊り上げるという悪質な企業が横行したこともありました。しかし今日ではこのような行為は世間の非難を浴びるし、そもそもあえて「限定販売」で希少価値を企む商品(最近は「限定販売」など企画してダフ屋が横行しようものなら「限定販売」にした企業の方が叩かれるご時勢です)以外は昨今の高い生産力によってそもそも「品薄にならない」んですから、買占めの意味がありません。
 今日の世界では、オカネは国境を自由に通過するので、問題は外国に流れたオカネの方です。海外は日本のようにぬるま湯ではなく、「何でもアリ」の世界ですから、国内で溢れて海外に流れた円を積み上げて、これらをもとに、日本の優秀な技術者をスカウトしたり、日本の技術力の高い企業に(私利私欲に基づく)敵対的買収を仕掛けたり、果てはカネの力でスキャンダルを仕掛けて株価を暴落させた上で買収したり、とにかくカネの力にまかせて日本企業の生産力の源泉を根こそぎ奪う企みが行われるリスクが増大すること、これがオカネをじゃんじゃん刷りまくることによる最大の懸念事項です。これは国内で企業活動をしている外資資本の度合いが高い企業についても同じ懸念があるので、単に円が国境を越えることだけ防げばよいというものでもありません。
 それでは、ということであまりに溜まり過ぎた内部留保は一部を国が取り上げる、というようにしたら?という考えもあるでしょう。今回の選挙前に希望の党が公約に盛り込もうとした「内部留保課税」がその例です。
 しかしこれは、海外に資金を逃避させるインセンティブを増やすだけですからあまり効果はないでしょう。それだけでなく、内部留保に課税すると、株主の持っている価値が毀損されるからけしからん、という非難もあります(ちょっと難癖っぽいですけどね)↓
http://toyokeizai.net/articles/-/192702
 それでは一体どうすればよいのか?それについてはまた稿を改めて論じたいと思います。                         (続く)

522:mespesado : 2017/11/19 (Sun) 16:17:06 host:*.itscom.jp
>>519
 もちろん、政府もただ手をこまねいているわけではありません。
 実際、法人税の増減を絡めたアメとムチによって企業に内部留保を吐き出させようとする試みはいろいろ検討されているようです↓

賃上げ・設備投資に消極的企業には法人税優遇取り消しも 政府・与党検討
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171119-00000047-san-bus_all

>  政府・与党が、稼いだ利益を賃上げや設備投資に十分振り向けていない
> 企業に対して、法人税の軽減措置を縮小したり、取り消したりする制度を
> 検討していることが18日、分かった。一方、賃上げや設備投資を増やし
> た企業の税負担を一段と軽くする措置も拡充する。企業がため込んだ内部
> 留保を投資に回るよう促し消費拡大につなげる狙い。

 ただ、これらの施策は、企業にとっていかに法人税が軽減又は加重されるかというだけですから、その大きさはともかくとして企業にとって「負担」の話でしかないわけです。それに、内部留保を従業員に還元しないのは、何も経営者がケチっているわけではなく、将来が不安だから溜め込んでいるだけなのですから、内部留保を無理やりそうやって吐き出させられたら、その吐き出さされた分だけまた溜め込もうとするでしょう。つまり、別に悪いことをしているわけではないのにムチが飛んでくる、というのでは、経営者からしたら国の方針に従うも地獄従わないのも地獄、というわけで、これではたまったものではないでしょう。
 そこで、「税金」という概念に囚われない、もっと柔軟な考え方ができないものか考えてみます。
 もう既に口が酸っぱくなるほど繰り返してきたことですが、税金(国税)は「国家の収入」などではなく、単に「国家が発行している通貨の回収」に過ぎないことを思い出しましょう。あ、ちなみに↑こういう考えは、私だけが主張しているわけじゃなくて、他にもちゃんと気付いている人はいます。例えば

①税金とは何か
https://ameblo.jp/reisaiouen/entry-11901640436.html

>  税金は、インフレを防止するための貨幣の回収手段の一つでしかありま
> せん。税金が政府支出の財源になっているとか、税金で福祉を賄っている
> とか思ってしまうのは早合点というものです。

 (中略)

>  考えて見れば、貨幣と言うものは、もともと政府が印刷して国民経済に
> 提供しているものです。政府は貨幣をいくらでも作り出せます。たとえ税
> 収が少なくても、国債が売れなくても、政府は貨幣を印刷して支出するこ
> とが出来ます。物価や為替相場の変動を気にしなければ、普遍的な財源は
> そこにあります。
>  言い換えれば、普遍的な財源として、通貨発行権を行使するときは、物
> 価や為替相場だけを気にしていれば良いのです。
>  政府の収支を注視し、財政均衡を守ろうとする規範を財政規律と言いま
> すが、財政規律は、もともと政府支出を税収に関連付けようという、財務
> 省の省益のための政治的な印象操作の一つに過ぎません。

 わはは。最後は財務省の企みまで暴露してますが、要するにそういうことなわけです。
 となると、何で税金を課すかというと、オカネが増えすぎるのを防ぐためですね。で、なぜオカネが増えすぎるといけないかというと、上のブログの人はインフレを防止するためと書いていますが、それすら現在の日本では誤りで、正しくは「内部留保が増えすぎた人がワルサをしないため」でしかありません。
 ということは、税金なんて制度はやめちまって、かわりに「溜まり過ぎた内部留保でワルサができない」ようにできさえすれば、税金でない別の方法でもいいわけです。
 ここで、以前にてげてげの記事が発端で、ここ『放知技』で話題になった、「国家資本主義」の話を思い出してみましょう。これは、国家が企業の株を購入することによって株主になり、その株主配当を国家が受け取る、という話でした。これだと税金のように「シブシブ取られるもの」ではなく、企業の方が「株に投資してくれたお礼に自主的に支払う」ものですから、同じ通貨の回収でも税金による支出と違って企業にとっては、他の株主に対する支出と同じで「名誉ある」支出ですから、これを「回避する」理由はありません。ただ、株主配当はわずかな額だし、国がすべての企業の株主になっているわけでもないので、これでもって法人税に置き換えるのはムリです。
 そこで、これの「逆」を考えます。国家が株式会社のように「株」を発行して、それを企業に強制的に買わせるのです。買わせる額はとりあず現行の法人税額程度でいいです。そしてこの「株」に対して毎年企業に「株主配当」を国が払うのです。法人税なら取られて終わり(つまり企業の資産がその分だけ減る)ですが、これならその「株」は将来の「配当」を受け取る権利として値が付きますから、企業の「資産」とみなすことができ、貸借対照表上は企業は何も損をしません。これなら企業は喜んでその「株」を買うことでしょう。しかもその「株」を購入した分だけ「現金」というか「流動性の高い資産」は減るわけですから、その分でワルサをすることもしにくくなります。
 あるいは「税金」のかわりに「一時預かり金制度」のようなものを作って、何年後かに国が企業に返還する、というのでもよいでしょう。そのかわり、あたかも銀行の定期預金に付随する「預金担保貸付制度」のように、企業がもし窮地に陥った場合は、「一時預かり金」の範囲内で、国から「貸付」を受けることができることにするのです。ただしその使用目的は審査され、不当な利用目的の場合は認可されない、とかにするのです。そして万一企業がその貸付金を返せない場合は最後の返還金から控除されるようにするのです。
 とまあ、いろいろアイデアはありうるでしょうが、要は企業に税金のような負担感を与えないで、かつ将来の不安にも対応できるような、「法人税」に代わる新しい制度を構築する、というのは十分検討の余地があるのではないでしょうか。まあ、財務省は徹底抗戦するでしょうけれど、国民みんなが税の本質に気付いてしまえばこのような制度を導入することは不可能ではないと思うのです。                            (続く)

