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謹賀新年 [熊野大社]

なんとか改めねばと思いつつ、大晦日ギリギリまで仕事に追いまくられていた頃の名残りで、年賀状は大晦日の晩から書き始めて年が明けてから投函するのが通例だった。今年は熊野大社の総代ということで2時からの大祓式、夜中の除夜の鐘、新年参拝参列があることから、3031日に投函を終えていた。これで実に清々しい気持ちで新年を迎えることができた。「本来年賀状は年が明けてから」というのが屁理屈であったことをあらためて認識させられた次第。

2時からの大祓式、参列者50名ほど、われわれ総代以外地元の人は誰もいない。みんな遠くからの方々とのこと、神社のがんばりの成果でもありありがたいことだが、地元の人にも大祓の意義を知ってもらう努力も必要と思う。茅の輪くぐりをやるようになって何年経つだろうか。6月と12月、大晦日のこの行事も定着した。

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夜の11時半頃神社へ向う。宮町通りの通行規制で粡町を通る車が一年でいちばん多くなる。粡町通りのイルミネーションはこの日だけは夜通し輝く。167年前「雪洞(ぼんぼり)まつり」の時につくった「粡町商店街」の幟12本を久しぶりに引っ張り出して通りをかざった。複数の型でつくったスクリーン捺染の幟。デジタル化した今となっては記念碑的アナログ製品。当時を思って感慨深い。

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まだ通りを歩く人はほとんどないが、石段まで行くともうゾロゾロ。太々神楽100年祭に向けた幟が立つ。30日の夕方納めたものだ。仕事納めとなった製品。

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除夜の鐘を撞くのは初めての経験。順番を待つ列が続いている。「宮内熊野に獅子が舞う」の主役佐藤秀一君、毎年108番目の札をもらって、納めの鐘を撞いているという。私は総代ということで、10番札をもらって待つ。

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午前0時と同時に今年の一番鐘は近藤洋介代議士だった。近く(南陽市金山)に住む鈴木憲和代議士の姿もあって、山形二区の両代議士が揃って熊野大社で新年を迎えた。当社の霊験あらたかの象徴か。初めて鐘を撞いたが、いい音を出すにはコツが要るようで、満足した出来ではありませんでした。それにしてもこの音で宮内じゅうに響くのだから、その威力を思い感銘。

撞き終わって拝殿に上って新春最初の参拝行事。大祓の奏上が始まっていました。宮司祝詞の後巫女さん二人による豊栄舞

あけの雲わけうらうらと とよさか昇る朝日子を 神のみかげと拝(おろが)めば その日その日の尊しや/地(つち)にこぼれし草の実の 芽ばえて伸びて美(うるわ)しく 春秋飾る花見れば 神のめぐみの尊しや昭和二十五年、設立間もない神社本庁は、独自の祭祀舞「朝日舞」と「豊栄舞」を制定しました。「豊栄舞」の歌として定められたのがこの曲で、越天楽今様の旋律に、本庁芸能委員であった臼田甚五郎氏が詞を付したもの。/ 臼田氏の談によると、作詞にあたって最初に思い浮かんだ詞が「豊栄のぼる」という詞句で、これに表象される素朴な太陽信仰と神まつりの伝統を歌いこんだのが一章の歌詞であり、続く二節は、空襲で焼けた工場の廃墟の中に、草が真っ青に萌え出てゐた光景からイメージし、自然のなせる業、生命力そのものに神の出現を感じて作ったものだという。http://s-bunka.com/2008/02/ciaiaaeiia/ 

年明けて間もなく御神楽奉納に居合わせ、ありがたきことこの上なし。町外からの参拝者も多く、終って全員そろっての拝礼。御神事を終えて宮司から御祭神についての話と、4年後の2021年太々神楽100年祭に向けた協賛のお願いがありました。

拝殿前の賑わいに比べ、各社巡拝する人はまばら、年明け直後、ゆっくりの一日(ついたち)詣りをしてきました。石段は下まで列が続いていました。昔は押すな押すなだったのに、今は整然としていることに驚きました。

写真はフラッシュなしで撮ったのでだいぶブレています。(クリック拡大)

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