by めい (2017-11-20 05:57) 

めい

続きです。
《「財政黒字」より「財政赤字」の方が、経済がより発展した段階にある》!

   *   *   *   *   *

541:mespesado : 2017/11/21 (Tue) 00:19:17 host:*.itscom.jp
>>540
 「財政黒字」で思い出しましたが、「財政黒字・赤字」とか「貿易黒字・赤字」について一言コメントしておきたいと思います。
 財政収支も貿易収支も、それが黒字だから良くて、赤字だと国家が「破綻」する、というものではありません。財政収支の方はさんざん説明してきたことですからわかると思うのですが、それじゃあ貿易収支の方は何か、というと、「国内生産力の強さを示すバロメータ」の一つであると看做すことはできます。つまり、輸出超過なら国内生産力が強く、輸入超過なら国内生産力が弱い(だから国民はやむなく輸入品を求める)、というわけです。
 それでは、ということで、財政収支の方にも無理にでも意味を持たせようとするのであれば、財政黒字というのは「供給不足が解消しつつある局面であり、経済がどんどん右肩上がりの局面にある」という証拠であり、財政赤字というのは「供給が需要に追いついて経済が定常状態に移行した」という証拠になる、ということでしょうかね。ですから「財政黒字」より「財政赤字」の方が、経済がより発展した段階にある、というちょっと逆説的な結論になっているわけですね。

542:mespesado : 2017/11/21 (Tue) 00:48:32 host:*.itscom.jp
>>529 joyerさん wrote:
> 安倍政権の負担増政策は、低所得者よりも、むしろ、
> 年収1000万円前後の子育て層に、ものすごい負担を
> 与えていることが特徴です。

 これについては、そのものズバリのタイトルで大和総研の調査結果が報告されていますね↓

年収1,000万円前後の層に負担増が集中する
https://www.dir.co.jp/research/report/law-research/tax/20140128_008144.html

それによると、

> ◆大綱では、現在245万円である所得税の給与所得控除の上限を、平成28
>(2016)年分の所得税から230万円に、平成29(2017)年分の所得税から220
> 万円に縮小するとしている。これにより、年収1,000万円超の給与所得者は
> 増税となる。

> ◆消費税率の引き上げに際して1人あたり1万円(または1.5万円)を給付す
> る「簡素な給付措置」は、現役世帯では、収入が少ない世帯というよりは、
> むしろ母子世帯・失業中・休業中などの「困難を抱えている状況にある世
> 帯」が主な給付対象になりそうである。一方、公的年金受給者は平均的な
> 年金受給額でも給付対象になりそうである。

> ◆子育て世帯には子ども1人あたり1万円の「児童手当の臨時増額」が行われ
> るが、児童手当の所得制限となる世帯(片働き4人世帯で年収960万円以上)
> は対象外である。また、平成26(2014)年度以後に入学する高校生からは高
> 校無償化にも所得制限が行われ、その目安は片働き4人世帯で年収925~930
> 万円程度である。

> ◆今般の改正では、総じて、片働きで世帯年収1,000万円前後の層に負担増
> が集中している。

 要するに、「典型的なかわいそうな人」を救済しようとした結果、家計は大変だけれどもその大変さが「典型的ではない」人たちがあおりを食った、ということでしょうね。
 実は「貧しい人だけを救済する」という政策は、どんなに巧妙に計画しても、必ずこういう隙間に落ちた」というか、あおりを食う人を生んでしまいます。ですからベーシックインカムのような「全員一律に」救済するほうが漏れが無くてよいのですが、これは件の連載の中でも論じようと思っています。

by めい (2017-11-21 05:45) 

めい

つづきです。

   *   *   *   *   *

551 名前:Poko 2017/11/21 (Tue) 23:12:23 host:*.au-net.ne.jp
>>541
メスさん
お晩です。いつも楽しく読ませてもらってます。
ただ、財政収支以降の内容がちっと理解できません。
もちっと詳しく説明してもらえますか?
よろしくお願いします。

552 名前:mespesado 2017/11/22 (Wed) 00:05:20 host:*.itscom.jp
>>551
 財政収支と言うのは、税収からばら撒いたオカネの量を差し引いた差額のことですよね。
 これが黒字ということは、ばら撒いたオカネの量よりも税金として回収したオカネの方が多いということです。これだけだと市中に流通するオカネの量は減ってしまうはずですが、それは経済活動が衰退しているということを意味するので、それだと税収も激減するはずですから、そんな経済環境で税収がばら撒いた額より多いままでいるということは普通はありえません。
 ということは、ばら撒いたオカネの量よりも税金として回収したオカネの方が多いにもかかわらず市中のオカネの量は増えていなければなりません。そしてそういうことが起きるのは、「信用創造」によってオカネが増えている場合に限るわけで、これは企業が借金を増やしていることを意味しますから、それは設備投資に資金をつぎ込んでいる、つまり増産が必要であることを意味し、それは供給が需要に追いつこうとして経済活動が活発になっていることを意味するわけです。
 財政赤字はその逆ですから、経済は停滞し、設備投資は控えている、という状態を意味します。これはもう供給を増やす必要が無い、すなわち供給が需要と均衡が取れた定常状態にあることを意味します。
 このような説明でよろしいでしょうか?

by めい (2017-11-22 05:51) 

めい

つづきです。mespesadoさんの言説は「意識革命」を先導しています。以下,その面目躍如の文章です。これがイハトビラキなんだ、とつくづく思います。外から変わるのではなく内から変わるのです。

   *   *   *   *   *

574 名前:mespesado 2017/11/25 (Sat) 01:01:35 host:*.itscom.jp
>>522
 さて、またしても間が開いてしまいましたが、浜矩子著『「アベノミクス」の真相』Chapter2 の書評の続きです。>>512 の最後の問題提起に戻り、オカネを刷ることにより「国力優先」と「福祉優先」を共に実現するに際しての2つ目の根深い障害について解説します。
 それは、人々の意識、特に「道徳心」の問題です。今の経済のルールは、有史以来高度成長期までの、供給不足の世の中における常識がそのまま国民の経済に関する倫理を形作っていて、現在の経済環境において最適な対策を実施しようとしても、人々の意識がそれについていけないのではないか、という問題です。
 その一つは、財務省がそこに漬け込んで国民洗脳のツールと化している、いわゆる「財政規律」という「道徳」です。
 つまり、国家の財政を家計の財政と同一視して、税金を「国家の収入」、予算の実行を「国家の支出」とみなして、その差額を「国家財政の収支」とみなして、家計と同じく「国家財政を赤字のままに放置しておくと、やがて国家が破綻する」と信じ込んでいることです。家計で赤字を放置すれば家計が破綻することは、深く考えなくてもあまりにも明らかなことなので、「国家財政」の問題に対しても、ほとんどの人はここで思考停止しています。
 「国の借金」という言葉だってそうです。これは国債の残高のことを言っているのですが、確かに「借金」という言葉を「オカネを他人から一時的に受け取り、(定められた期日がある場合はその期日までに)利子をつけて相手に支払う約束」のことであると定義すれば、国債の発行は確かに「国の借金」です。ですが、普通の借金の場合は自分でオカネを作れないんだから、オカネを稼ぐなり何らかの苦労をしなければ「借金が返せない」はずですが、国の場合は通貨発行権があるのだから、国債の償還日を迎えたら、オカネを「刷って」相手に渡せばよい。もちろんお札、すなわち日本銀行券は日銀にしか刷れないから実際は国は新たに同額の国債を発行して日銀に引き取らせて、かわりに同額の日本銀行券を日銀から受け取る、という手続きを踏むわけですが、それで終了です。国は何も「オカネを稼い」だりする「苦労」は要りません。
 「そんなのズルイ!」という人がいるかもしれませんが、別にズルくなんかありませんよね。だってそういうことをしているのは特定の「人間」じゃなくて「国」という「機構」なんですから。そして、その「機構」は誰の私物でもなく、国民全員の「公共物」なんですから。
 人間は動物であり、人間がまだおサルさんだった頃は「国」なんていう抽象物はなかったので、「国」は「人間」とは違う、となかなか割り切って考えることができないのが人間の悲しき性(さが)なのですね。
 昔、私が子供の頃、「バンカース」というボードゲームがありました(
今もあるかもしれません)。このゲームは、参加者が予め一定のオカネを所持した状態からスタートして、サイコロを使って上がりの無い双六のようなボードを移動しながら、土地を買ったり互いにいろんな売買取引をしてオカネをお互いや銀行から受け取ったり支払ったりして、破産した人が次々に抜けて行って、最後に残った人が優勝、というゲームなのですが、最初に参加者の中から一人だけ「銀行家」の役を選んで、その人は競技自体には参加せず、競技者それぞれと銀行とのオカネのやり取りだけをする「審判」みたいな役なんですが、ゲームの取説に「銀行はオカネが無くなったらポーカーチップ等で補填し、銀行が破産することはありません」と書いてあり、それを読んで誰かが「銀行、ズルい!」と叫んだことを覚えています。
 要するに、全員のために特別な役割を果たす「例外者」を人工的に決めて、その例外者だけ特別扱いをする、という約束に人間と言うのは慣れていないのかもしれません。そういえば、国の長でも、「天皇」や「王」のように、最初から「一般庶民とは身分が違う」者がその役割を担っている場合は誰もズルいなんて思いませんが、直接選挙もしくは間接選挙で選んだ総理大臣とか大統領とかが「特別」な「いい思い」をしてるなんてニュースがあると、とたんに「ズルい」と文句を言う人がいっぱい出てくる(モリカケ騒動なんてその意識を悪用した典型的な似非スキャンダルですよね)のも同じ原理によるものでしょう。        (続く)

576 名前:mespesado 2017/11/25 (Sat) 01:57:09 host:*.itscom.jp
>>574
 道徳心にまつわる2点目は、「勤労の義務」とでもいう意識、もっとわかりやすく言えば「働かざるもの食うべからず」という道徳倫理です。
 この言葉自体は、確かソ連の共産主義革命で有名になった言葉ですが、そもそもは新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節にそのような趣旨の言葉があるようです。
 とりわけ西洋ではそうですが、労働というものを「苦役」と捕らえており、人間が消費をするためには誰かが生産活動に精を出さなければ消費できません。そして産業革命前までは、生産活動というのはとにかくハンパない肉体労働の連続であり、「できればやりたくないもの」だったわけです。だからこそ、古代のギリシャやローマではこのような労働は奴隷にやらせ、一般民は労働の苦役から逃れてきたのです。
 そして、産業革命以降は、大量生産が可能となり、人間は辛い労働からは開放され、ハッピー!…になるはずでしたが、歴史はそのような一直線には進みませんでした。まず資本家たちが大量生産でボロ儲けができることからカネの亡者となり、従業員をこき使い始めます。いわゆる「女工哀史」とか「蟹工船」とかは有名ですね。それと同時に、こうして財力を貯めた「平民」たちが、国家権力のような権力にも食指を伸ばし、当時政治権力を持っていた王侯貴族を「奴らはたらふく食っている」などとルサンチマンを刺激して当時の一般庶民をそそのかして「市民革命」を起こしたりしました。
 まあ、「市民革命」の方は、そのおかげで近代民主主義という思想が芽生えたので無駄ではなかったのですが、それにしても産業革命のおかげで人類は労働の苦役から解放された、という素直な進歩には一直線には向かわず、多くの犠牲を生んだ屈折した歴史を経由しなければならなかったのはなぜか。それは、人類にとって、「産業革命以前」の時代があまりにも長く続いたため、「人間が消費活動をするためには生産のための労働が必要であり、その労働は(産業革命前なのですべて人手に依存するから)非常な苦労を伴う。だからこの苦労を避けようとする者に対しては厳しく糾弾しなければ社会全体として生産が維持できない」という環境に、あまりにも適応しすぎた、ということが原因でしょう。このために、「楽をすることはいけないことだ」という道徳が当たり前のように社会に浸透してきたのでした。
 その結果、「弱者救済」制度についても「みんな稼ぐために苦労してるのに、国から生活費をタダで支給されてるなんてけしからん」という意識がちょっとしたはずみですぐに顔を出すようになるのです。ブラック企業が蔓延するのも同じ意識が世の中にあることがそもそもの原因でしょう。
 これに関しても、ちょっと面白い話が Yahoo!知恵袋に出てたので紹介し
ます:自分でマクロを組んで仕事をする新入社員をどう思いますか!?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1132734326
> 自分でマクロを組んで仕事をする新入社員をどう思いますか!?
> 私は大手電気機器メーカーに勤めています。
> この前、私が勤めている事業部の10月までの営業成績表を作るように新入
> 社員に指示したんですよ。
> 勿論これは膨大な作業量だし、ミスも出やすい仕事です。
> 新入社員にはかなりきつい仕事かなと思いましたがまぁ経験を積ませてお
> くのも上司の役目だと思って一番信頼できる新入社員(以後K谷)に任せ
> ることにしました

> 仕事を頼んで2時間後、やはり心配になったのでK谷の元へ確認に行きまし
> た。
> 俺「がんばってるね。どこまでやったかい?」
> K谷「いやぁ、思ったよりはかどってます もう半分近く終わりましたよ。」

> は?事業部の数十人もの人間の1年近くの成績を一つ一つ計算していかなけ
> ればならないのです。
> ベテランが寝泊りして働いても数週間はは確実にかかる。
> ましてや新入社員が2時間で半分など絶対にありえるわけがない

> 不審に思いこっそりK谷の作業の様子を覗いてみることにしました。
> 驚くことにK谷は自動でほとんどの計算をやっていたのです。
> 怒りに震えながらK谷を問い詰めました
> 俺「どういうことなの?これは」
> まぁそこそこできる新入社員のことです。 卑怯な真似をして申し訳ありま
> せん、最初からやり直させてくださいと頭を下げてくるのかと思いました
> が、 私は耳を疑ってしまいました。
> K谷「ああ、自動で計算するプログラムを組んだんですよ、マクロって言います。
> こっちでやった方が作業効率も上がるしミスも減ると思いまして、何か問
> 題だったでしょうか?」

> ・・・・・・・・・・はぁ!?会社舐めるのもいい加減にしろよ、
> 仕事が早いというのは同じ環境でどれだけ間違いがなく効率よく作業がで
> きるかということ、
> そんなの社会人としてというか人として当たり前のことです。
> マラソン大会で一人だけ車を使って優勝してもそんなの評価されていいわ
> けがない。
> お前のやっていることは犯罪に近いことだし、そんなズルして作った資料
> に意味などあるわけない、最初からやり直せ、と
> 我を忘れて怒鳴り散らしてしまいました(この部分は少し反省)

> ゆとり教育を受けてきた人間は、善悪の区別もつかないのでしょうか?
> 皆さんはこのような若者をどう思いますか?
> 勉強以前に人としての常識を教えることを何故疎かにしてしまったんでし
> ょうね、国は

 まあ、これはさすがに創作のネタ投稿だと思いますが、現実の社会でもここまで酷くなくてもそういう考えをしがちな人って結構いるような気がします。
 さて、経済の話からかなり脱線してしまいましたので話を元に戻します。
 産業革命以降、特に最近では技術の進歩が著しく、生産活動はほとんどロボットなどの機械が行うようになり、今度こそ本当に人類は「苦役」から解放されつつあります。だから現代人は生産のための労働はずっと楽をしてもよいはずなのです。それどころか仕事から解放された人が少しぐらい増えたって生産活動に支障をきたすことなどないはずなのです。なのに、仕事もせずに生活することを「道徳的に悪いこと」だと考え、あげくはそういう人のことを非難し、生活「できないようにする」ことが正義であるかのように考えるのは、現代の環境を考えたら明らかに不合理なはずなのですが、人類はまだそのような、労働に対する道徳心について、考え方の切り替えに成功していないようです。

                               (続く)
by めい (2017-11-25 06:08) 

めい

今日、熊野大社の秋祭(新嘗祭)に行ってきました。「献杯のご発声を」ということで、今朝書いた「天人一体となった放射能からの解放ドラマhttp://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-11-25」をマクラに、昨年のトランプさんの登場以来世の中が明るい方向に向かっていることを語り、
「さらに明るい未来へ向けて献杯」してきました。(それに何と言っても
今年の暮れ、わが熊野大社が「ゆく年くる年」に登場して全国に鐘の音を響かせるというのがすごい!)そして今読んだ今日のmespesadoさんの文章、ほんとに気持ちが明るくなります。
《根本に立ち返って考えれば、何も途方に暮れる必要は無いわけで、経済成長が鈍化したのは、別に労働者が怠けたからではなく、供給が需要に追いついたからに他なりません。で、これ、実は驚くべきハッピーなことなわけです。なぜなら供給力が余りまくっている、ということですから、人類の長年の理想であった「国力増強」と「福祉」を、両方ともしかも十分な規模で実行できるようになったんですよ!何を悩む必要があるんでしょうか。あり余る労働力を思い切り「国力増強」と「福祉」に振り分ければよい。実に簡単なことです。なのにどうしてそれができないのか?》

   *   *   *   *   *

577:mespesado : 2017/11/25 (Sat) 10:55:06 host:*.itscom.jp
>>574
 さて、ここで最初の問題である「国力優先」と「福祉優先」を共に実現する話について、例によって本件にまつわる経済活動から「オカネを消去して」考えてみることにしましょう。
 高度成長以前の科学技術が未熟な時代には、国力増進、すなわち農業・工業の生産力の維持拡大や国防の充実には、それこそ膨大な労働力が必要でした。つまり、工場による生産とはいえ、流れ作業の各工程に張り付いて長時間にわたる単純労働に専念させられる工場労働者や、国防とはいえ兵隊の物量に依存するため大量の兵役に付く人間を必要とするため「国民皆兵」まで必要とされる時代にあっては、人間の労働力の取り合いが生じて、他国に攻められてすべてを持ってかれたら元も子もないですから、まずは国防が優先となるので、兵役や軍需産業に携わる労働力が最優先され、民需産業は後回しです。なので、国民の生活に密着する消費財の生産は不十分で、こんな時代に「ゆとり」とか言っていたら「ふざけんな!」と罵声を浴びるでしょう。ですから、すべてにリソースをさけるような状況に無かったわけで、「国力優先」か「福祉優先」かどちらかを選べ、ということにならざるを得ず、この場合は前者が優先、ということになったわけです。
 次に訪れた時代、つまり2度に渡る世界大戦で戦争に疲弊した世界では、国力のうち軍事に関しては、もう戦争はこりごり、そして東西冷戦の「集団的自衛」状態のもと、大国で余裕のあるアメリカにまかせておき、他の国は軍事以外の国力の増強だけに専念すればよくなりました。そのため、労働力のリソースを民需に振り分けることができ、国民生活が豊かになり、心に余裕が出てきたのです。そこで、豊かになった世の中から落ちこぼれたような「気の毒な人」にも目が行くようになり、「福祉」にも労働のリソースを振り分けよう、という考えが芽生え始めます。かつての英国の「ゆりかごから墓場まで」という厚い生活保障はそのような流れの一環でした。しかしこの場合でも注意しなければならないのは、技術の進歩は昔に比べれば驚異的に進歩したとはいえ今の目から見るとまだまだ不十分で、労働力のリソースをすべての「国力増強」とすべての「福祉」に振り分けるには不足していたので、やはりどちらを優先するか、という問題は残りました。
 さて、ここで発生した世界の「迷い道」、その最初のものが「共産主義」でした。これは、労働力のリソースを「福祉」に優先的に振り分ける、という方策です。ただ東西冷戦なので軍事へのリソースを避けることはできず、残る民生用の産業があおりを受けました。そのため国民生活は豊かにならず、せっかく福祉を重視しても、土台となる基本的な生活水準が低いままでは国民の生活は落ちぶれていく一方です。結局(純粋な)共産主義は破綻し、東西冷戦も終わりました。
 続いて訪れた「迷い道」、それが新自由主義の台頭です。高度成長経済とは、今にして思えば「供給不足が解消していくプロセス」以外の何物でもないことがわかっていますから、こんな状態は供給不足が解消すれば終わってしまうのは自明ですが、当時は高度成長は何か人類の進歩の象徴くらいに思われていて、この状況が未来永劫続くもの、と勘違いされていましたか。ですから、成長が止まり、低成長の世の中に変化していく中で、人々はその原因を測り兼ねていました。そして熟慮の上考え付いた「原因」は「福祉が行き過ぎて労働者が怠けるようになったから成長が鈍ったのだ。福祉なんか削減してしまえ!」という、誤った原因分析による誤った解決策です。
 この考えを最初に実行に移したのがサッチャーのイギリス、そしてアメリカのレーガン、そして最後に日本の小泉純一郎です。彼らはは「競争力の強化」のために規制や貿易の障壁を次々に撤廃していきました。その結果、貿易は拡大して経済活動は華やかになりましたが、反面弱肉強食が厳しくなり、その脱落者が増え、その負の面が明らかになり、この新自由主義の考えは下火になり、全くはやらなくなってしまいました。現代という時代は、「それじゃあ我々は一体どうしたらいいの?」と途方にくれている時代ではないでしょうか。
 でも、根本に立ち返って考えれば、何も途方に暮れる必要は無いわけで、経済成長が鈍化したのは、別に労働者が怠けたからではなく、供給が需要に追いついたからに他なりません。で、これ、実は驚くべきハッピーなことなわけです。なぜなら供給力が余りまくっている、ということですから、人類の長年の理想であった「国力増強」と「福祉」を、両方ともしかも十分な規模で実行できるようになったんですよ!何を悩む必要があるんでしょうか。あり余る労働力を思い切り「国力増強」と「福祉」に振り分ければよい。実に簡単なことです。なのにどうしてそれができないのか?
 その答は、私が過去にも何度も繰り返し主張しているような、「従来の経済の仕組み(オカネの仕組み、と言ってもよい)」に加えて「従来の労働に関する倫理」が、現在の経済環境に適さなくなってきたから」に他なりません。                       (続く)

by めい (2017-11-25 17:42) 

めい

つづきです。
子どもが相手の保育の仕事はマニュアルが効かない分だけやりがいを見出せる仕事のように思います。以前、「保育士不足問題を『経済第一』で割り切らせてはならない」http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-12-23という記事を書いたことがありました。保育の仕事と介護の仕事を同質化して、保育の現場も「大変さ」のみが強調される最近の傾向です。給料は安くても子どもの成長と共にあるよろこび、私立の幼稚園はそうした教職員に支えられてきたのですが、若い世代には通用しなくなりつつあります。じゃあどんどんそういう方向に行ってしまうのかと言えば、私にはそうは思えない。「ゼニカネでない」感覚による揺り戻しがきっとくると思えます。

   *   *   *   *   *

583:mespesado : 2017/11/26 (Sun) 14:24:57 host:*.itscom.jp
>>577
 さて、次に進む前に、今までに説明してきたことと現実に起こっていることとの間に生じている、ある「パラドクス」について考察しておきます。
 今、人手不足の問題が深刻化しています。私の解説してきたことによれば、科学技術の進歩によって生産過剰になるから労働力は過剰になるはずです。ところが現実には逆に人手不足になっている!これはなぜでしょうか?
 実はこの問題は、今社会問題になっている「少子化」問題とも密接に絡んでいます。人口の少子化は、もともと高度成長が終わる前、1970年代の前半から既に発生しています↓
http://www.stat.go.jp/data/nihon/g0402.htm
 ですから、そのころ生まれた子供が成人になる1990年代から労働人口、生産年齢人口は減り始め、現在に至っているわけです。
 一方、高度成長も終わり、売り上げの増加が期待できなくなった企業は収益を上げるためにコストダウンに精を出すようになります。そのために、各企業は「ローコストオペレーション」、すなわち「仕事のやり方を標準化し、経験のない人でも仕事ができる」ように仕事の内容をマニュアル化し、安い賃金でスキルの無いシロウトでも即戦力になるようにしていく、という方法を採用していきました。
 ところで労働人口が減少するよりも経済成長の鈍化の方が先に発生していましたから、企業は不況対策で採用を絞り始め、既存の社員に対してもリストラを進めざるを得なくなっていて、労働市場は人余りが発生していました。そういう環境と「ローコストオペレーション」はうまくマッチングし、企業の立場からすれば、労働市場に過剰人員がいるから採用には困らないし、しかも特定のスキルを持つ人をその中から探す苦労は無いし、一方労働者の側から見ても、自分の今までの仕事とは全く畑の違う仕事でもとりあえず採用されるからありがたい、ということで、見かけ上問題が顕在化することもなく、世の中は何とか回っていたのです。
 一方、この「ローコストオペレーション」は、それを採用していなかった業界において、新規にビジネスを立ち上げるには恰好のツールでした。とにかく一攫千金を夢見る起業家にとって、この手法を採用すれば、ローコストによる低価格設定で、従来型ビジネスモデルの同業者から顧客を根こそぎ奪えるのですから、「ローコストオペレーション」を採用した新規企業は爆発的にビジネス界に普及していくことになります(理容業界に突如発生した1000円カットなんかもその一例ですね)。それと同時に従来型ビジネスモデルを採用している業者は価格面で競争に勝てず、駆逐されていきます。
 以上のようなトレンドが、「失われた○○年」などと呼ばれる、緊縮財政に勤しむ民主党政権の頃まで続いていました。
 ところがやがて少子化による労働人口の減少がこのトレンドに追いつき、新しい安倍政権でアベノミクスにより企業も景気を取り戻し始め、企業の採用も次第に回復し始めます。すると、「ローコストオペレーション」の持つ問題点が顕在化し始めます。まずは労働人口の減少により、「ローコストオペレーション」で簡単に仕事ができるようにしてあるにもかかわらず、新規に労働者となりうる人口自体が減少しているので人が集められなくなります。加えてこの「ローコストオペレーション」は、そもそも労働者の適性など無視したシステムです。それぞれの労働者の得手不得手によって適材適所に人員配置をするのではなく、そんなものに関係なくマニュアルどおりの仕事をさせるわけですから、労働者にとっては仕事が面白いわけもなく、しかも仕事の内容がキツいものも多く、不況の時代には他に仕事が無いから我慢して勤めていた人も、企業の採用が回復してくれば「こんなつまんなくてキツい仕事やってられるか!」とケツをまくり始ます。こういうわけで、「ローコストオペレーション」は危機を迎えます。
 現在の状況というのは、まさにこの段階にいる、ということなのです。アベノミクスで景気が良くなったとは言うけれど、これは決して経済の環境が落ち着くべきところに落ち着いたというわけではなく、不安定な過渡期にいるだけだ、という事実は常に念頭に置いておく必要があるでしょう。                         (続く)

by めい (2017-11-26 20:34) 

めい

気持ちがスッとおさ(納・収・治)まる、そんな気がするmespesadoさんの文章です。
《インフレにならなくたって、雇用も労働者の待遇も改善され、かつ企業側にとっても労働力不足が改善されたらそれでOKじゃないですか。この上何が悲しくてあえて「インフレにする必要がある」んでしょうか?》

   *   *   *   *   *

631:mespesado : 2017/12/02 (Sat) 13:53:34 host:*.itscom.jp
>>583
 書評の続きです。
 では、この経済における不安定な過渡期は今後どうなっていくでしょうか?
 昨今の「人手不足」は労働市場における需要と供給の関係から「賃金上昇」を生み、これは「価格転嫁」が必要になるから「物価上昇」になり、めでたくインフレターゲット達成になる!…と楽観的になる人がいますが、本当でしょうか?
 そもそも「人手不足」と言いますが、具体的にはどんな業種が人手不足になっているのでしょうか。
 まずは外食産業などの接客業(ファーストフード店のワンオペの重労働は話題になりました)、それから宅配等を担うトラックドライバー、そして建設業などです。
 これらは消費者にとって必須のサービスというわけではありません。ですから、人材が確保できないからと言ってやむなく賃金をアップさせても料金に転嫁することは難しい。なぜなら高くなれば消費者は利用回数を減らすことで対抗しようとするからです。そうなると、企業は結果として収益が増えないので店舗を減らす、あるいはサービスレベルを若干ダウンすることで対応しようとします。それでも人材確保できるだけの賃金を出せない業者は潰れていくだけです。そして、そうこうしているうちに、AIやロボット技術の進歩により、人手が要らなくなるようになるので(例えばスーパーのレジの自動化)、賃金は高いままでも人数を減らすことで人手不足に対処しながらコストを下げることができるので、今までどおりの価格で今までどおりのサービス水準を維持できるようになっていきます。
 つまり何が起きるかというと、中期的な目で見ると、雇用は改善され、給与水準も高まった状態のまま、失業率は低いままで、逆の人手不足も解消され、しかし物価は上昇しない、という結果になります。
 これを「なぁんだ。結局インフレターゲットは達成できないのかよ。じゃあアベノミクスは失敗だな」などと論評するのは無意味です。
 だって、「失業率は限界まで下がり」「給与水準も改善されたままで」「労働力不足も解消される」のであれば、一体何が不満なのでしょう?そもそもアベノミクスは「リフレ政策」、すなわち「デフレを脱して緩やかなインフレに移行する政策」と言われますが、そもそも何のために「インフレにする」必要があるんでしょうか?インフレにならなくたって、雇用も労働者の待遇も改善され、かつ企業側にとっても労働力不足が改善されたらそれでOKじゃないですか。この上何が悲しくてあえて「インフレにする必要がある」んでしょうか?
 これについて、内部留保問題を持ち出す人がいます。つまり「デフレだからオカネの価値がいつまでも変わらない(というよりむしろ価値が上がる)からみんな溜め込むのだ。だからインフレになればオカネを持ってると損だから内部留保を吐き出すはずだ」と言う人がいますが、馬鹿げています。
 だって、企業は何で従業員に還元せず内部留保を貯めているんですか?将来の会社の業績について不安だから溜め込んでおくのでしょう?ならば、インフレでオカネの価値が低減していくなら、これじゃ足りないからと、ともっともっと溜め込もうとするだけじゃないですか。
 なので、インフレになって良いことって、実は何も無いんじゃないかという気がします。みんな「リフレ政策」という言葉を使っていることで、既に思考停止になっていたのです。そもそも、最初から「リフレ対策」などと呼ばずに「雇用改善対策」とでも呼んでおけばよかったのです。なぜ「リフレ」などというお題目がぶち上げられたのかと言うと、おそらく高度成長期で景気が良かった時代が緩やかなインフレ時代で、デフレになってから生活が苦しくなったせいで、インフレかデフレかが景気のバロメータであると勘違いしていただけではないのか、と勘ぐっています。つまりそもそも最初のボタンが掛け違っていたのです。ただ、その処方箋としての大幅な緩和政策だけは景気対策としては間違っていなかったので、たまたまアベノミクスが奏功した、ということではないかと考えられるのです。                               (続く)

by めい (2017-12-03 04:52) 

めい

《ともあれ、時代は既に「税金」という制度自体が今日の経済環境に合わなくなってきた、ということを素直に認めることが先決だと思います。》
ここを起点に世の中の見方がどんどん変わってゆく、そう思います。

   *   *   *   *   * 

640:mespesado : 2017/12/03 (Sun) 09:51:06 host:*.itscom.jp
>>631
 さて、ここら辺で、>>456 で要約した Chapter2 の内容に対する総括をしておこうと思います。
 まず最初の「箱物行政」か「福祉」か、という問題について、安倍政権では福祉優先から箱物優先に揺り戻しが生じているという件ですが、>>512 で論じたように、今日の日本では、「物理的には」両方推進することが可能であるにもかかわらず、>>519 で論じたような内部留保が溜まり過ぎる問題や、>>574や >>576 で論じた「財政規律」や「勤労の義務」に関する人々の硬直した倫理観が解決の障害になっていることを確かめました。そして、>>519 の問題を解決するには >>522 の後半で説明したような「経済ルールの変更」という大鉈を振るう必要があるし、一方の倫理観の問題は、気が付いた人から声を上げて世間に対してジャンジャン発信していかなければならないので、これらの解決方法はいずれも時間はかかるでしょうが、ひとたび流れが変われば一挙に雪崩現象を起こすでしょう。
 次の「国の借金は最悪記録を更新している」問題ですが、これは >>522 も含め、何度も繰り返しているように、「国の借金」など問題視する必要がないので、最早論じる必要性ナシです。
 Chapter 2 の要約 >>456 の残りは「租税論」で、著者によると、「戦後の復興に対応した制度設計は時代遅れであり、人々の多様な消費活動を対象に課税ベースを広げていくため、消費税への依存度を高めていくべき」であるが、「消費税はその逆進性により弱者いじめの要素が強いので、軽減税率を適用すべき」であり、「所得格差が広がった今日、富裕層への増税を進め、法人税も引き上げて、彼らがけちけちとカネを溜め込む傾向に歯止めをかけるべき」だそうです。
 そもそも税金とは通貨の回収行為に過ぎず、しかも今日の日本ではハイパーインフレを防ぐためですらなく、単に内部留保を溜め込みすぎてワルサをしないためというのが唯一の目的なのですから、最早それは「税金」という制度である必要はなく、>>522 で論じたように、「税金」のかわりに政府が発行する「株」を強制的に買わせるとか「一時預かり金制度」に置き換えるなどしてしまえば、家計も企業も可処分所得が増え、みなハッピーになるのですが、急にそんなことをすれば人々の意識が付いて来れないし、また「一時預かり金制度」に切り替えたとしても、どこにどれだけこの制度を「割り振る」か、という問題は残ります。なので、「租税」の持つ2つの役割、すなわち「通貨の回収」という役割と、どこからどれだけ取るかという「所得の再配分」という役割のうち、前者については既に説明したとおりですが、後者についてはまだ議論の余地があります。なので、次回はこの「所得の再配分」の問題について論じ、Chapter 2 に関する論評を締めたいと思います。         (続く)

641:mespesado : 2017/12/03 (Sun) 12:10:15 host:*.itscom.jp
>>640
 リベラルな人たちは、決まって「金持ちからもっと取れ」と言います。これはまあ、庶民のルサンチマンもありますが、金持ちほど生活に余裕があるので、「支払い能力があるところに重みをつけて負担させる」という一応の理論的根拠はあります。
 さて、この金持ちほど税率が高くなるという「累進課税」ですが、昔はもっと高額所得者と低額所得者の差が大きかったものが、1990年代以降の税法で富裕層を中心に減税や優遇措置がとられ、高額所得者の税率が引き下げられて来ました。
 この件に関しては、当然に賛否両論があり、Yahoo!知恵袋に分かりやすい投稿がありました↓

累進課税の歴史に詳しい方教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1232136907

 まず累進課税「強化」論者の意見がその中で引用されています:
> 1990年代以降の税法で富裕層を中心に減税や優遇措置がとられ、結果
> 貧富の差が顕著になった
> 所得税の累進を87年の水準に戻せばかなりの財源を確保できる。金持ち
> 優遇の税制は改善の余地があるのではないか

 これに対し、累進課税「反対」論者と思われる投稿者自身の意見は以下のとおりです:

> 現状も金持ち優遇どころか低所得者優遇の税制だと思いますが。年収5百
> 万はほぼ5百万の生活ができ、年収1千万は750万の生活に引き摺り下
> ろされる、これが累進課税です。責任の重い、より負荷の高い仕事をした
> 対価である年収なのに正しく評価されず、ただ低所得者に分け与えるため
> の制度です。低所得者は生活保護や扶養手当、母子加算等の不労所得があ
> り、中所得者には児童手当というご褒美があります。先祖から引き継いだ
> 資産で贅沢な生活をしている人や農家や自営業を度外視して、なぜ会社員
> の努力した層だけターゲットにされるのでしょう。

 これらはどちらが正しいということでもないのですが、両サイドに共通するものがあります。それは、「被害妄想」です。「強化」論者は「こんな豊かになったはずの世の中で俺たちはこんなに苦しい生活をしてるのに、生活に余裕があるはずの金持ちばかりなぜ優遇するんだ」という意識でしょうし、一方の「反対」論者は「こんなに努力してようやく手に入れた豊かさなのに、何で努力が足りない怠け者のために、努力の結果豊かになる権利があるはずの俺たちがその分を負担しなければいけないんだ」という意識でしょう。
 要するに、どちらも余裕が無いのですね。
 昔(1986年まで)の所得税+住民税の最高税率は、同サイトのベストアンサーにもあるとおり、何と93%でした。いくら金持ちとはいえ、当時はよくそれで金持ちは我慢していたものだと思うくらいの高い税率ですが、じゃあ何で当時までは世の中が(金持ちも含めて)それを是認していたのでしょう?
 私が思うに、それはやはり時代が高度成長から低成長に移行したからだと思います。つまり、高度成長の収入が右肩上がりの時代には、来年以降も少なくとも今年と同水準の収入が必ず入ってくる。だから今年の所得に高額の税金が課せられても、今後の収入が安泰なので、まあいっか。ここは金持ちの矜持を見せよう、というような余裕が持てたのでしょう。ところが今日では経済成長が止まり、今年たまたま儲かっても将来も同じように儲かる保証はありません。いや、それどころか倒産するかもしれない。ですから儲かった年はもっけの幸運だと思って、極力それを溜め込んで将来に備えようと思ったのに、その「僥倖ともいえる」儲けに93%も税金で取られちゃったら将来の保証もままならないゃないか、ふざけるな!、というわけですね。
 というわけで、「取られたら取られっぱなし」の税金という制度は、どう制度をいじっても「将来の収入が不安定である限り」増税は人々に将来の不安を想起させ、金持ちか庶民かどちらかから不平が出るのです。
 これに対し、「税金」ではなく「一時預かり金制度」だったらどうでしょう?これを「消費額に比例して一時的に国が預かる」のと「所得に応じて一時的に国が預かる」のならどちらがよいか、という話になります。
 まず、生活に余裕が無い人でも生活必需品は購入しなければなりませんから最低限の生活費分を消費しますが、これに比例して一時預かりとはいえ所得から一旦控除されてしまうと、そもそも生活必需品の消費さえままならず、生活にまるっきり余裕がなくなってしまいます。
 ですから、生活必需品を購入した残高がもし残れば、その中から国が一時的に何パーセントかを預かる、というのなら問題は少ないでしょう。これは金持ちにとっても同じことです。なので、所得に「応じて」一時預かり金額を定めるのがよいと思われます。
 それではこれを累進的にするのがよいのか、単純に所得比例がよいのかという問題ですが、この一時預かり金の目的が「内部留保が溜まり過ぎた人が悪さをしないため」であることを考慮すると、単純な所得のみに応じた金額にするのではなく、既に溜め込んだ金額にも応じて額を定める方が合理的であると思われます。ともあれ、こんな「一時預かり金制度」など、まだ発足もしていないのですから、まずはアイデアとして俎上に乗せ、財務省も納得し、いよいよ制度発足と決まったら。そんな細かい話は財務省の事務方に考えさせればよいのです。秀才ぞろいの彼らにとって、そこをうまく制度設計することは最も得意とするところでしょう。
 ともあれ、時代は既に「税金」という制度自体が今日の経済環境に合わなくなってきた、ということを素直に認めることが先決だと思います。                              (続く)

by めい (2017-12-04 05:46) 

めい

1年前なら浜矩子氏の議論に共感していたに違いない、そう思いつつmespesadoさんの要約を読みました。《これらの論評に対する私の意見は次回以降》、楽しみです。

   *   *   *   *   *

646:mespesado : 2017/12/03 (Sun) 19:40:12 host:*.itscom.jp
>>641
 いよいよ『「アベノミクス」の真相』の最終章である Chapter3 についての論評です。まずは安倍政権の「成長戦略」をテーマとするこの章の内容を要約しておきます。
 まず著者は、アベノミクスの「3本目の矢」である「民間投資を喚起する成長戦略」として具体的に掲げられている項目を列挙して、「方向感がない。まとまりがない。核となるものが見えてこない。」と述べ、しかしながら「一番最大限・最先端・革新的・競争力・勝ち抜く製造業・潜在力の高い成長分野・ターゲティング・ポリシー…」という言葉がちりばめられていることから、かつての高度成長期の「追いつけ、追い越せ」のトーンをそこに読み取り、(既に世界の最先端に到達した)今の日本は、一体どこに追いつき追い越すつもりなのか。そんな過去に向かって矢を放ってどうする」と批判します。
 続いて「女性の活用」について、公約に盛り込まれた「女性力の発揮」を実現するために、「保育施設の拡充による待機児童問題の解消」を目指すとの文言に対し、著者は2007年の柳沢厚労大臣(当時)の女性に関する「産む機械」発言を想起しながら、「女性の活用」と言いながら、日本経済のために、「産めよ増やせよ」のための機械としてしか女性を捉えてないのだろう、そして裏を返せば、そうしない者、すなわち「成長戦略に役に立たない者」は政策支援の対象にしないということか、と言って政権を非難します。すなわち、筆者はそこにアベノミクスの「人権を尊重した方が経済活動が深まる」という論理を見出し、「基本的人権」のような人間の基本的な権利をも経済発展のための道具にしか見ていないと非難するわけです。
 次に、著者は「医療と雇用に関する施策」に注目します。まず「医療」については「再生医療や医薬品開発に関する規制緩和を目指し、医療分野の輸出力強化を目指す」、「雇用」については「成長分野への労働移動」に力を入れ、そのための支援助成金を大幅に拡大する、という政策を取り上げます。そしてこのような政策の選択について、「政府が成長産業と目する分野に人々を誘導するためのもの」として、産業への梃入れをとにかく成長産業だけに肩入れする「成長戦略ありき」として非難します。つまり、強者だけますます強くすることばかり考え、弱者は置いてけぼりにするという方針に異を唱え、「市場にできることは市場に任せるべき」で、政府の政策は「市場にできないことこそをすべき」であり、「その市場にできないこととは弱者救済に他ならない」と主張します。そして、かつての日本は「護送船団方式の経済」であり、これなら「特に厚生に力を入れなくても人々は特に痛痒を感じない、誰も落ちこぼれさせない経済」だったのだが、この構図が失われた今日では、政府こそが「社会的厚生の確保のためにその腕を振るわなければならない」と結論します。
 次に著者は、安倍政権が政策の基本哲学を「縮小均衡(下)の分配政策」から「成長と富の創出への好循環」へと転換させ、「強い経済」を取り戻すと主張していることを取り上げます。著者は現在の経済が高度成長期のように華々しいものではないけれども成長はしており、決して縮小してはいない。それなのに、相も変わらず高い成長を求めるのはおかしい。それよりも成長の成果をきちんと「配分」するのにこれまでの日本はどこまで力を入れてきたのか、と問い詰めます。そして日本企業がグローバル化への対応で分配機能を果たすゆとりがなくなった今の日本こそ、政府が分配に力を入れるべきであり、「分配政策からの切り替え」ではなく、逆に「分配政策への切り替え」こそが必要だ、と説くわけです。そして日本では、「富は充分過ぎるくらい形成されている」にもかかわらず、所得格差を測る指標の「ジニ係数」で見ても、日本は格差拡大の方向に進んでいる。そして格差の拡大の中でがむしゃらに成長を追求すると、生産性競争、価格競争が行き過ぎ、賃金は抑えられ、人々は安心して消費行動が取れなくなり、結果的に経済成長は阻害される、と結んでいます。
 最後に著者は、安倍政権が「産業競争力会議」を設置し、そのメンバーの竹中平蔵氏の発言を捉え、高度成長期の1960年代の景色を取り戻そうとしているとし、更に氏の口から「アベノミクス特区」という言葉が出るに及び、真の課題である「分配上の課題」がもみ消されてしまうと危惧します。そしてマーガレット・サッチャー元英国首相の「善きサマリア人は、善人だったから有名になったわけではない。彼は金持ちだったから世に名を残すことができたのである」という、追いはぎに襲われた旅人を救い、至れり尽くせりの看病をした聖書のサマリア人について言及した言葉を取り上げ、これを「善きサマリア人の偉いところは、カネを持っていたことにあるのではない。持っていたカネを惜しげもなく隣人に分け与えたところにある。」として批判します。そして著者は、何も成長を否定しているのではない、「成長」と「競争」と「分配」の「正三角形」が大切だ、つまりこれらの3要素が同じ力を持って組み合わさることが大切なのだ、と結んでいます。
 ちょっと要約が長くなりました。これらの論評に対する私の意見は次回以降で述べたいと思います。                    (続く)

by めい (2017-12-04 05:59) 

めい

このつづきは、
mespesadoさんによる1億人のための経済講座(2)http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-12-08
by めい (2017-12-08 06:04) 

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